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法隆寺(ほうりゅうじ) : 奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町にある仏教・聖徳宗(しょうとくしゅう)
    総本山である。別名に斑鳩寺(鵤寺、伊可留我寺とも書く)、法隆学問寺などがある。南都七大寺の一つ。
    法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子こと厩戸王(うまやどおう)ゆかりの
    寺院である。創建は同じく聖徳太子ゆかりの寺院である大阪の四天王寺より約20年後の
    607(推古天皇15)年とされる。金堂(こんどう)、五重塔を中心とする西院伽藍(さいいんがらん)と、
    夢殿(ゆめどの)を中心とした東院伽藍に分けられる。境内の広さは約18万7千平方メートルで
    西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。法隆寺の建築物群は法起寺と共に、
    1993(平成5)年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
    
    法隆寺説明板(以下2010.7.27撮影)
    
    法隆寺伽藍配置図。拡大境内図はこちら
    
    南大門の立て札
    
    法隆寺の玄関にあたる国宝の「南大門(なんだいもん)」前。創建時のものは、1435(永享7)年に
    焼失し、1438(永享10)年に現在の門が再建された。三間一戸の八脚門で、単層入母屋造。
    東大寺南大門(奈良県奈良市)・東照宮陽明門・日暮門(栃木県日光市)とともに、
    日本3大門のうちの一つである。

    
    同上近影
    
    南大門(法隆寺側)
    
    地蔵院
    
    南大門から中門までの長い石畳。石畳の石は1985(昭和60)年に中国から輸入して設置された。
    
    聖徳宗宗務所。元は「上土門(あげつちもん)」といって、屋根の平面な板上に土で屋根の形を造り、
    その土屋根に花などを植えた風流な門だったが、現在は移設されて「寺務門」として使われ、
    上部の土は取り除かれて桧皮葺となっている。

    
    護摩堂
    
    正面の建物が国宝の中門(ちゅうもん)。左は国宝の五重塔、右の松の向こうに国宝の金堂がある
    
    中門前の手水舎
    
    
    
    国宝の「東大門(とうだいもん)」。西院伽藍(さいいんがらん)と東院伽藍(とういんがらん)の間に
    建っていることから「中ノ門」ともよばれる。出入口から見える屋根は東院の夢殿。
    この門は、切妻造、本瓦葺で奈良時代八脚門の典型的な形式の珍しい三棟造りの山門である。
    三間一戸の八脚門で、天平時代のものとしては、他に東大寺の転害門があるのみである。

    
    西大門(にしだいもん、にしおおもん)。1035年に造立されたが、1684年に焼失し、
    1697年の江戸時代に造られたことから、番所とともに重要文化財にもなっていない

    
    同上、近影
    
    西大門入口
    
    西大門近くの大湯屋表門
    
    西院伽藍(さいいんがらん)への入口である国宝の「中門」
    
    中門近影
    
    中門の左右に立つ塑像の仁王像(向かって右側が口を開いた阿形像:あぎょうぞう)
    
    同上(左側が口を閉じた吽形像:うんぎょうぞう)
    
    中門の左横にある世界遺産登録の記念碑(平山郁夫書)
    
    高さ約31.5m(基檀上より)で、我が国最古の「五重塔」(国宝)。
    建物や内部の仏像、仏具などを湿気から守るために、
    この五重塔のほか金堂、夢殿、玉虫厨子の基礎は二重(二成)基壇になっている。

    
    同上(南正面)
    
    五重塔の前にある礼拝石
    
    世界最古の木造建造物「金堂」。法隆寺の本尊が安置されている国宝の殿堂
    
    同上
    
    金堂の前庭にある礼拝石
    
    経典を納める施設として奈良時代に建立さた国宝の「西院経堂(さいいんきょうどう)」
    
    国宝の西院鐘楼(さいいんしょうろう)。吊されている梵鐘は白鳳時代のものだが、建物は
    925(延長3)年に落雷によって焼失し、現在の鐘楼は経蔵の様式にならって再建されたものである。
    昔は時間の告知のために鐘をついていたが、今では年中行事のみに使われている。

