熱海温泉(YSミニ辞典)
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熱海温泉(あたみおんせん) : 静岡県東端、熱海市にある温泉。
    日本の三大温泉場の一つとも言われている。
    日本では温泉地として単に熱海(あたみ)と通称されることが多い。
    港にすぐ山が迫る地形の中、海岸線に沿って旅館ホテルが立ち並ぶ。
    尾崎紅葉の「金色夜叉」の貫一お宮の像がある。温泉街は駅近辺から海岸沿いまで広がっている。
    5世紀ごろ、海中から湧く熱湯で魚が死んだことから「熱海」の名がついたと伝わる。
    熱海温泉の起源は、天平宝字(755〜765年)頃、箱根権現の万巻上人が、
    海中に湧く熱湯によって魚類が焼け死に、甚大な被害を被っていた漁民たちを助けようと志し、
    祈願によって泉脈を海中から山里へ移したことと伝承されている。
    古くは徳川幕府初代将軍・徳川家康が訪れたり、献上湯を行った。
    1597(慶長2)年3月に熱海を訪れた徳川家康は7年後の1604(慶長9)年3月3日にも
    息子の義直と頼宣を伴い再び湯治に訪れ、7日間熱海に逗留(東照公記等)し、
    同年9月、京都で病気療養中の吉川広家(周防・現在の山口県)の見舞いとして熱海のお湯を運ばせた。
    当時、すでに全国レベルの名湯と知られ、より京都に近い「有馬の湯」ではなく、
    「熱海の湯」を運ばせたところに、家康公がいかに熱海温泉を気に入ったかがうかがい知れる。
    4代家綱の時代には、大湯から湧く温泉を檜樽に詰めて江戸城まで運ばせた。
    以来、御汲湯として歴代将軍に継承され、8代吉宗 の時代には享保11〜19年の間で3640樽を運んだ。
    
    かつては地面が揺れるほどの勢いで湯と蒸気を噴き出したという大湯間歇泉。
    大正時代に止まり、現在は人工的に5分間隔で噴出させている

    現在、大湯源泉の湯を引くのは、日帰り入浴施設の日航亭大湯のみ。
    
    日航亭大湯
    
    本陣跡地に建つ日航亭大湯。男女別の内湯・露天風呂のほか、休息場もある。
    大湯の源泉は約90℃で、江戸まで15時間かけて運ぶと適温になったという

    明治以降は文人墨客が多く訪れ、また多くの作品がこの地を舞台に描かれた。
    代表的なものは、尾崎紅葉の「金色夜叉」、永井荷風の「冬の日」、林芙美子の「うず潮」などである。
    昭和30年代は、新婚旅行のメッカで、白いドレスに白のスーツケースを持ったそれと分かるカップルで
    賑わった。高度経済成長期、団体旅行を誘致するようになり、その客目当てのストリップ劇場や
    風俗店が増え、イメージが低下して家族客の客離れが進んだ。バブル経済以降は団体客は減り、
    以前ほどの集客は望めず、休館している旅館が目立ち、それによって町が寂れた印象を与え、
    更に客離れが進むという悪循環にある。温泉ブームに乗って個人客は徐々に増えつつあるが、
    目の肥えた客を繋ぎ止めるためには旅館・ホテル側も相当の企業努力が求められる現状にある。
    泉質 : ナトリウム・カルシウム―塩化物・硫酸塩温泉(低張性・弱アルカリ性・高温泉)
         毎分湧出量:18,000L、無色透明の源泉、総源泉数500本以上
         海岸沿いは塩化物泉の源泉が多く、山沿いは硫酸塩泉の源泉が多い。
         古くは大半の源泉が硫酸塩泉であったが、ボーリングによる源泉開発を多数行った結果、
         海沿いの源泉は、地下の線脈に海水の混入量が増えたため泉質が変わった。
    共同浴場 : 下記の8軒存在する。多くは鄙びた共同浴場であり、熱海の歓楽的雰囲気はない。
     このほか、外来入浴が可能な公衆浴場(ホテル旅館と兼業の物を含む)が多数存在する。
     @駅前温泉浴場「たわら湯」A上宿新宿共同浴場B清水町共同浴場C渚共同浴場
     D水口共同浴場E水口第2共同浴場F山田湯G竹の沢共同浴場
    参 : 熱海温泉郷公式ページ(HP)



















































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