伊藤博文(YSミニ辞典)

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伊藤博文(いとうひろぶみ) : 1841(天保12)年9月2日、熊毛郡束荷(つかり)村(現、山口県光市束荷)に
    誕生。父は林十蔵、母は琴子。1854(安政元)年、14歳のとき父が伊藤家の養子になったため、
    伊藤の姓を名乗る。下級武士の身分を得て1857(安政4)年、17歳で松下村塾(吉田松陰)に学ぶ。
    伊藤博文旧宅は松陰神社のすぐ隣に残っている。ここで高杉晋作や井上馨らと交流を深め、
    高杉の騎兵隊挙兵にも参加している。1859(安政6)年、19歳のときに桂 小五郎(木戸 孝允)とともに
    江戸へ出る。幼名は林 利助で、初名の「俊輔」は20歳のころから名乗る。
    討幕運動に活躍し、1868(明治元)年5月23日に28歳で初代兵庫県知事となったころから
    「博文」を名乗り、7月17日に江戸が東京に改められ、9月20日に東京遷都となった。
    
    日清講和会議が行われた下関の春帆楼前にある伊藤博文像
    
    道の駅・萩往還公園の銅像(左から山県有朋、木戸孝允、伊藤博文)2009.11.18撮影
    
    萩市の伊藤博文旧宅前にある銅像(2009.11.17撮影)
    
    伊藤博文旧宅入口
    
    伊藤博文旧宅
    
    伊藤博文旧宅
    
    伊藤博文旧宅
    
    伊藤博文旧宅
    
    伊藤博文旧宅
    
    伊藤博文旧宅
    
    伊藤博文旧宅。かまどは土塀壁側に設置するのが普通だが、板の間に近づけるとは
    
    伊藤博文旧宅のかまど
    
    伊藤博文旧宅の五右衛門風呂
    
    伊藤博文旧宅別邸 
       
 明治政府にあって、大日本帝国憲法の制定、
 天皇制の確立に尽力した。1885(明治18)年45歳で
 初代内閣総理大臣(首相)となり、枢密院議長、貴族院議長、
 立憲政友会総裁などを歴任し、組閣は4度に及び、
 1889(明治22)年に発布された大日本帝国憲法の起草を
 中心になって行い、その間日清戦争を遂行した。
  1895(明治28)年3月19日、下関の料亭「春帆楼」で
 日清講和会議が開催され、日本全権弁理大臣として、
 清国講和全権大臣・李鴻章(りこうしょう)の2人を中心に、
 陸奥宗光ほか両国代表の11名が出席し、下関条約を結んだ。
  1905(明治38)年第二次日韓協約をむすび
 初代韓国統監となる。1907(明治40)年に67歳で公爵となる。
  1909(明治42)年、伊藤公は満州旅行の直前に、
 生家の近くに自分が帰国するまでに別邸を完成させるようにと
 指示した。しかし、公は同年10月26日に
 ハルビン(現、中華人民共和国東北地区)で
 安重根に狙撃され死去し、故郷に戻ることなく69歳で
 その生涯を終え、日比谷公園で国葬が行われた。
 翌年の1910(明治43)年に韓国と併合した。
  5月に別邸は完成し、公の嗣子・伊藤博邦が
 その遺志を継いで法要を行った。
 その後、この別邸は伊藤家から山口県に寄贈され、
 「伊藤公記念館」として管理していたが、
1952(昭和27)年に大和村(現在の光市)に無償で
払い下げられ、公の遺志であった公民館として活用された。
1992(平成4)年から始まった「伊藤博文公生誕150年記念事業」で
新たに「伊藤公資料館」が建設され、現在は、県指定有形文化財・旧伊藤博文邸として保存されており、
伊藤公記念公園のシンボルとなっている。1963(昭和38)年に発行された伊藤博文肖像入り
旧千円札の第1号券(A000001A)など、多くの資料が展示されている。

(注)現在は光市。
    伊藤公資料館の問い合わせは、TEL(FAX兼用)0820−48−1623(ヨハ、ヒロブミ)。
    参 : 伊藤公資料館電脳頁(HP)、長州ファイブ朝鮮半島支配

    数年前に見学した国会議事堂には、天井までの高さが32.62メートルもある参議院内の中央広場に、
    議会政治の基礎を築くのに功労のあった伊藤博文、大隈重信、板垣退助の銅像がたっている。
    
    4人目の銅像の台座だけは設置されているが、ここに立つような政治家が現れるのでしょうか。
    「政治に完成はない、未完成の象徴」という意味もあるとのことだが、
    立つことのできないくやしさに言わせた言葉のような気がする。
    初代の日本の首相まで上りつめた伊藤博文は、22歳の時に高杉晋作らと
    英国公使館を焼き討ちしたのに、翌年には井上馨らと英国へ留学しているが、
    どんな図太い神経を持ち合わせていたのでしょう。イギリスは知っていて受け入れたのだろうか。











































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