八幡宮関連(YSミニ辞典)
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石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう) : 京都府八幡市高坊の男山(標高142m)山頂に鎮座する神社で、
    男山八幡宮と呼ばれた時期もある。22社の上7社の一つであり、
    中世においては二所宗廟の一つとされ、近代社格制度においては官幣大社に格付された。
    「石清水」の社名は、もともと男山に鎮座していた石清水山寺(現・石清水八幡宮の摂社)に由来する。
    京都の鬼門(北東)にある比叡山延暦寺と対峙して京都の裏鬼門(南西)を守護する王城守護の神、
    王権・水運の神として皇室・朝廷より篤い信仰を受け、天皇・上皇・法皇などの行幸啓は250余を数える。
    また、源氏をはじめ、足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏など、
    多くの清和源氏が氏神として信仰したことから武神・弓矢の神・必勝の神として崇敬された。
    清和天皇が即位した翌年の859(貞観元)年の夏、空海(弘法大師)の弟子であった
    南都大安寺の僧・行教が宇佐神宮に参詣した折に「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」
    との託宣を受け、その翌年の860年、清和天皇の命により八幡神を勧請(かんじょう)して
    社殿を建立したのを創建とする。祭神は、
    中御前の誉田別命(ほんだわけのみこと)・第15代応神天皇、
    西御前の比淘蜷_(ひめおおかみ)・宗像三女神、
    東御前の息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)・神功皇后
    の三神で、「八幡大神」と総称する。石清水放生会(ほうじょうえ)は三大勅祭の一つ。
    宇佐神宮、筥崎宮とともに日本三大八幡宮の一つに数えられる。
    木津川の近く男山にあり神仏習合時代は多数の僧坊があった。
    吉田兼好の徒然草第五十二段「仁和寺にある法師」にも登場する。
    また本殿などの建造物16棟等が国の重要文化財に指定されている。
    参 : 石清水八幡宮公式ホームページ、[YouTube](石清水八幡宮)、エジソン
    男山ケーブル : 京阪本線の「八幡市駅」からすぐの京阪電車「ケーブル八幡市駅」と男山山上を結ぶ
     ケーブルカーで、路線全長400m、2輌の車両(13.8m)により単線中央行き違い方式で
     運転されている。所要時間は約3分、朝7時40分から夕方6時45分迄15分おきに運転されている。
     ケーブルの中程に高さ50m、日本一と称される橋脚があり、車窓から東方を望めば、
     眼下に木津・宇治両川を擁した南山城平野が一望でき、四季折々の風景が楽しめる。
     ケーブル男山山上駅から石清水八幡宮までの参道は「西参道」になる。
    参 : [YouTube](男山ケーブル)
    
    2台のケーブルカーの行き違い場所
    
    男山山上駅
    
    山上駅の近くにある鳥居
    
    三女神社(さんじょじんじゃ)。御祭神は宗像三女神。ケーブル側から登った西参道の最初にある建物
    
    社務所前の広場に3.シンボルタワーの湧峯塔(ゆうほうとう)
    
    神馬舎(じんめしゃ)。三の鳥居前にある
    
    三の鳥居。もとは、1645(天保2)年、永井信濃守大江尚政により建立された。
     現在のものは、1962(昭和37)年に再建。
    
    石畳の参道
    
    御羽車舎
    
    手水舎
    
    南総門より三の鳥居方面の参道
    
    奉納御献酒
    
   
 南総門
    
    南総門より本殿を臨む
    
    本殿側からの南総門
    
    改装工事中の本殿。手前が拝所、奥側が楼門
    
    本殿の廻廊
    
    重要文化財に指定されている「校倉(あぜくら)」
    
    左が住吉社、右が一童社「磯良命」
    
    手前から長田社、生田社「稚日女命」、広田社
    
    若宮社。御祭神は仁徳天皇
    
    同上
    
    若宮殿社。御祭神は応神天皇の皇女
    
    気比社(左)、水若宮社(右)
    アクセス : 京阪電気鉄道八幡市駅からケーブルカーで約3分、男山山上駅下車、徒歩約5分。
            八幡市駅から徒歩の場合は南へ約20分。
    問合せ先 : 075−981−3001(石清水八幡宮)
宇佐神宮(うさ・じんぐう) : 「宇佐八幡」や「宇佐八幡宮」は通称。大分県宇佐市南宇佐2859にある神社で、
    全国に約4万8千社ある八幡宮の総本社。皇室にとっては伊勢神宮に次いで格式が高いとされる。
    
