博多祇園山笠関連(YSミニ辞典)

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博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ) : 京都市東山区の「祇園祭」(八坂神社)、
    北九州市の「小倉祇園祭」(八坂神社)とともに日本三大祇園祭の一つで、
    博多の総鎮守である櫛田神社(愛称:おくしださん)への奉納神事(疫病退散)であり、
    767年余りの歴史ある伝統のある祭で、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
    櫛田神社にまつられる素戔嗚尊に対して奉納される祇園祭の一つで、
    神社の祭りは正式には「櫛田神社祇園例大祭」と呼ばれ、それに応じて氏子の町内が始めた
    付け祭りが発展する過程で山笠と呼ばれる山車が登場する様になったため
    神社の祭りも含めて「博多祇園山笠」と呼ばれるようになった。
    福岡市博多区で毎年7月1日〜15日に開催され、期間中、市内数カ所に設置される豪華絢爛な
    「飾り山笠(静の山笠)」と男たちが勇壮に廻る「舁(か)き山笠(動の山笠)」がある。
    祭りのクライマックスは、15日早朝に櫛田神社をスタートする追い山で、5キロの道程は熱気に包まれる。
    現在の山笠の基となっている「流」ができたのは、
    豊臣秀吉による「太閣町割り」により博多の町が形成され「流」の呼称が生まれた。
    山笠を担いで市内を回ることを、山笠を「舁く(かく)」と言い、担ぐ人のことを「舁き手(かきて)」と言う。
    博多どんたくとともに、博多を代表する祭りの一つとして知られる。
    山笠の掛け声は1996(平成8)年に「日本の音風景100選」の一つに選ばれた。
    なお、地域外の者からは福岡市が主催している祭りと誤解されがちだが、
    山笠は櫛田神社の氏子たちが行う奉納行事のひとつであり、
    地域の住人たちが伝統的に行ってきた町内行事である。[季語]夏−行事。
    博多祇園山笠の起源 : 一番有力とされているのが、鎌倉時代の1241(仁治2)年、
     承天寺の開祖・聖一国師が当時蔓延していた疫病を鎮めようと、
     町民が担いた施餓鬼棚に国師がのって病魔退散を念じ祈祷水(甘露水)をまきながら町中を清めて回り、
     その功徳により「疫病を退散」させたのが始まりという説である。
     現在の山笠との類似点をみても@施餓鬼棚と山笠の台、A車輪なしの台を担ぎ上げて走り回るスタイル、
     B水をまくなどがあり、当時神の信仰と仏教信仰とが融合調和していたため、
     それが疫病を流行させると恐れられた祇園の神を鎮める神事として形が変わったとも言われている。
    舁き山笠(舁き山) : 重さ1トンもの山が20数名の男たちに担がれて博多の街を疾走する。
     異彩を放つ祭りの主役・舁き山は、6本の舁き棒を中心とし、
     クギを1本も使わず麻縄で締めて頑丈に組み立てられる。
     舁き山の高さは徐々に緩和され、現在は4.5mまでとなっている。
     しかし、他の流れの山笠も再び以前の形に戻すような計画はされていない。
     また、この飾り山は煙が出るようになっているが、
     これは1991(平成3)年にゴジラの人形から煙を吐き出させるようにした事が始まりである。
    飾り山笠(飾り山、飾り笠) : 壮麗かつ優雅な飾り山笠は、博多人形師が割竹で骨組みし、
     和紙を張って完成させる「匠の技巧」である。飾りの題材は、戦国武将など歴史上の著名人が多いが、
     近年は人気アニメのキャラクターや有名スポーツ選手などがセレクトされ、見物客たちを楽しませている。
     7月1日から15日の午前0時まで福岡市内の14カ所で公開される。
     飾り山舁き山の設置場所と内容説明(標題・画像のすべては2009年の例)
     ★東流(ひがしながれ:一番山笠) : 1982(昭和57)年から呉服町交差点の南東角に建つ。
                         近隣には、呉服町ビジネスセンター、福岡市地下鉄呉服町駅がある。
      <舁き山笠>千手乃光照丈夫(せんじゅのひかりはもののふをてらす)。人形師・白水 英章
       能の「田村」を題材に、坂上田村麻呂が鬼神を退治する場面を力強く表現する。
       
       
       
       山留め(スタート地点)に入ったばかりの東流
      <飾り山笠>
      表標題 : 長政公武勲之誉(ながまさこうぶくんのほまれ)。人形師・室井 聖太郎
       関ケ原の合戦で黒田長政は東軍に合流、小早川秀秋の東軍への寝返りなどもあり、
       一気に徳川勢を勝利へ導く。 その武勲に対し、家康から筑前國を与えられ福岡藩の国主となる。
       52萬石の名将として今に名を残す。
       
