橋関連(YSミニ辞典)
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明石海峡大橋(あかしかいきょうおおはし) : 愛称は「パールブリッジ」。
    兵庫県神戸市垂水(たるみ)区東舞子(まいこ)町と淡路(あわじ)島の淡路市松帆(まつほ)とを結ぶ、
    明石海峡を横断して架けられた吊り橋である。全長は、3911m、桁(けた)下の高さは
    高潮時海面上で65m、塔の高さは海面上297m、中央支間長(塔と塔の間)1991mで、
    これまで長大吊橋の代表であったイギリスのハンバー橋(1981年完成、中央支間長1410m)に
    かわって世界一の長大吊橋となった。明石海峡大橋の主塔の高さは海面上298.3mであり、
    国内では東京スカイツリー(634.0m)、東京タワー(333.0m)に次ぎ、
    横浜ランドマークタワー(296.3、海抜は300mで同じ高さとなる)を超える高さの構造物である。
    1988(昭和63)年着工、約10年の歳月を経て1998(平成10)年4月5日に供用が開始された。
    建設費は約5000億円。建設当初は全長3910m、中央支間1990mであったが、
    1995(平成7)年1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)で地盤がずれ、1m伸びた。
    この明石海峡大橋の完成により本州四国連絡橋の神戸―鳴門(なると)ルートが全通した。
    このルートは、神戸西インターチェンジ(山陽自動車道と接続)から明石海峡を渡って、淡路島を縦貫し、
    鳴門海峡に架かる大鳴門橋を渡って徳島県の鳴門インターチェンジを結ぶ、
    延長89kmの自動車専用道路である。これまで3時間以上要していた神戸―鳴門間が
    一気に1時間40分に短縮され、風波や濃霧等の気象条件にも左右されにくい交通軸が実現した。
    すでに最初のルートとして1988年に完成した児島(こじま)〜坂出(さかいで)ルート
    (瀬戸中央自動車道)、1999年5月に全通した尾道(おのみち)〜今治(いまばり)ルート
    (西瀬戸自動車道)とあわせて神戸―鳴門ルート(神戸・淡路・鳴門自動車道)の3ルートの開通により、
    本州と四国の多様なアクセスが可能となり、観光需要の増大、物流の発展、
    経済の広域化と活性化などが期待される。
    
    明石海峡大橋
    
    夜の明石海峡大橋
天ケ瀬吊橋(あまがせつりばし) : 京都府宇治市宇治にある木造の風流な吊橋で、
    天ケ瀬ダム(鳳凰湖)の下流にあり、周辺の渓谷は豊かな自然に恵まれ、
    宇治川の両岸の道は東海自然歩道でハイキングコースになっている。
    渓谷に架かっている素朴な橋は周りの景色と合い、風情をかもし出している。
    
    天ケ瀬吊橋
    また、このあたりは古くから鮎釣りの名所でもある。1942(昭和17)年に架設したが
    1953(昭和28)年に一度流失、現在のものはその後1996(平成8)年に全面改修されたものである。
    アクセス : 京滋バイパス宇治東ICより奈良方面に約4km。奈良線宇治駅よりタクシーで約6分。
諫早市の眼鏡橋(いさはやしのめがねばし) : 1839(天保10)年に本明(ほんみょう)川に架橋され、
    1957(昭和32)年の大水害に際し、堅固なため流失せず、流木などをせき止め、
    まさにダムの役割を果たしたため、市街地の被害を増大せしめたものとして撤去され、
    諫早公園内に原型のまま保存されている。
永代橋(えいたいばし) : 隅田川を挟み、東京都江東区永代と中央区新川を結ぶアーチ型の橋。
     架橋は1698年。現在の橋は1926年、関東大震災の復興事業として造られ、
     2007年に国の重要文化財に指定された。ライトアップは日没〜午後10時。
     問い合わせは江東区文化観光課(電話03−3647−3312)ほか。
     
     永代橋
     
     永代橋の夜景(夜景壁紙.comより)
     参 : 瀬戸大橋
    A「橋懸かり」に同じ。
    B殿舎と殿舎を結ぶ渡り廊下。
江之口橋(えのくちばし) : 鹿児島県薩摩川内市高江町の八間川にかっている石造眼鏡橋で、
    熊本の名工・岩永三五郎が1849(嘉栄2)年8月に薩摩を去る最後に作ったと言われる
    橋長17.3m、幅員3.9mの2連橋。1972(昭和47)年4月1日、薩摩川内市指定文化財に。
    問合せ先 : 0996−23−5111(薩摩川内市役所観光課)
    アクセス : 国道3号線川内駅前から県道43号線を西進。
            5km先高江郵便局先の仮屋橋から右折、400m先にある。
    
    江之口橋(2008.5.4撮影)
大鳴門橋(おおなるときょう) : 淡路島(兵庫県南あわじ市福良丙)と四国(徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦)の
    大毛島(おおげじま)を結ぶ鳴門海峡の最狭部に架かる全長1629mの吊り橋で、
    1985(昭和60)年6月8日に開通した。大毛島と四国本土の間には小鳴門橋が架かる。
    本州四国連絡橋(神戸―鳴門ルート)の一つで、神戸淡路鳴門自動車道の一部を構成する。
    橋長は1629m、中央径間は876m、幅は25m、主塔の高さは144.3m。
    橋は上下2層式となっており、上部は片側3車線の道路だが、現在は計6車線の内、
    暫定で中央4車線を使用しているため、最高速度が70km/hに制限されている。
    地形上風が強く、速度規制(通常時70km/h、規制時40km/h)がよく行われる区間でもある。
    潮風によるさびからケーブルを守るため、ケーブル内のすき間に空気を送り込み乾燥させている。
    鳴門海峡上に造られた自動車専用道で、その一部に観光施設「渦の道」ができた。
    全長450メートルの鳴門側からの遊歩道で、床のガラス窓から45m下の渦潮を見下ろせる。
    2009年度の1日平均通行台数は2万3337台。
    開通当初は橋上で鳴門の渦潮を見ようとするドライバーが後を絶たなかった。
    そのため橋上区間全体にわたって路側帯には「停駐車禁止 路側走行禁止」(原文ママ)と
    標示されている。また、橋上には至る所にスピーカーが設置されていて、ドライバーに警告を発している。
    
    大鳴門橋
    
    同上
    
    大鳴門橋の周辺図(asahi.comより)
    参 : [YouTube](大鳴門橋の渦潮)、[YouTube](迫力満点、鳴門の渦潮)
    
    周辺の観光地
     渦の道 : 徳島県鳴門市の鳴門公園内。[前]9時〜[後]5時。
      電話088−683−6262。500円、中高生400円、小学生250円。
      近くにある体験型学習施設「大鳴門橋架橋記念館 エディ」との割引セット券あり。
     観潮船 : うずしお汽船(電話088−687−0613)、
      鳴門観光汽船(電話088−687−0101)など。満潮、干潮の時間は事前に「潮見表」で確認を。
     大塚国際美術館 : 鳴門公園内。古代壁画から現代絵画まで、
      世界25カ国の西洋名画1000点以上を、陶板に焼き付けオリジナルと同寸で複製した、
      世界初の「陶板名画美術館」。イタリアのシスティーナ礼拝堂などを空間ごと再現した
      「環境展示」が見どころ。[前]9時半〜[後]5時。鳴門駅からバス。電話088−687−3737
      3150円、大学生2100円、小中高生520円。[月]([祝]の場合は翌日)休み。
雄橋(おんばし) : 広島県庄原市東城町帝釈未渡の帝釈峡(たいしゃくきょう)にある
    溪水の浸食作用によって自然が創りだした橋で、「神の橋」とも言われている。
    石灰岩がくりぬかれてアーチ状になった長さ90m、幅19m、厚さ24m、高さ40mの日本一の天然橋で、
    北米のロックブリッジ、スイスのプレヒシュと並び世界三大天然橋の一つに数えられ、
    国の天然記念物に指定されている。近くにある「鬼の供養塔(おにのくようとう)」は
    10mにもおよぶ石柱で、帝釈天に命じられて雄橋・雌橋を造った陰陽二鬼神の供養塔と言われている。
    雄橋に通じる遊歩道の途中には、洞内延長200mの「白雲洞(はくうんどう)」があり、
    2kmほど下流には「雌橋(めんばし)」もある。
    
