ジャズ関連(YSミニ辞典)
[ホーム]
[索引]
[前項]
[次項]
MJQ(Modern Jazz Quartet)モダン・ジャズ・カルテット : アメリカ合衆国のジャズバンド名で、
1951(昭和26)〜1952年にかけ、当時ディジー・ガレスピー楽団に所属していた
ミルト・ジャクソン(ビブラフォン)、ジョン・ルイス(ピアノ)、パーシー・ヒース(ベース)、
ケニー・クラーク(ドラム)によって結成され、長期間活動を続けたモダン・ジャズを代表するグループである。
ドラムは1955(昭和30)年からコニー・ケイが担当している。結成当時は「Milt Jackson Quartet」
だったが、翌年MJQとして正式結成されてから1974年の解散まで22年間続いた。
その後80年代に入って再結成された30数年に及ぶ息の長いグループで、
バロックの様式美と構成美、ジャズのスウィング感をミックスさせた独特のジャンルを開拓した。
日本でも人気の高かったグループだった。
MJQ
[ジャンゴ]は初期のオリジナル・メンバーで入れた傑作、[フォンテッサ]はルネッサンス時代の
イタリア即興喜劇を素材にした優雅な作品、[たそがれのベニス]は1957年の映画「大運河」の
音楽を担当した作品、[サード・ストリーム・ミュージック]は作曲家ガンサー・シュラーと組んで
ジャズとクラシックの融合を試みた意欲作。[ヨーロピアン・コンサートMJQ]のVol1とVol2は
1960年4月に北欧で行ったコンサートのライブ盤で、これまでの集大成ともいえるもの、
[バンドーム]はスウィングル・シンガーズ、[コラボレイション]はローリンド・アルメイダとの共演盤、
[MJQ・ラスト・コンサート]は1974(昭和49)年11月25日、
ニューヨークのアベリー・フィッシャー・ホールでの感動的なラスト・コンサートのライブ盤。
ちなみに、「マンハッタン・ジャズ・クインテット」もMJQだが、通常このグループは「MJQ」とは呼ばない。
参 : [
YouTube](Django)、[
YouTube](True Blues)、[
YouTube](Summertime)、
[
YouTube](Bag’s Groove)、[
YouTube](Round Midnight)、
[
YouTube](Softry as in a Morning Sunrise)、[
YouTube](Take ”A” Train)
アドリブ =
アドリブ(別掲)
綾戸智恵(あやどちえ) : ジャズシンガー。2007年9月10日より前は綾戸 智絵という芸名でも活動していた。
1957(昭和32)年9月10日に大阪市阿倍野区で生まれる。母親は福岡県出身で、
綾戸本人の本籍地も福岡県で、プロテスタントのクリスチャンである。3才でクラシック・ピアノを始め、
教会ではゴスペルを歌う。中学に入るとナイト・クラブでピアノを弾き始め、17才で単身渡米した。
ロスアンゼルスのライブハウスやプロテスタント教会でゴスペルを歌ったり,ピアノ演奏や歌唱などを
展開した。滞米先でアフリカ系アメリカ人のジャズミュージシャンと結婚してハーフの一男を設けるが、
後に夫のDVが原因で離婚した。1991年に帰国後は、神戸市を活動の拠点に置き、
通訳、デパートの販売員、ジャズ・ボーカルの教師などの職業を経験しながら、
大阪のジャズ・クラブで歌い始め、自主制作盤を3枚制作する。
1998年6月、40才にしてCDアルバム「For all We Knows」でプロ・デビュー。
当時、身長147cm、体重40kgにも満たない40才の大阪出身の主婦の鮮烈なデビューは、
多くのジャズファンに衝撃を与える。1999年、3枚目のCD「Life」は発売と.同時に大ヒット。
この時、現在の綾戸智恵のスタイルが確立し、ジャズシンガーのトップアーティストとなる。
以来、年間100本を越える公演チケットのほとんどが完売し、
「もっともチケットの買えない歌手」という称号を与えられている。
綾戸智恵(2009.11.11、朝日新聞「感じた母の愛情」より)
2001年3月には第51回芸術選奨文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)を受賞し、
