YSミニ辞典別掲(く)

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久留米城跡(Ruins kurume castle)くるめじょうせき、くるめじょうし、くるめじょうあと : 久留米城址。
    久留米市篠山町444にある江戸時代の久留米藩、約250年間を治めた有馬氏の居城跡で、
    その昔は「笹山城(ささやまじょう)」の名で呼ばれていた。
    永正年間(1504〜1521)に土地の豪族が居館を構えたのが始まりで、後に御井郡司某が修築した。
    その後豊後の大友義鎮や龍造寺隆信の騒乱の場となり、城主も頻繁に交代した。
    久留米城は、筑後川ぞいの小高い山に築かれた平山城で、
    1578(天正15)年、豊臣秀吉の「九州国割」により、毛利秀包(ひでかね)が入城したが、
    1600(慶長5)年の関が原の戦いで西軍に味方したため改易になり、翌年、三河岡崎から
    田中吉政(よしまさ)が関が原の戦いの功績で毛利家の後をうけ、筑後一国32万5千石の大名となり、
    本拠を柳川城に置き、久留米城は支城となり二男則政が藩主となった。
    田中忠政には嗣子が無かったため1620(元和6)年に断絶となり、
    翌年丹波福智山城主・有馬豊氏が筑後五郡の大名となり、21万6千石をもって入城し、
    入国間もなく久留米城の大改修を行い、毛利・田中代には東面していた大手を南面に作り替え、
    その前面に二ノ丸・三ノ丸・外郭を南北に配置した連輪式の構造をもつ城を建設した。
    以来250年間11代明治維新まで有馬家が治世の中心となった。
     現在城跡には初代藩主有馬豊氏を祀る篠山神社や有馬家歴代藩主の
    武具・工芸品や家資料などを展示している有馬記念館があり、城跡は県指定文化財となっている。
    
    久留米城跡への入り口
    
    久留米城跡の堀
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    有馬家資料を展示する「有馬記念館」。有料:高校生以上100円
    
    城趾内の有馬三氏を祀る「篠山神社」
    
    久留米城跡の石垣
    
    
    
    城跡内にある「海の幸」などで有名な洋画家・青木繁の碑
    
    
    参 : 久留米城物語(HP)、久留米市観光(HP)、久留米市公式ホームページ
        久留米観光コンベンション国際交流協会(HP)















































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