医王寺(YSミニ辞典)

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医王寺(いおうじ) : @福島県福島市飯坂町平野字寺前45にある真言宗豊山派の寺院。
    山号は芙蓉(ふよう)山瑠璃光寺。平安時代の826(天長3)年の伝空海の開基で、
    弘法大師作の薬師如来をまつっている。治承の昔(1177年頃)信夫の荘、
    佐藤基治が佐藤一族の菩提寺として医王寺を隆盛に導いたとされ、
    薬師如来は佐藤一族の念持仏として奥の院・薬師堂にまつられ、
    「鯖野お薬師様」として親しまれている。京都を離れ奥州藤原へ下向の途中、
    義経と弁慶は、医王寺に参籠し、二人の遺髪を埋め、追悼法要を営んだといわれている。
    元禄2年5月「奥の細道」の途中医王寺を訪れた松尾芭蕉は、
    佐藤兄弟を偲び「笈(おい)も太刀(たち)も五月に飾れ紙のぼり」と詠んでいる。
    句意は、「五月の初めなので(あちこちに)紙幟がひるがえっている。
    笈も太刀も飾って(端午の節句を祝ってもらいたい)」。
    その笈は今もこの寺の宝物殿に安置されている。
    境内に、源義経の臣佐藤継信・忠信と親の佐藤基治夫妻の墓がある。
    参 : 芙蓉山医王寺(HP)、医王寺(福島の歴史あっち・こっちHP)、福島市観光物産協会(HP)
   A福島県いわき市にある曹洞宗の寺院。見瀧山医王寺は、807(大同2)年、東国に下向した
    徳一大師によって開山されたと伝えられている。1547(天文18)年に逝去した
    平城主岩城常隆公の次子隆吉公が再興し、1608(慶長13)年、
    龍門寺十二世通岩宗眠大和尚を請じて開山、曹洞宗になった。
    本堂は1699(元禄12)年に焼亡し、10年後に上荒川の庄屋沢田氏が金百両を寄進して再興、
    その後度々の修復を重ねて現在に至っている。
    参 : 見瀧山医王寺(HP)
   B石川県加賀市(旧江沼郡山中町)山中温泉薬師町(やまなかおんせんやくしまち)にある
    高野山(こうやさん)真言宗の寺院(準別格本山)。もとは山中護持明院(ごじみょういん)といわれた。
    日本三薬師の一つ。薬師如来(にょらい)の霊告によって温泉を発見した行基(ぎょうき)が、
    自刻の薬師如来を安置したのが草創の由来である。その後、一時廃れたが、
    源頼朝(よりとも)の家臣長谷部信連(はせべのぶつら)がふたたび湯の湧(わ)くのを発見し、
    地中からみつけた薬師如来を祀(まつ)る堂を建て、国分山(こくぶざん)医王寺とした。
    境内には「甘露水」とよばれる甘い水が湧き、手水として引かれている。
    温泉入浴客の心身のやすらぎのお薬師さんの寺として親しまれ、
    山中節では、『東や松山、西薬師』と唄われた。国指定重要文化財の陶製の金剛童子立像、
    町指定文化財の山中温泉縁起絵巻2巻、芭蕉の忘れ杖等が収蔵されている。
   C栃木県鹿沼市(旧上都賀郡粟野町)にある真言宗豊山派の寺院。
    日光開山勝道上人により765年に創建され、弘法大師ゆかりの寺「東高野山」と呼ばれている。
    広大な境内(3万坪)には金堂・唐門・弘法大師堂・講堂・客殿など、壮大な建物が立ち並んでいる。
    中でも絢爛な彫刻で飾られた唐門が有名で、27件にも及ぶ県指定重要文化財が収蔵されている。
    
