身近情報U(沖縄編)
4月8日〜14日、5月2日〜9日までは「九州編」へ。
4月15日(火) : 5時前に朝食の案内で起こされ、6時には和食の食事を終えた。
 こんなに早く起きても、何年振りかで9時間も睡眠がとれた。4時25分に沖縄の本部港に着いたが、
 それまでも1日近くの船内は「たいくつ」の一言で、3分の2はマットの上で寝ていた。
 左隣の人が自転車で全国一周している若者で、すでに3回パンクしたそうだ。
 右隣は、私より一つ年上で、50年ぶりに故郷の与論島に帰ってきた人だった。
 
 本部港に着岸前にフェリーから撮った全長762mの瀬底大橋(左側が瀬底島)
 ナビをたよりに5時過ぎにホテルに着いた。駐車場で荷物を降ろす時に今年初めての蚊の襲撃を受けた。
 4月に蚊に刺されたのも生まれて初めてのことだ。安いホテルを予約したのでしかたがないが、
 5階まであるのにエレベーターもなく、3階の部屋だったが、少しでも運動不足を補えると思うことにした。
 古いビジネスホテルなのに、LAN回線は快適に利用できた。
 パソコンから明日の那覇のホテルを予約しておいて、居酒屋での食事にでて、
 その「和楽」という居酒屋で売っていたウコン茶なるものを我が肝臓のために買い、9時にはホテルに戻った。
 ホームページを更改して11時半に床に就く。今日の歩数は6951歩。
4月16日(水) : 7時にホテルの朝食を摂って40分後にはホテルを発った。
 8時に名護城跡の頂上まで登り、公園内の写真を摂り、8時半頃に名護を発って58号線を南下した。
 
 名護城跡入り口
 
 名護城跡の頂上は木々で囲まれていて下界は何も見えなかった
 
 名護城跡公園内にあるのっぽの椰子
 
 名護城跡公園内の桜橋
 途中ガソリンを注ぎ、「税率の違いで鹿児島より沖縄の方が安い」と鹿児島のスタンドの人が言っていたが、
 133円と高く、沖縄すべてのスタンドが協定を結んでいて同じとのことだった。
 しかし、専用カード割引などでリッター125円になっていた。
 
 万座毛の高さ20mの断崖絶壁
 
 
 
 万座毛より向こう岸の万座ビーチを望む
 
 
 9時15分に万座毛に着いて写真を撮り、10時には残波岬に着いて灯台に昇ったがかなりきつかった。
 
 地上から28mの残波岬(ざんぱみさき)灯台
 
 この階段を登ると外界が広がる
 
 この突端が沖縄本島最西端と思ったが、最西端は那覇空港の西にある大嶺岬だった
 
 灯台よりの眺め
 
 灯台よりの眺め
 
 残波岬公園にそびえる巨大なシーサー
 
 拡大画像。原寸は110×60mm
 
 
 11時過ぎに残波岬を発ち、那覇のホテルの駐車場などを確認しておき、首里城に向かった。
 1時から2時10分まで昼食を挟んで首里城で過ごす。3時20分前にホテルに着いたが、
 3時のチェックインまでロビーで待つ。いままでのホテルは30分前でも部屋にいれてくれたが、
 このホテルは3時にならないとキーを渡してくれなかった。今日の歩数は13609歩。
 
 翌日以降のホテルの予約とホームページ作りに欠かせない17インチのノートパソコン
4月17日(木) : 6時半にホテルで和食バイキングの朝食を摂り、9時過ぎにホテルを発つ。
 沖縄にはバス専用の信号機があることを走行中に初めて知ったことと、
 時間帯にバス専用レーンに入ると7000円の罰金を科されることもホテルのチラシで知った。
 
 那覇国際空港
 
 このあたりの奥が沖縄本島の最西端だと思う
 沖縄本島の最西端の大嶺岬に行こうと思ったが、那覇空港から奥には入れずに
 国際空港を10時頃に引き返し、パイナップルハウスでコーヒータイムをとり、
 那覇港に石垣島行きの予約に行ったが、泊大橋の先の泊港の那覇新港埠頭の方が発着場と聞き、
 そこの案内所で尋ねると、来週の月曜日まで船は出ないとのことだった。
 12時前に世界遺産の織名園に着き、雨の中30分くらい観て、
 沖縄市仲宗根町のホテルに行く途中、これも世界遺産の中城城跡に寄ることにしたが、
 道路標識が北海道と同じく不親切で、10キロ以上も先まで行き過ぎたり、
 道路工事で行き止まりから引き返したり、散々な目にあった上に、
 教えてもらった所は「琉球メミリアルパークの事務所」で、案内図をもらって
 ようやく2時10分に中城城跡に着き、小雨の中急ぎ足で入ったら呼び止められて、
 300円の観覧料を徴収されたが、城もない城跡だけで金をとられたのは初めてで、
 本州・九州では城があっても城内に入らなければ観覧料は不要なのに感じが悪いね。
 世界遺産だからと言われるかもしれないが、世界遺産だから補助があるのではないの。
 傘を借りて10分ほど写真を撮ってホテルに向かい、
 3時10分前にホテルに着き、近くの食堂でようやく昼飯のカレーライスにありつけた。
 今日の腹立たしいことの起こりはナショナルのカーナビの表示で、
 世界遺産にも登録されている「中城城跡」の表示がまったく無かったことにつきる。
 旧道のままの表示が多く、旧版のバージョン名を変えただけのもののようだ!
 ホテルが無線LANで、セットアッブCD−ROMを借りて設定してもネット接続ができなく、
 明日と明後日のネット予約ができないことから、ホテルのルーターに手持ちのLANケーブルを
 直に接続してどうにか接続できて2日分の予約をとって8時半頃に外食にでた。
 ホテルのロビーで、LANケーブルを天井から吊るしてパソコンを長時間使うわけにはいかず、
 今日のHP更改はあきらめた。今日の歩数は6938歩。
4月18日(金) : 5時に起きてシャワーを浴び、6時25にホテルを発ち、
 6時55分から7時25分まで勝連城跡を観て、7時40分から20分くらい平屋敷港(へやしきこう)に寄り、
 キャロット愛ランドの島と呼ばれる津堅島(つけんじま)に渡るつもりが、時間の調整がつかず、
 