       
       
       
       
       
       
       
      見送り標題 : 如水平定智略功(じょすいへいていちりゃくのいさおし)。人形師・室井 聖太郎
       秀吉の軍師として名を馳せていた黒田官兵衛(如水)は、秀吉の没後天下取りへの野望を抱き
       九州平定へと乗り出す。しかし、関ケ原の合戦の想定外の早期東軍勝利により天下取りを断念した。
       その後、家康への忠誠心を示し、九州全域を平定した。
       
       
       
       
       
       
       
       
     ★中洲流(なかすながれ:二番山笠) : 博多中洲四丁目の中洲大通りNパサールのそばに建つ。
                    テーマは表が合戦絵巻もの、見送りが黄門さまであることが多い。
      <舁き山笠>伏邪一寸魂(ふくじゃいっすんのたましい)。人形師・中村 信蕎
       
       
       
       
       
       山留め(スタート地点)まで全力疾走する中洲流
      <飾り山笠>
      表標題 : 壇の浦凄絶知盛(だんのうらせいぜつとももり)。人形師・三宅 隆
       元暦2年3月末、長門国壇の浦で源平最後の決戦が行われたが、潮流の変化を巧みに利用した
       源軍が義経の奇策戦法もあって勝利を納めた。平氏の総大将平知盛は味方の敗北を見届けた後、
       自ら海中に没して壮烈な最期を遂げる。知盛の死は武門の鑑として謳われ、
       歌舞伎では大碇を差し上げて海中に没する「碇知盛」として名優により演じられて来た。
       
       
       
       
       
       
       
       
      見送り標題 : 老公救津軽銘木(ろうこうつがるのめいぼくをすくう)。人形師・中村 信喬
       津軽藩特産の銘木ヒバが幕府の作事奉行によって横流しされているのを探索していた
       津軽藩材木方深田左馬之助が、旗本・御家人に襲われる。裏で糸を引いていたのが老中柳沢吉保。
       津軽藩を旗本・御家人と争わせて改易に追い込み国ごとヒバを手中に収めようとの企みだった。
       その事を知った水戸老公が真相を暴き、津軽藩銘木の危機を救う。
       
       
       
       
       
       枠外展示
     ★西流(にしながれ:三番山笠) : 
      <舁き山笠>児雷也(じらいや)。人形師・今井 洋之
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      山留め(スタート地点)まで全力疾走する西流
     ★千代流(ちよながれ:四番山笠) : 博多区千代一丁目の再開発ビル「パピヨン24」前に建つ。
                     かつて飾り山笠も持っていた千代流の悲願がかなって
                     1990(平成2)年に復活した。
      <舁き山笠>好漢徹忠義(こうかんちゅうぎをつらぬく)。人形師・川崎 修一
       
       出発前の千代流
       
       
       
       
       
       山留め(スタート地点)に入ったばかりの千代流
      <飾り山笠>
      表標題 : 天地人(てんちじん)。人形師・川崎修一
       戦国期義を貫いて戦い続けた武将上杉謙信そして彼亡き後主君上杉景勝と共に
       その心を受け継いだ直江兼続が家康の野望に漢達が立ちあがった。
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
      見送り標題 : 筑前今様想夫恋(ちくぜんいまようそうふれん)。人形師・川崎 修一
       平家全盛の頃清盛の怒りにふれ高倉天皇との間を裂かれた美女小督は何処へか姿を隠す。
       天皇は名月の夜源仲国に彼女を探すように頼む。思案の果て琴の名手彼女が弾く
       その音を頼りに馬を進め探す。平家物語中最も美しい場面を再現する。
       
       
       
       
       
       ちょっとピンボケにて失礼しました
       
       
       
       
     ★恵比須流(えびすながれ:五番山笠) : 
      <舁き山笠>神光照天地(じんこうてんちをてらす)。人形師・亀田 均
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      恵比須流の車止め(大博通り)。こんなのが渋滞となり、帰りのバスは20分遅れた
      
      
      
      山留め(スタート地点)まで全力疾走する恵比須流
     ★土居流(どいながれ:六番山笠) : 
      <舁き山笠>和心生大道(わしんだいどうをしょうずる)。人形師・中村 信蕎
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      山留め(スタート地点)まで全力疾走する土居流
      
      山留めで、一升瓶から直にお神酒を飲まないのは、しきたりを重んじる土居流だけだった
     ★大黒流(だいこくながれ:七番山笠) : 
      <舁き山笠>表信為萬事本(しんはばんじのほんとなす)。人形師・置鮎 正弘
      