    医王寺山門
    
    医王寺金堂
    参 : 東高野山医王寺(HP)
   D千葉県柏市鷲野谷510にある浄土宗の寺院で、1461(寛正2)年に信州洗馬の人で、
    増上寺三世聖観の高弟であった經譽愚底運公上人によって開創された。
    当地には、新四国八十八所霊場があり、薬師を祀るところから八十八番結願寺となっている。
    参 : 東光山医王寺・安楽院(HP)
   E千葉県松戸市中金杉4−189にある真言宗豊山派の寺院。松戸七福神の「毘沙門天」が祀られている。
   F東京都葛飾区柴又5−13−6にある真言宗豊山派の寺院。山号を薬王山、院号を瑠璃光院、
    そして寺号を医王寺と称する。本山は奈良県桜井市の『長谷寺』。
    建立は応永十四年(1407)で、仁和寺の観見(かんけん)によるという伝がある。本尊は薬師如来。
    当時流行した赤目病平癒の祈願所として建立された旨の当山二十五世博道による覚え書きがある。
    建立後間もなく、小田原の北條氏と安房の里見氏が利根川(現在の江戸川放水路)を挟んで対峙し、
    当山は北條方の陣屋として使用されたため、什物の大部分が失われたが、
    天文7年(室町戦国時代)源珍(げんしん)僧都により中興された。源珍が宗祖弘法大師の足跡を巡行中、
    村人より一体の恵比寿天を戴かれ、山中に安置し香華供物を供え21日間の御修行をすると、
    川底より砂金を掬い上げた。後に恵比寿天を礼拝すれば商人は金銭意の如く集まると唱え、
    多くの世人に広めた。しかし、源珍没後はふたたび長期にわたって無住(住職のいない空き寺)となった
    期間が多かったため、多くの資料が散逸した。中興祖源珍は、当山に恵比寿天を由来した人物で、
    1936(昭和11)年に蕎麦地蔵尊像として二十四世隆道により境内に祀られた。
    当山代々住職は、その偉業を尊び伝承し今日に至らしめたものである。
    七福神の一つ恵比寿天は日本古来からの神様で、主に漁猟と海運、商売繁盛の神様と言われている。
    安置されている恵比寿様は右手に釣り竿を持ち、左手に帯を抱えている。
    恵比寿天像は、本堂に祀られている。
    彼の蕎麦供養恵比寿天勧進伝により、戦前から昭和40年代にかけて、
    東京都麺類共同組合及び東京都麺業連合会などの蕎麦店を中心とした組合から篤い信仰を受け、
    正月や地蔵縁日には、医王寺近隣の人々のために、無料で蕎麦のふるまいが盛んに行われていた。
    蕎麦店が講元となる「えびす講」ができ、護摩祈願の団体参拝で頻繁に当山を訪れた。
    昭和19年、戦災により本堂が焼失した際にも、同組合らの協賛により復興した。
    
    山門の左横にある「医王寺由来」の立て札
    
    薬王山医王寺山門
    
    薬王山医王寺山門近影
    
    口を開けた「阿像」。一般に仁王像は、元は武器で、後に仏教の祭具となった「独鈷杵(とこしょ)」を
    手に握っているが、ここの阿像は長い槍は握りこぶしの上に置かれているだけで握っていない。
    盗難にあったりして槍で代用しているのだろうか。

