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櫛田神社(くしだじんじゃ) : 福岡市博多区川端町1−41にある神社。旧社格は県社。
    地元の博多の人々からは「お櫛田さん」の愛称で呼ばれている。
    祭神は大幡主大神(おおはたぬしのおおみかみ)・天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
    素戔嗚大神(すさのおのおおみかみ)である。
    開創年代は、社伝には757(天平宝字元)年とあるが、一説では「ウノ皇女」(持統天皇)の
    686〜687(朱鳥年間)ともいわれており、定かでないが、古い神社である。
    博多祇園山笠はこの神社の素盞鳴大神(祇園宮)に奉納するお祭で、追い山のスタート地点でもある。
    
    博多の総鎮守櫛田神社の南神門(川端商店街南側)(以下2008年7月15日撮影)
    
    
    
    南神門の境内側。向かいの建物にはキャナルシティ博多へのエスカレーターがある
    
    大きな提灯のさがる櫛田神社正面の楼門。「威稜(いつ)」とは、天子・天皇の御威光という意味
    
    北禅門。色付きの狛犬もめずらしいが、左右色違いも見たことがなかった
    
    2009年7月12日撮影
    
    櫛田神社本殿(2008年7月15日撮影)
    
    博多祇園山笠・追い山ならしの日のにぎわい(2009年7月12日撮影)
    
    櫛田神社本殿内拝殿(以下2008年7月15日撮影)
    
    「不老長寿のいのちの水」として霊験誠に灼(あらたか)と信仰されている「霊泉鶴の井戸」
    この霊泉鶴の水をいただくには、一口目には自分の不老長寿を、二口目には家族の不老長寿を、
    三口目には親類縁者の不老長寿を心で念じながら三口で飲むとご利益があるとされる。

    
    神馬
    
    櫛田神社に展示してある山笠
    
    同上
    古来から博多の鎮守神として崇敬をあつめてきたものであり、5月の「博多松囃子(博多どんたく)」、
    7月のこの神社への奉納行事「博多祇園山笠」、10月の「博多おくんち」と、
    博多を代表する祭が社域周辺を中心に繰り広げられる。「博多どんたく」は厳密には
    櫛田神社の祭事ではないものの、松囃子一行は櫛田神社から出発するしきたりになっている。
    櫛田神社は唯一、境内の奥に1年中豪華な飾り山を展示している。
    毎年7月1日に公開した飾り山を次の年の山笠の前まで展示している。
    櫛田神社常設展示飾り山笠(2008年)
    
    常設展示の飾り山笠。国重要無形民俗文化財に指定されている。飾り山は全部で14あるが、
    櫛田神社のものは唯一、番号が付いていない飾り山で、「番外」と呼ばれている。
    2009年の6月末まで展示されている飾り山。

    
    同上の近影
    
    裏側の飾り山
    
    同上の近影
    常設展示飾り山笠(2009年)
     表標題 : 我不慚天地(われはてんちにはじず)。人形師・中野 親一
      時は戦国の世、上杉謙信は義の精神を旗印に越後の国を治めていた。
      樋口与六兼続(後の直江山城守兼続)は魚沼郡の坂戸の城下に生を受け、
      幼少の頃に上杉景勝の小姓として仕え、後に主従の枠を超えた信頼関係を築いていく。
      謙信公の養子となった景勝に付き従い、春日山城に入った兼続は
      生涯の精神の師となる上杉謙信と出会い、その義の精神を継承していく。
      謙信の死後、越後では景勝ともう一人の養子景虎との家督争い(御館の乱)が起こり、
      兼続の知略等により景勝方が勝利した。
      この時の功績により21歳という若さで家老となり、後に直江家を継ぎ上杉家を
      戦国の世の中で支えていく事となる。この後景勝の兼続への信頼は益々高まり
      戦国時代では珍しい執政(君主に代わり政務全般を単独で執り行う職)となり
      越後での軍事・政治・経済にその手腕を発揮していく事となる。
      そのような中、上杉家は天下人たる豊臣秀吉と同盟を結ぶ事となり、
      また兼続自身は豊臣家の家臣で知略に優れ誠実な石田三成と長きにわたり交友を深めていった。
      この兼続と三成との友情は豊臣秀吉亡きあとも続き、関ヶ原の戦いまで続く事となる。
      この飾り山笠は上杉謙信の遺志を受け継いだ景勝・兼続主従が義の心をもって
      石田三成と手を取り合い、徳川家康と天下を争う一場面である。
      
