具志川城跡(YSミニ辞典別掲)

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具志川城跡(ぐしかわじょうせき、ぐしかわぐすく) : 沖縄本島最南端の糸満市字喜屋武(きやん)
    海岸崖上に立地する三方を海に囲まれるグスクで、15世紀初頭に久米島を支配した
    真達勃期按司(あじ)が築城されたといわれる。崖に沿って野面積みの石垣が廻らされ、
    断崖絶壁の付け根のところに切石積みの城門があり、陸側(東側)に開口している。
    そこから一段下って二の丸、さらに一段下って本丸が海に突き出ている。
    石垣は珊瑚性石灰岩と安山岩の野面積みだが、門の部分には、切石を用いた痕跡が残っていまる。
    城の規模は、長さが東西82〜3m、南北の巾は二の丸で33m、本丸で16〜7mである。
    二の丸には俗に「潮吹き穴(スーフチミー)」と呼ばれる自然穴があって海に通じている。
    久米島の伝説によれば、この城は久米島の具志川城主真金声(まかねくい)按司が
    伊敷索(いしきなわ)按司のニ男真仁古樽(まにくたる)に攻められて落城し、
    島を脱出して本島に逃れ、故郷と同じ名の具志川城を築いたといわれる。
    その真偽は不明だが双方の立地や規模、構造はよく似ている。
    現在は城門と石垣が残っているが、自然を巧みに取り入れた要塞であるのが分かる。
    城が海に面 していることと、遺構から青磁片が出てくることから、
    当時の南海貿易の歴史の一端を うかがわせる貴重な遺跡である。
    城壁の外側は絶壁でその向こうは東シナ海である。1999(平成11)年より、
    久米島自然文化センターにより発掘調査を行うとともに城壁の復元も行われている。
    これまでの発掘調査では13世紀中頃から15世紀中頃までの中国製陶磁器が出土している。
     本城跡はその特異な形状から1959(昭和34)年12月16日琉球政府文化財保護委員会によって
    史跡指定を受け、1972(昭和47)年5月15日の沖縄の日本復帰に伴って同日付けで
    国指定記念物(史跡)となった。
    
    具志川城跡入口の具志川城址碑と説明看板(2008.4.21撮影)
    
    具志川城跡の碑
    
    城門跡石垣。切石積みと呼ばれる方法で石垣が積まれており、高さは約5mある
    
    かなり高く積上げられた城壁
    
    野面積みの石垣
    
    
    
    
    
    海岸の突端
    
    
    
    一の郭の石垣
    
    
    
    
    
    一の郭から海を望む
    
    
    
    潮吹き穴(スーフチミー)。火吹き穴(ヒーフチミー)とも言われる
    
    
    
    
    
    一の郭先端(南西角)からの西方向遠望
    参 : 糸満市教育委員会(HP)





















































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