    豊前国一の宮。祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)・
    大帯姫命(おおたらしひめのみこと)(神功皇后)および比売神(ひめかみ)
    奈良時代の725(神亀2)年に現在地に迎えられたと伝えられ、
    朝廷の崇敬があつく中世以降は武家の信仰をも受けた。
    769年に称徳天皇の勅使として神宮を詣でた和気清麻呂(わけのきよまろ)が神託を受け、
    皇位を望んだ道鏡の野望を阻(はば)んだとされる。
    現建物は、1855(安政2)年から1861(文久元)年の間に造替、1985(昭和60)年にも修理された。
    本宮の社殿は、檜皮葺白壁、朱漆柱で、奥の棟(内院)と前の棟(外院)を、
    それぞれ切妻屋根にし、その間を「宇佐の黄金樋」と呼ばれる雨樋が貫いている。
    国指定史跡であり、本殿の「八幡造り」という様式の代表建造物は国宝に指定されている。
    西大門(さいだいもん)前にある木造鳥居は宇佐鳥居(八幡鳥居)と呼ばれ
    県指定有形文化財に指定されている。
    
    西大門(県指定有形文化財)
    
    宇佐鳥居(県指定有形文化財)
    参拝の作法としては、上宮も下宮も同じで、向かって左の一之御殿→二之御殿→三之御殿の順に
    参拝し、出雲大社と同じ「二拝四拍手一拝」で行う。
    参 : 宇佐神宮(HP)
    
