城関連(YSミニ辞典別掲)

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中城城跡(The ruins of Nakagusuku Castje)なかぐすくじょうあと、なかぐすくじょうせき、なかぐすくじょうし
    1972年5月15日(日本復帰の日)に、国の史跡に指定された。2000年12月2日には、
    「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の1つとして世界文化遺産にも登録された。
    沖縄東海岸中部の中城湾にそった標高167メートルの高台上に、
    北東から南西にほぼ一直線に連郭式に築かれたで、
    さきの第二次大戦の戦禍をまぬがれ、県内でもっとも原型をとどめていることで有名である。
     中城城は、尚泰久王(しょうたいきゅう)時代(1454年〜1460年)に、
    護佐丸が築いた城とされているが、 はっきりとした年代は不明である。築城技術という点でも注目され、
    城は多郭式で六つの城郭から成り、南は断壁、北は急傾斜地になっている。
    城壁は、自然の岩石と地形をたくみに利用した曲線の美しい石壁で囲まれており、
    一の郭・二の郭が布積みの「石切積み」 、三の郭は「亀甲乱れ積み」の二通りの手法を用いている。
    表門を入ると一の郭、二の郭、三の郭と続き、首里城を遥拝したり、
    雨ごいのための御獄など、いたるところに拝所がある。
     勝連城の城主・阿麻和利(あまわり)は、1458年に国王の重臣で中城の城主・護佐丸を滅ぼし、
    中城を居城とした。琉球王国の王権が安定していく過程で、国王に最後まで抵抗し、
    さらに王権の奪取をめざして国王の居城である首里城を攻めたが大敗して滅びた。
    これにより首里城を中心とする中山の王権は安定した。
    1853(嘉永6)年に黒船で来島し、中城城を測量したペリー提督は「日本遠征記」の中で
    「要塞の資材は石灰岩であり、その石材建築は賞賛すべき構造のものであった」と記している。
    
    中城城跡の正門前にあるガジュマルの木
    
    記念碑
    
    広々とした中城城跡公園の広場
    
    三之郭は新城(ミーグスク)とも呼ばれ、石積み技法の最も進んだ
    あいかた積み(亀甲乱れ積み)によって築かれている

    
    中城城跡(20数年前の絵葉書より)
    
    右奥の門は、太陽(てだ)が穴(東)に向かって建てられた裏門。左の城壁は三之郭
    
    三之郭へ登る石段と石垣
    

    
    三之郭と本丸をつないでいたアーチ門
    眺望の地として知られ、城跡に立つと東に中城湾(太平洋)、西に東シナ海を望み勝連半島、
    知念半島、さらに周辺の洋上の島々までも見渡すことができる。
    規模も大きく、面積は122,399平方メートルにおよび、人気があり古くから観光の名所となっている。
    参 : 中城村役場(HP)

    城はなくとも300円の観覧料を徴収されます。





























































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