 平屋敷港のフェリー発着場
 

 8時過頃に藪地大橋を渡り、
 
 藪地大橋
 サトウキビ畑のある無人島・藪地島(やぶちじま)にあるジャネー洞窟(ジャネーガマ)に寄る。
 
 ジャネー洞
 
 
 
 洞窟から数10メートル下ると海岸に出る
 その後、海中道路を通って平安座島(へんざじま)、宮城島(みやぎじま)を通り、
 
 海中道路と呼ばれる大橋
 9時過ぎに伊計島(いけいじま)の伊計島ホテルに着き、
 
 伊計島ホテル
 ホテル内のレストランでツナサンドとコーヒーの軽食をとり、
 
 ホテルに許可をもらって立ち入り禁止区域になっていた島の北端などを散策した。
 
 ホテル専用の海水浴場だが、この岬の突端が伊計島の最北端のようだ
 
 ホテル専用の海岸
 
 ホテル専用の海岸
 
 伊計大橋。橋の前までシーサーが鎮座している
 ホテルを10時過ぎに発ち、島の帰路に道路沿いの各所にある沖縄独特の墓の写真を撮らせてもらう。
 
 新旧の墓
 
 ドーム形の方形の墓もある
 
 ここには新旧の墓が横に並んでいた
 
 最近の墓は半坪程度が一般的だが、こんなりっぱな墓は如何程で建立できるのだろう
 10時50分から30分くらい浜比嘉島(はまひがじま)に寄り道した。
 
 浜比嘉大橋。左端の島が周囲7kmほどの浜比嘉島
 
 浜比嘉大橋の向こう側が浜比嘉島
 12時半過ぎに宜野座村国際交流センターに寄ったが誰もいなかった。
 広大な敷地に建っているこんなりっぱな施設も無駄遣いとされている箱物の一つなのだろうか。
 
 宜野座村国際交流センター
 ナビを設定したが、海岸沿いにりっぱな県道37号線があるのに遠回りの国道8号線を案内するので、
 ナビを無視して北上し、1時20分頃に道路沿いの「みはら食堂」で
 よもぎの葉が入った初めての「よもぎそば」を食べる。そばも青く、よもぎが練り込まれていた。
 たくさん入っているよもぎの葉を少しかじってみたが、生なので食べられるしろものではない。
 香り付けなのだろうか。聞くのもはずかしく付いてきた皿に全部出した。
 
 よもぎそば
 東海岸の有路から県道14号線に入り西側の海岸に出て、
 国道58号から71号線を利用して3時半頃に名護のホテルに着く。
 前払いの自動精算機での領収書兼部屋の暗証番号案内も初めてだったが、
 入室時の鍵なし暗証番号方式も初めて使った。利用したスーパーホテルは各地にあるが、
 朝食付き1泊4,980円は安く、アイスクリームのサービスまである。今日の歩数は10412歩。
4月19日(土) : 5時に起きて、ホテル1階の浴場を利用したが、30分ほどいたが貸し切りだった。
 7時過ぎにホテルのバイキング式の朝食を摂ったが、ドリンクはカップ式の自動販売機内のものは
 すべて無料で、これも初めての経験だったが、コーヒーなど出来上がるまで時間がかかることから、
 時間帯によっては並んで待たなければならない。9時過ぎにホテルを発ち、カーナビを設定したら、
 遠周りの71号線を案内したことから腹が立ち、地図とナビの基幹道路を見ながら走ったら、
 今帰仁城跡の入口の標識に「←1.6km」とが出ていたのに、1.6km先を左折と勘違いし、
 元来た道を引き返せば30分くらいで城にたどり着けたのに、ナビは10キロ近く先を左折と案内し、
 3倍も長く走り、最北端の岬行きをあきらめ、今帰仁城跡と水族館に行くことに変更した。
 海洋博公園には12時に着き、近くの食堂でタコメシを食べる。
 
 これがタコメシ。タコが入っていると思ったらそぼろ肉がメインのようだった
 すぐ先の水族館に12時半に入り2時からり20分のビデオやイルカショウなどを観て、3時前に発つ。
 
 海洋博公園内の沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館入り口
 
 手に取ることのできるヒトデやナマコ
 
 カワハギ(ウマヅラ)の一種でしょうか?
 