      
      
      
      
      山留め(スタート地点)まで全力疾走する大黒流
      
      山留めに着いてほっとしている大黒流。右方の舁き手さんはなぜ天を仰いでいるのでしょう?
     ★上川端通(かみかわばたとおり:八番山笠) : 「走る飾り山笠」の異名を持つ。
      通常は博多区上川端商店街のアーケード内で公開されているが、追い山ならし(7月12日午後)、
      追い山(同15日早朝)では”櫛田入り“の後、コースの一部を舁いてしんがりを務める。
      山笠終了後に川端通商店街のぜんざい広場に展示される。
      <飾り山笠>
      表標題 : 大江山酒呑童子(おおえやましゅてんどうじ)。人形師・田中 比呂志
       帝の命を受けた源頼光と家臣の四天王らが大江山の鬼と呼ばれた酒呑童子を退治する物語。
      
      
      
      
      
      
      
      
      見送り標題 : 助六由緑江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)。人形師・田中 勇
       曽我五郎は、花川戸の助六という侠客になって、夜毎吉原に現れ源氏の名刀・友切丸を
       探す目的からで、助六のなじみの傾城・揚巻に横恋慕する意休との戦いが始まる。
      
      
      
      
      
      
      
      
      
      「走る飾り山笠」の通り、巨大な飾り山が目の前を山留めまで走り抜けた。
      電線などのない場所なので、伸縮する上部のすべてを見ることができた。

      
      櫛田神社を出たところでは最頂部は引っ込んでいた
     ★川端中央街(かわばたちゅうおうがい:九番山笠) : 明治通りから川端通商店街に入って
      すぐの一角が川端中央街で、縮めて川中(かわなか)と呼ばれる。もともとは下新川端町の一部で、
      今も大黒流に属する。南側の上川端商店街(土居流)とは組合も異なる。
      <飾り山笠>
      表標題 : 天地人(てんちじん)。人形師・中村 親一
       「天の時・地の利・人の和」が必要だという上杉謙信の言葉を胸に刻み信念をもって生きた
       直江兼続は謙信の死後景勝を補佐し忠義に厚い名将として伝えられる。
      
      
      
      
      見送り標題 : ドラえもん(どらえもん)。人形師・中野 浩
       アニメまんが「ドラえもん」で、「ドラえもん」「のび太」「ジャイアン」ら登場人物と
       「タケコプター」「どこでもドア」などの道具で楽しい世界へと連れて行ってくれる。
      
      
      
      
      
      
      
      
     ★ソラリア(十番山笠) : 中央区天神二丁目の天神の商業・ホテル施設(西鉄経営)である
      ソラリアプラザの吹き抜けに建つ。1992(平成4)年、江戸時代にあった「旗指し山」を
      復元する形でデビューした。今は西鉄沿線、あるいは九州に題材を求めて奉納している。
      <飾り山笠>
      表標題 : 勇壮奮然倭建命(ゆうそうふんぜんやまとたける)。人形師・置鮎 正弘
       景行天皇の皇子、日本武尊(やまとたけるのみこと)
       九州から東国まで日本平定の戦いを行った。
      
      
      
      
      
      
      見送り標題 : 征西東伐大和夢(せいせいとうばつやまとのゆめ)。人形師・小嶋 慎二
       相次ぐ転戦に疲れた倭建命(やまとたけるのみこと)は伊吹山(いぶきやま)の山神の反撃で
       伊勢(いせ)で死亡し、霊は白鳥となって遠くへ飛び去ったという。
      
      
      
      
     ★新天町(十一番山笠) : 2008(平成20)年春、中央区天神二丁目の”中央広場“に
      アーケードが設けられた。山笠は例年とほぼ同じ位置に建てられるが、結果的にその屋根の下に
      収まることになった。戦後、博多以外にお目見えした最初の飾り山笠。
      <飾り山笠>
      表標題 : 富士山麓曾我誉(ふじさんろくそがのほまれ)。人形師・亀田 均
       時は鎌倉時代、舞台は富士山麓。夜陰に乗じ父の仇工藤祐経の寝所にて、
       曽我十郎・五郎の兄弟が見事に祐経を討ち取り、仇討ちを果たした。
      
      
      
      
      
      子供山笠
      
      同上後部
      見送り標題 : 宝船ハチナビ誉(たからぶねはちなびのほまれ)。人形師・亀田 均
       景気回復を願い、新天町に宝船が登場する。大黒様を囲み、人々が喜び、お祭り騒ぎをはじめた。
      
      
      