    
    鏡池そばの手水舎
    
    同上
    
    聖徳太子を供養する殿堂で聖徳太子像が祀られている「聖霊院(しょうりょういん)」。
    東室の18房の内3分の1に当る6房が倒壊したので
    1121(保安2)年の再建の際屋根を高くして独立の堂とした。

    
    同上
    
    左の聖霊院の奥が「東室」で、右の建物は「妻室」
    
    1998(平成10)年に落成した「大宝蔵院(だいほうぞういん)」。
    百済観音(観音菩薩立像)が安置されているので、百済観音堂とも呼ばれ、伽藍というより博物館である

    
    同上
    
    同上
    
    西茶所
    
    西茶所横の石碑
    
    弁天池
    
    三経院(さんぎょういん)。法華経、勝鬘経、維摩経の三経の解説を行ったので三経院と呼ばれる。
    奥行(桁行)は19間で東室でより一間長い。

    
    西室(にしむろ)。西室は焼失後の再建で、三経院に南側の7間を使い、残りの12間を西室としている。
    
    宝珠院(ほうじゅいん)
    
    西円堂(さいえんどう)の手水舎
    
    西円堂。天平時代に光明皇后の母君である橘夫人の発願で行基が建立したが
    強風で倒壊、鎌倉時代に再建された。

    
    同上
    
    同上
    
    同上
    
    同上。右端の西円堂の東側にある鐘楼は 明治22年に立てられた「時の鐘」で、
    この鐘の音がかつてあった茶屋「柿茶屋」でこの鐘を聞いて詠んだという
    正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」のものである。

    
    西円堂の奥にある「薬師坊」
    
    東院通用門の「四脚門(よつあしもん、しきゃくもん)」
    
    四脚門
    
    東院伽藍「夢殿(ゆめどの)」入口
    
    東院の手水舎
    
    八角でありながら円堂と呼ばれ、東院の金堂といわれる「夢殿」は平安時代の命名で、
    それまでは「八角仏殿」「八角円堂」「正堂」などと呼ばれていた。聖徳太子が住まわれた斑鳩宮跡に、
    行信僧都(ぎょうしんそうず)という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで739(天平11)年に建てた
    伽藍を上宮王院(東院伽藍)といい、その中心となる建物がこの夢殿である。
    八角円堂の中央の厨子(ずし)には、聖徳太子等身と伝える秘仏救世(くぜ)観音像(飛鳥時代)を安置し、
    その周囲には聖観音菩薩像(平安時代)、聖徳太子の孝養(こうよう)像(鎌倉時代)、
    乾漆の行信僧都像(奈良時代)、平安時代に夢殿の修理をされた
    道詮律師の塑像(平安時代)なども安置されている。

    
    同上
    
    現存最古の遺構である東院の「袴腰(はかまごし)付鐘楼」。
    内部には「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊るされている。

    
    絵殿、舎利殿。舎利殿は聖徳太子が2才の春に、合掌された掌中から出現したという舎利を安置する
    建物で、絵殿には聖徳太子一代の事蹟を描いた障子(しょうじ)絵が納められている。

    
    同上
    
    舎利殿前の燈篭
    
    銅造観音菩薩立像(夢違観音)法隆寺蔵。大飛鳥展パンフレットより
    参 : 法隆寺(HP)
    
    法隆寺一般参拝券(原寸148×58mm)
    

    同上、裏面
中宮寺(ちゅうぐうじ) : 奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺に隣接する、聖徳太子ゆかりの寺院である。
    宗派は聖徳宗に属す。山号を法興山と称し、本尊は如意輪観音、
    開基(創立者)は聖徳太子または間人皇后とされている。
    
    中宮寺入口。右側が正門で左側が料金所のある通用門
    
    中宮寺境内
    
    中宮寺本堂
    
    中宮寺本堂正面
    
    同上
    
    中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像
    
    天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう )。
    
    天寿国曼荼羅繍帳部分。パンフレットより
    参 : 中宮寺(HP)



































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