 ナポレオンフィッシュと呼ばれることが多い「メガネモチノウオ」
 
 大型の「カスリハタ」
 
 イセエビ類の中で最も大きい「ニシキエビ」
 
 タテジマキンチャクダイ
 
 上が「ニセゴイシウツボ」で、下の黄色いのはミゾレウツボ
 
 ナマコ。黒いナマコはグアムやサイパンの白浜にいるものと同じものだろうか
 
 水族館でも人気の高いジンベエザメ
 
 サメの歯の並び
 
 サメの歯の一つ
 
 高足蟹
 
 ボイルされたエビのようだったが、目は生きていた
 
 イルカショウ
 
 
 
 
 
 鯉のぼりの代わりのイルカのぼりやサメのぼり。花のタコもすばらしい
 
 拡大画像。原寸は53×73mm
 ナビは本部方面への遠周りを案内していたが、最短の84号線を通り、4時前にどうにかホテルに着いた。
 昔からあるホテルの電話番号が間違いないのに、
 ナビは一般住宅用の番号になっていて設定できず、名護市街に着いてから30分ばかり探し回った。
 今日もナショナルの馬鹿ナビのために半日がつぶれてしまった。
 今帰仁城跡にしても世界遺産に登録されているのだから、ナビのどの縮尺にもにも表示すべきだ。
 今帰仁城跡にはようやく10時に着いたが、中城と同じくここも城壁を観るのに400円を徴収される。
 グループで来ていた観光客は「城もないのに金をとられるのなら何か飲んで帰ろう」と言い、
 アイスクリームなどを飲み食いしてUターンして帰って行った。
 勝連城跡の方が城壁などもっと美しく、井戸など城の条件が整っているのに公園として提供していることから、
 せめて城を復元してから料金徴収すべきでしょう。
 本州・九州の城は城の中に入らなければ拝観料を徴収されることはなく、
 ほんんどが公園として市民に提供しているのである。
 北海道の五稜郭も本丸などはないが拝観料はとられても、
 首里城を除いて沖縄の城跡とは規模が格段に違うのである。
 市町村や教育委員会の違いかもしれないが、「ガメツイ」の一言である。
 今日はいいことがまったくなく、最近はぐちこぼしの日が続くようだ。
 歩数計も1万歩近くの9460歩を示していた。
4月20日(日) : 5時前に起きる。6時にホテルを出るつもりが、予約していた民宿の「みるくや」が
 女性専用ということで、取り消して予約し直したので、6時半頃にホテルを出て6時55分には58号線から
 屋我地島(やがじじま)に入り、古宇利島(こうりじま)を一周し、
 
 屋我地島より古宇利島を望む
 
 屋我地島側の古宇利大橋
 
 
 古宇利島の橋詰広場
 
 詰広場から古宇利大橋を望む
 
 古宇利港より古宇利大橋を望む
 
 
 
 屋我地大橋
 
 中央の岩は知床の犬岩ほどではないが、左を向いた犬のように思える
 7時55分には屋我地島から58号線に戻り、8時頃に道の駅「おおぎみ」に寄っただけで、
 8時半には沖縄本島最北端の辺戸岬(へどみさき)に着いた。
 
 道の駅「おおぎみ」
 
 辺戸岬。このあたりが沖縄本島の最北端
 
 
 

 

 

 

 

 写真を20枚ばかり撮り、9時に辺戸岬を発つ。9時15分に奥交流館に寄ってヤンバルクイナの資料を
 見ることにしたが、ほとんどが今帰仁の資料館にあった昔使われていた道具の展示ということで、
 奥交流館内の資料館には入らずにヤンバルクイナ観察小屋のパンフレットをもらって教えてもらった。
 
 奥交流館
 
 北海道の鹿と同じで、ヤナバルクイナが飛び出してきたら急停車できそうもないないね。
 でも日中に姿を現すことはなく、事故は暗くなってからだそうだ。

 10時頃に安田(あた)漁港に寄り道し、
 
 安田漁港
 10時10分にはヤンバルクイナ観察小屋に着き、係員から説明を聞いた。
 棲息地にリモート制御で360度回転できるカメラ3台を置き、常時3台のモニターで監視していた。
 DVDでヤンバルクイナの行動を見せてもらった。
 10時半に天然記念物に指定されている安波(あわ)のタナガーグムイ植物群落に寄ったが、
 
 「天然記念物安波のタナガーグムイの植物群落」と記されている石碑
 
 植物群落
 ロープを伝って下りなければならず、入口の写真を撮るだけにした。
 
 植物群落の入り口はロープがあるように急勾配でたやすくは降りられない

 10時50分に新川ダムに寄ったが、水位は半分くらいに下がっていた。
 沖縄には方々にダムがあるのを初めて知った。12時前に18日に「よもぎそば」を食べた三原食堂に寄り、
 2種類の手打ちそばが入っている「みはらそば」を食べた。
 
 みはらそば。豚肉のことをソーキと言うので「ソーキそば」の一つでしょうね
 ここの食堂は券売機方式だが、定食もそばもすべてが500円とは珍しい。
 ネット予約で民宿に4時のチェックインとしていたが1時頃に着いたので、
 瀬良垣(せらがき)ビーチや御菓子御殿に寄って過ごし、
 
 瀬良垣ビーチには大潮か、多くの潮干狩りの人がいた
 
 近くのほとんどの島は陸続きになっていた
 
 御菓子御殿
 

 

 3時半頃に恩納南の民宿に着いた。部屋は6畳1間でテレビとエアコンしかないが、
 睡眠不足を補えることになりそうだ。トイレ、シャワーは共用だが、安さからがまんしよう。
 6時半頃に近くでアルコール付きの食事をし、コーヒーを飲んで7時半頃に宿に帰り、
 8時過ぎには床に就き、しばらくテレビを見て寝る。今日の歩数は7709歩。
4月21日(月) : 7時に宿のフルーツを中心にした朝食を摂り、
 