      
     ★博多リバレイン(十二番山笠) : 博多区下川端町明治通り側の高級ブランド店や
      福岡アジア美術館などが入る博多リバレイン前に建つ。この地域にはかつて下川端通りと
      寿通りに飾り山笠があったが、再開発事業の開始とともに休止した。
      それらを統合して1999(平成11)年から参加している。
      
      飾り山は7月15日の追い山の日まであると思い、飾り山のすべての写真をとるために
      博多まできたのに、櫛田神社の常設展示のものしか写真に収められなかった。
      飾り山は追い山が始まる前後にすべて撤去されるそうで、川端商店街の北の端にある
      この飾り山は残っているかもしれないと聞いて、11時過ぎに息をきらして着いたが、
      肝心の中身は撤去されたばかりだった。飾り山を観るには追い山の前日までに行きましょう。
      2009年はすべての舁き山が集まる7月12日の「追い山ならし」の日に行き、
      2日かかりですべての飾り山、舁き山をデジカメ・メモリーに納めてきました。
      しかし、バスを利用したのは千代流と福岡ドームだけで後は炎天下すべて歩き、
      12日は19470歩、13日は23092歩と2日で4万歩以上歩いたことから、
      14日は足の他、腰まで痛むこととなりました。

      <飾り山笠>
      表標題 : 尽忠南風誉蝉本(じんちゅうなんぷうもまれのせみもと)。人形師・置鮎 琢磨
       大原の合戦の一場面。
       
       
       
       
       
       
      見送り標題 : 母に捧げるバラード(ははにささげるばらーど)。人形師・置鮎 琢磨
       7月博多座舞台より。
       
       
       
       
       
       
     ★天神一丁目(十三番山笠) : 福岡天神大丸パサージュ広場。
      山笠終了後に九州国立博物館で限定展示
      <飾り山笠>
      表標題 : 源平檀ノ浦合戦(げんぺいだんのうらかっせん)。人形師・中村 信蕎
       平安末期、源氏と平家の騒乱は一の谷や屋島の戦いを経て壇の浦での最終決戦を迎えた。
       義経や弁慶、伊勢三郎の活躍で平家の平教経、安徳天皇が入水して生涯を閉じた。
       
       
      見送り標題 : 伝説船弁慶(でんせつふなべんけい)。人形師・白水 英章
       頼朝に疑われた義経は都落ち。静御前と別れを告げ船を出すが嵐とともに波間に平家の亡霊が
       襲いかかる。義経は応戦するが、弁慶が数珠を握って経文を念じてついに怨霊を追い払う。
       
       
     ★渡辺通一丁目(十四番山笠) : サンセルコ。
      <飾り山笠>
      表標題 : 勲黒田武士(くんくろだぶし)。人形師・中野 親一
       福島正則より無理矢理飲み比べを挑まれた黒田藩士母里太兵衛が大杯三杯を飲み干し、
       名槍「日本号」を手に入れた場面。
      
      
      
      
      
      
      
      
      見送り標題 : アニメ名探偵コナン(あにめめいたんていこなん)。人形師・中野 浩
      
      
      
      
     ★福岡ドーム(十五番山笠) : 福岡YAHOO!JAPANドーム。
      <飾り山笠>
      表標題 : 新生鷹軍団(しんせいたかぐんだん)。人形師・置鮎 琢磨
       秋山新監督の下、新生鷹軍団としての我らが福岡ソフトバンクホークスが
       優勝を目指して大きく羽ばたく!!
      
      
      
      
      
      
      
      
      見送り標題 : 小牧長久手の戦(こまきながくてのたたかい)。人形師・三宅 隆
       織田信長の死後、天正12年天下の覇権を懸け羽柴秀吉と徳川家康両雄が
       最初で最後の直接対決の場面。
      
      
      
      
     ★博多駅商店連合会(十六番山笠) : 博多駅・博多口。
      <飾り山笠>
      表標題 : 長谷堂城の戦い(はせどうじょうのたたかい)。人形師・生野 四郎
       秀吉亡き後、天下掌握のため着々と布石を打っていた徳川家康は、「上杉に不穏な動きあり」と
       討伐軍を出陣させたが、石田三成挙兵の報を受け、徳川軍は小山で反転西上を開始したことにより、
       白河口での激突は回避された。しかし、伊達政宗軍が白石城に突如襲いかかり、
       北の関ヶ原とも言われる上杉対最上・伊達連合軍の戦いの火蓋が切られた。
      
      
      
      
      見送り標題 : 華丸・大吉のなんしょうと?(はなまる・だいきちのなんしょうと?)。人形師・生野 四郎
       お笑いコンビの博多華丸・大吉が、地元福岡の色んな場所に出没し、
       そこで出会った方々と触れ合いながら様々なエピソードを聞き出し、
       その家族模様を明るく描くファミリー向け人情バラエティ番組。
      
