城関連(YSミニ辞典別掲)

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今帰仁城跡(The ruins of Nakijin Castje)なきじんじょうあと、なきじんじょうせき、なきじんじょうし
    別名を「北山城跡(ほくざんじょうせき、ほくざんぐすくあと)」といい、
    沖縄県国頭郡(くにがみぐん)今帰仁村今泊ハンタ原にある城跡で、
    地元では「今帰仁グスク」と呼ばれている。
    今帰仁城は、海抜65mの山上にたっていた山城で、沖縄第一の堅城であったと伝えられている。
    14世紀に琉球王国三山鼎立時代の三山の一つ・北山王(ほくざんおう)の居城とし、
    また中山王(ちゅうざんおう)が三山を統一後には琉球王府から派遣された
    監守という役人の居城であった。1609(慶長14)年、薩摩の島津軍に攻められ廃城となった。
    1972(昭和47)年5月15日に国の史跡に指定される。
    外郭を含めると7つの郭(主郭・大庭・御内原・志慶真門郭・大隅・カーザフ・外郭)からなり、
    その面積は首里城とほぼ同規模で、城を囲む石垣は地形を巧みに利用し曲線を描き、
    城壁のディテールは美しく、沖縄屈指の名城である。
    なんといっても中国の「万里の長城」を思わせる雄大な石垣で、総延長はおよそ1.5kmという。
    特に外郭と大隅(うーしみ)の石垣は高さもあり、しかもゆるやかな曲線を描いていて、
    本土では見られない石垣である。
    
    入口にある城跡の屋外模型(2008.4.19撮影)
    

    
    今帰仁城址碑
    
    今帰仁城跡入口にある世界遺産の碑
    
    大隅(ウーシミ)を囲う城壁で、最も高い石垣が築かれた堅牢な城郭である
    
    大隅は、かつて「城兵達の武闘訓練の場」であったとされ、
    戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所として伝えられている。

    
    この平郎門(へいろうもん)が今帰仁城の正門で、くぐると城内に入る。
    石垣と石垣に挟まれたいわゆる埋門(うずみもん)で、現在は入口の上に大きな1枚岩が載っている。
    中城城座喜味城ではアーチ状の門になっているが、この城は1枚岩の門だったと言われている。

    
    平郎門の城内側。門の両脇には狭間があり、門番が見張りをしていた。
    
    平郎門は1962(昭和37)年に修復された
    
    平郎門の鉄砲窓で門番が見張りをしていた
    
    平郎門をくぐった右側の城壁
    
    平郎門をくぐった左側が大隅(おおすみ)と言われる一画で、その先に大庭(うーみゃー)がある。
    
    今帰仁城跡(20数年前の絵葉書より)
    
    北殿跡の北側、一段高いところを御内原(うーちばる)と呼んでいる。
    ここは、かつて「女官部屋(にょかんべや)」があったといわれるところで、城内でも崇高(すうこう)な
    場とされ男子禁制の御語句嶽テンチジアマチジがある。北端からの眺望(ちょうぼう)は
    城内で最もよいところで、大隅一帯の石垣をはじめ今帰仁村全域、伊平屋(いへや)・伊是名(いぜな)の
    島々、国頭の山並麓(さんなみろく)、晴れた日には遠く与論島(よろんと う)が眺められ、
    海を眼下に見ることができる。

    
    東から見た大隅(うーしみ)北側城壁。中国の「万里の長城」を思わせる雄大な石垣
    
    御内原(ウーチバル)からの眺め。大隅の石垣と青い海が見える 。
    
    大庭(主郭へ通じる)
    
    大庭にある御嶽。現在も村人の拝所として、城内には絶えず花が供えられている。
    
    御内原の拝所で、神事は女性が担当していた。
    
    主郭(俗称本丸)跡。発掘調査により、13世紀末頃から17世紀初め頃まで機能していたという。
    
    主郭にあった館の礎石。
    
    主郭跡の火の神拝殿。火神(ひのかん)の祠(ほこら)は、
    今帰仁城監守が首里へ引き揚げた1665年より後に設置されたと考えられている。
    今帰仁城が廃城となった後に祭祀(さいし)の場として設置されたもので、
    現在の祠自体は新しく、平成になって改築されたものである。

    
    志慶真門郭(しじまじょうかく)跡。城跡南側の主郭より一段低いところにある
    
    志慶真門郭跡は、城主に仕えた身近な人々が住んでいたという
    
    万里の長城を彷彿させる城郭だが、発掘調査で4つの建物があったことが分かった
    

    

    

    

    

    

    

    

    
    カラウカー。大庭の東南側に窪んだ自然の岩石があり、常時水をたたえている。
    かつて女官達が髪を洗ったり、水量で吉凶を占ったと伝えられている。

    
    今帰仁城跡想像図。城自体は発掘調査により周辺から瓦が出土しないことから
    瓦以外の屋根だったと考えられている。

    
    
     2000年12月に開催されたユネスコの世界遺産委員会で座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、
    首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽と共に今帰仁城跡の九つの資産が
    「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界文化遺産に登録された。
    いずれも琉球国家の基盤形成に欠かすことのできない重要な遺跡である。
    特に琉球史を代表する今帰仁城跡は県内に現存する三百余といわれるグスクの中でも保存状態もよく、
    周辺には多くの自然景観を保持し、さらに現在も今帰仁上りの重要な聖地として参詣者が絶えない。
    今帰仁村歴史文化センター
    
    発掘によって出土した遺物などが展示されている。
    参 : 今帰仁村歴史文化センター(HP)、今帰仁村役場(HP)、今帰仁村商工会(HP)

    城はなくとも400円の観覧料を徴収されるが、今帰仁村歴史文化センターも観覧できる。





























































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