11月には「AVON Awards To Women」の「芸術賞」を受賞した。
2003年、紅白歌合戦で熱唱した「
テネシー・ワルツ」が大きな話題となる。
お笑い芸人顔負けの爆笑トークを交えながら、ジャズ、ポップス、j−popなど幅広いレパートリーを
巧みにとり入れた個性的なステージは、ジャズという狭い枠組みを飛び越え、多くのファンを魅了した。
2008年7月、デビュー10周年記念コンサート終了とともに、脳の疾患に倒れた母親の看護に
専念するためコンサート活動を休止。1年以上母親につきっきりの介護を経て、2009年9月、
「GOOD LIFE」を引っさげ、全国約50カ所を回るツアーを皮切りに音楽活動を本格的に再開した。
参 :
綾戸智恵(HP)、[YouTube](テネシーワルツ)、[
YouTube](Amazing Grace)、
[
YouTube](夜空ノムコウ)、[
YouTube](My Way)
11月11日の介護の日、「お母さんとじっくり向き合う日々を振り返ってみて、いかがですか?」の
問いに智恵さんは、「やらなきゃダメ!」と決めつけるのではなく、相手の年齢と立場を考えて、
その人に合ったリハビリをする。それを見極めるのが家族の役割なんじゃないでしょうか、と話している。
でも私の場合、友人のパーキンソン病のリハビリには「痛くても元に戻すために我慢しようね」と、
曲がった4本の手足を各100回以上引き伸ばしている。
やらないと浴衣が着せられないほど手が曲がってしまうからで、症状により仕方のないこともあると思う。
ウェストコースト・ジャズ(West Corst Jazz) : 「クール・ジャズ」とも呼び、クールな演奏を特徴とする。
1950年代前半、アメリカ西海岸を中心に展開された
ジャズのスタイル。
ヨーロッパ音楽に見られるような編曲に重きを置いた方法をとったため、ジャズが本来つちかってきた
ブルース衝動を制御する結果をもたらし、その反動として
ハード・バップが台頭してくるのである。
チェット・ベイカー(tp,vo)、スタン・ゲッツ(ts)、アート・ペッパー(ts)、シェリー・マン(ds)、
ズート・シムズ(ts)などが代表的プレーヤーである。
クール・ジャズ(Cool Jazz) : ビバップの反動として1940年代後半に生まれた、
白人寄りの傾向をもつ
ジャズのジャンルである。理知的でコントロールされて聞こえる一方、
ビバップにある躍動感や情緒感は欠ける傾向にある。反対のジャンルにホット・ジャズがある。
マイルス・デイビス(tp)、リー・コニッツ(as)、レニー・トリスターノ(pf)などが代表的プレーヤーである。
コールマン・ホーキンス(Coleman Hawkins) : 1904年11月21日〜1969年5月19日。
アメリカ合衆国ミズーリ州出身のテナー・サックス奏者。
スウィング・ジャズ世代のミュージシャンとしては珍しく、第二次世界大戦後はビバップの分野で活躍し、
サックス奏者に限らず、多くの後進ミュージシャンに影響を与えた。
コールマン・ホーキンス
1922年にニューヨークに進出し、当初はブルースの分野で活動。
1923年、フレッチャー・ヘンダーソン楽団に加入。翌年、この楽団にルイ・アームストロングが加入。
ニューオーリーンズ・ジャズに根ざしたアームストロングのスタイルに影響を受け、
ホーキンスも、荒々しさと洒落っ気を兼ね備えた演奏スタイルを確立。
やがてフレッチャー・ヘンダーソン楽団の看板奏者に成長していった。
1934年からはヨーロッパに渡り、ジャンゴ・ラインハルトやステファン・グラッペリとも共演。
1939年に帰国すると、バンド・リーダーとして、後にスタンダード・ナンバーとなる
「ボディ・アンド・ソウル(身も心も)」を吹き込んだのがジャズ史における最初のバラード演奏と
呼ばれている。ジャズ・バラードの奏法を確立したのはコールマン・ホーキンスといわれている。
以後、多くのジャズ・プレイヤーがこのスタイルを手本にバラードを演奏するようになった。
1940年代には、ビバップという新しいジャズが登場。
ホーキンスもこの流れに注目し、セロニアス・モンクやマックス・ローチ等の若手を育てる。