      
      
      
     ★キャナルシティ博多(十七番山笠) : 中央・サンプラザステージ。
      <飾り山笠>
      表標題 : 助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)。人形師・置鮎 琢磨
       御存知歌舞伎十八番の一つ。吉原三浦屋の店先で傾城揚巻を巡っての
       髭の意休をやり込める助六の「粋」が見所。
      
      
      
      
      
      
      
      
      見送り標題 : 昔噺花咲爺(むかしばなしはなさかじじい)。人形師・置鮎 琢磨
       かわいがっていたポチを隣の欲深じいさんに殺されて悲しみにくれるおじいさん。
       形見の臼を焼いた灰を枯木にまくと桜が満開に…。
      
      
      
      
      
      
     ★櫛田神社(番外) → 櫛田神社に別掲(常設展示)

    用語解説
    あと走り : 「後押し」や「見送り」などの交代要員として待機。
     スムーズな交代が山足を決めるポイントとなるだけに、常に動きを見守りながら時機を待っている。
    勢い水(いきおいみず) : 清水(きよいみず)とも言われ、舁き山笠が動き出すと、
     身も心も燃えている舁き手の熱を冷やすため盛んにかけられる水のことで、さらに道路を濡らし、
     舁き山の脚についてる胴がねも冷やし、山笠がスムーズに動くようにする。
     コース各所に水桶(バケツ)が準備され、先走りの男たちが、手に持ったバケツで舁き手にかける。
     櫛田神社の前の舁き山がスタートする山留めでは、消防車で使うような大きなホースで
     水をかけるものだから、道路を隔てた私たちの見物客にも水がかかり、レンズ拭いても水滴が取れず、
     カメラが一時使えなくなった。こんな近代的なものは歴史ある山笠では使用しないでほしい。
     使用する時には、事前に水しぶきが見物客まで飛ぶことを注意すべきだ。

    追い山(おいやま) : 7月1日から始まった山笠のクライマックスで、
     午前1時過ぎから、櫛田神社前の土居通りに次々と舁き山が据えられる。
     7月15日午前4時59分に1番山がスタートし、5分間隔で次々に舁き山が続く。
     1番山だけは櫛田入りの後、清道旗を回ったところで一旦止まり、
     舁き手ははちまきをとって「博多祝い唄」を歌う。
     歌い終わると再び舁き出し、全長約5kmのコースに飛び出して行く。
     最後は唯一の「走る飾り山」である上川端通りの山が櫛田入りする。       
追い山タイム(2004年の例)
  追い山 追い山ならし
4kmコース
追い山ならし
千代流 29分04秒 26分05秒 34秒10
恵比須流 30分54秒 28分06秒 35秒26
土居流  30分00秒 26分18秒 34秒74
大黒流  29分36秒 26分56秒 35秒58
東流  29分42秒 25分46秒 32秒34
中洲流  34分07秒 29分36秒 34秒11
西流  30分13秒 26分20秒 34秒91
上川端通     45秒39
1964(昭和39)年)、川端通商店街(上川端通)は
山笠の分化前の姿を彷彿とさせる「走る飾り山」を復活させ、
その後も櫛田入りを奉納し続けている。
「走る飾り山」は電線や信号機・標識などに接触しないよう
伸縮式になっている。ハンディのある重くて大きな飾り山は
追い山ならしだけで、タイムは参考にすぎない。 
     : 舁き山の前方は「表」と呼ばれる。「表」の舁き手たちは、肩を入れたり余したりして進路を調節。
     山足をつけるために棒を担い上げるなど様々なスキルが求められる。
    舁き山 : 山大工の指示のもと、6本の舁き棒を中心にクギを1本も使わず、麻縄で締めてつくられる。
     棒の長さは約5.45m、6本の棒を26〜28人で担ぐ、その男たちを「舁き手」ちいう。
    きゅうり舁き : 1番棒、山台横の部分の舁き手のことで、通常1人から2人。
     舁き棒の当て木を横から見ると、“きゅうり”に似ていることから、こう呼ばれている。
    台上がり : 舁き手交代の指示や「おいっさ」の掛け声をかけて、
     舁き手を統制したり士気を高めたりする全体の指揮者。
     豊富な経験が要求され、櫛田入りの台上がりは最高の名誉とされる。
    鉄砲(てっぽう) : 藁束を赤い布で包み神紋を付けた飾り物だったが、
     或る時気転の利く台上がりがそれを一本引き抜き棒さばきに使ったところ
     なかなか格好が良かったので、以後舁き山を指揮する台上がりの必需品となった。
      直径7cm、長さ50cmほどのもので指揮棒として使われている。
    博多祝い唄 : おめでたい席ではもちろん色々な集まりの最後に締めとして唄われる。
     追い山櫛田入りには、一番山笠にだけ許される唄。元唄は、伊勢音頭と言われる。
     お伊勢参りに出かけた人たちが、そこで歌われる唄を覚えて、故郷に持ち帰った。
     全国各地に、同じような歌詞があるが音符がなく、節回しが違ってきた。
     櫛田入りは、一番のみ。通常は三番までの3つ唄うが、その時の場面に応じて、三番を選ぶ。
     特に、櫛田さんのことの時は、“さても見事な”、披露宴には、“旦那大黒”、“あんた百まで”などを入れる。
      一.祝いめでたの 若松さまよ 若松さまよ
        枝も栄ゆりゃ 葉も繁る(しゅげる)
       ※エーイーショウエー エーイーショウエー
        ショーエ ショーエ (ア)ションガネ
        アレワイサソ エーサーソー エー ションガネ
      一.こちの座敷は 祝いの座敷 祝いの座敷 鶴と亀とが 舞い遊ぶ
        (※のやし言葉の繰り返し)
      一.こちのお庭に お井戸を掘れば お井戸を掘れば 水は若水 金が湧く
        (※のはやし言葉の繰り返し)
      一.さても見事な 櫛田の銀杏(ぎなん) 櫛田の銀杏 枝も栄ゆりゃ 葉も繁る
        (※のはやし言葉の繰り返し)
      一.旦那大黒 ごりょさんな恵比寿(えべす) ごりょさんな恵比寿でけた子供は 福の神
        (※はやし言葉繰り返し)
      一.あんた(ああた)百まで わしゃ九十九まで わしゃ九十九まで 
        ともに白髪の生える(はゆる)まで (※はやし言葉繰り返し)
    鼻取り : 疾走する舁き山の進路を司る重要な役割を担う。一つの山に4人の鼻取りがいて、
     左右1番棒の棒鼻についた鼻縄を操作し方向を決める、山笠の舵取り役ともいえる存在だ。
    前さばき : 山笠のトップに陣取り、「前切れ、前切れ」と声をかけながら
     舁き山がスムーズに進めるように前方の交通整理をする。
    見送り : 「表」に対し、舁き山の後方は「見送り」と呼ばれる。