 民宿「フルーツハウスken」の朝食
 8時には宿を発ち南下し、8時前に世界遺産の座喜味城跡に着く。
 そばの読谷村(よみたんそん)歴史民俗資料館は運悪く休館日だったが、
 外に展示されていた骨を納める厨子甕(ずしがめ)の写真などを数枚撮った。
 
 読谷村歴史民俗資料館
 
 厨子甕
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の予定地の琉球村に9時前に着き、10時半前に発って具志川城跡に着く。
 12時15分に発ち、琉球ガラス村の琉球ガラス工芸館に寄り、そこのレストランで昼食にし、
 

 

 

 

 

 
 
 なぜか奥の琉球ぴーとろ館に置いてあった43度の泡盛の一升瓶を買い、
 1時半頃に発って15分ほどで「ひめゆりの塔」に着き、2時前には発つ。
 
 
 
 ひめゆりの塔
 
 
 2時過ぎには平和祈念公園に着いたものの、
 
 平和祈念公園案内所
 
 沖縄平和記念堂
 
 
 
 
 すべて観ると長くなりそうなので後日に回すことにして途中で切り上げて宿に向かう。
 カーナビ民宿の電話番号が元の場所のものだったために探すのに時間がかかり、
 4時10分にやっとのことで宿に着いた。ネット予約での民宿は初めてとなる。
 テレビ、冷蔵庫、電子レンジ、電気洗濯機、ガスコンロなどの自炊道具一式が備わり、
 国際通りのすぐ近くで1泊3000円は安いが、LAN設備がなくて
 ホームページの更改ができないことが連泊が難しい。今日の歩数計は19871歩。
4月22日(火) : 民宿に連泊を頼んで10時に宿を発ち、石垣島フェリーの予約に行ったが、
 ホテルを予約してから電話の予約でよいとのことで、宿に引き返して「スペースクリエイト自遊空間」という
 国際通りのインターネットカフェで石垣島などの予約をとったあと、近くで定食をとり、13時50に宿を出て、
 旧海軍司令部壕によっただけで、国際通りが渋滞の中、15時40分にようやく宿に着いた。
 今日の歩数は12447歩。
 
 海軍壕公園にある慰霊碑
 
 海軍壕公園ビジターセンター
 
 当時の海軍少佐の礼服
 

 壕内の幕僚室
 
 
 
 幕僚が手榴弾で自決した時の破片の痕
 
 司令官室
 

 
 観覧券の原寸は150×65mm
4月23日(水) : 7時20分に宿を発ち、1時間後には沖縄工業健児の塔に着いて写真だけ撮り、
 
 沖縄工業健児の塔
 8時半には沖縄師範健児の塔に着いた。他の慰霊碑にも回り、健児の塔を9時10分に発ち、
 
 沖縄師範健児の塔
 
 沖縄師範学校の校長、職員17名と、生徒289名の慰霊塔
 
 健児の塔の後方にある「平和の像」
 
 向かって右から友情・師弟愛・永遠の平和を象徴している
 

 
 「平和の像」の左側の碑文
 
 近くの洞窟
 
 
 
 健児の塔から海岸に降りていく道
 
 その先の海岸。このあたりから米兵が上陸してきたのだろうか
 一昨日の平和祈念公園の続きで、各県の慰霊碑を見ながら9時40分頃に一番奥に近い
 山口県の防長英霊の塔に着き、ささやかな献花を捧げた。
 
 防長英霊の塔への入口
 
 防長英霊の塔前の入口
 
 防長英霊の塔
 
 献花したが、一対いるとは知らなかった
 
 元山口県平井知事の記念植樹。
 1996年まで5期20年務めた平井龍さんは2008年2月18日、82歳で亡くなられた。

 
 現山口県二井知事の記念植樹
 10時前に三角点に到着して引き返す。
 
 三角点
 
 三角点前の黎明の塔
 10時半頃に平和の礎前を通り、
 
 平和の礎(いしじ)
 10時50分に沖縄県平和祈念資料館に入り、
 
 摩文仁の丘方面から見た沖縄県平和祈念資料館の全景
 
 資料館への歩道
 
 資料館の入口
 
 入館券(拡大画像。原寸は58×84mm)
 
 二階の資料館への入口
 
 旧日本軍の魚雷や米軍戦車のキャタピラなどが展示されていたがボロボロになっていた
 
 資料館の展望台からの風景。資料館がなだらかな曲線になっているのを初めて知った
 
 資料館の展望台からの風景。平和祈念堂側
 
 資料館の展望台からの風景。平和の礎側
 11時半に資料館を出て平和祈念公園を11時40分に発ち、12時に垣花城跡に寄り、
 13時5分に知念城跡に寄ったが復元工事中で、知念大川や知念按司の墓などを見て、
 14時5分に玉城城址に着いたが、ここもきつい坂道で、下着は汗で湿っていた。
 2時半に玉城を発ち、3時丁度に那覇のホテルに着き、すぐにコインランドリーで下着などの洗濯をした。
 今日の歩数は15121歩。
4月24日(木) : ホームページを更改をしたために10時に宿を発ち、10時50分に糸数城跡に着き、
 写真を20数枚撮り、11時15分に発つ。糸数城跡には、近くに蔵屋敷遺跡などがあり
 かなりの規模の城跡だった。11時25分にはおきなわワールド文化王国に着き、
 