    宇佐神宮の宮司職 法廷闘争へ
     全国八幡宮の総本社・宇佐神宮(宇佐市南宇佐)の後任宮司職をめぐり、
    神社本庁(東京都)や県神社庁、同神宮の神職らと、代々宮司を世襲してきた
    到津(いとうづ)家や責任役員の一部が対立する状態になっている。
    2008年8月に死去した池永公比古(きみひこ)・前宮司の後任として、
    2009年2月26日付で県神社庁長の穴井伸久氏(60)=玖珠町瀧神社宮司=が就任。
    これに対し、到津家などの側が「本庁側に人事を支配する権限はなく認められない」と反発し、
    長く宮司を世襲してきた到津家の長女・克子(よしこ)権宮司(40)を初の女性宮司に決め、
    神社本庁に脱退届を提出するという事態に発展した。
     穴井氏によると、神社本庁からの宮司職の辞令は、通例で任期が3年程度の「特任」。
    克子さんは異例のスピードで権宮司まで昇進したため、「勅祭社(ちょくさいしゃ)
    宮司を継ぐには早すぎ、本庁から『経験が浅いのでもう少し待つように』と指摘があった。
    調整した結果、庁長のわたしが入るのが問題ないと判断した」と説明。
    「いずれ、しかるべき人に継いでもらうつもり」と話している。
     一方、到津家側の同神宮責任役員賀来昌義さん(70)は
    「本来なら宮司は氏子や責任役員が認めないとなれず、政教分離の原則に反する」と主張。
    さらに、「本庁が『(穴井氏の)任期は無期限と言っている』という話もあり、
    神宮を乗っ取ろうとしているのは明らか」と不信感を募らせる。
    新たに責任役員や氏子総代とした7人を含む9人で、本庁からの脱退を2月24日に決議し、
    27日に脱退届を提出。本庁からの離脱を求めて法廷闘争に入ろうとしている。
    皇室第二の宗廟(びょう)で起きたお家騒動。地元住民の一人は「大変残念。
    イメージダウンにつながるので一刻も早く正常化してほしいのだが…」と気をもんでいる。
    宇佐神宮の宮司 : 南北朝時代から到津、宮成両家が務め、戦後は到津家が単独で世襲。
     1973(昭和48)年から宮司を勤めた到津公斉(きみなり)氏(2009年1月に死去)が
     体調を崩していたことから、2005年4月に一人娘の克子さんが禰宜(ねぎ)
     就任(2007年10月から権宮司)した。
     2006年5月に「克子さんが十分な経験を積むまでの間」として
     薦(こも)神社(中津市)宮司の池永氏が宮司を引き継ぎ、死去後は空席となっていた。
遠石八幡宮(といしはちまんぐう) : 山口県周南市遠石2−3−1にあるお宮(八幡宮)で、
    宇佐神宮石清水八幡宮、鶴岡八幡宮とともに日本四大八幡宮の一つである。
    御祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)
    三女神(多伎津姫命・市杵島姫命・田心姫命)で、厄除け開運・家内安全・安産・
    海上、交通安全・商売繁盛・合格祈願などの諸願に成就ありとされている。
    622(推古天皇30)年の春、大分の宇佐八幡宮から分霊したといわれ、
    708(和銅元)年には社殿を造営し大社となり、平安朝以後は石清水八幡宮別宮となり
    本朝四所八幡の一つと称せられた。また毛利徳山歴代藩主も氏神として篤く崇敬され、
    周防国の大社として諸国より広く参詣を集め大いに賑わった。
    かつて門前は旧山陽道、その先は白浜で、各地より参詣があった。
     秋季例祭の鉢巻姿の赤ちゃんにみこしの下をくぐらせて健やかな成長を願う儀式、
    「赤子参り」がよく知られている。1月1日には、歳旦祭や奉納新酒鏡開きなどが行なわれる。
    毎年、正月3が日で20万人の参拝者が訪れる遠石八幡宮は、山口県下で2番目に多い大社である。
    2月3日は節分祭で、9時から15時まで厄除けぜんざいの無料接待(甘党の人は早く行かないと
    2時ごろにはなくなるそうである)やクジ付き福豆販売などがあり、
    クライマックスは午後4時からの豆まきで、毎年、境内いっぱいの参拝客で埋め尽くされる。
    12月1日には、今年の干支のジャンボ絵馬を来年の絵馬に取り換える行事がある。
    銅造洪鐘(どうぞうこうしょう) : 二の鳥居をくぐった右手の丘にある大きな洪鐘(釣り鐘)で、
     壇ノ浦源平合戦の4カ月前、1184(元暦元)年に内藤盛家と源範頼がこの地で戦った際、
     流れ矢が鐘に当たり、音が悪くなった。そのため1316(正和5)年に
     新しい釣り鐘が造られたがやはり音が悪く、この2口を合わせて1320(元応2)年に
     5年の歳月をかけて鋳造修理されたことがこの鐘の銘文に記されている。
     鎌倉時代の技法をよく表している洪鐘で、周南市の文化財に指定されている。
      通常、周囲の住民に鐘の音がよく聞こえるように、拝殿のそば辺りの高台に設置されるが、
     平地の雑木の中に置かれているのは何故だろうか?

    
    
    
    
    
    振り返ると、山陽新幹線と石油コンビナート(出光)が見える
    
    神門
    
    拝殿
    
    このジャンボ絵馬に「世間で暗いニュースが多い中、親子や群れで過ごすウサギの姿を通じて、
    家庭円満や平和を願うメッセージを込めた」と同八幡宮の黒神直大禰宜(ねぎ)(48)。
    13日にすす払い、25日にみこの研修会をして新年を迎える準備を整える。
    正月三が日の初詣で客は例年並みの20万人を予想している。詳細は絵馬で。

    
    