    雄橋。昔は生活道だったが、自動車の普及で谷を挟んだ集落をつなぐ役割は終わり、
    今は草木が茂って橋へ上がる道は見当たらない。

    
    雄橋の場所(朝日新聞より)
    アクセス : 中国自動車道東城ICから県道23号を帝釈峡方面へ車で13km
    参 : [YouTube](東城IC〜雄橋 )
かずら橋(かずらばし) : 高山に自生しているシラクチカズラというかずら(つる)を、
    極寒の冬場に採取して、火であぶり柔らかくしてから編みながら谷などに架ける。
    有名な徳島県の「祖谷のかずら橋」は、13の橋があったが、現在は奥祖谷二重かずら橋と、
    西祖谷山村にある善徳のかずら橋の2つだけが残っている。
    どちらもワイヤーで補強されており安心して渡れる。
    
    徳島県三好市にある祖谷(いや)のかずら橋(長さ約45m、幅約2m)
    
    同上
風の吊り橋(かぜのつりばし) : 神奈川県秦野市堀山下の県立・秦野戸川公園にある大きな吊り橋。
    丹沢山麓の水無川上流の扇状部に架かり、丹沢からの吹き下ろしの風の通り道となっていることから、
    この名がついた。吊橋は、大きなワイヤー7本(両方で14本)で支えられており、長さは267m、
    高さは35m、巾4mあり、本四連絡橋と同じ程度の風(風速80m)に堪える設計となっている。
    秦野戸川公園は、丹沢の山々から流れる水無川の自然を活かした都市公園で、
    古くから丹沢登山口として知られるこの地域は、毎年多くの登山客やキャンパーが訪れにぎわっている。
    美しい丹沢の山並を背景に、川遊びやバーベキュー、野遊び、農作業体験などが楽しめる。
    周りには、山岳スポーツセンター・バーべキューセンター・茶室・グラウンドや広場や
    駐車場(平日は無料)が整備されており、家族ずれで楽しめる。
    
    風の吊り橋

    闇夜に浮かぶ風の吊り橋、25日からライトアップ
     2010年春に開催される全国植樹祭の式典会場となる神奈川県秦野市堀山下の
    県立秦野戸川公園内の「風の吊り橋」が2009年7月25日からライトアップされる。
    23日夜、試験点灯した。主塔と橋を支えるケーブルなどが発光ダイオード(LED)で彩られた。
    橋は水無川にかかり全長267メートル、高さ35メートル。
     25日午後7時20分から公園内で点灯式を行う。点灯は土曜・日曜のみ。
    時間は夏季(25日〜9月30日)が日没〜午後9時。
    冬季(10月1日〜3月31日)が日没〜午後8時。ただし、7月27日〜同31日までは毎日点灯
    
    ライトアップされた「風の吊り橋」(神奈川新聞ニュースより)
河童橋(かっぱばし) : 長野県松本市安曇上高地の梓川に架かる木製の吊橋。
    1891(明治24)年に初めて橋が架けられた。全長37m、幅3.1m、長さ36.6mのカラマツ製の橋。
    中部山岳国立公園内の標高約1500mに位置する。橋は過去に4回架け替えられており、
    現在の橋は5代目である。1927(昭和2)年、芥川龍之介が小説『河童』の中で、
    上高地と河童橋を登場させたこと(および芥川が同年に自殺したこと)でより有名になった。
    この橋から穂高岳、焼岳などの山々を望むことができる。上高地を象徴するのシンボルの一つである。
    
    河童橋
    毎年4月27日にアルペンホルンの演奏と共に橋の袂で「上高地開山祭」が開催されている。
    11月15日には、「上高地閉山祭」が開催されている。
    ケショウヤナギの巨木が周辺の河畔に群生している。11月中旬〜4月中旬は通常接近不可。
    問い合わせ : 0263−94−2221(松本市アルプス観光協会)
    アクセス : 松本電鉄新島々駅〜松本電鉄バス上高地行きで1時間5分、終点下車、徒歩5分。
            平湯温泉からの便もある。
    参 : [YouTube](上高地、河童橋 )
関門橋(Kanmonkyo bridge)かんもんきょう : 山口県下関市から福岡県北九州市門司区へ至る
    高速道路(高速自動車国道)及びその高速道路が通る橋の名称で、「関門大橋」とも呼ばれる。
    この区間は、中国自動車道でも九州自動車道でもない。国土開発幹線自動車道の予定路線ではなく、
    「高速自動車国道法」に基づく政令により指定された高速自動車国道(法定路線名:関門自動車道)で
    ある。建設費が割高なためと、国道2号線の関門トンネルと交通量を適正配分するために
    通行料金は開通当初から普通車で1kmあたり64円に設定されている。
     中国自動車道と九州自動車道を結ぶ片道3車線(計6車線)の吊橋で、
    1958(昭和33)年開通した関門国道トンネルの交通量増加を解決するために計画され、
    九州と本州を結ぶ第2ルートとして5年余の工期を要し1973(昭和48)年に開通した。
    完成当時は東洋一の長大吊り橋で、全長1,068m、中央径間(橋脚と橋脚の間)712m、
    桁下高さ(海面からの高さ)61m、吊橋の主要部であるケーブルは、
    平行線ケーブルを使用し、直径は664mm。一日の通行平均台数は約3万台。
    参 : 中国幹線道路調査事務所(HP)
    
    関門橋(下関側から望む)
    
    関門橋(門司側から望む)
木津の流れ橋(きづのながればし) : 京都府八幡市と久御山町間を流れる木津川に架かる
    木造橋。1953(昭和28)年築で全長356.5m、幅3.3mは、木造の橋としては全国最長である。
    自動車は通れないが、れっきとした府道の一部である。74基の橋脚の上に、
    橋板が乗っているだけの簡単な造りで、川が増水すると八つのブロックに分かれて橋桁が流される
    独特の構造を持つ流れ橋の代表的なものであることから、正式名の「上津屋(こうづや)橋」より、
    流れ橋の通称で広まった。また「八幡流れ橋(やわたながればし)」とも呼ばれることもある。
    橋板はワイヤで橋脚につながれており、水が引いたら回収してまた使える。
    工学博士の渡邊英一・京都大名誉教授は「流れ橋は、
    急流が多く水害を繰り返し体験してきた日本ならではの知恵」と説明する。
    流されるたび、「恒久的な橋を架けては」と議論になる。だが、建設費が数十億円と巨額なうえ、
    1キロ下流には幹線道がある。府は今回も約6500万円で木造のまま復旧する。
    橋板を強固なイカダ状の連なりにすることで、流されても損傷が少ないようにするという。
    初めて架けられた1953年から2011年1月現在までに17回流され、その都度架け直されてきた。
    
    上津屋橋(旅の写真素材集HPより)
錦帯橋(きんたいきょう、きんたいばし) = 錦帯橋(別掲)
くしもと大橋(くしもとおおはし) : 紀伊半島と沖合の紀伊大島とを結ぶ本州最南端、和歌山県串本町の橋。
    3つのアーチ橋からなり、それぞれの長さは潮岬側からおよそ386m、3.8km、290mとなっている。
    正確には全長290m(アーチ橋としては国内2番目の長さ)のアーチ橋部分が橋だが、
    一般にはループ部分と防波堤を含め、くしもと大橋と呼ばれている。
    養殖マグロに車のライトが当たらないよう壁を高くしているという。
    架橋前は巡航船とフェリーが紀伊大島に渡る交通手段だったが、
    1999(平成11)年9月8日に和歌山県道樫野串本線と共に開通した。
    同時に“串本節”に歌われた巡航船は廃止された。串本駅から島まで車で10分ほど。
    
    ループ部分とアーチ橋部分
    
    アーチ橋部分
    周辺の観光地
     マグロ養殖体験 : 養殖に関する説明を受けた後、船に乗りいけすに移動。
      直径30mのいけすで泳ぐクロマグロ約500匹に餌やりができる。刺し身の試食付き。
      スニーカー履きでぬれてもよい服装で。定員100人。前日の正午までに予約のこと。5000円、
      小学生3000円(参加者が1人の場合は1万円)。電話町観光協会(0735−62−3171)。
     トルコ記念館 : トルコの軍艦「エルトゥールル号」が遭難した際に島民が救助したことがきっかけで
      親交が始まり、設立された。今年は遭難から120年。軍艦の模型や遺品、写真などを展示。
      250円、小学生120円。[前]9時〜[後]5時。同町樫野1025の25(電話0735−65−0628)。
     街中チョイのりサイクリング : 電動アシスト自転車の貸し出し。串本駅構内の町観光協会ほかで
      受け付け。1時間500円、1日1500円。電話古座観光協会(0735−72−0645)。
    