 おきなわ・ワールド「王国村」入り口
 
 
 
 ラン科の「バニラ」
 
 熱帯アジア原産の「クドンドン」
 
 熱帯アメリカ原産の「グァバ」
 
 
 
 中米原産の「サポジラ」
 
 中国南部原産の「レイシ」
 
 熱帯アメリカ原産の「カニステル」
 
 ドリアン
 
 
 
 ヤシの実
 
 ドラゴンフルーツ
 
 
 
 
 
 双子ヤシ
 
 ブンブクチク
 
 玉泉洞とセットの入場券。原寸は153×64mm
 玉泉洞を見物したが、
 秋芳洞にも劣らない規模の大きな鍾乳洞だった。出口が王国村につながっていて、
 1時過ぎにレストラン王国で海鮮ピラフを食べて1時40分頃に王国村を発つ。
 国際通りの近くではかなり渋滞していたが、宿には2時半頃に着いた。今日の歩数は13611歩。
4月25日(金) : マイカーは那覇の宿に置き、4日分の駐車料金を前払いして10時に宿を出る。
 国際通りなどを散策し、13時半から17時半頃まで銭湯で過ごした。
 
 三越デパート付近
 
 平和通り
 
 人通りの多いむつみ橋交差点
 
 
 
 むつみ橋通り街
 
 LAN設備のない宿に宿泊した時は、ここの2階の自由空間でホテルの予約をした
 
 モノレールの牧志(まきし)駅
 
 那覇空港から牧志駅まで一度だけモノレールを利用した
 
 モノレールの美栄橋(みえばし)駅
 それでも時間をもてあますので那覇新港に向かって歩き、街中に城跡らしい城門があった。
 
 街中に城跡が(外部)
 
 街中に城跡が(内部)
 港近くで地元の人に道のりを聞いて行き着いた先は、別の船会社のターミナルだった。
 
 那覇港付近
 しばらく歩き、それらしい船会社の事務所に寄って場所を聞くと、
 女性社員がフェリーターミナルまで車で送ってくれて18時35分に着いた。
 
 那覇新港ふ頭船客待合室前より。こんな客船で行きたいね
 20時発のフェリー「飛龍21」で石垣島に渡るが、明日の朝10時15分に着くので船中泊となる。
 
 フェリー「飛龍21」のヘリポート
 20時半に船内のレストランで魚のフライ定食を摂る。2等の部屋はすべて夜行列車と同じような二段ベッドで、
 ほとんどの部屋は下のみを利用していて22819歩も歩いたこともありぐっすり眠れた。
 ちなみに、人のみの片道船賃は「燃料油価格変動調整金」という加算額1200円を含めて7800円だった。
 ガソリンは安くなっているのにと思ったが、重油の税制は別だそうである。
4月26日(土) : 7時に起きて8時過ぎに船内のトースト定食(700円)を摂る。
 10時15分に石垣港に着き、歩いて与那国島へのフェリー乗り場まで行ったが、明日のフェリーはなく、
 12時発の「ニューはてるま」という高速艇で波照間島に行くことにしたが、
 帰りは先着順で乗れない場合があるというので、13時過ぎにタクシーで八重山鍾乳洞動植物園に行き、
 園内を歩き回ったが、パイナップル・さとうきび畑への道は草木が生い茂りって通れる状態ではなく、
 各所に雑草がはびこっていた。リスザルの檻には一匹もいなく、ヤシガニは台風でガラスが
 割れていなくなったとのことだし、トイレのジェット・タオルは動作しないし、園の経営状態が悪いのだろうか。
 しかし、資料館のサンゴ、貝、民芸品などの展示品の数は圧倒的で、
 セルフだがコーヒーの無料サービスもあり、龍神鍾乳洞も見ごたえがあり、1000円の入園料も納得できた。
 帰りもタクシーで15時半頃にコラボレーションホテルに着いた。今日は19219歩も歩いていた。
4月27日(日) : 6時起床してシャワーを浴び、昨日ホテルが部屋に持って来てくれたトーストで朝食。
 8時前にホテルを発ち、石垣島離島ターミナルから8時20分発の高速艇(あんえい8号)で
 「西表島・波照間島1日観光コース」に出かける。「10分前には必ず乗船してください」と案内所の女性が
 言っていたが、5分前に乗船開始となり、10分近く遅れて港を離れたが、遅れた理由のアナウンスはなかった。
  ツアーのチケット原寸は53××75mm
 最初の1分は人待ちだったが、沖縄本島も含めて一般的に島の人はのんびり、おっとりしているように思える。
 9時25分に波照間港に着き、民宿「みのる荘」のバスで島内観光をし、
 
 波照間島の日本最南端之碑。これを建てたのは自治体ではなく、
 琉球列島の日本領土復帰が決まった頃に本土から島を訪れた学生という。

 
 この岩場の突端あたりが日本最南端
 
 左右の白っぽい大岩は台風で打ち上げられたもの
 日本最南端之碑や岩場の写真などを撮る。ちなみに、東京都小笠原村の沖ノ鳥島は日本国最南端の
 孤島もしくは岩礁の無人島だが、波照間島は生活を維持している有人島の日本最南端である。
 