    
    口を閉じた「吽像」
    
    境内側からの山門
    
    山門2階の各コーナーに鎮座する仁王像
    
    同上
    
    同上
    
    同上
    
    薬王山医王寺全景
    
    薬王山医王寺近景
    
    薬王山医王寺境内の地蔵
    
    同上
    
    薬王山医王寺前の弘法大師
    医王寺住職に訊く柴又七福神巡拝のコツ
    1.巡拝をより有意義にする心がけについてお訪ねしてみました。
    Q.そもそも、「七福神めぐり」とはいったいどのようなものですか?
    A.仏教学博士「中村 元」先生の解説にあるように、俗信のひとつだと私は考えています。
     私たち仏教徒の立場からは、「仏教とは少し違うけれども、小さなお寺にも足を運んでもらえ、
     納経と布施の朱印授与によって仏教の裾野を広げることに寄与するので、
     霊場巡拝と同様に奨励する。」といったところでしょうか。
     巡拝のやり方も霊場巡拝と同じような方式がとられています。
    Q.どんな意義があるのでしょうか?
    A.七福神に求めるものは人によって違います。どこからお詣りしてもかまわないという意味では、
     霊場巡拝とも少し違っています。この場合は、巡拝しながら七福神おのおのが持つ
     「徳(例えば当山の恵比寿天は「律儀の徳」があります)」が己の身につくように、とひたすら念じ、
     実生活でもそれらの「徳」を活かすことで、自分自身が幸福な人生を歩むことが目的であると、
     私は解釈しています。「商売繁盛」といったご利益(りやく)は、
     徳を身に纏(まと)った結果としてついてくるのではないでしょうか。
    Q.スタンプラリーと納経朱印の違いを教えて下さい。
    A.スタンプラリーは特定の地点に到達することが目的で、
     スタンプはチェックポイント通過の証明として自分で捺印します。
     納経朱印はお布施を添えて、写経(書写したお経)を祈願を込めて参拝奉納し、
     その善き行いを顕彰するため、寺院の側が朱印を授与するものです。
     多くの神社仏閣を参拝する人は、通常は納経帳(朱印帳)を使用します。
    Q.なるほど、無料と有料の違いというわけではなかったのですね。
    A.有料無料というのは、物やサービスへの対価という意味で、商人の立場からいう言葉なので、
     この場合はあてはまるかどうか疑問です。もともとは、人それぞれの願いや祈りの内容により、
     喜捨金としての金額が異なる「お布施」であったのが、寺務の煩雑さや窓口の混雑解消のために、
     7カ寺で金額統一をしたからです。柴又の場合は、納経帳が300円、色紙が200円で合意しました。
    Q.柴又七福神オリジナル色紙(しきし)はどのような位置づけになりますか?
    A.納経帳の省略型です。より大切なのは、祈りと布施の心であることは、説明した通りです。
     しかし、近年お姿を印刷した色紙や半截(はんせつ)などに朱印を捺し、
     表装後に軸装したりして装飾される方も増加してきました。お詣りの余録というわけですね。
     もともと、納経帳も表装が前提として作られていますので、
     元の意味をさほど失わずに納経窓口の混雑解消になると感じています。
    Q.七つ朱印の揃った色紙はどうすれば良いのですか?
    A.ご本人の自由ですが、きちんと祈願を込めたのであれば功徳(くどく)あるものとして、
     祖末になさらない方がよいでしょう。色紙額に入れて飾る、色紙掛けに掛けて、
     句会や茶会の際床の間(とこのま)へ掛ける、色紙帳へ保管して鑑賞する、などがお薦めです。
     次の年も柴又に来られる方は、廻りはじめのお寺に、
     若干のお賽銭を添えてお焚き上げを依頼して納めてから、新しい色紙を受けるとよいでしょう。
    Q.ちなみに医王寺ではどんな縁起物を扱っていらっしゃいますか?
    A.恐縮ですが物売りには不熱心なんです(笑)、「ご本尊さまのお札」と「恵比寿天さまのお札」が500円、
     「お願い地蔵さん」が500円、「紙の財布守り」が100円、「蕎麦地蔵尊の紙札」が100円、
     そんな程度です。リピーターの方で新しいものをお求めの場合は、色紙同様、
     古いものをお焚き上げのお賽銭を添えて納め、新しいものを授与します。
     納められた古いお札は正月末の護摩法要で、お焚き上げをします。
     古い「お願い地蔵さん」の場合は、蕎麦地蔵前に安置します。
    Q.今までのお話ですと、観光よりも信仰活動という色彩が強いようですが、
      観光という観点からはいかがでしょうか?

    A.柴又七福神は団体で大型バスを使用して観光するには不適当だと思います。
     なにしろ道路が狭いうえ、道が不規則です。大型バスのための駐車場は江戸川土手にしかありません。
     しかし新柴又駅前に新たに完成している閑散としたロータリーにバスを置ければ、
     新柴又駅近辺の参拝はより容易になることでしょう。
     この七福神は「フーテンの寅さん」の人気がいつまで続くのかが鍵になるのではないか、と感じています。
    2.いろいろな巡拝のテクニックについてお訪ねしてみました。
    Q.巡拝する動機も人それぞれと思いますが、何かコツのようなものがありましたら、
      教えていただきたいのですが?