    くしもと大橋周辺図(asahi.comより)
    参 : くしもと大橋(360@旅行ナビ)[YouTube](くしもと大橋とループ橋)
古宇利大橋(こうりおおはし) : 2005(平成17)年2月8日、島人の長年の夢であった
    今帰仁村古宇利島(なきじんそんこうりじま)と名護市屋我地島(なごしやがじじま)とを結ぶ
    一般県道として、また通行料金の要らない橋としても日本一の長さの全長1960mの
    古宇利大橋(沖縄県道247号古宇利屋我地線:こうりやがじせん)が開通した。
    しかし、現在建設中の宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋が完成すれば、
    古宇利大橋を抜き日本一無料で通行可能な橋となる。
    古宇利大橋の入口にはロードパーク的な公園があり、駐車場や吾妻屋も完備されている。
    
    古宇利大橋(屋我地島側)2008.4.20撮影
    
    同上。駐車場から階段で海に下りることもできる
    
    同上。古宇利島側の公園。右奥に吾妻屋がある
    
    同上。古宇利島側より
    
    同上
    古宇利大橋の親柱(古宇利島に伝わる人類発祥伝説にちなんで、男女を象徴する「男柱」と
    「女柱」で構成されている。男柱のデザインは「力強く」「反り立つ」ことからイメージし、
    女柱は「優しく包む」「亀甲墓」からイメージされ、両方で一対となるよう配置されている。
    ちなみに女柱は「玉=誕生」を抱きかかえている。
    夜間は男柱のスリット部に埋め込まれた緑色の照明(LED)が、神秘的な空間を演出している。
    参 : [YouTube](沖縄県道247号古宇利屋我地線・古宇利大橋)
九重“夢”大吊橋(ここのえ“ゆめ”おおつりはし)
    大分県玖珠郡九重町にある歩行者専用の吊り橋。日本一高く長い歩行者専用橋である。
    2006(平成18)年10月30日に開通。高さ173m(水面より)、
    長さ390mで、歩行者専用橋としては日本一の高さと長さである。
    幅員は1.5mで、大人1800人の荷重に耐えるように設計されている。
    中央部の床版はすのこ状のグレーチングになっていて、下を見ることができる。橋からは、
    日本の滝百選の震動の滝や、紅葉の美しい九酔渓(鳴子川渓谷)の雄大な景色を望むことができる。
    
    九重“夢”大吊橋(無料壁紙フリー写真素材集HPより)
    
    同上(九重町観光協会HPより)
    参 : 九重夢大吊橋(公式HP)、[YouTube](九重“夢”大吊橋)
しまなみ海道(The Setouchi Shimanami Kaido)しまなみかいどう
    正式名は「西瀬戸自動車道」で、愛称として公募した「瀬戸内しまなみ海道」の通称である。
    本州四国連絡道の瀬戸大橋のある「瀬戸中央自動車道」、
    明石海峡大橋のある「神戸淡路鳴門自動車道」に次ぐ3本目で、総事業費約7800億円。
    1999(平成11)年5月1日に橋がすべて完成し、
    本州側の広島県尾道市の尾道福山自動車道(国道2号松永バイパス)西瀬戸尾道ICを起点とし、
    9市町村を経由して四国側の愛媛県今治市の今治小松自動車道今治ICに至る、全長59.4kmの
    自動車道で、2006年4月29日に残っていた生口島・大島の島内部分が完成して全線開通した。
    本州四国連絡高速道路が管理し、本州四国連絡橋に本州四国連絡道路である
    西瀬戸自動車道を通している、という形をとっている。
     日本のエーゲ海とも称えられる美しい瀬戸内海に浮かぶ向島・因島・生口島・大三島・伯方島・
    大島の6つの島には、来島海峡大橋など個性的な10本の橋が架けられており、
    また各橋には、自転車歩行者専用道路(総延長は約80km)が設置されているため、
    全線を通じていつでもウォーキングやサイクリングを楽しめるとともに瀬戸内海の多島美を
    楽しむことが出来る。来島大橋の上から見る10ノットを越す来島海峡の潮流や渦潮は圧巻である。
    
    1999年発行の「しまなみ海道開通」記念切手シート
橋の種類と橋長
橋  名 橋の種類 橋長(m) 記  事
尾道大橋
(おのみち)
吊橋 385 文学の街・尾道と向島(むかいしま)
結ぶ旧向島大橋で、昭和43年完成。
新尾道大橋
(しんおのみち)
3径間連続鋼箱桁
斜張橋
546 尾道大橋に並行する橋で、平成11年完成。
因島大橋
(いんのしま)
3径間2ヒンジ
補剛トラス斜張橋
1,270 昭和58年の完成当時には東洋一の規模を
誇った吊橋。村上水軍の因島として有名。
生口橋
(いくち)
3径間連続複合箱桁
斜張橋
790 主塔間の桁は鋼鉄、側支間はコンクリート
製という、日本初の複合構造による斜張橋。
平成3年完成。生口島(いくちじま)には
西の日光として有名な耕三寺、柑橘類の
シトラスパーク、平山郁夫美術館がある。
多々羅大橋
(たたら)
3径間連続鋼箱桁
斜張橋
1,480 県境をまたぐ世界一の斜張橋で、
平成11年完成。
大三島橋
(おおみしま)
単径間ソリッドリブ
2ヒンジアーチ橋
328 西瀬戸自動車道のトップを切って
昭和54年開通。大三島には戦国時代の
武具の展示で有名な大山祇神社がある。
伯方・大島大橋
(はかた・おおしま)
3径間連続鋼箱桁橋・
単径間2ヒンジ
補鋼箱桁吊橋
325

840
全長1,230mで、昭和63年開通。
伯方の塩で有名な伯方島と、大山祗神社が
鎮座する神の島・大三島を結ぶ。
来島海峡第一大橋
(くるしまかいきょう)
3径間2ヒンジ
補鋼箱桁吊橋
960 全長4,105mの世界初の三連吊橋で、
平成11年完成。
来島海峡第二大橋
2径間2ヒンジ
補鋼箱桁吊橋
1,515
来島海峡第三大橋
単径間2ヒンジ
補鋼箱桁吊橋
1,570
    参 : SHIMAP(瀬戸内しまなみ海道観光推進協議会HP)、しまなみ海道パノラマ写真集
四万十川の沈下橋(しまんとがわのちんかばし)
    高知県の四万十川流域で数多く見られるコンクリートの板を並べた潜り橋で、
    四万十川本流で20橋余り、支流を含めると60橋以上が架けられている。
    四万十市からいちばん近い沈下橋は、佐田(今成)沈下橋で、他に、四万十市内だけでも、
    三里、高瀬、勝間、屋内(口屋内)、岩間、長生、中半家、半家の沈下橋があり、
    いずれも四万十川らしい、川と人との関わりの感じられる風景が見られる。
    
    佐田沈下橋(さだちんかばし)。高知県四万十市佐田にある長さ291.6m、幅員4.2mの沈下橋で、
    今成地区にある橋で「今成橋(いまなりばし)」が正式名称である。(大阪のK.Kさん提供)

    参 : [YouTube
    
    中半家沈下橋(なかはげちんかばし)。高知県幡多郡西土佐村半家にある橋長125.9m、
    幅4.3m員の沈下橋。(大阪のK.Kさん提供)

    
    向山橋(むかいやまばし)(高知県高岡郡四万十町上岡:かみおか)
    通称は「上岡沈下橋」で、水の抵抗を考慮して曲線を採り入れた構造となっている。

瀬戸大橋(せとおおはし) : 本州(岡山県倉敷市)と四国(香川県坂出市)を結ぶ
    10の橋からなる本州四国連絡橋(本四連絡橋)の児島(こじま)・坂出(さかいで)ルートの通称。
    児島・坂出ルートは、1988(昭和63)年4月10日、9年半の歳月と約1兆1800億円の
    工費を費やして完成・開通した。このルートの海峡部(約9.4km)を瀬戸大橋の愛称でよぶ。
    瀬戸大橋は6つの橋梁(きょうりょう)からなっており、詳細は以下のとおりである。
    下津井(しもつい)瀬戸大橋(吊橋、橋長1400m)、櫃石島橋(斜張橋、橋長790m)、
    岩黒島橋(斜張橋、橋長790m)、与島橋(トラス橋、橋長850m)、
    北備讃瀬戸大橋(吊橋、橋長1538m)、南備讃瀬戸大橋(吊橋、橋長1648m)。
    なおこのほかに、各島内に高架橋がある。
    岡山県鷲羽山(わしゅうざん)の沖合いに浮かぶ塩飽(しわく)諸島のうち、櫃石(ひついし)島、
    岩黒(いわくろ)島、羽佐島、与島、三ッ子島の5つの島々を3つの吊橋(つりばし)、2つの斜張橋、
    一つのトラス橋などの道路・鉄道併用橋で結び、岡山県と香川県を直結する。
    道路部は、「瀬戸中央自動車道」とよばれ、岡山県早島町から香川県坂出市に至る延長373kmの
    自動車専用道路である。鉄道部は、本四備讃線(ほんしびさんせん)とよばれ、
    JR西日本の宇野線茶屋町駅からJR四国の予讃線宇多津駅に連絡する
    延長32.4kmの在来線(複線)で、ともに10分ほどで通過できる。 参 : しまなみ海道
    