 1枚500円の日本最南端の証の三つ折りの表紙
 
 日本最南端の証。証明なのだから到達日くらい入れてほしいね
 12時頃に民宿でツアー料金に含まれている昼食を摂り、12時45分に波照間港を出港したのはよいが、
 1時頃、高速で航行中のエンジン音と波の音が高い中で船員から呼び出しがあり、
 「本社からこの携帯に出てくださいとのことです」と船員の携帯電話を渡された。
 受付の女性の声で「○○様は今回のツアー料金のお支払いを済まされているでしょうか」と聞くので、
 声が聞きにくいので大きな声で「払っていますよ!」と言うと、「そうですか?」と言うので
 「領収証をいただいております」と言って切ったが、大勢の観光客の前で料金踏み倒し容疑者のように
 思われたことの怒りが収まらず、西表島観光もそのことが頭に残ってまったく楽しくなかった。
 
 西表島の大原港
 1時25分に西表島の港に着いたが、バスに乗り換えの係員の迎えがなくて各自バラバラに散らばってしまった。
 なんと5分以上も経って、「バスではなく水中観光を先にするので緑の屋根の船に乗ってください」との
 ことだった。波照間島のバス観光で、休憩時間の設定もないのも驚きだったが、
 下船時に係員の案内がないのも初めてだった。この観光会社は時間の観念がまったくないようだ。
 
 この緑の屋根の船に乗って仲間川の遊覧にでかける
 
 仲間川の河口にかかる仲間橋(なかまばし)
 ちなみに高知県梼原町の支川にかかる橋長42mの沈下橋は仲間橋(なかいだばし)という

 
 マングローブの気根(少しピンボケにて失礼します)ヤマプシキの筍根?
 
 日本最大のマングローブ林
 
 アダン林もある
 
 仲間川遊覧ボートの折り返し地点で下船して見物できる巨大な根っこを持った
 大きな植物「サキシマスオウノキ」(樹齢400年、幹周り3m45cm、樹高18m)

 
 
 
 帰りに海の方に向かって見える仲間橋
 
 仲間橋の上には「イリオモテヤマネコ」石像が鎮座していた
 船から降りてバスに乗り換えて3時25分頃に由布島入り口に着き、水牛車で由布島(ゆぶじま)に渡った。
 

 
 交代で休みがあるとはいえ、こんな多人数を1日に何度も引くにはさぞかしお疲れのことでしょう
 行き着く先はベテランの老水牛にまかせ、御者は途中で泡盛を口にし三線を弾き語りしてくれた。
 
 何頭もいる水牛にはそれぞれ名前が付けられ、往きに乗った水牛は雄の「海(かい)」だった。
 
 島内の蝶々園では、さなぎが黄金色の「オオゴマダラ」が舞っていた。
 よく似ている「リュウキュウアサギマダラ」は羽が青みがかっている

 
 島の北端
 
 花が咲き乱れている庭園
 島の園内を一回りし、16時30分に由布島を発って17時初のフェリーに乗り、
 5時45分頃に石垣島フェリーターミナルに付くとすぐに「島めぐり観光コース案内・受付」に寄り、
 料金不払い呼び出しの抗議をした。▼「なぜ、私だけ料金不払いの呼び出しをしたのか」に対して
 「現金払いはあなただけだったので確認をしただけです」というので、「1人分足らないのであれば、
 カードも含めて全員確認をすべきではないか」と言うと、「そうでしたね」と言う。
 また、▼「なぜ、エンジン音などで聞こえにくい航行中に、しかも大勢の観光客の中で呼び出したのか。
 従業員の携帯電話まで使って呼び出す必要はまったくなく、船を下りた時に個人を呼び出すことで
 確認できるではないか」の2点を厳しく追及した。ツアー代金16,800円を払うときに、
 受付の女性が、「先に料金の精算を済まされてから説明しましょう」と言うので2万円渡して
 3,200のお釣りもらい、領収証ももらった。「お客を疑う前に領収証の控えの確認をすればよく、
 第一、お金を渡さないでチケットをくれないでしょう」と言うと、受付の女性は「その通りです。
 お釣りのことも覚えています。すみませんでした」と頭を下げるだけで、責任者を呼ぶと途中でいなくなる始末で、
 料金踏み倒し呼ばわりされ、侮辱罪で有限会社「安栄観光」を訴えると言い、ターミナルを6時半頃後にした。
 安い民宿を探し、宿に着いてから家内に電話したら、「訴訟のような馬鹿げたことはしないこと。
 誰にも間違いはある」とのことで、この身近情報のみで、ひどい観光会社を皆さんに披露しておくことにし、
 少し怒りがおさまった。楽しかった全国一周独り旅で初めての不愉快な思いを味わった。
 今日の歩数は16492歩。
4月28日(月) : 8時50分に宿を出る。10時の与那国島行きの飛行機に乗るには時間があるので
 半分の道のりくらいを歩き、タクシーを拾って30分前に石垣島空港に着く。
 
 石垣島上空
 10時半には与那国空港に着いた。
 
 与那国空港
 レンタバイクで島を周るつもりだったが、あいにくの雨で困っていたところ、
 空港のすぐそばの祖納にあるレンタカー会社(ヨナグニ交通)が町営バスの委託をしていて、
 その運転手から「11時15分の3便のバスに乗れぱ島の最西端近くまで行ける」と教えてもらったので
 利用した。バスといっても9人乗りくらいのボンゴタイプだが、なんと無料で利用できるのである。
 乗るのは停留所だけだが、降りるのはどこでも自由で、車椅子のおばあさんは老人ホームまで送ってもらい、
 運転手は乗り降りの補助までしていた。15分くらいで久部良(くぶら)という停留所に着き、
 雨の中を歩いて坂道を登り、12時に展望台に着いて日本国最西端の地の写真を撮る。
 
