厳島神社(YSミニ辞典)
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厳島神社(いつくしまじんじゃ) : 広島県廿日市
(はつかいち)市の宮島
(みやじま)町1−1にある
神社。
古くは伊都伎嶋
(いつきしま)神社とも記し、また厳島大明神
(だいみょうじん)とも称した。
日本全国に約500社ある厳島神社の総本社とされる。
式内社(名神大社)・安芸国一宮で、1871(明治4)年に国幣中社に列格し、
1911(同44)年に官幣中社に昇格したが、現在は神社本庁の神社に指定されている。
厳島神社のある厳島(宮島)は俗に「安芸の宮島」や、「海に浮かぶ寝殿造」などと呼ばれ、
「日本三景」の一つとなっている。国宝の「平家納経」など多数の文化財を所蔵している。
厳島神社の平舞台は、四天王寺(大阪市天王寺区)の石舞台、
住吉大社(大阪市住吉区)の
石舞台と共に「日本三舞台」の一つ。高さ16mの大鳥居(重要文化財)も
春日大社(奈良県)と気比神宮(福井県)の大鳥居に並ぶ「日本三大鳥居」の一とされる。
厳島神社のある宮島は、古代には周囲約31kmの宮島そのものが神とされ、
人も住むことを許されない神聖な島とされた。社殿が海水のさしひき(干満)する所に
建てられているのもそのためである。宮島には中世以降人家が建てられたが、
耕作をしない、死者を埋葬しない風習は現在も守られている。
593(推古天皇元)年、土地の有力豪族であった佐伯鞍職
(さえきくらもと)が社殿造営の神託を受け、
勅許を得て御笠浜に社殿を創建したのに始まると伝わる。文献での初出は811(弘仁2)年7月で、
『延喜式神名帳』では「安芸国佐伯郡伊都伎嶋神社」と記載され、名神
(みょうじん)社に列し、
四時
(しじ)の幣帛
(へいはく)を奉る社とされ、859(天安3)年に正五位下より従
(じゅ)四位下に、
さらに867(貞観9)年に従四位上に叙され、延喜
(えんぎ)の制で名神大社とされた。
その後、さらに朝野の厚い崇敬を受けて、安芸
(あき)国(広島県西半部)一宮
(いちのみや)とされた。
平安時代末期に平家一族の崇敬を受け、1168(仁安3)年ごろに平清盛が現在の社殿を造営した。
平家一門の隆盛とともに当社も盛えた。厳島神社は平家の守り神であった。
平家滅亡後も源氏をはじめとして時の権力者の崇敬を受けた。
戦国時代に入り世の中が不安定になると社勢が徐々に衰退するが、
毛利元就が1555(弘治元)年の厳島の戦いで勝利を収め、厳島を含む一帯を支配下に置き、
元就が当社を崇敬するようになってから再び隆盛した。元就は大掛かりな社殿修復を行っている。
また、
豊臣秀吉も九州遠征の途上で当社に参拝し、大経堂を建立している。
本社(本殿、幣殿
(へいでん)、拝殿、祓殿
(はらいでん))のほか、
宗像三女神(市杵島姫命
:いちきしまひめのみこと、田心姫命
:たごりひめのみこと、
湍津姫命
:たぎつひめのみこと)と、天忍穂耳命
(あめのおしほみみのみこと)、
天穂日命
(あめのほひのみこと)、天津彦根命
(あまつひこねのみこと)、
活津彦根命
(いくつひこねのみこと)、熊野
樟日命
(くまのくすひのみこと)を祀る
摂社客神社(本殿、幣殿、拝殿、祓殿)、回廊は国宝建造物で、平清盛造営当時の規模をよく伝えている。
市杵島姫命は神仏習合時代に弁才天と習合しており、江島神社(神奈川県江の島)・
都久夫須麻神社(滋賀県竹生島)と共に「日本三弁天の一つ」ともされている。
そのほか、大鳥居(1875再建)、五重塔、能舞台など多くの国指定重要文化財がある。
また社宝には、平家納経1具、法華経
(ほけきょう)30巻、彩絵檜扇
(ひおうぎ)などの国宝や、
鎧
(よろい)、太刀
(たち)など、国指定重要文化財を多く蔵している。
1996(平成8)には、厳島神社の建造物群と前面の海、背後の森林とが、
ユネスコの
世界遺産(文化遺産)として登録された。
厳島神社
同上
同上
海の中の「大鳥居」
例祭は6月17日のほか、4月15日の桃花
(とうか)祭、陰暦6月17日中心の管絃
(かんげん)祭、
陰暦7月18日の玉取
(たまとり)祭、12月31日の鎮火祭など豪華な祭礼が多く、舞楽
(ぶがく)、
能楽が年中行事のなかで行われる。また、島を一周し、末社を巡る「御島巡り」は、厳粛な祭事である。
参 :
宮島観光公式サイト、
厳島神社(廿日市市観光課HP)、[
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