    南備讃瀬戸大橋(手前側)
    
    下津井瀬戸大橋
    
    岡山県の鷲羽山より四国方面を臨む(鳥取の錦織梨園 錦織さん提供)
    
    鷲羽ハイランドホテルより望む下津井瀬戸大橋(2008.4.3撮影)
谷瀬の吊橋(たにせのつりばし) : 奈良県吉野郡十津川村上野地にある日本最長の
    鉄線の吊り橋。橋の銘板にはたにせばし(谷瀬橋)と刻まれているほか、
    一部の地図には谷瀬大橋と記載されている。国道168号の上野地(うえのじ)
    対岸の谷瀬を結ぶ高さ54m、長さ297mの吊り橋で、1954(昭和29)年に架橋された。
    中央部に幅約80cmの板が敷いてありその上を歩くが、
    足元を見下ろすと谷底が丸見えでさらに風によって橋が左右に大きく揺れる。
    「危険につき20名以上は同時に橋に乗らないように」の旨の注意書きがある。
    終日無料で通行できるが、混雑期には一方通行規制が行われることもある。
    この橋は、地元の住民が1軒当たり20〜30万円を出し合って建設した生活道路橋である。
    そのため、地元の人や郵便配達員などはスーパーカブで渡って行くが、一般の観光客は
    自転車やバイク等の二輪車での通行は禁止されていて、徒歩での通行のみとなるので注意が必要。
    
    谷瀬の吊橋の立て看板
    
    谷瀬の吊橋の注意書き。一般の観光客は自転車やバイク等の二輪車での通行は禁止
    
    谷瀬の吊橋
    参 : 十津川村観光協会(HP)、[YouTube](谷瀬の吊橋を自転車で)、
        [YouTube](腰がぬけしゃった谷瀬の吊橋)、[YouTube](谷瀬の吊橋)
通潤橋(つうじゅんきょう) : 江戸時代の1854(嘉永7)年に阿蘇の外輪山の南側の熊本県中東部、
    上益城(かみましき)郡山都町(やまとちょう/旧・矢部町)長原(ながはら)
    五老ケ滝川(緑川上流に位置する一支流)の谷に架けられた
    石組みによる一拱(いっきょう)式の用水の水路橋で、形式はアーチ橋である。
    1854年に矢部手永(てなが)の惣庄屋(そうじょうや)布田保之助(ふたやすのすけ)が、
    水に恵まれない白糸台地開田のために轟(とどろき)川の渓谷に架けたわが国最大の通水橋で、
    長さ75.6m、幅6.3m、高さ20.2m、アーチの直径(拱間)28.2m。
    橋の中央部に逆サイホンの原理を応用した3本の通水管(石管)が埋設されており、
    巨大な水圧のかかる通水管は上質の石材をくりぬいた石樋(いしどい)を数多く
    漆食(しっくい)で連ねてつくりあげてある。また、通水管の4カ所には松丸太をくりぬいた
    木樋(もくひ)がはめ込まれており、内に詰まるごみの取出し口となっているだけでなく、
    地震の際の緩衝材の役割をも果たしている。空中に巨大な弧を描き、
    かつ小石の集合のなす造形美は、肥後の石工(匠)の土木技術レベルの高さを証明している。
    歴史的建築構造物であり、国の重要文化財に指定されている。
    なお通潤橋を含む通潤用水は日本を代表する用水のひとつとして
    農林水産省の疏水百選に選定され、橋と白糸台地一帯の棚田景観は、
    通潤用水と白糸台地の棚田景観として国の重要文化的景観に選定されている。
    橋の中央上部両側に放水口が設置されており(川の上流側に2つ、下流側に1つ)、
    灌漑利用が少ない農閑期には観光客用に時間を区切って20分程度の大規模な放水を
    行っている。この放水の本来の目的は、石管水路の内部にたまった泥や砂を除くためのものである。
    旧暦8月1日の八朔(はっさく)祭に行われる豪快な通潤橋の放水風景は、
    毎年多くの観光客を呼び寄せている。周囲は矢部周辺県立自然公園。
    「通潤橋史料館」([前]10時〜[後]4時、300円、小・中学生150円)では、
    模型や映像で橋の仕組みを紹介。電話町観光協会(0967−72−3855)。
    参 : 山都町公式ウェブサイト
    
    通潤橋
    
    通潤橋の放水風景(ゆんフリー写真素材集より)
吊り橋(suspension bridge)つりばし : 漢字では、吊橋、釣り橋、釣橋とも表記される。
    橋の形式の一種で、綱などの張力で吊り下げ支える形式のもの。
    一般的な用法としては、小さな谷や川に縄ばしごを渡しただけのような簡易なものから、
    海峡などに架けられる大規模なものまで吊り橋と称する。
    斜張橋も張力で支えているため、広義には吊り橋の一種とも言える。
     世界の代表的な吊橋には、サンフランシスコのゴールデン・ゲート橋(1937年、中央支間1280m)、
    ニューヨークのベラザーノ・ナローズ橋(1964年、1298m)、
    イギリスのハンバー橋(1981年、1410m)などがある。
     日本の吊橋では、関門橋(1973年、712m)、大鳴門(おおなると)橋(中央支間876m)、
    南備讃(みなみびさん)瀬戸大橋(1988年、中央支間1100m)、
    北備讃瀬戸大橋(1988年、中央支間990m)などが代表的なものである。
    天ケ瀬吊橋(あまがせつりばし) = 天ケ瀬吊橋(別掲)
    かずら橋(かずらばし) = かずら橋(別掲)
    風の吊り橋(かぜのつりばし) = 風の吊り橋(別掲)
    河童橋(かっぱばし) = 河童橋(別掲)
    九重“夢”大吊橋(ここのえ“ゆめ”おおつりはし) = 九重“夢”大吊橋(別掲)
    谷瀬の吊橋(たにせのつりばし) = 谷瀬の吊橋(別掲)
    照葉大吊橋(てるはおおつりはし) = 照葉大吊橋(別掲)
    もみじ谷大吊橋(もみじだにおおつりはし) = もみじ谷大吊橋(別掲)
    夢の吊橋(ゆめのつりばし) = 夢の吊橋(別掲)
    竜神大吊橋(りゅうじんおおつりばし) = 竜神大吊橋(りゅうじんおおつりばし)(別掲)
日本一のつり橋
順位 つり橋(道府県) 回答数(人)
祖谷のかずら橋(徳島) 2697
夢の吊橋(静岡) 1391
河童橋(長野) 1281
谷瀬の吊り橋(奈良) 1142
九重夢大吊橋(大分) 1106
竜神大吊橋(茨城) 601
天ケ瀬吊橋(京都)  601
もみじ谷大吊橋(栃木) 577
綾の照葉大吊橋(宮崎) 533
10 風の吊り橋(神奈川) 359
2009.7.22、朝日新聞「アスパラクラブ」
会員によるアンケートより。
作家・和久峻三さんと編集部で候補を選択
照葉大吊橋(てるはおおつりはし) : 綾の照葉大吊橋(あやのてるはおおつりばし)
    宮崎県東諸県郡綾町の本庄川(綾南川、大淀川の支流)に架かる吊り橋。
    照葉樹林一帯が九州中央山地国定公園に指定された後の1984(昭和59)年3月に架橋された、
    長さ250m、高さ142mの歩行者専用の鋼製の長経間2ヒンジ補剛吊り橋である。
    高さ142mは歩行者専用の吊り橋としては日本で2番目(2006年10月に大分県玖珠郡九重町の
    九重“夢”大吊橋(高さ173m)に破られた)の高さを誇り、吊り橋の近辺には
    それぞれ「歩く吊橋世界一」・「照葉樹林の自然日本一」と彫られた石碑がある。
    