    博多山笠の流れ(日程)
     1月1日(正月) : 各流れで初寄り。
     1月28日 : 櫛田神社に各流れの代表者が集まり新年総会。今年の当番町の確認。
     2月 : 当番町では活動を開始する。
     4月〜5月 : 当番町では準備活動が本格的に始まる。
     6月1日 : この日より山笠関係者は法被を着ることが認められる。
     6月初旬 : 棒洗い…小屋入り神事が行われる。
     7月1日 : 山笠開幕…博多の街の夏祭り博多祇園山笠が始まる。
            飾り山公開…午前0時、通年公開される櫛田神社の飾り山笠に加え、7月14日まで
             福岡市内の各所に大きな飾り山が公開される。高さ15メートルを超えるものもある。
      早朝 : 辻祈祷…祭りの初日に、流れや町でそれぞれの区域を清めることで「注連下ろし」とも言う。
        : 御神入れ…山笠を神格化(神様を招く)する神事で、
            7日頃まで飾り山笠・舁き山笠ともに執り行われる。博多を中心とした市内、
            約12カ所に建てられた飾り山が、櫛田神社の神官を迎えて無事故祈願を行う。
            ご神入れすれば、祭りが終わるまで警護しなければならない。
      夕方 : 当番町お汐井とり…その年の当番を務める町による身を清めるみそぎ。
             当番を務める町が、水法被に締め込み姿で箱崎浜へ清めの塩を取りに行くことから
             この名になった。その年の、流の当番町が東区の箱崎浜まで駆けて集合し、
             夕日に向かって柏手を打って15日間の安全を祈願した後、
             持参した升(ます)やテボ(竹かご)に汐井(しおい:浄め砂)を入れて持ち帰る。
     7月1日〜8日
      土曜、日曜
 : 子供山笠の流舁き(各流の区域内)…本来この期間は舁き山を動かすことは
                 しないのだが、子供たちに山笠の伝統を伝えていくという大事な教育の場でもあり、
                 博多小や千代小の学校行事などとも密接に関っているため、例外的に行われ、
                 少女も参加する。尚、大人の山笠は「神事」であるため、中学生以上の女子は
                 参加できない(女児は第二次性徴前に限り山笠の行事に参加できる)。
      雨も勢い水、福岡市で子供山笠
       博多祇園山笠の舁(か)き山笠が動きだすのを前に、2009年7月3日、
      福岡市博多区千代で千代流の子供山笠が流舁きを行った。強い雨に見舞われたが、
      千代小などの児童約300人は元気いっぱいに校区内を舁き回り、沿道から歓声が上がった。
       千代流の子供山笠は、千代小の開校100周年を記念して1987(昭和62)年に始まった。
      水法被姿の児童たちは「オイサ、オイサ」の掛け声とともに、
      十日恵比須(えびす)神社(同区東公園)にちなんだ恵比須を飾った約500キロの子供山笠を舁き出し、 
      約4キロを完走した。保護者の1人、荒巻滋さん(52)は「子どもたちが無事に山笠を舁けて良かった。
      いよいよ祭り本番という気がします」と話した。
       この日は、博多小(同区奈良屋町)の児童が参加する「子供山笠・博多流」も流舁きを行った。
      4、5両日には同市・天神の市街を走る「新天町子供山笠」がある。
     7月9日
      夕方 : 全流お汐井とり…祭に参加する全七流の舁き手をはじめ幼児から老人までの男たちが、
             町単位で集合し、石堂橋から「おっしょい、おっしょい」の元気な掛け声とともに
             箱崎浜を目指す。真砂(お汐井)を取った後は箱崎宮、櫛田神社に安全祈願をする。
             「当番町 お汐井取り」と同様の意味もあるが、
             明日から始まる舁き山笠行事の足慣らしの意味もある。
     7月10日
      夕方 : 流舁き(ながれがき)…舁き山笠の初日の行事で、
             地域に根ざしてるのを示すように、まずは自分の流区域内を舁いて回る。
             この日からいよいよ一年ぶりに舁き山が動く日で、山笠は静から動へと移る。
           追善山 : 一年間に亡くなった流の功労者の霊を弔い・感謝する行事であり、
                  遺影に向かって「祝い唄」を歌う。
     7月11日
      早朝 : 朝山(あさやま)…夜明け前から当番町の若手が町総代ら年寄りに縁起物の神酒、
             肴などを出すことから、「祝儀山」、「縁起山」とも言われ、役員らを招き酒肴でもてなす。
             午前5時から6時にかけて舁き出され、それぞれの流区域内で行われる。
             この日は功績のあった古老たちや将来の舁き手となる子どもたちも台上がりが許される。
             省略している流もあるが、明日の追い山馴らしの練習となり、おのずと力が入る。
      夕方 : 他流舁き…1日に2回も舁くのはこの日だけで、自分の流を出て、他の流まで出向いて行く。
                   自分の流区域から出ることからこの名になった。
                   明日はタイムを競う追い山ならしなので、休息を取る為実施しない流もある。
     7月12日
      午後3時59分 : 追い山ならし…文字通り15日の本番『追い山』のリハーサル(予行練習)であるが、
                   時間と走る距離が1kmほど短いだけで本番と同じである。
