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功山寺(こうざんじ) : 長府功山寺。山口県下関市長府川端1−2−3にある
中国観音霊場第19番札所曹洞宗金山・功山寺で、長府毛利家の菩提寺でもある。
本尊は千手観音菩薩坐像。1320(元応2)に開かれた鎌倉期創建の禅寺で、
その後足利尊氏や長門守護厚東氏、大内氏の庇護を受け隆盛を誇った。
功山寺参道入口の総門。石碑は高杉晋作回天義挙の碑
功山寺
1557(弘治3)年毛利との戦いに破れた大内義長が仏殿で自刃して後、寺も荒廃したが
1602(慶長7)年に初代長府藩主・毛利秀元(
もうりひでもと:1579〜1650)により復興された。
元々は「長福寺」と呼ばれていたが、功山寺となったのは1650(慶安3)年秀元が死去、
その法号智門寺殿功山玄誉大居士にちなんで改称し、毛利秀元の菩提寺とされてからである。
毛利秀元は元就の孫になり、輝元の養子となって毛利本家を継ぐ予定であったが、
輝元に男子が生まれたため分家を立てて長府藩を治めることになった。
以来、長府藩は宗藩に対し複雑な感情を抱くことになった。
純唐様建築の仏殿は、国宝に指定されている。
功山寺屋根のシャチホコと御紋
たまたま2008年4月8日に参詣したので、降誕会の準備中だった
国宝の功山寺仏殿
木造地蔵菩薩半跏像(山口県指定文化財)パンフレットより
二十八部衆立像(下関市指定文化財)パンフレットより
境内にある高杉晋作挙兵像
銘盤は元総理大臣の岸信介氏の書だった
功山寺前の建物。左端が鐘楼で、中央に高杉晋作像、右は経蔵
下関市文化財で土蔵造りの功山寺輪蔵(経蔵)
功山寺仏殿前から見た功山寺
功山寺横にある長府毛利家墓所
境内の裏には大内義長の墓、坂本竜馬の護衛を務めた長府藩士三吉慎蔵の墓などもある
七卿潜居の書院の日本庭園
小さな滝も見える。奥には長府毛利家の墓も見える
鐘楼(鐘撞堂)と高杉晋作像
功山寺名水
石門
圭二句碑
明治維新の転機となった
高杉晋作が、奇兵隊からも賛同されないまま、
伊藤俊輔(後の
伊藤博文)率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊ら、
わずか80人程度で挙兵した地(功山寺挙兵)でもあり、境内には馬上の高杉晋作像があり、
功山寺門前に高杉晋作の功山寺決起を記念した回天義挙碑が建てられている。
五卿潜居
(ごきょうせんきょ)の間があり、そこから望む美しい庭園は人々の目を引き、
秋には総門から山門に続く石段の両脇に、色鮮やかなモミジが連なる。
また、功山寺には日頃食べることのない精進料理が月替わりで楽しめる店「吉祥
(きっしょう)」があり、
自慢の「かゆ御膳」に人気がある。(要予約で、Tel:083−245−1600)
秘宝展の拝観券(拡大しています。原寸は70×144mm)
参 :
功山寺(HP)