    照葉大吊橋
    アクセス : JR日豊本線南宮崎駅(宮崎交通宮交シティバスセンター)より
            宮崎交通バス綾待合所行で約1時間・終点下車、タクシーで15分
            宮崎自動車道高原ICより国道268号を宮崎方面へ約1時間
    問い合わせ : 0985−77−2055(綾照葉大吊橋料金所)
    参 : [YouTube]、[YouTube](高所恐怖症のあなたに捧ぐ)
       
    吊橋架け替え10月開通
     国内屈指の高さで、年間14万人が訪れる宮崎県綾町の綾照葉大吊橋の架け替え工事が
     進められている。2011年4月の開通をめざしていたが、支柱の強度不足の可能性を指摘され、
     追加工事で造り直すことにした。町は6月3日、10月5日に開通すると発表した。
     新しい橋は、転落防止用の柵の目を大きくするなどし、
     緊張感をさらにあおるデザインにするといい、町は「スリルを求めて遊びに来て」と話している。
東京ゲートブリッジ(Tokyo Gate Bridge)とうきょうゲートブリッジ : 東京港第三航路を跨ぎ
    中央防波堤外側埋立地(大田区城南島)と江東区若洲を結ぶ約8kmの橋梁である。東京港港湾計画に
    位置付けられた港湾施設(幹線臨港道路)・東京港臨海道路のU期事業区間の一部を構成する。
    事業期間は2002(平成14)年度〜2011(平成23)年度で、2012(平成24)年2月12日に開通した。
    全長2618m(陸上部アプローチ橋を含む)のトラス橋で、水面(荒川工事基準面、A.P.)から
    橋梁最上部の高さが87.8m、海上を跨ぐ区間の長さが1918m(横浜ベイブリッジ
    レインボーブリッジの約2倍)で、RC橋脚の上部に鋼3径間連続トラスボックス複合構造の
    幅24mの4車線道路が設けられている。計画地が羽田空港に近く航空機の運航ルート上にあるため、
    橋の高さに制限(98.1m以下)が課されている一方、大型船舶の運航も見据え桁下の高さを確保すべく、
    吊り橋や斜張橋ではなく、三角形に繋いだ鋼材を組み合わせて橋桁の荷重を分散するトラス構造が
    採用された。この結果、桁下は54.6mとなった。また、支間長は440mで、
    日本国内で現存するトラス橋としては生月大橋(同400m)を上回る。
    東京ゲートブリッジを含む東京港臨海道路II期事業の総事業費は約1125億円で、
    周辺道路の混雑緩和等による経済効果は年間158〜190億円を見込む。
    
    東京ゲートブリッジ
    
    建設中の東京ゲートブリッジ(2010年8月6日撮影)
    東京湾クルージングの「シンフォニー・モデルナ」より

長崎市の眼鏡橋(ながさきしのめがねばし) : 1634(寛永11)年に架橋された日本最古の石橋で、
    1960(昭和35)年に国の重要文化財に指定された。町の中央を流れる中島(なかしま)川の
    氾濫(はんらん)によって従来の脚のある木造の橋は流失し、街は分断され両岸の住民は
    不便に苦しんでいた。1632(寛永9)年に中国から渡来した僧如定(にょじょう)は、
    その窮状を見かね、石材によるアーチ状の虹(にじ)の橋がもっとも強固と考え、
    半円(お互いに力を支え合っている拱環石(こうかんせき)の形)を二連にした石橋を建設した。
    満潮時の橋の姿が眼鏡にみえるので眼鏡橋とよばれた。1982(昭和57)年7月22日の
    大豪雨によって一部を破壊され、その存廃が論議の的となったが、存続する方向で復旧された。
    
    中島川の眼鏡橋
西田橋(にしだばし) : 鹿児島駅北側の鹿児島市浜町の石橋記念公園内にある甲突川五大石橋の一つ。
    江戸時代、鶴丸城から九州街道に出る島津家参勤交代の道筋にあり、
    城下の玄関口として藩の威光を誇示した橋で、丸柱や二重アーチに見える等の技法を駆使した姿は、
    江戸末期、財政改革に成功した薩摩藩の島津家第27代藩主・斉興が、
    肥後国(熊本県)の石工・岩永三五郎を招いて造らせた石橋の中でも最高傑作といわれる。
    篤姫(あつひめ)もこし入れの際に渡ったと伝わる。
    甲突川には、上流から玉江橋・新上橋・西田橋・高麗橋・武之橋の5つの石橋がかけられた。
    1846(弘化3)年の甲突川改修時に木造から石橋への架け替えの際にも、
    由緒ある橋として木橋時代の青銅製擬宝珠をそのまま使い、
    丸柱の精巧な高欄とするなど、他の4橋に比べて約3倍もの建設費をかけて造られた。
    橋の長さは49.6m、幅6.3mで、4つのアーチからできていた。
    
    西田橋
    5つの石橋には、小野石(小野町)が使用され、福山権太郎・今村五郎・宝地三五郎などの
    小野村の石工をはじめ、多くの人々がこの工事に従事した。
    参勤交代路にあたることから他の橋にはない屋根のついた大きな楼門(西田橋御門)が
    設けられていたことから、架け替えの際に橋のたもとに再現されている。
    
    橋のたもとに再築された西田橋御門
    この門は西田橋の左岸にあって城下の武士や町人、領内を通過する旅人は御門脇の番所で
    改めを受けて通行していたそうだ。1953(昭和28)年)に鹿児島県の有形文化財に指定された。
    創建以来150年間、交通手段などの社会環境に対応して、現役の橋として利用されてきたが、
    1993(平成5)年8月6日の集中豪雨で甲突川が氾濫し、2つの石橋が流失した。
    県と市は河川改修と、残る3つの橋の移設を決めた。西田橋の解体は1996年に始まり、
    移設された橋は2000年、玉江橋・西田橋・高麗橋が移設復元され新たな都市公園が誕生した。
    玉江橋と高麗橋は隣接する祇園之洲公園に移設されている。
    今では観光客など年間20万人近い人が訪れ、夏には子どもたちが水遊びに興じる。
     西田橋の場所
日本橋(にっぽんばし) : 通称「ポンバシ」。大阪市中央区道頓堀川に架かる橋で、堺筋紀州街道が通る。
    1619(元和5)年に江戸幕府によって架けられ、江戸の日本橋(にほんばし)と同じく公儀橋であった。
    現在の橋は1969(昭和44)年に架け替えられたもので、長さ28.8m、幅28mである。
    
    日本橋(大阪)
    江戸時代には紀州街道の一部でもある堺筋に面して旅籠が立ち並び、長町と呼ばれていた。
    1792(寛政4)年に長町のうち現在の中央区側が日本橋に改称され、
    1872(明治5)年には現在の浪速区側も含めて日本橋筋に改称された。
    地名としての日本橋は、大阪市中央区・浪速区の町名および周辺の地域を含む名称で、
    日本橋より北を長堀橋筋、南を日本橋筋という。また、大阪市中央区・浪速区の町名、
    および大阪市営地下鉄・近畿日本鉄道の駅名ともなっている。
    電気店がずらりと建ち並ぶ「日本橋筋商店街 (でんでんタウン)」がある街として有名である。
    秋葉原と並び称される電気街であり、「東の秋葉原、西の日本橋」とか
    「関西の秋葉原」とかと呼ばれることもある。ただし、電気街となっているのは概ね浪速区側であり、
    中央区側は道頓堀・千日前に隣接し、半ば歓楽街となっている。境界となるのが「なんさん通り」で、
    日本橋3丁目交差点以東は「御蔵跡通り」と呼ばれる。中央区側には大阪の台所と称される黒門市場、
    御蔵跡通り付近には履物問屋街(通称:はきはきタウン)があり、電気街以外の表情も見せる。
    現在の住居表示になったのは1982(昭和57)年で、周辺の旧 西成郡難波村・今宮村、
    西高津村(西高津新地)・東成郡天王寺村にあたる地域も含まれるようになった。
    浪速区側では同時に日本橋西(1丁目・2丁目)と日本橋東(1丁目〜3丁目)も実施されている。
日本三奇橋(にほんさんききょう)
    ★錦帯橋(山口県岩国市)★甲斐猿橋(山梨県大月市)★愛本橋(富山県宇奈月町)
    他にも木曽の桟(かけはし)、徳島、祖谷のかずら橋、日光の神橋、も選ばれていたりする。
    現在は富山の愛本橋、木曽の桟はちゃんとした形で存在していない。
日本三大橋(にほんさんだいきょう)
    ★宇治橋(京都府宇治市)★淀の大橋(旧・山崎橋)(京都府)★瀬田橋(滋賀県大津市)
    