    A.混雑を上手に避けることです。平日がお奨めです。個人または少人数のグループで、
     時間や行程に余裕を持てる方法でゆったりと歩いてもらえるとありがたいですね。
     納経帳や色紙にこだわらないことも、テンポよく歩くコツのひとつです。
     朱印料やお賽銭などは、あらかじめ準備して、小分けしておくとよいでしょう。
     窓口に並ぶ時は、色紙を封筒から出して、200円をそれに乗せて待つとよいでしょう。
     気持ちよくお食事のできる、雰囲気の良いお店を探訪するのもよい考えかもしれません。
    Q.もしも団体さんなどとぶつかってしまい、窓口が混雑している場合はどうしたらいいんでしょう?
    A.そのような場合でも、1時間ほど待てば解消するケースが大部分です。
     近くの別の神さまを先にする、近所を散策する、などしてうまくタイミングを外して下さい。
     一緒に行動すると、常に待たされることになります。
    Q.どうも長時間にわたり、ありがとうございました。
    A.どうぞ、ご参詣の皆さまが当山の恵比寿天さまのような円満な笑顔になられますよう、
     お祈りいたしております。(合掌)
   G静岡県富士市にある浄土宗の寺院で、山号は竜水山。739(天平11)年に己卯国分寺として創立され、
    永禄年間(1558〜1569)に浄土宗に改宗するとともに医王寺に改称した。
    境内には山本勘助の墓がある。墓には「鉄巌道一禅定門」と刻まれ、
    追慕供養の意味で建立された供養塔である。
   H静岡県磐田市鎌田2065−1にある真言宗智山派の寺院で、本尊は薬師如来である。
    智山派の総本山は京都、東山七条の智積院(ちしゃくいん)
    参 : 鎌田山医王寺(HP)、
   I静岡県島田市船木2380にある曹洞宗の寺院。 参 : 松原山医王寺(HP)
   J愛知県新城市(旧南設楽郡鳳来町)長篠字弥陀の前256番地にある曹洞宗の寺院で、
    1514(永正11)年に創建された。山号は長篠山(ちょうじょうざん)。本尊は薬師如来。
    長篠の戦いで武田勝頼が本陣に利用した寺として知られる。
   K愛知県渥美郡渥美町中山南郷38の三河湾に面した海と山に囲まれた風光明媚な地にある
    曹洞宗の寺院。 参 : 薬樹山医王寺(HP)
   L愛知県南知多町大井真向38にある真言宗豊山派の寺院。本尊は薬師如来。
    「弘法大師は船で三河から知多半島の南知多町聖崎へ上陸後、
    ここ医王寺と岩屋寺で護摩行を行われ、野間から北上」されたと伝えられている。
    弘法大師が再興にかかわり、当時は十二坊あったが現在は四カ寺になる。
    一山七坊(大井に四坊)/師崎遍照寺、医王寺の塔頭四カ寺で医王寺を管理する。
    参 : 宝珠山医王寺(HP)
   M滋賀県木之本町にある真言宗豊山派の寺院。本尊十一面観音は重要文化財。
   N兵庫県神崎郡福崎町高岡1937にある天台宗の寺院で、比叡山延暦寺が総本山である。
    慶徳山(けいとくさん)醫王寺の本尊は薬師如来脇立日光月光菩薩で、眼病及び諸病全癒の御利益、
    霊験あらたかであると先人からの言い伝えがあり、信者の深い信仰がある。
    参 : 慶徳山醫王寺(HP)
   O広島県福山市鞆町後地1396にある平安時代の弘法大師の開基と伝えられる真言宗の寺院。
    桃林山慈眼院医王寺の本尊は木造薬師如来立像で県の重要文化財に指定されている。
    慶長年間(1600年)福島正則が藩主となり、鞆城代大崎玄藩がこれを再興した。
    現存する鐘楼は1642(寛永19)年福山藩主水野勝成の建立。
    本堂は1685(貞享2)年四代水野勝種の再建したものと伝えられている。
    医王寺から15分ばかり登った所にある太子殿からの展望はすばらしい。
    1826年オランダの医師シーボルトはツツジや松の観察のため小径を登った。
   P愛媛県東温市北方にある寺院。1534(天文3)年創建の本堂内厨子(ほんどうないずし)
    国の重要文化財である。問合わせ先:089−964−0701
    参 : 観光ガイド東温市HP
   Q福岡県久留米市寺町35にある真言宗の寺院。江戸時代を迎えてほどなくの頃の1621(元和7)年、
    快宜法印という僧が時の藩主の祈願寺として創建した。
    第4代目久留米藩主頼元の時代の1668(寛文8)年から1705(宝永2)年に
    50石の寺領の寄進を受け、更に明治維新を迎えてのちに神田山円通寺の名跡を継承し、
    その多くの遺品を境内に受け継いだ。1868(明治元)年に本堂を再建し、
    のちに至って更に拡張、かくして今の姿となる。問合わせ先:0942−33−3594
   R佐賀県唐津市(旧東松浦郡相知町)にある曹洞宗の寺院。
   S熊本県八代市にある高野山真言宗の寺院。
   全国の医王寺はこの他にもあります。











































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