    
    右側は儀式殿
    
    茅の輪くぐり(フォト蔵より)。新年を迎えて半年経った6月1日、
    後半の無病息災を祈願する茅の輪くぐりがあり、拝殿の前に1カ月間茅の輪が設営される。
    夏を健やかに過ごせるよう祈る夏越(なごし)の大祓(おおはらえ)神事の一つ。
    拝殿前に直径約2mの茅の輪が設置され、参拝者は輪をくぐれば長生きできるという意味の
    独特の言葉を唱えながら左、右、左と交互に八の字を描くように輪をくぐり、この夏の健康を祈る。
    人の形をした紙に息を吹きかけて罪やけがれを移し、
    茅の輪をくぐって身を清める「人形(ひとがた)祈願」も受け付けている。
    神事は6月いっぱいまで。最終日の30日午後4時からは「大祓式」があり、
    当日は同1時から厄よけの和菓子「水無月」150食の接待もある。

    アクセス : JR山陽本線・山陽新幹線の徳山駅から、防長交通バス中央線経由下松駅北口行きで
            10分程度。遠石八幡前下車すぐ。徳山駅から徒歩30分。駐車場:100台(無料)
    参 : 遠石八幡宮(HP)、遠石会館(HP)
富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう) : 江東(こうとう)区門前仲町にある東京都最大の八幡神社で、
    「深川八幡宮」とも呼ばれる。建久年間に源頼朝が勧請した富岡八幡宮(横浜市金沢区富岡)の
    直系分社である。主祭神は品陀和気命(ほんだわけのみこと、応神天皇の諡号)で、
    息長足姫命(神功皇后)、大雀命(仁徳天皇)、天児屋根命、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
    常磐社神を配祀(はいし)、竃神・日本武尊の合祀、計八柱が祀られている。
    その他、境内には各地から勧請された末社が計17社におよぶ。
    天平宝字(てんぴょうほうじ)年間(757〜765)の創建と伝えるが、
    『江戸名所図会(ずえ)』には源三位頼政(げんざんみよりまさ)が尊崇した神像を
    千葉・足利(あしかが)両氏が伝え、のち太田道灌(どうかん)の守護神になるという。
    1627(寛永4)年に当時「永代(えいたい)島」と呼ばれていた現在地に御神託により創建された。
    周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて60,508坪の社有地を得、
    源氏の氏神である八幡大神を尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受けた。
    また、江戸下町(したまち)の繁盛につれて町民層にも「深川の八幡様」と親しまれ、
    とくに深川木場(きば)の尊崇を集めた。広く美麗な庭園は人気の“観光名所”であったという。
    大相撲発祥の地でもある。敷地内には江戸時代の測量家である伊能忠敬の像がある。
    伊能忠敬は、当時深川界隈に住居を構え、測量の旅に出かける際は、
    安全祈願のために、富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたことから、
    2001(平成13)年に当八幡宮の境内に銅像が建立された。
    8月15日が例祭で、前後3日間の盛大な神輿(みこし)渡御と水かけ祭りが「深川祭」として有名で、
    神田明神の「神田祭」、永田町の日枝神社の「山王祭」とともに江戸三大祭りの一つである。
    毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せている。
    毎月第一・第二日曜日は骨董市が、毎月15日・28日はフリーマーケットが開催されている。
    
    富岡八幡宮
    アクセス : 東京地下鉄・東西線「門前仲町駅」より徒歩3分
            都営地下鉄・大江戸線「門前仲町駅」より徒歩6分
    参 : 富岡八幡宮(HP)
筥崎宮(はこざきぐう、はこざきみや) = 筥崎宮(別掲)
八幡宮(はちまんぐう) : 八幡大神、即ち第15代応神天皇をお祀りする神社であり、
    武運長久を願って武士に厚く信仰され、全国に3万ないし4万社あると言われている。
    八幡神には武運長久のほかにも厄除けのご利益があることで知られ、
    また応神天皇誕生時のエピソードから安産の神としても有名。
    参 : 筥崎宮遠石八幡宮若宮八幡宮(HP)、参拝



































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