    宇治橋(京都府宇治市)
    
    淀の大橋(旧・山崎橋)(京都府)
    
    瀬田の唐橋(滋賀県大津市)
日本橋(にほんばし) : 東京都中央区北部、江戸城外堀から隅田川に流れる、日本橋川にかかる橋。
    「お江戸日本橋」と歌にも詠われる日本橋は、徳川家康が征夷大将軍に任ぜられた
    1603(慶長8)年に架設されたと記録に残されている。その当時の橋は、長さ68m、幅7mだった。
    20代目となる現在の橋は1911(明治44)年4月に木橋から石橋へ架設し直されたもので、
    長さ49m、幅28m、アーチ径間21mになった。壁石は切石積みで、翼壁上に湾曲形の袖壁をめぐらす。
    装飾用材は全て青銅で、中央及び橋台部4隅に花形ランプ付方錘柱を建て、各柱座に蹲踞状の
    麒麟を配す。ルネッサンス式橋梁本体に和漢洋折衷の装飾が調和する。米元晋一が設計し、
    妻木頼黄が装飾を担当した。技術的、意匠的に優れた明治期を代表する石造2連アーチ道路橋である。
    
    日本橋(東京)
    
    同上(2010.12.29、朝日新聞より)
    現在の日本橋にある“日本橋”の文字は最後の将軍・徳川慶喜の書である。
    江戸時代は「三井越後屋呉服店(現・三越)」や「白木屋(現・東急百貨店)」が生まれ、一帯は日本の
    経済の中心だった。また、日本橋は、江戸時代から現在まで日本の道路交通の中心となっている。
    1604年に国内里程の原点に定められ、1907(明治40)年には橋の中央に国道の起点となる
    「日本国道路元標」が設置された(現在は橋の西側のたもとに移転)。国道や高速道路で
    見かける「東京40キロ」と言う道路標識での「東京」とは日本橋までの距離を指している。
    これは1604(慶長9)年に東海道や中山道などの、いわゆる五街道に一里塚が設けられたときに
    日本橋が起点になったと言う事から延々と引き継がれてきたものである。
    1963(昭和38)年、東京オリンピックを目前にして日本橋の上に首都高速道路が掛けられたが、
    この橋はそのまま残すと言うことが条件だった。
    地元など複数の街づくり団体が現在、首都高の移転を求めて活動している。
     日本橋の場所
    参 : 日本橋(にっぽんばし)、名橋「日本橋」保存会(公式HP)、
        [YouTube](名橋「日本橋」保存会:橋洗い)
(a bridge)はし : @橋梁(きょうりょう)。通行のために、川や湖・谷・海・窪地や道路・線路などの
     両側を結んでかけわたした構築物。乗り越えるものにより、跨道橋(こどうきょう)
     跨線橋(こせんきょう)など、個別の名称で呼ばれることもある。一方、水を渡すための橋を
     水道橋(aqueduct)と呼び、地上に長い区間連続して架けられている橋は
     高架橋(viaduct)と呼ばれる。主としてその構造は、上部構造、下部構造に分けられる。
     陸橋(りっきょう) : 道路、窪地、線路などを跨ぐ橋。
     跨線橋(overbridge)こせんきょう : 架道橋のうち鉄道線路を立体交差で越えるために架けられた橋。
      跨線道路橋、跨線歩道橋などがある。旅客駅などの旅客連絡用の跨線通路もその一種である。
      鉄道が道路の上を越える場合には跨道鉄道橋という。
      跨線橋では、下を通る鉄道のために所要の桁下(けたした)空間を確保すると同時に、
      経済上の理由から橋への取付け部分の距離を短くしたいため、構造高が制限されることが多い。
      桁橋以外では一般に下路(かろ)橋である。跨線橋と同じ目的の構造物に地下通路がある。
      ちなみに、山川豊さんが歌っている「アメリカ橋」は、
      東京渋谷区・山手線の恵比寿駅と目黒駅の間にある跨線橋の通称で、正式名は「恵比寿南橋」。
      1906(明治39)年、鉄道院(鉄道省→運輸省→国土交通省の前身)が、
      アメリカで開催された万国博覧会の展示品であった橋を買い取ってここに架設したことから、
      アメリカ橋と呼ばれるようになった。1970(昭和37)に改築されている。
      恵比寿ガーデンプレイス側に「アメリカ橋公園」という細長い公園がある。
     吊り橋(つりばし) = 吊り橋(別掲)
     斜張橋(しゃちょうきょう) : 主塔から斜めに張り渡した多数のケーブルにより主桁を吊る橋のこと。
      吊橋に次いで長スパンの橋梁に適している。中央部分を吊っているため、効果的に桁の部材重量を
      軽減できることから、経済的でスレンダーな構造物を造ることができるという特徴を持っている。
      ケーブルで吊られているために吊橋のように見えるが、力学的には桁橋に属している。
      細く引張りに強い吊材とそれを支えるための、圧縮と曲げに抵抗する塔を必要とする。
     沈下橋(ちんかばし、ちんかきょう) : 河川を渡る橋の一種で、洪水などの増水時に
      橋のすべてが川に沈むことからこの名があり、流れの抵抗を少なくした欄干のない橋である。
      地方により潜り橋、沈み橋、冠水橋、潜水橋、潜没橋、潜流橋、地獄橋などともいう。
      低水路・低水敷と呼ばれる普段水が流れているところだけに架橋され、
      また床板も河川敷・高水敷の土地と同じ程度の高さとなっていて、
      低水位の状態では橋として使えるものの増水時には水面下に沈んでしまう橋のことをいう。
      橋の上に欄干(らんかん)が無く(あってもかなり低い)、水面からの高さが高くないことが特徴で、
      増水時に、橋が水面下に没するようになっており、流木や土砂が橋桁に引っかかり
      橋が破壊されたり、川の水が塞止められ洪水になることを防ぐためである。また、
      壊れても再建が簡単で費用が安いという利点もあり、実際に流されることを前提としていた例もある。
      現在では山間部でも広い道路や本格的な橋が造られること、
      また慣れているはずの地元住民の転落事故もあることから、徐々に姿を消しつつある。
      1999年の高知県による調査によれば全国の一級河川及び支流には合計410か所の沈下橋があり、
      都道府県別に見ると、高知県(69か所)、大分県(68か所)、徳島県(56か所)、
      宮崎県(42か所)の順で多く、台風の被害の多い県でもある。
      韓国にも上下2段となっている沈下橋がある。
      四万十川の沈下橋(しまんとがわのちんかばし) = 四万十川の沈下橋(別掲)
      早瀬の一本橋(はやせのいっぽんばし) = 早瀬の一本橋(別掲)
     流れ橋(ながればし) : 日本やアイルランド、オーストラリアなどに見られる橋の形式の一つであり、
      固定されていない橋桁(はしげた)が洪水の際に流れてしまうことを想定した橋のこと。
      流れ橋の常として欄干は無く、橋桁は流れるといっても流失するのではなく、
      分割して洪水流に棚引くようにワイヤーで連結されているので、
      残された橋脚の上に新たに桁を架けることで簡単に復旧できる。
      近年ではロープなどで橋桁をつなぎとめることによって回収しやすくしたものもあり、
      これであれば桁を新造する必要がないため、復旧コストを抑えることが可能となっている。
      水面からの高さが低く、歩行者用の比較的小型の橋で手すりのないものが多い。
      木津の流れ橋(きづのながればし) = 木津の流れ橋(別掲)
     水道橋(すいどうきょう) : 谷を超えて水を運ぶための橋。
      古代ローマのものが有名だが、日本には、熊本の通潤橋(灌漑用水路橋)、
      南禅寺境内を橋で通過する水路閣(琵琶湖疎水)などがあり、
      東京の水道橋(すいどうばし)は神田上水の水道橋があったことにちなむ地名である。
      
