星野哲郎関連(YSミニ辞典)

[ホーム] [索引] [前項] [次項]

星野哲郎(Hoshino Tetsuro)ほしの・てつろう : 
    1925(大正14)年9月30日、 山口県大島郡森野村(現・周防大島町)和佐に生まれる。
    本名「有近哲郎(ありちか・てつろう)」は「黄色いさくらんぼ」「函館の女」「三百六十五歩のマーチ」など
    日本人の心を描き続けてきた演歌作家の第一人者である作詞家。東京都小金井市在住。
    前、(社)日本作詩家協会会長、日本音楽著作家連合会長。紫綬褒章受章。勲三等瑞宝章受賞。
    長男はシンガーソングライターの有近真澄。
    
    星野哲郎
    1938(昭和13)年、開導小学校卒業。2000(平成12)年3月31日、児童減少の為、廃校。
    1943(昭和18)年、山口県立安下庄中学校(現・山口県立安下庄高等学校)卒業。
    1946(昭和21)年、官立清水高等商船学校(現・東京海洋大学)卒業。
    翌年、日魯漁業(後のニチロ、現・マルハニチロ食品)に入社、遠洋漁業の乗組員となる。
    しかし就職して数年後、大病を患って船を下りざるを得なくなり、
    3年にわたる闘病生活を余儀なくされる。
    1953(昭和28)年、雑誌の懸賞に応募した詞が入選したことをきっかけに作詞家になる。
    当初は日本コロムビア専属の作詞家であったが、その後クラウンレコードの専属を経て、
    フリー作家となり、美空ひばり「みだれ髪」、北島三郎「兄弟仁義」「なみだ船」「函館の女」
    「風雪ながれ旅」「北の大地」、水前寺清子「三百六十五歩のマーチ」、
    小林旭「昔の名前で出ています」、都はるみ「アンコ椿は恋の花」「夫婦坂」など、
    演歌を中心に2000曲に及ぶ作詞を手がける。作曲家の船村徹とは長年のコンビであり、
    作詞:星野哲郎、作曲:船村徹の作品も多い。日本作詩家協会の先代の会長であった
    石本美由起は星野哲郎を世に送り出した人物の一人と言われている。
    1971(昭和46)年、運輸大臣より海事功労賞。
    1985(昭和60)年2月21日、故郷周防大島に「なみだ船」の歌碑が建立される。
     同年、運輸大臣より交通文化賞。
    
    逗子(筏八幡宮の隣)に顕彰されている星野哲郎作詞の名曲「なみだ船」の歌碑
    
    同上。(2010.1.26撮影)
    1986(昭和61)年4月29日、紫綬褒章受章。
    1988(昭和63)年6月16日、東和町(現・周防大島町)の名誉町民になる。
     同年8月31日、紺綬褒章受章。その後、飾版を2度受ける。
    1996(平成8)年7月9日〜2008(平成20)年6月16日まで、
     社団法人日本作詩家協会の会長に就任。
    1999(平成11)年、第50回日本放送協会放送文化賞。
    2000(平成12)年11月3日、勲三等瑞宝章受章。
    2001(平成13)年10月1日〜2004(平成16)年9月30日まで、
     社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)の会長に就任。
    2007(平成19)年7月26日、周防大島町に町営の「星野哲郎記念館」が完成。
    2008(平成20年6月5日、 宮崎駿と共に小金井市名誉市民第1号に決定。
     同年10月5日に名誉市民証授与。
    作曲め鈴木淳で、母校の後継校である東京海洋大学の新校歌を作詞している。
    周防大島〜松山フェリー 就航船の「しらきさん」は周防大島の白木山にちなんで星野が命名した。
    2010(平成22)年11月15日午前11時48分、心不全のため都内の病院で死去した。85歳だった。
    生前に創作した作品は4000を超え、文字通り、昭和から平成の演歌、歌謡曲を支えた大御所として
    活動を続けてきた。その詞は“星野節”とも呼ばれ、人間への温かい視点が持ち味。
    演歌が時には艶歌、そして援歌として聴き手のみならず、歌い手の心にも響いた。
    参 : [YouTube](星野哲郎さん 「男はつらいよ」を語る)