      以下2009年7月12日撮影
      
      
      
      
      
      
      
      
     見送り標題 : 日本曙国譲之譚(にほんのあけぼのくにゆずりのたん)。人形師・中野 親一
      太古の昔、天照大御神は地上の神々によって国造りが進んでいる葦原中国(日本の事)を
      御子たる天忍穂耳命に治めさせようと考えられた。
      しかし、天の浮橋より地上を眺めると神々は暴れ騒然としていた。
      そこで、天照大御神は天の神々を集められいかにするかを協議した。
      話し合いの末、地上で最も力のある大国主神を説得し、速やかに国譲りを行わせようと考えられた。
      けれど、幾たびも使者を送られましたが国譲りは遅々として進まない。
      そこで武勇の誉れ高い建御雷神に天鳥船神を添えて使者として出雲の大国主神の所に遣わされた。
      大国主神は国譲りの返事を二人の息子の神に任され、一人の八重言代主神は
      「私に異存はありません」と譲る事を承諾され身を隠された。 
      しかし、もう一方の建御名方神は異を唱え建御雷神に力比べを挑まれた。
      が、勝負はたちまち付き敗れた建御名方神は信濃(長野県)の諏訪まで退かれ降参した。
      これにて国譲りが無事に終え、天忍穂耳命が降臨なされようとされている時に
      天津日高日子番能邇々芸命が生まれ、「この御子こそ葦原中国を治めるにふさわしい。」と言われ、
      この神を葦原中国に降ろされる事となった。この飾り山笠は天津日高日子番能邇々芸命が
      竺紫(九州)の日向(宮崎県)の高千穂の山に降臨される迄の物語であり、
      これより先日本の国を治められていく一場面である。
      
      
      
      
      
      
    力石(ちからいし)
    
    有名力士が持ち上げた石(以下2008年7月15日撮影)
    
    
    
    夫婦銀杏
    
    天然記念物の夫婦銀杏
    
    同上
    
    櫛田神社境内にある注連懸稲荷神社
    
    櫛田神社境内にある恵美須宮
    飾り山のすぐそばにある博多歴史館には社宝や博多どんたく・博多祇園山笠関係資料が展示され、
    博多町人の歴史に触れることができる。
    
    追い山ならし・追い山スタート地点の「山留め櫓」(以下2009年7月12日撮影)
    
    この山留め(スタート地点)に入ってくる舁き山は、前部が山留め櫓から出た竿で
    ピタリと止まらなければならない。竿を越えて後戻りする舁き山もある。

    
    櫛田入りの計測が行われる太鼓台櫓。最後の上川端通りの「走る飾り山」が神社を出て行く。
    
    櫛田神社の境内に設置された桟敷席(さじきせき)で、
    勇壮な舁き山の櫛田入りを間近で見ることができる。
    中央のポールの旗は「清道旗」で、各舁き山笠はこの旗を時計回りに一周回ってコースに戻る。
    追い山ならしのすべての行事が終わって5分以上経っているのに観衆は移動できない。
    桟敷席は、「あ」から「か」までのゾーン指定がされているが指定席ではない。
    始まる3時間以上も前から場所とりが始まる。
    一番前の席は、参加する男衆達が前に立ちはだかるから、あまり見えないという。

    
    翌朝7月13日の桟敷席
    参 : 浜崎祇園祭

    博多祇園山笠の桟敷券10分あまりで完売
     博多祇園山笠の本番を前に、福岡市博多区の櫛田神社の境内には、
    2009年6月26日の朝から桟敷席の桟敷券を求める人たちの行列ができた。
    午前9時に発売が開始されると、12日の「追い山ならし」と15日の「追い山」、
    それぞれ300枚の桟敷券は、わずか10分あまりで完売した。
    山笠のフィナーレ・追い山は、7月15日早朝に行われる。




















































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