      水路閣の上の水路(南禅寺)
     石橋(いしばし) : 石材で造った橋。石の橋。構造形式としてはアーチ橋、桁橋などがあり
      アーチ橋は眼鏡橋とも呼ばれる。日本全国の石橋の4割が熊本県にある。
      代表例に通潤橋などが挙げられる。石材のほか煉瓦やコンクリートを主材料とした橋も
      石橋に含まれ、石工橋ともいう。これらの材料は引張りに弱く、圧縮に強いので
      主にアーチ橋として使用され、石積みアーチ橋は橋の代表であったが、
      鉄筋コンクリート、PSコンクリートの橋が出現してからはほとんど作られていない。
      通潤橋(つうじゅんきょう) = 通潤橋(別掲)
      西田橋(にしだばし) = 西田橋(別掲)
      二俣五橋(ふたまたごきょう) = 二俣五橋(別掲)
      霊台橋(れいたいきょう) = 霊台橋(別掲)
     眼鏡橋(めがねばし) : 半円形が二つ並んだ石造りの橋のことで、
      ”水にうつると眼鏡のように見える”ことからこの名前がついた。
      長崎市の眼鏡橋(ながさきのめがねばし) = 長崎市の眼鏡橋(別掲)
      諫早市の眼鏡橋(いさはやしのめがねばし) = 諫早市の眼鏡橋(別掲)
      江之口橋(えのくちばし) = 江之口橋(別掲)    
世界の長大橋

橋名 所在国 中央
支間長(m)
完成年 備考
明石海峡大橋 日本 1991 1998 全長は3911m
西候門大橋 中国 1650 2009
大ベルト橋 デンマーク 1624 1998
潤揚長江公路大橋 中国 1490 2005
ハンバー橋 イギリス 1410 1981 1998年までは世界最長
江陰長江大橋 中国 1385 1997
青馬大橋 香港 1377 1997 道路鉄道併用の
吊り橋としては世界最長
ヴェラザノ・ナローズ・
ブリッジ
アメリカ合衆国 1298 1964 1981年までは世界最長
ゴールデンゲート橋 アメリカ合衆国 1280 1937 1964年までは世界最長
陽邏長江大橋 中国 1280 2007
リストの長さの数値はセンタースパン
早瀬の一本橋(はやせのいっぽんばし) : 清流で知られる四万十川源流域の高知県津野町の
    芳生野地区にあり、諏訪神社が建てられた1350年ごろから参拝路として使われてきたという。
    15年に1度架け替えられ、最近では2002年に新調された。
    長さ9m・幅60cm・厚さ30cmほどの木の板3枚が、石を幾重にも積んだ橋脚に乗っている。
    板の端が陸地の木にワイヤでくくりつけられ、増水すると橋が橋脚から浮いて両岸に
    打ち上げられ、沈下橋の原型ともいわれる。「流下橋」「流れ橋」などと呼ばれる。
    
    早瀬の一本橋
萬代橋(ばんだいばし) : 新潟県新潟市中央区の日本一の大河・信濃川に架かる国道7号、国道8号、
    国道17号、国道113号、国道350号の道路橋梁である。初代は1886年竣工の木造橋で、
    橋長は782mで、当時日本一長い木造橋だった。開通当初は、「よろずばし」と訓読みしていたが、
    後に「ばんだいばし」と音読みとなった。民営のため通行料を徴収していたが、
    1900年に新潟県が買収し、県道となり無料化された。しかし、1908年の大火で焼失し、翌年、
    2代目が竣工。1929(昭和4)年に竣工した現在の橋(3代目)は全長306.9m、幅21.9mで、
    道路4車線、両端に歩道を備えた6連アーチの美しい鉄筋コンクリート橋で、
    側面には御影石の化粧板を施している。竣工当初は8連だったが、新潟地震(1964年)の
    マグニチュード7.5の激震にも耐えて落橋しなかったが、両端を破損し6連になった。
    橋の土台となるコンクリートの箱を沈め、その中で土を掘る「空気潜函(せんかん)工法」を採用した。
    東京の永代橋も同じ工法だが、外国人の手を借りずに工事をしたのは初めてだったという。
    昭和初期における大規模なコンクリートアーチ橋の貴重な現存例であり、
    建設技術・デザインの両面から現在でも高く評価されている。信濃川の河口から数えて
    2番目に位置する橋であり、上流側には八千代橋が、下流側には柳都大橋がそれぞれ架かっている。
    今日では新潟市のシンボルとしてのイメージが広く定着し、新潟市の代表的な観光地・景勝地となった。
    現橋の架橋75周年を迎えた2004年4月、国の重要文化財指定の答申を受けたのを機に、
    漢字表記を戦後に定着していた「万代橋」から、建設時よりの橋名板表記である「萬代橋」に復した。
    これに伴い同年春から夏に掛けて、架橋当初の姿に復すリニューアル工事が実施された。
    ちなみに、広島市の太田川水系の元安川に架かる中区の萬代橋は「よろずよばし」という。
    2004年7月、国道の橋梁としては日本全国で2例目となる、国の重要文化財に指定され、
    毎年8月に開かれる「新潟まつり」の大民謡流しの際には、
    橋上でも新潟甚句や佐渡おけさが踊られ、深く市民に愛されている。
    
    萬代橋
    周辺の観光地等
     新潟まつり : 川開きや開港記念祭など歴史ある四つの祭りが一つになり、1955年に始まった。
      2010年8月6日(金)〜8日(日)、市中心部で開催。大民謡流しは6日午後7時から。
      花火大会は8日午後7時15分からあり、約1万発の大輪の花が夜空を彩る。
      問い合わせは市観光政策課(025−226−2624)。
     新潟みなと水遊記 : 9月30日(木)まで、信濃川下流域ほか。
      港町・新潟でバカンス気分を楽しむ26のイベントを開催。萬代橋のたもとのオープンカフェや
      信濃川クルーズ、ジャズライブなど。問い合わせは事務局(025−222−6111)。
     新潟市歴史博物館(みなとぴあ) : 「水の都」と呼ばれる新潟の歴史をジオラマや映像などで紹介。
      初代萬代橋の模型も。午前9時半〜午後6時(10月〜3月は5時まで)。(月)休み。
      常設展300円、高・大学生200円、小中学生100円。問い合わせは025−225−6111
二俣五橋(ふたまたごきょう) : 熊本県下益城郡美里町佐俣にあるアーチ式石橋で、
    1830年に完成した。年祢橋、二俣橋の第一橋、第二橋と国道に架かる新年祢橋と年祢橋、
    石橋のすぐ上流に架かる橋を合わせて二俣五橋と呼ばれている。
    通潤橋を造った石工、丈八の父、嘉八が造ったといわれている。
    橋の影 が川に映りこんで「ハート」の形を描くそうである。
    
    緑川の支流で、左側の津留川と右側の釈迦院川が合流する地点に架かっている
蓬莱橋(ほうらいばし) : 江戸時代、東海道の難所の一つだった大井川(静岡県中部、現・宝来町地先)に、
    1879(明治12年)に架けられた長さ897.4メートル(幅2.7m、通行幅2.4m)の木造の
    3700枚の木板をつなぎ合わせている。通行できるのは歩行者と自転車のみで、
    通行には100円の料金が必要となるため、別名「賃取り橋」とも呼ばれている。
    大井川の洪水の度に被害を受けており、1965(昭和40)年に橋脚はコンクリート製となった。
    1994(平成6)年に近くに島田大橋が開通するまでは、
    地元の会社員や学生、農民が、島田と牧之原との往復に毎日利用していた。
    1997(平成9)年12月30日、「世界一長い木造歩道橋」として、ギネスブックに認定された。
    
    世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」
    参 : 蓬莱橋の概要(島田市役所農林課HP)、錦帯橋
    「世界最長の木造歩道橋」流される<静岡・蓬莱橋>
     2007年7月15日、台風4号による大雨の影響で、静岡県島田市では、大井川にかかる
     「世界で一番長い木造歩道橋」として知られる蓬莱橋の一部が倒壊しているのが見つかった。
     全長約897メートルの同橋は、南岸から約60メートルにわたって押し流されていた。
     同市などで、被害状況の確認を急いでいる。
馬見原橋(まみはらばし) : 阿蘇郡山都町(旧・蘇陽町)大字馬見原滝上地内にある橋長38.25m、
    幅員は上橋4.8m、下橋6.75mの上弦・下弦・支柱で支える変形フィーレンデール鋼橋である。
    上の橋は歩行者も自動車も通行できて、下の橋は歩行者専用の木製デッキとなっている
    めずらしいアーチ型の二段橋で、夕刻から午後10時までライトアップされる。
    歩道に開けられた直径2.8mと2.2mの穴から川面を眺めることができる。
    かつてはシンプルな桁橋がかかっていた。老朽化が問題になっていたころ、
    「公共建築物を文化遺産に」と始まった「くまもとアートポリス」事業の一つとして、
    1995(平成7)年6月に建て替えられた。「単なる交通のための橋ではなく、人がとどまれる場に」と、
    設計した建築家の青木淳さんが込めた願いの通り、完成後ほどなくして、
    橋の上で思い思いに過ごす町民の姿が見られるようになった。
    橋のそばにある「明神の本」のわき水は熊本名水百選に指定されている。
    
