花岳寺(YSミニ辞典)

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花岳寺(かがくじ) : 兵庫県赤穂市加里屋1992にある曹洞宗の播州赤穂・臺雲山(たいうんざん)花岳寺。
    本尊は千手観世音菩薩、釈迦如来で、浅野長直(ながなお)公が常陸国笠間から
    赤穂へ所替えになったとき、浅野家の菩提寺として1645(正保2)年に建てられた。
    
    花岳寺本堂(宝暦8年再建)
    
    本堂に向かって左側にある座禅堂
    お寺では珍しく、本堂の壁の下の方がなまこ壁になっている。
    赤穂歴代藩主浅野家、浅野家断絶後に赤穂藩に入った永井家、森家の菩提寺でもある。
    境内には、浅野家、森家及び大石内蔵助名残の松、四十七士の墓碑や義士木像堂、鳴らずの鐘、
    宝物館などある。
     花岳寺の「山門」は赤穂城の塩屋総門を明治の初年にここに移したものとされている。
    この「山門」は元禄時代を偲ぶ数少ない建物としてよく知られており、赤穂市文化財に指定されている。
    山門の額には花岳寺の山号である臺雲山(たいうんざん)と書いてある。
    
    花岳寺山門(元赤穂城の塩屋総門)
    「山門」をくぐると直ぐ正面松の木が見えるが、これが「大石名残の松」である。
    もともとは1691(元禄4)年に大石良雄が母の冥福を祈り植えた松であり、
    1701(元禄14)年に赤穂を離れるとき、この木の下で名残を惜しんだため、
    後に、このように呼ばれたとされている。
    
    二代目大石なごりの松
    「大石名残の松」の東側に「鐘楼」があり、そこに「鳴らずの鐘」が架かっている。
    もともとの鐘は赤穂二代目藩主浅野長友公の鋳造になるものといわれている。
    その後、三代目藩主長矩公の刃傷事件後、1702(元禄15)年の四十七士の討ち入り、
    翌年の切腹と続く。この悲報に接した人々は寺に集まり、冥福を祈りこの鐘を打ち続けたといわれている。
    あまりにも撞きすぎたため、以来、この鐘は鳴らなくなってしまい、1797(寛政9)年に再鋳造されるまで
    鐘の鳴ることはなかったという。勿論、現存の鐘は再鋳造されたものであるから撞けば鳴る。
    これが「鳴らずの鐘」といわれている由来であるとされている。
    この鐘は太平洋戦争中も『義士との由緒が深い』との理由から供出を免除された経緯があるという。
    
    鐘楼(鳴らずの鐘)
    拝観受付の西側に入口があり、入ると直ぐの所に「忠義塚」があり、
    その奥に赤穂義士の墓、「義士墓」の並んだ一角がある。
    泉岳寺の墓には四十七士の遺骨があるが、ここには遺髪が納められている。
    
    忠義塚
    
    義士墓(2007.9.27、3本が20円の線香をたむけた)
    
    浅野家霊廟
    
    大石家先祖の墓(大石良雄の建立)
    参 : 赤穂城跡




























































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