                   七流(ななながれ)の舁き山が一同に会し、午後3時59分に一番山笠が
                   山留めをスタートし、呉服町交差点〜福岡市役所までの約4kmのコースを走り、
                   本番さながらのタイムレースが繰り広げられる。
                   上川端通りの「走る飾り山」も櫛田入りを披露する。
     7月13日
      午後3時30分 : 集団山見せ…1962(昭和37)年に福岡市の要請で始められたもので、
                   元々は各流独自に他流舁きと称して福岡部に舁き入っていたものを、
                   イベント性を高めるために13日にまとめ知名人等を台上がりさせたもの。
                   地元の名士や有名芸能人を台上がりさせた各流の舁き山笠が午後3時30分に
                   一番山笠からスタートし、那珂川を渡って商人町・博多(呉服町交差点)から
                   城下町・福岡(福岡市役所)までの約1.3kmのコースを舁く唯一の行事である。
                   タイムの計測はされないが、台上がりを市長はじめ地元の知名士が務めるので、
                   誰が上がるのか楽しみとされる。
      集団山見せで王さん晴れ姿<博多祇園山笠>
       博多祇園山笠の舁(か)き山笠をお披露目する「集団山見せ」が2009年7月13日、福岡市であり、
      プロ野球・福岡ソフトバンクホークス会長の王貞治さん(69)が初めて「台上がり」を務めた。
      沿道には、王さんの晴れ姿をひと目見ようと、大勢の見物客が詰めかけた。
       午後3時半、王さんが乗った一番山笠・東流(ひがしながれ)が太鼓の音とともに
      呉服町交差点(博多区)を出発。水法被姿の王さんは「鉄砲」と呼ばれる指揮棒を持ち、
      舁き手を盛んに鼓舞、沿道から大きな拍手と歓声が上がった。王さんは「伝統のすごさ、
      博多の人の思いの強さを感じた。(チームが優勝し)今日と同じような気分を味わいたい」と話した。
       王さんが「台上がり」を務めることを発表した2日、博多祇園山笠振興会副会長の
      名越正志さん(62)は「世界の王さんに参加してもらうのは身に余る光栄」と話していた。
     7月14日
      夕方 : 流舁き…明日の早朝の追い山に向けての最後の調整で、
                 10日の流舁きと同じく、午後4時からそれぞれの流区域を舁きまわる。
                 未明までに仮眠を取り、追い山に備える。
     7月15日
      午前4時59分 : 追い山…15日間に渡る祭りのフィナーレで、博多祇園山笠のクライマックスに
                   あたる行事(タイムトライアル)である。午前0時半から2時にかけて、
                   七流れの舁き手達も続々と集まり、櫛田神社まえの土居通りに
                   一番から各流れの舁山が並べられ(山据え)、到着の手一本が入れられる。
                   午前4時59分に大太鼓の合図とともに一番山笠が博多の総鎮守櫛田神社の
                   「清道(「天子の行幸の道を払い清める」「先払い役」などの意味)」を目指して
                   奉納する。そして1分間の『博多祝い唄』を合唱した後、境内を飛び出していく。
                   その後、二番山笠から八番山笠「走る飾り山」までが5分おきに出発し、
                   多数の男たちが交代を繰り返しながら博多の町を舁き回り、須崎町の廻り止め
                   までの博多の町に設定された山笠コース(約5km)を約30分で走り抜ける。
                   七流の舁き山笠が5分おきに出発し、博多の町に設定された
                   山笠コース(5km)を約30分で走り抜ける。
                   大きくて重い八番飾り山笠は別コースをとる。
                   スタート時刻が午前4時59分と言う中途半端な時刻なのは、
                   一番山笠のみ櫛田神社境内で祝い歌「博多祝いめでた」を歌う1分間が
                   与えられており、5分おきと言う山笠の出発間隔を調整するためである。
                   各流では、追い山が終わると、直ちに飾り山・舁き山などを解体し、
                   その年の行事を終える。しかしその時点で、
                   すぐに次の年の行事に向けての動きを始める。
      午前6時 : 鎮めの能…山笠が清道を回り終えると、櫛田神社境内にて喜多流の能楽師により
               紋付き袴の姿で「鎮めの能」が舞われる。
    参 : 博多祇園山笠(公式HP:博多祇園山笠振興会)、博多祇園山笠(福岡市HP)、
        山笠よもやま話(中洲観光協会・中洲町連合会HP)、浜崎祇園祭
        [YouTube](2008年、一番山・大黒流)、[YouTube](2008年、山崩し)、
        [YouTube](2009年、前半)、[YouTube](2009年、前半)、
        [YouTube](2009年、追い山笠)、[YouTube](2009年、西流の山崩)
    