    馬見原橋
    
    夜間のライトアップ(asahi.comより)
    
    川面を眺められる直径2.8mと2.2mの穴(設計者の青木淳さんのブログから1枚拝借)
    
    午後7時、仕事を終えた10人ほどが馬見原橋の上に集まった(asahi.comより)
    アクセス : 熊本交通センターから馬見原行バス「蘇陽病院前」下車、徒歩7分
            熊本空港から車で約1時間。九州自動車道御船ICから車で
    周辺の観光地
     くまもとアートポリス : 文化的資産として後世に残る優れた建造物を造り、建築と文化への
      関心を高める建築文化事業。1988年の開始以来、国内外の建築家による美術館や団地、交番、
      公衆トイレなど70のプロジェクトが完成した。町内には馬見原橋を含め5カ所ある。
     通潤橋 = 通潤橋(別掲)
     清和文楽館 : 地域に江戸時代から伝わる人形浄瑠璃「清和文楽」に関する資料や映像を展示。
      420円。[前]9時〜[後]4時半。[火]休み。
      定期公演は第2・4[日](7〜11月は毎週[日])の[後]1時半から。
      1260円、中学生840円、小学生630円。同町大平152。電話0967−82−3001
    参 : 山都町公式ウェブサイト山都町町商工会ホーページ山都町観光協会(HP)
もみじ谷大吊橋(もみじだにおおつりはし) = 栃木県那須郡塩原町大字関谷1425−60にある吊橋。
    「日本一の空中散歩」をキャッチフレーズとするこの橋は、栃木県那須塩原温泉を流れる
    箒(ほうき)川にかかる大橋で、総工費5億8千万円をかけて1999(平成11)年4月に完成し、
    全長320m、歩く幅が1.5mで、耐風索がある無補剛桁歩道吊橋としては日本一の長さを誇る。
    橋の両岸には、合わせて130台以上の駐車場まで有し、
    比較的大型のみやげものショップも併設されている。
    
    塩原湖上に架かる「もみじ谷大吊橋」
    施設渡橋料 : もみじ谷大吊橋の維持管理費用の一部として徴収。
     大人(中学生以下をのぞく)…個人300円、団体(20人以上)270円
     中学生・小学生・65歳以上の高齢者・障害者…個人200円、団体180円
     幼児(小学校就学前の者)…無料
    営業時間 : 8:30〜18:00(11月1日から翌年3月31日までの間は、8:30〜16:00まで)
    定休日 : 年中無休
    問合せ先 : 0287−34−1037
    参 : [YouTube](もみじ谷大吊橋を渡る)
夢の吊橋(ゆめのつりばし) : 静岡県榛原郡本川根町の南アルプスの山並みが眼前に迫る秘境
    奥大井・寸又峡を流れる寸又川を堰き止め造られた、大間ダムに架かる全長90m、高さ8mの鉄線の
    つり橋である。橋の真ん中で若い女性が恋の成熟を祈ると夢が叶うという、ロマンチックな吊り橋である。
    
    夢の吊橋(静岡の寸又峡)
    アクセス : 車で、東名高速 静岡IC〜国道362号〜千頭〜県道川根寸又峡線
    参 : 川根本町観光協会(HP)、[YouTube](夢の吊橋)、
        以下は夢の吊橋ではない。[YouTube](夢想吊橋)、[YouTube](夢想吊橋、渡るな危険)
横浜ベイブリッジ(Yokohama Bay Bridge)よこはまベイブリッジ : 1989(平成元)年9月27日に開通した
    神奈川県横浜市にある長さ860m(中央支間長460)の斜張橋(吊り橋)である。
    東京港方面と横浜港を結ぶ港湾物流の一端を担うことにより、
    都市部の渋滞を緩和する重要な輸送路である。
    本牧埠頭A突堤(中区)と大黒埠頭(鶴見区)とを結んでおり、上層部は首都高速湾岸線で、
    下層部は国道357号となっている。下層部も含めて125cc以下の自動二輪車は通行できない。
    また、歩道が無いため徒歩で渡ることもできない。
    大黒ふ頭側には橋脚の道路下にある展望台までの遊歩道「横浜スカイウォーク」(有料)があり、
    大型客船の通過時などは迫力のある風景を見学することができたが、2010(平成22)年9月に
    閉鎖された。上層部の制限速度は、開通当初は70km/hだったが現在は80km/hになっている。
    
    横浜ベイブリッジ
    
    マリーンタワーからの雨のベイブリッジ(2002.6.13撮影)
    参 : 首都高の名所、横浜ベイブリッジ首都高速道路株式会社HP
竜神大吊橋(りゅうじんおおつりばし) : 茨城県の北部、常陸太田市天下野町、下高倉町にある
    竜神峡にかかる吊橋で、歩行者専用橋としては本州一の長さを誇り、全長375m、
    水面からの高さ約100m。奥久慈県立自然公園に位置し、V字形の美しい渓谷の中を流れる
    竜神川をせき止めた竜神ダム湖の上に架かっており、橋からの景観はすばらしい。
    
    竜神大吊橋
    アクセス : 車で、常磐自動車道 日立南太田ICより45分。
            電車で、JR水郡線「常陸太田駅」より茨城交通下高倉または大子行きバスで45分、
            竜神大吊橋入口下車、徒歩20分。
    参 : 竜神大吊橋 公式サイト竜神大吊橋(常陸太田市観光サイト)、[YouTube](竜神大吊橋)
霊台橋(れいたいきょう) : 熊本県下益城郡美里町緑川に架けられたアーチ式石橋で、
    船津橋とも呼ばれる。橋長90m、高さ16.32m、幅5.45m。
    単一アーチ式石橋としては日本一の径間を誇っていたが、1998年に行われた調査で、
    大分県豊後大野市にある轟橋(1934年の架橋)と出會橋(1925年の架橋)の方が
    径間が広い事が分かり、日本3位の径間(28.4m)になっている。
    江戸時代後期の1847(弘化4)年に地元農民が協力して造られたという石橋で、
    両岸には、橋脚部の強度を増すために控えの石垣が築かれている。
    この橋の完成7年後に通潤橋は完成した。
    1967(昭和42)年6月15日に国の重要文化財の指定を受け、
    1980(昭和55)年より完成当時の姿に復元する工事が行われ現在に至る。
    
    下流側から望む霊台橋
    アクセス : 通潤橋のある山都町から西の松橋ICへ向けて国道218号を進み、
            山間部を越えて緑川の船津ダムを越えたところにある。
レインボウブリッジ(Rainbow Bridge) : 一般公募により付いた名で、俗にRBとも呼ばれるが、
    正式名称は「首都高速11号台場線・東京港連絡橋(臨港道路)」である。
    東京都港区の芝浦とお台場を結ぶ吊り橋で、1987(昭和62)年着工、1993(平成5)年竣工、
    同年8月26日供用開始。橋長798m、中央径間570m、塔の高さ(海面から)126m。
    通行路は瀬戸大橋横浜ベイブリッジと同様、上下2層構造になっている。
    上層には首都高速11号台場線、下層には中央部に新交通システム・ゆりかもめが、
    その両側に一般道路東京都道482号台場青海線(車道および歩道)が通っている(鉄道道路併用橋)。
    但し、原動機付自転車(50cc以下)は走行禁止となっている。
    下層の両外側には歩道があり、歩いて渡ることが可能である。
    しかし、自転車は乗り入れや手押しが禁止で、輪行袋に入れないと通れない。かつては、
    東京都道482号台場青海線が産業道路のため、お台場に人を入れることを嫌い有料だったが、
    現在はマンションなどができ、有料にすることが難しくなったため無料となっている。
    
    レインボウブリッジ
    
    東京湾クルージング船の「シンフォニー・モデルナ」よりのレインボウブリッジ(2010.8.6撮影)
    
    中央奥に東京タワーが見える
    
    レインボウブリッジの真下を通過
    
    日の出桟橋側より望むレインボウブリッジ
    
    夕暮れのレインボウブリッジ(Wikipediaより)
    
    年末年始限定で行われるライトアップ(2008年撮影、同上)
    参 : 施設概要レインボーブリッジ株式会社ゆりかもめHP)、東京ゲートブリッジ

































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