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今治城(いまばりじょう) :  伊予今治城。 伊予国越智郡今治(現・愛媛県今治市通町3−1−3)にあった
    全国的にもまれな海水を堀に引き入れた海岸平城で、別名に「吹揚城(ふきあげじょう)」がある。
    1602(慶長7)年6月、伊予半国20万3000石の大守・藤堂高虎(とうどうたかとら)によって
    築城開始され1604(慶長9)年9月に完成した。普請奉行として渡辺勘兵衛の名が知られる。
    築城名人といわれた藤堂高虎が築いた城としては、三重県の伊賀上野城や
    和歌山県の和歌山城などが有名であるが、この今治城も高虎の縄張りによって築かれている。
    藤堂高虎は1556(弘治2)年に近江国犬上郡藤堂村に生れ、1630(寛永7)年に75歳で亡くなった。
    今治城完成以前の今治の支配拠点は、唐子山山頂にあった国府城であったが、
    より能率的な都市経営を目指すため築城された。
    構造は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ
    直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっていた。
    日本三大水城の一つに数えられている。二之丸に藩主館、中堀以内に側近武士の屋敷、
    外堀以内に侍屋敷、城門が9カ所、櫓が20カ所と非常に広大な造りだった。
    1609(慶長14)年、高虎が伊勢国津城に移封となり、
    同時に天守は丹波国亀山城に移築されたと伝わる。
    高虎自身は移封されたが今治領2万石は飛び地として残り養子の高吉が居城した。
    1635(寛永12)年、高吉は伊賀国名張に移り、代わって伊勢国長島城より松平(久松)定房が入城し、
    以後、明治維新まで今治藩・久松松平氏の居城となった。
    広大な城郭は江戸260年間保たれたが、明治維新以後、廃城令によりに建築物は破却された。
    石垣と内堀が残っていたが1980(昭和55)年)10月、
    市制60周年記念事業として5重6階の天守が鉄筋コンクリートで建てられた。
    同じ年に「武具櫓」を、1985(昭和60)年に「御金櫓(おかねやぐら)」を、
    そして1990(平成2)年に市制70周年記念事業として「山里櫓」が再建された。
    2007(平成19)年9月、可能な限り江戸時代の史実に基づき、
    「鉄御門(くろがねごもん)」が石垣や「多聞櫓(たもんやぐら)」5棟ともに復元された。
    天守閣は展望台、展示室になっており、武具、甲冑、刀剣など約2500点を常設している。
    天守最上階からは、しまなみ海道の来島海峡大橋が見えるなど、瀬戸内を眺望することができる。
    また、本丸広場には藤堂高虎の像があり、今治城さつき展、菊花展・盆栽展の開催、
    春祭りの継獅子競演が行われる。
    
    天守閣と多聞櫓(遠景)
    
    天守閣と多聞櫓(近景)。手前は山里櫓に通じる道
    
    藤堂高虎により建立された海水を堀に引きこんだ今治城。左が山里櫓、右が天守閣
    
    山里櫓と門(三の丸北西隅)。市制施行70周年記念事業として1990(平成2)年に再建
    
    二の丸山里からの今治城天守閣。1980(昭和55)年復元
    
    天守閣と多聞櫓(遠景)
    
    山里櫓(左奥)と天守閣(右上)
    
    黄金町三丁目の美須賀中学校側より天主閣を望む(遠景)
    
    黄金町三丁目の美須賀中学校側より天主閣を望む(近景)。右は吹揚神社
    
    御金櫓(二の丸南東隅)。天守の5年後、1985(昭和60)年に復元された。
    福岡城跡ほどひどくはないが、石垣に生えている雑草は、美しい城壁をだいなしにしている。
    城は城壁が命だから、雑草を取り除く予算くらいは計上してほしいね

    
    御金櫓
    
    北東側(駐車場)より望む天守閣
    
    北東方面の全景
    
    武具櫓と天守閣
    
    今治城石碑
    
    鉄御門への道だが、お堀を分断している
    
    武具櫓(三の丸北東隅)。1980(昭和55)年復元された。
    松の下の堀と石垣の間に作られた細長い余地が犬走りで、これにより堅牢な築城が可能となった。

    
    右奥に城郭への入口「鉄御門」が見える
    
    再現された野面積石垣と勘兵衛石
    
    鉄御門(くろがねごもん)。門を閉じるとわずかな隙間ができるが、
    これは門を閉じても敵方の槍を隙間から払い上げられるようにした高虎の工夫である。

    
    鉄御門の城内側
    
    鉄御門の城内側
    
    今治城(模擬天守)。今治市制60周年を記念して1980(昭和55)に復興された天守である。
    
    築城の名手・藤堂高虎公の騎馬像(彫刻家・中村晋也氏により2004年に制作)
    
    二の丸から見た天守(遠景)
    
    二の丸から見た天守(近景)
    
    本丸表門の左サイド
    
    城郭入り口(天守台下の本丸表門)
    
    本丸表門入口から天守を見上げる
    
    本丸表門の城内側
    
    天守閣と天守閣入り口。入場料400円(櫓などの見物も含む)
    
    天守閣入り口
    
    天守内の展示物
    
    天守内の展示物
    
    6階展望台から武具櫓(北)方面を望む。海水の堀だけに海が近い
    
    城内に残された当時の井戸(蒼吹の井)。周りは海水だが真水が湧いている
    
    6階展望台から武具櫓(北)方面を望む
    
    6階展望台から御金櫓(東)方面を望む
    
    天主より山里櫓を望む
    
    山里櫓
    
    武具櫓
    
    武具櫓の遠景
    
    武具櫓内の展示物
    
    昔のままの復元と思うが、サイドの照明は蛍光灯で櫓内とは思えない
    
    二の丸からの山里櫓
    
    
    
    山里門
    
    お帰りはこちら。右方向に駐車場がある
    
    観覧券(表)。原寸は16.6×8cm。
    
    観覧券(裏)
    参 : 伊賀上野城今治市(HP)






















































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