 与那国島の日本最西端の碑
 
 日本最西端の碑の裏から展望台を望む
 1時過ぎに海鮮サラダと生ビールの食事をし、近くの湿地帯に寄り、
 「日本最後の夕日が見える丘」の碑があるクブラバリに行き、最西端の岬の写真などを撮る。
 
 
 
 雨に煙る日本最西端の岬
 帰りも久部良を3時半発の無料バスを利用し、途中、泡盛の舞富名(まいふな)などの醸造元の
 入波平(いりなみひら)酒造の前で降ろしてもらい、私1人に工場の製造工程を説明してもらった。
 
 入波平酒造の建物の表玄関だが、泡盛を製造直売しているのだから、
 観光客のためにも看板などで飾ってほしいね。とても醸造所とは思えない

 
 入波平酒造の泡盛製造工程のうちの一つ
 60度の小瓶や30度の中瓶、一升瓶入りの43度の泡盛のなどを買って家に送っておいた。
 空港まではすぐそこと聞いたので、歩くことにしたら空港の端からターミナルまでだけで1km以上もあった。
 帰りの飛行機は18時発のRAC880の最終便を利用したが、なんとDASH8という双発のプロペラ機だった。
 
 行きはジェットだったが、往復の利用料金は43,500円だった。
 7時半頃に那覇空港に着いてモノレールを利用して国際通りの民宿「とまり家」に8時過ぎに着いたが、
 なんと宿の老主人曰く、「携帯に何度も電話したが出なかったので部屋は他の人に貸しました」とのこと。
 携帯の着信履歴には妻からの電話はあるが、宿からの電話は一度もなかったのである。
 「最終の飛行機で戻るので8時を過ぎます」と言って昨日部屋を予約しておいたのにそれはないでしょう」と
 言うと、高齢の奥さんが「私たちの部屋で寝なさい」と言ってくれたが、誰がそんな所に泊まるか!
 無断でキャンセルされる人が多いからと言うが、すでに4日も利用し、
 駐車料金も別枠で前金で払っているし、他人と一緒にすることはないではないか!
 この民宿から国際通りまで1〜2分しかかからず、しかも駐車が無料なので利用したのだが、
 看板には1500円と表示していてが、宿泊料金は倍の3000円なのである。
 「インターネット無料なのでLANのできる部屋を貸してくれ」と言うと「今はやっていない」とのこと。
 領収証はくれないし、虚偽の看板の1500円の表示は税金対策のようにも思える。
 
 しかたなく、大雨の中に宿を探し回ったが、ゴールデンウィークに入っていることもあり、
 1万円以上のホテルはあったが、雑魚寝の安宿に泊まったが、熱いシャワーも出ず、
 風邪をひいてしまった。前日の船内呼び出しの件もあり、宮古島行きなどの予定は切り上げ、
 いやな思いが連続した沖縄は、1週間前倒しして発つことにした。
 今日は23301歩も歩いていて心身ともに疲れた。
 結果論として、このことが後日、近所へのみやげ不足を招いたことになった。
  自宅に帰った5月9日の翌日の夜9時半頃、「とまり家」の主人に恨みつらみを電話しておいた。
 1500円の表示は他の場所にある3号店のもので、インターネットは私が入院していたことから、
 お金を払っていないので設備を止められているために使えないとのことだったが、
 無料LAN設備ありのネット広告があったからこのビジネスを利用したのだ。
 3000円の宿に1500円の虚偽の表示と、宿の都合で設備使用料を払っていないことから
 インターネットが使えないのにインターネット無料の看板も虚偽広告になるので
 他のお客のためにも適正表示をするように伝え、こちらから電話を切った。
 また、設置のエレベーターは規格外だと思う。上階の管理人の部屋に下りるとまたドアがあり、
 エレベーターとドアとの隙間は40cmくらいしかなく、リュックがすれて引きづり込まれるようで怖かった。
 観光客を食い物にするようなこんな民宿は、警察や税務署などで徹底的に取り締まってほしい。
4月29日(火) : 7時半にはにっくき民宿「とまり家」の駐車場を後にし、
 沖縄本島の西側を北部の本部に向けて北上し、途中リッター125円の安いガソリンを注ぎ、
 洗車をし、10時半頃にスーパーホテル名護に寄って、ゴールデンウィークにもかかわらずに運よく
 空き部屋を予約できた。明日の鹿児島までのフェリーの予約に本部フェリーターミナルまで行ったが、
 なんと船の状態が悪くて本部は通過するとのことで、ホテルに連泊するはめになった。
 この船会社(マリックスライン)は鹿児島を発つ時もエンジントラブルで欠航していたが、
 定期航路なので代船を出してまでも運行すべきで、船は航行できるのだから、
 利用客が少ないから入港しないと思われてもしかたがない。海運局が管理しているのか知らないが、
 欠航やトラブルの多い船会社は抜き打ち調査をして欲しね。別会社の5月1日のチケットを購入しておき、
 瀬底島への橋を渡り、重要文化財だがあまり知られていない遺跡「瀬底土帝君(せそことていくん)」を見て
 
