金剛峰寺(YSミニ辞典)(こ)

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金剛峰寺(こんごうぶじ) : 和歌山県伊都(いと)郡高野町高野山132にある高野山真言宗総本山の寺院。
    816(弘仁7)年空海の開創、開基は嵯峨天皇。経典は大日経、金剛頂経。本尊は大日如来。
    寺名は『金剛峯楼閣瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくゆがゆぎきょう)』によって空海(弘法大師)が
    名づけたもので、高野山の一山の総称でもあった。古くは青巌寺(せいがんじ)ともいった。
    1590(天正18)年に豊臣秀吉の援助を受けて木食応其(もくじきおうご)が青巌寺を再興し、
    その左隣に興山寺(こうざんじ)を建立した。1869(明治2)年この両寺を併合して金剛峯寺と改称。
    主殿は1863(文久3)年の再建で、東西30間、南北35間ある。
    大広間・梅の間の襖絵(ふすまえ)は狩野探幽(かのう・たんゆう)の筆、柳の間は豊臣秀次(ひでつぐ)
    自刃の間を再現したもので、狩野探斎(たんさい)筆の柳の襖絵がある。
    主殿に付属する建物に、奥殿、新別殿、別殿、経蔵(きょうぞう)、鐘楼、勅使(ちょくし)門、上門、下門、
    真然(しんぜん)堂、護摩堂、阿字観(あじかん)道場、高野山真言宗宗務所などがある。
    奥殿、別殿は1934(昭和9)年、新別殿は1983(昭和58)年の建立。
    六時の鐘の梵鐘(ぼんしょう)は1618(元和4)年に福島正則(まさのり)が寄進したもの。
    鐘楼は1835(天保6)年の建立。大師教会本部の建物は1925(大正14)年の建立で、
    1983年に増築された。金剛峯寺所蔵の国宝・国重要文化財などは高野山霊宝館に収める。
    「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし金剛峯寺の山号が
    高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。
    京都の東寺とともに、真言宗の宗祖である空海が宗教活動の拠点とした寺であり、
    2004年7月、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録された。
    
    金剛峯寺の入り口(山門に向かう参道)
    
    手水舎
    
    山門(表門)
    
    山門の天井
    
    本堂側からの山門
    
    かご塀
    
    山門の脇にある鐘楼
    
    主殿(本堂)。屋根の上には火災時に備えた2つの「天水桶」(てんすいおけ)がある。
    内部には大広間、梅ノ間、柳ノ間などがある

    
    同上。近影
    
    主殿の玄関
    
    境内。右方に拝観入口がある
    
    1679 (延宝7)年に建てられた檜皮葺の経蔵
    
    蟠龍庭(ばんりゅうてい)。フォト蔵より
    参 : 高野山真言宗総本山・金剛峯寺(HP)、[YouTube](金剛峯寺)
    交通アクセス : 南海高野山駅より南海りんかんバス奥の院行10分、千手院橋より徒歩3分。

    金剛峯寺の2立像、やっぱり快慶作(2011.10.22、毎日新聞より)
     高野山真言宗総本山金剛峯寺と高野山霊宝館は2011年10月21日、
    同寺所蔵の「執金剛神立像(しゅこんごうしんりゅうぞう)」(高さ149センチ、木造彩色)が、
    同立像と対で作られたとされる「深沙大将(じんじゃたいしょう)立像」(同142センチ、同)とともに、
    鎌倉時代を代表する仏師快慶の作であることが確認されたと発表した。
    像の体内から快慶の銘文「アン阿弥陀仏」(アンは梵字)が見つかった。
    「信仰的にも学術的にも大きな発見で、2体とも重文級」(庄野光昭・同寺宗務総長)としている。
金剛峯寺徳川家霊台(こんごうぶじ・とくがわけれいだい) : 高野山真言宗・総本山金剛峯寺徳川家霊台。
    和歌山県伊都郡高野町大字高野山682にある徳川幕府の初代将軍・徳川家康
    2代将軍・徳川秀忠をまつる東照宮形式の霊屋(たまや)で、3代将軍・家光の命により
    宝形造の霊屋2棟がそれぞれ透塀に囲まれて東西に並び建てられている。
    造営に着工したのは1633(寛永10)年頃で、同16年には、正式に将軍・家光より認可され、
    秀忠公の死後、十数年の歳月と巨額の費用をかけ、春日局が亡くなった年の1643(同20)年に竣工し、
    4月17日には落慶法要が行われた。昔の高野山の聖方(ひじりかた)の本寺である大徳院の
    境内だったが、大徳院自体は明治時代になって他の寺院と合併して現存しないので、霊台だけが残った。
    建物は桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)三間、6.7m四方の一重宝形造(ひとえほうぎょうづくり)
    一間の向拝を有しており、向かって右が東照宮安国院殿家康公霊屋、左が台徳院殿秀忠公霊屋で、
    江戸時代初期の代表的霊廟建築として国の重要文化財および世界遺産に登録されている。
    瓦棒銅瓦葺の屋根の頂に露盤を載せ、前に唐破風造(からはふづくり)の向拝(こうはい)がつく。
    内部は家康は寅、秀忠は兎の干支の彫刻があり、絢爛豪華(けんらんごうか)な須弥壇(しゅみだん)
    厨子(づし)を設け、壁面・天井・厨子すべてに金銀の蒔絵や極彩色の装飾金具など、
    様々な工芸技術の粋を結集して細部にまで緻密な装飾が施されている。境内の東端には
    3代将軍以下および御三家の尊牌堂(そんぱいどう)があったが、1888(明治21)年に焼失した。
    
    徳川家霊台の門
    
    同上。境内側より
    
    徳川家霊台(向かって右側が徳川家康の霊屋、左奥側が徳川秀忠の霊屋)
    
    徳川家康の霊屋
    
    同上
    
    同上
    
    同上。パンフレットより
    
    徳川秀忠の霊屋
    
    同上。右側に同じ徳川家康の霊屋がある
    営業時間 : 年中無休、8時30分〜16時30分(閉門17時)
    拝観料 : 200円、小学生以下無料
    問い合わせ : 0736−56−37280736−56−2011(金剛峯寺)
    駐車場 : 10台(無料)
    アクセス : 南海電気鉄道(ケーブル)高野山駅→南海りんかんバス奥の院か大門行きで約10分、
     「浪切不動前」下車、徒歩すぐ

































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