YSミニ辞典(ほ)
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法起寺(ほうきじ、ほっきじ) : 奈良県生駒
(いこま)郡斑鳩
(いかるが)町大字岡本1873番地にある
法相
(ほっそう)宗系の聖徳
(しょうとく)宗に属する寺院。山号は「岡本山」で、岡本寺、岡本尼寺、
池後
(いけじり)寺、池後尼寺とも呼ばれ、岡本宮
(おかもとのみや)の旧跡でもある。
本尊は十一面観音
(かんのん)。622(推古天皇30)年2月
聖徳太子薨去
(こうきょ)に際し、
聖徳太子が『法華経
(ほけきょう)』を講じた岡本宮を山背大兄王
(やましろのおおえのおう)が寺に改め、
大和
(やまと)国(奈良県)や近江
(おうみ)国(滋賀県)の田地を施入したことに始まる。
638(舒明天皇10)年に福亮は金堂と本尊弥勒
(みろく)仏像を造立し、684(天武天皇13)年に
恵施は三重塔を建造し、706(慶雲3)年3月には露盤銘を刻んで、法隆寺型結構が整った。
ただ本堂と塔の配置は法隆寺と逆である。白鳳
(はくほう)時代のこの三重塔は法隆寺五重塔よりも
さらに洗練された技法をもつ優雅な建築で、国宝に指定されている。寺は
鎌倉・
室町時代に衰微したが、
1678(延宝6)年に真政律師が学舎を修復するなど、近世に至って徐々に整備された。
寺宝に虚空蔵菩薩
(こくうぞうぼさつ)と称する金銅菩薩像(
飛鳥時代、国重要文化財、
奈良国立博物館に委託)がある。
法隆寺、
四天王寺、
中宮寺などと共に、
聖徳太子建立七カ寺の一つに数えられているが、寺の完成は太子が没して数十年後のことである。
明治維新後は、本寺法隆寺と共に
真言宗の所轄となったが、1882(明治15)年
法隆寺が
興福寺と共に法相宗に独立したのにともない、法相宗の小本山となった。
しかし、1950(昭和25)年法隆寺が聖徳宗を開宗したため、当寺も聖徳宗の本山の一つに なっている。
1972(昭和47)年には三重塔の解体修理に着手し、1975(昭和50)年に完成したのに続いて、
1978(昭和53)には講堂の修理を行い、1982(昭和57)年には重要文化財の
十一面観音菩薩像を安置する収蔵庫を新設している。
「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として世界遺産に登録されている。
境内の中ほどにある池(以下2011.10.11撮影)
聖天堂(しょうてんどう)。1863(文久3)年2月、当寺住僧順光の発願によって建立されたもので、
本尊歓喜天像を安置しているgazo-houkiji_ike.jpg
講堂。本堂として1694(元禄7)年3月(棟札による)に再建されたもの
三重塔。708(慶雲3)年の創建で、現存最古の三重塔(高さ23.9m)
コスモス畑よりの三重塔
南大門(表門)。三重塔の南方に当寺の正門として建つ四脚門で、建立年代は、江戸初期と考えられる
拝観時間 : 午前8時30分〜午後5時(2月22日〜11月3日)
午前8時30分〜午後4時30分(11月4日〜2月21日)
拝観料 : 大人300円
アクセス : JR法隆寺駅下車、北東へ2.5km
近鉄郡山駅から奈良交通バス(50・97系統)18分「法起寺前」下車すぐ
参 :
法起寺公式ホームページ