ゴンドラの唄       【作詞:吉井 勇 作曲:中山 晋平】唄:松井 須磨子/森繁 久彌

     

(元)(前奏)
     C                                         G7  C
   一、いのち短かし 恋せよ少女(おとめ) 朱(あか)きくちびる 褪(あ)せぬ間に
       C7 F C               F  C    G7 C
      熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日の ないものを
   (間奏)
     C                                  G7 C
   二、いのち短かし 恋せよおとめ いざ手をとりて 彼(か)の舟 に
        C7 F      C              F  C       G7 C
      いざ燃ゆる頬(ほほ)を 君が頬に ここにはだれも 来(こ)ぬものを
   (間奏)
     C                           G7   C
   三、いのち短し 恋せよおとめ 波にただよう 舟のように
       C7 F       C             F C    G7 C
      君が柔手(やわて)を わが肩に ここには人目 ないものを
   (間奏)
     C                           G7 C
   四、いのち短かし 恋せよおとめ 黒髪の色 あせぬまに
       C7 F  C              F  C      G7 C
      心のほのお 消えぬまに 今日はふたたび 来ぬものを

大正4(1915)年
 今から93年前の春、新幹線どころか長野電鉄もない時代、東京・上野から約7時間かかる
夜行列車の中で悲嘆にくれた男がいた。当時28歳の作曲家、中山晋平である。
「母危篤」の電報を受けて故郷に帰るところだった。
 実家に着くと、母は亡くなっていた。葬式のあと晋平は急ぎ夜行列車で帰京する。
往復のこの列車の中で作曲したのが「ゴンドラの唄」である。
列車に揺れながら晋平は「命短し恋せよ少女」という詩に、
58歳でこの世を去った母の薄幸の人生を重ねたのだろう。
 作詞は詩人の吉井勇である。森鴎外の詩訳「即興詩人」に出てくる、
ベネチアのゴンドラで少年が歌った民謡がもとだと本人が書き残している。
「朱の唇に触れよ。誰か汝の明日猶(なお)在るを知らん。
恋せよ、汝の心の猶少(わか)く、汝の血の猶熱き間に」という一節だ。
 「列車でしのぶ母の人生」(2008.5.3の朝日新聞「be」)の、
伊藤千尋さんの文章の一部より。

1番の「明日の月日の」は「明日という日の」の歌詞があり、
3番の「波にただよう 船のように」の原詩は「波にただよい 波の様に」になっている。


[YouTube](森繁 久彌、1965年)、[YouTube](森繁 久彌、1993年、歌は後半以降)、
[YouTube](佐藤 千夜子)、[YouTube](青江 三奈)、[YouTube](ちあきなおみ)、
YouTube](森 光子)、[YouTube](映画・生きる、1952年)、[YouTube](演奏のみ)、
YouTube](ニニ・ロッソ、トランペット演奏)、[YouTube](カラオケ)

































◆いのち短く恋せよ乙女、朱(あか)きくちびる褪(あ)せぬ間に、
  熱き血液の冷えぬ間に、明日の月日の無いものを。
◆いのち短く恋せよ乙女、いざ手に取りて彼(か)の舟に、
  いざ燃ゆる頬(ほう)を君が頬に、ここには誰も来(こ)ぬものを。
◆いのち短く恋せよ乙女、波にただよい彼の様に、君が柔手(やわらで)を我が肩に、
  ここには人目ないものを。
  (漢字を多用しただけで、替え歌ではありませんでしたが、
   せっかく書き写したので、このまま置いておきましょう)
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