    「幻の岡流」舁き棒を50年ぶりに公開、元舁き手「懐かしい」
     福岡市博多区冷泉町の博多町家ふるさと館で2009年7月7日、
    幻の流「岡流」の舁(か)き棒の公開が始まった。1959年限りで博多祇園山笠への
    参加を取りやめて以来、50年ぶりに市民の目に触れた。
    8日には、櫛田神社の神職によるおはらいがあった。
     岡流は1949年に誕生した新興の流。現在の博多区祇園町などにあった旧町13カ町で組織し、
    舁き山笠や飾り山笠を出していた。しかし、資金不足や人手不足などで参加を取りやめ、
    舁き棒だけが櫛田神社に保管された。同ふるさと館の長谷川法世館長が舁き棒を借り受け、
    歴史的な記念として展示することにした。
     「岡流」に若手で出たという飯尾礼久さん(74)=太宰府市=は初日の7日に訪れた。
    「懐かしい。肩がこすれて赤くなったことを思い出します」と話していた。
     今回展示される舁き棒は6本あり、長さ5.45メートル、「岡流」と彫り込んである。
    櫛田神社が管理を任されていたが2009年1月、廃棄処分するかどうかが問題になり、
    流に思いを残す人も多いことから、長谷川館長が引き取りを申し出たという。
     同館では、山笠の紹介ビデオを上映している映像ルームを改修し棒を展示。
    うち1本は、実際に肩の上に載せて重さを体感し、
    山笠を舁いた気分が味わえるよう、前方に突き出させて設置する。

    
    九州国立博物館内の飾り山笠(2009.9.13撮影)

























































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