三十三間堂(YSミニ辞典)

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三十三間堂(さんじゅうさんげんどう) : 京都市東山区三十三間堂廻(まわ)り町657にある仏堂。
    建物の正式名称は「蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)」。同じ京都市東山区にある
    天台宗妙法院の境外仏堂であり、天台三門跡(もんぜき)の一つである妙法院が所有・管理している。
    元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、本尊は千手観音(せんじゅかんのん)である。
    蓮南北に125mある御堂(みどう)内の内陣(ないじん)の柱の間数(まかず)が33あることに由来して
    この名がある。1164(長寛2)年に後白河院(ごしらかわいん)の発願により平清盛(きよもり)が建立、
    平家滅亡後も後白河院は多くの保護を加え、堂舎の増築、寺領の確保に努め、
    鎌倉時代には但馬(たじま)国(兵庫県)温泉荘(しょう)をはじめ多数の寺領荘園を有したことが
    記録に残されている。1249(建長1)年に京都の大火により堂宇、仏像のほとんどを焼失したが、
    千手観音像千体仏のうち124体と二十八部衆立像が救出され、
    1266(文永3)年に後嵯峨(ごさが)上皇によって復原されたのが現存の三十三間堂で、
    単層瓦葺(かわらぶ)き入母屋造(いりもやづくり)の国宝建造物である。
    南北朝の内乱、応仁の乱(おうにんのらん)の兵火は免れたが、寺領からの収入が減少し、
    室町時代以降寺運は衰えていた。しかし1586(天正14)年に豊臣秀吉によって北隣に
    方広寺(ほうこうじ)大仏殿が創建され、蓮華王院もその境内に組み込まれて手厚い庇護(ひご)
    受けた。南大門、築地塀(ついじべい)(太閤(たいこう)塀)はこのとき増築されたもので、
    いずれも国の重要文化財に指定されている。江戸時代には、
    3代将軍徳川家光によってさらに建造物、仏像の大修理が行われた。本尊は千手観音1001体で、
    堂の中央に像高335cmの中尊丈六坐像(湛慶(たんけい)作、国宝)が安置され、
    左右に各500体の等身観音立像(国の重要文化財)、堂の両端に風神・雷神像各1体(国宝)、
    二十八部衆立像(国宝)が中尊の西裏側に列置されている。
    これらの彫刻は、康助、運慶、湛慶らが中心となって100年間にわたって制作されたもので、
    千体立像のうち約250体には制作銘が記されているが、作者未詳のものがほとんどである。
    風神・雷神像は躍動的な力強さが生き生きと表現された鎌倉彫刻の代表作で、
    これをモデルにした俵屋宗達(たわらやそうたつ)の名画も広く知られている。
    毎年1月15日に近い日曜日には、最も重要な法要である「楊枝浄水供(やなぎのお加持)」と、
    通し矢に因む弓道大会である「大的(おおまと)大会」が行われる。
    「通し矢」の儀は、江戸時代初期に始まったもので、
    一昼夜、堂の西縁の南端から北端まで(約118m)矢を射通す競技である。
    
    拝観受付
    
    参拝入口
    
    本堂西面参拝入口側
    
    何門か分からない
    
    同上本堂側
    
    鐘楼
    
    同上
    
    東側廻廊

    
    東大門
    
    手水舎
    
    写経奉納塔
    
    本堂東正面南側
    
    本堂東正面中央部
    
    本堂東正面近影
    
    本堂東正面北側
    
    本堂(西面)
    
    本堂(南面)
    
    本堂(南東面)
    
    本堂(北面)
    
    本堂(北東面)
    
    南池泉庭
    
    北池泉庭
    
    境内図
    
    拝観券(表)原寸15×6.4cm
    
    拝観券(裏)
    参 : 三十三間堂HP
























































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