    浜の盆(平成7年7月10日発行、「知恩」(おぼん特集号)の「幼少時のお盆の想い出」への投稿文紹介)
     私の故郷は瀬戸内海の西、山口県屋代島です。通称周防大島、在島人口は3万余りですが、
    本籍人口は10万をはるかに超えています。島はふるさとの輪郭がはっきりしているためか、
    郷土意識がつよく、「祖先」や「ふるさと」に格別に愛着をもっているように思います。
    盆・暮には島が沈む、などという冗談が聞かれるくらい帰省者であふれます。
     私の子供の頃は、島には浦々に美しい白砂の浜辺がありました。私の生れて育った
    東和町和佐にも長い広々とした白砂の浜辺がありました。浜では地曳網のいわし漁が盛んに行われ、
    いりこやちりめんの干し場になったり、そばや大根など農作物の干し場になったり、
    子供たちの運動場になったりしましたが、何と言っても、夏の盆踊りが忘れられません。
    浜辺のまん中に太鼓櫓が組まれ、四方に引かれたロープに何百という提灯(ちょうちん)が吊られ、
    提灯の中には豆電球ではなく、本物のローソクが点されていました。浜の盆はこうした素朴な背景の中で
    三日、三晩続けられ、櫓を囲む二重、三重の老若男女で、夜明けまでにぎわっていました。
     特にすばらしかったのは、女性の人たちの四ッ竹踊りですね。
    何百人という踊り子の手に持つ竹の音が一勢に揃うとき、そして夜目にも鮮やかに舞う袂の様は、
    絵にも画けない風物詩でした。浜の盆の行われる頃の浜は、干満の差の激しい大潮の頃で、
    夜半をすぎる頃になると、月に輝くさざ波が、踊り子たちの足元に寄せてくるのです。
    それをよけながら踊る風景が、いまも懐かしく目に浮かびます。
    その時刻になるとスローテムポであった「くどき」がアップテムポの「大漁音頭」に変わるのです。
    この音頭がまた、すばらしいものでしたが、録音機も田舎にない頃で、
    いまに伝わっていないのが残念です。
     私にも村にも大切な浜文化は、その場となっていた浜辺が道路にとられ、
    盆踊りは丘の上の小学校の校庭で行われ、踊り子も揃わず、とてもとても淋しいものになりました。
    「ふるさとに浜文化を取り戻そう」。私はいま、事ある毎にこのことを提唱し、
    島に広々とした浜を再現すべく運動をしております。          (ほしの てつろう)
    星野さん死去、船村徹さん「心に大きな穴が…」(産経新聞ニュースより)
     作詞家、星野哲郎さんの逝去について、コンビとして「風雪ながれ旅」「兄弟船」など
    数々の名曲を生んできた作曲家の船村徹さんは、次のようなコメントを事務所を通じて発表した。
     昭和31年に高野公男(編注・「別れの一本杉」の作詞家)が亡くなり、傷心のままこの先
    どう生きていこうかと思い悩んでいた、その翌年32年に現われてくれたのが、星野哲郎さんだった。
     横浜開港100年記念の曲を作る為、詩を募集したところに星野さんが応募し、
    審査員だった私が選んだのが彼の作品であったのがきっかけである。
     以来、人生の先輩として、年下の私を何かにつけて見守り共に歩んできてくれた。
     ここのところ健康が優れないのは知ってはいたが、いざ「亡くなった」と聞かされると
    「まさか・・・」という気持ちで心に大きな穴があいたようなたまらない想(おも)いで一杯である。
     しかし、先に亡くなられた奥様のところへ行かれるのであろう。
     生前同様、奥様とあちらで仲良くされることを祈るばかりである。 船村徹
星野哲郎記念館(Hoshino Tetsuro Museum)ほしのてつろうきねんかん
    山口県大島郡周防大島町にある、同町出身で名誉町民の作詞家・星野哲郎
    作品・資料等を展示した博物館で、正式名称は「周防大島町 星野哲郎記念館」。
    周防大島文化交流センター(宮本常一の資料を展示する施設)に隣接しており、
    周防大島町役場東和総合支所(旧東和町役場から移転)を併設して2007(平成19)年7月26日に
    開館した。記念館の展示物の大半は星野哲郎個人の所有物で、管理運営は周防大島町が行っている。
    鉄筋コンクリート造(一部鉄骨)平屋建の建物で、安芸灘に面して建っており、瀬戸内海に浮かぶ
    島々を望みながら、星野えん歌を聴くことのできる施設である。記念館の総工費は約5億円。
    開館前日の7月25日は、作曲家の船村徹や歌手の北島三郎、都はるみ、水前寺清子、
    鳥羽一郎等、星野に縁のある人々が集まり開館記念式典を行った。
    
    星野哲郎記念館全景(2010.1.25撮影)
    
    同上の近影
    
    星野哲郎記念館玄関入口
    
    星野劇場
    
    星野博品展
    
    星野工房
    
    若き日の星野哲郎と仲間達が通いつめ、歌づくりのヒントを得た思い出の酒場。
    新宿「さくらい」をイメージ復元

    
    えん歌ボックス。ヘッドホンで星野哲郎作詞の全曲が聴ける
    
    星野歌酒場
    
    中央はカラオケなどのモニター。誰もいなかったので、同年のいとこと3曲ずつ歌った
    
    
    
    
    
    
    
    高音質・高音量のカラオケセット
    
    星野映像館
    主に大型スクリーンで星野演歌が体感できる「星野劇場」、星野演歌が生まれた酒場を再現した
    「星野工房」、星野演歌が歌える「星野歌酒場」、日本レコード大賞などの足跡をたどれる「星野博品展」、
    映像で星野哲郎のひととなりに触れる「星野映像館」の5つのブースで構成され、
    この他にも企画展示を行う回廊や、星野哲郎直筆の詩を壁面に紹介している「二行詞のこころ」、
    また、「男はつらいよ」「なみだ船」「アンコ椿は恋の花」「三百六十五歩のマーチ」「兄弟船」など、
    星野えん歌を全て聞くことの出来る「えん歌ボックス」等があり、星野ワールドが満喫できる。
    この他にも館内には、ミュージアムショップがあり、記念館グッズ、
    周防大島町と関連のあるグッズや期間限定のグッズ等の販売も行っており、
    星野哲郎記念館のみで取り扱っているグッズが数多くある。
    入館者は当初、年間2万6千人を見込んでいたが、
    町内や県内だけでなく、広島、九州、四国から多数の星野ファンが来館し、
    2007年度が約6万1千3百人、2008年度約3万6千5百人に達した。
    十万人突破は、2009年4月29日に目標より約1年早く達成した。
    開館時間 : 9:00〜17:00(受付は16:30まで)
    休館日 : 毎週水曜日(水曜日が祝日の場合は翌日)
    問い合わせ : 山口県大島郡周防大島町大字平野417−11
              星野哲郎記念館 TEL:0820−78−0365
    参 : 星野哲郎記念館(公式HP)、周防大島ドットコム(HP)、周防大島町(HP)、
        星野哲郎記念館オフィシャルWEBサイト

    
    星野哲郎記念館の入館券(原寸は14.5×5.0cm)
    
    星野哲郎記念館の記念スタンプ(原寸は14.9×10.5cm)



































inserted by FC2 system