 瀬底土帝君
 島の突端まで行くつもりが工事中のために途中から歩いて1時間くらいかけて往復した。
 
 瀬底島の最北端付近。碑と思われる先端の物体はブロックだった
 ホテルへの帰りに伊豆味パイン園で沖縄そばを食べ、菓子などを買い、
 フルーツランド「トロピカル王国」にも寄ったが、疲れ果てて10時15分頃には床に就く。
 
 フルーツランド「トロピカル王国」
 
 室内に放し飼いの小鳥
 
 室内に放し飼いのインコ
 
 オオゴマダラ
 
 オオゴマダラの金色のサナギ
 
 入園券の原寸は150×60mm
 
 今日は1万歩に近い9798歩歩いていた。
4月30日(水) : 7時過ぎにホテルの洋食バイキングを摂り、10時前にホテルを車で出て
 10時25分に本部港に着いてすぐに伊江島(いえじま)行きフェリーのチケットの購入するために並んだが、
 車はすべての便が満席のために乗船券のみを買い、11時発のフェリーで伊江島に渡った。
 
 伊江島のフェリーターミナル。後方にこれから登る城山(ぐすくやま)が見える
 
 LCT慰霊塔
 11時半頃に着くとすぐにLCT慰霊塔周りで、12時にはニーバナ児童公園の奥にある芳魂之塔に着き、 
 そこで饅頭を食べていたおばさんに紫芋饅頭をもらい、お礼にもらい物の北海道の白い恋人3個をあげた。
 
 ニーバナ児童公園内の芳魂之塔村民・軍人3500余人の霊を弔う碑)
 
 城山の南登山口
 12時15分に伊江島タッチューの別名で有名な城山の南登山口から登り、2時19分には中腹展望台に着く。
 
 中腹展望台広場
 
 中腹展望台よりの登山口
 
 城山の中腹より中腹展望台を望む
 
 城山の頂上
 
 城山の近景
 12時22分に登山口に入り、ちょうど10分後に頂上に着いたが、ステテコが汗で足に貼りついて気持ちが
 悪いので半ズボンにはき替えて下山した。13時4分に中腹展望台を発ち、公益質屋跡に13時10分に着いて
 
 公益質屋跡
 
 破壊されたままの公益質屋跡
 
 会所跡の碑
 
 島村屋観光公園
 
 悲恋物語「ハンドゥー小」の像
 
 島村屋住居跡
 
 民族資料館内の昔の生活用品
 
 
 
 
 
 よく集めたもんだ
 
 笑顔から木喰仏のように思える
 
 魚雷ではないし、特殊潜航艇にしては小さ過ぎるようだが、何に使ったのだろう
 写真を撮っただけで会所跡の碑を見て13時16分に島村屋観光公園に着き、10分ほど資料館などを観て
 
 大口港
 
 伊江島はタバコの栽培が盛んで、いたるところに煙草畑がある
 
 ニャティヤ洞はこの奥にある
 
 ニャティヤ洞の入り口
 
 沖縄ではほとんどの洞内が、住民の神聖な礼拝の場所となっている。
 右の丸い「力石」を持ち上げると子宝を授かるという言い伝えがある。

 
 洞の外は海
 
 周りの海岸
 
 ミンカザントゥ遺跡
 
 アーニー・パイル記念碑
 2時には大口港の海岸に回り、タバコ畑を横切り2時40分にようやくニャティヤ洞に着いて
 洞内を急いで観る。この洞窟は戦争中は防空壕として使用され多くの村人を収容したことから
 「千人洞(せんにんがま)」とも呼ばれている。2時45分にこの洞を後にし、
 ミンカサントゥの写真などを撮りながら、約4kmを40分ほどの早足で歩き
 3時24分にフェリー乗り場に着いた。16時35発のフェリーに乗り、
 
 やっとのことで10分前にフェリー乗り場に着いた。
 車は本部港に置いてきたので、往復1110円ですんだ。

 17時5分頃に本部港に着き、名護市内のガソリンスタンドを探して明日から値上がりしそうなガソリンを
 満タンにし、17時過ぎにホテルに戻った。歩数計はなんと21262歩を示していた。
 大坂城や道頓堀を妻と歩いた2万5千歩以来の2万歩超えだった。7時半頃にホテルの温泉に入り、
 8時過ぎに外食に出る。10時過ぎに帰り、パソコンを少しやって11時過ぎには床に就く。
 今日は22121歩歩いていた。
5月1日(木) : 8時5分にホテルを発ち、本部港の鹿児島行きフェリーターミナルに8時半に着いた。
 カーナビを無視して数年前にできたバイパスを利用すると5分は短縮できそうだ。
 9時半発だが9時5分には船内に入った。
 
 フェリーの概要
 マルエーフェリーの2等船室は行き先別に大部屋が与論、和泊、
 亀徳、名瀬、鹿児島に区分けされていたが、下船時に誘導していれるのならともかく、まったく意味がない。
 与論行きの85歳のお年寄りは空きがなくて私の鹿児島エリアのそばを使っていた。
 その人は那覇の病院で、体内に埋め込んでいた心臓ペースメーカーを6年ぶりに交換してもらい、
 2週間の入院後に帰宅する途中だそうで、使用済みのペースメーカーをバッグの中から出して
 説明してくれて写真も撮らせてもらった。下船時にタラップまで荷物の1つを持ってあげた。
 埠頭まで娘が車で迎えに来ていたが、大きな荷物を2つかかえて足も悪い父なのに、
 タラップの下まで出迎えてほしかった。
 
 6年間使用済みのペースメーカー
 5月2日〜9日までは「九州編」へ。
                               























































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