1957年、教え子的存在であるセロニアス・モンクのリーダー・アルバム『モンクス・ミュージック』に、
ジョン・コルトレーンやアート・ブレイキーと共に参加。
1960年前後には、トミー・フラナガン等と結成したレギュラー・カルテットで活動し、
また、マックス・ローチやバド・パウエルのアルバムにも参加。
1962年にはデューク・エリントンと共演。1963年には、ホーキンスの信奉者として知られる
ソニー・ロリンズと共演。1960年代後半は活動が停滞し、1969年に肺炎で亡くなる。
参 : [
YouTube](Indian Summer、1958年)、[
YouTube](South Of France Blues)、
[
YouTube](&Nat King Cole Oscar Peterson Trio)[
Googleビデオ](Stoned、1964年)
ジャズ(Jazz) : 19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカのルイジアナ州ニューオーリーンズに発祥し、
アメリカ黒人のリズム中心の民俗音楽と、白人のメロディー中心のヨーロッパ音楽とが融合してできた
ポピュラー音楽である。4拍子の第2、4拍にアクセントをおく躍動的なオフビートのリズム、
即興的演奏(アドリブ)などを基本的特徴とするが、演奏形態も手法・スタイルも様々で、
作曲された譜面通りの音楽というよりその演奏方法に独特のリズム感や個性・独創性があり、
同じグループが同じ曲を何回演奏しても全く同じ演奏になることはないと言われる。
つまり「ジャズに名曲なし、名演あるのみ」と言われるのが、その所以
(ゆえん)である。
スタイルについてはディキシーランドジャズ・スイングジャズ・モダンジャズのような伝統的なものから
フリージャズなど前衛的なものまで非常に多様化している。
ジャズにはピアノだけのソロプレイもあるが、フルバンドいわゆる大編成の
ビッグバンドもある。
ジャズのアルバムはライヴ・レコーディング(ジャズ・クラブでの演奏やコンサートなど
お客を前にした演奏の録音)の音源が多い理由として、ジャズのレコーディングは、
多くの場合「同時録音」で、ポップスのようにパートごとに録音を重ねて作るという方法ではなく、
バンド全員で一緒に録音する。つまり、スタジオ録音でも、
やっていることはライヴでの演奏と同じなのである。もちろん「録音環境」という点ではスタジオが
最良だが、必ずしも「スタジオでなくては音楽が作られない。録音できない」ということではない。
ジャズの歴史
起源(1900年頃) [
ブルース][
ラグタイム][ブラスバンド・マーチ][黒人霊歌]
↓ ↓ ↓
初期(1910年〜) [
ニューオーリンズジャズ]
↓
↓
(1930年〜) [
スイング・ジャズ] [ゴスペル]
↓
モダンジャズ(1940年〜) [
ピバップ ]
↓
↓ ↓
(1950年〜) [
クール・ジャズ]
↓ ↓
(1955年〜) [
ハードバップ][
ウェストコースト・ジャズ]
↓ ↓ ↓
(1960年〜) [
フリージャズ][
モード・ジャズ]
↓ ↓
(1965年〜) [
新主流派ジャズ]
↓ ↓
現代のジャズ(1970年〜) [
新伝承派ジャズ][
ヒュージョン]
ジャック・ルーシェ(Jacques Loussier) : フランスのジャズ・ピアニスト、オルガニスト。作曲家。
1934年10月26日、南フランスのアンジェの生まれ。
ジャック・ルーシェ
10歳にして才能を示し、15歳でパリ国立高等音楽・舞踊学校に入り、有名なクラシック・ピアノの名手・
イーヴ・ナットの門下生となった。在学中にアルバイトでポピュラーを演奏してから
ジャズやポップスに興味をもち、歌手の伴奏者となった。アズナブールと組んでから認められ、
フランス・デッカと契約、スタジオでバッハを弾いているうち、「プレイ・バッハ」のアイディアが生れ、
バッハに徹する特異なジャズ・ピアニストとして成功、バロック・ジャズを流行させた。
在学中に作曲を始め、6年で卒業後、1年間世界中を旅し、中東、南米、キューバのサウンドを体験した。
1959(昭和34)年、ルーシェはピアニストとして、ベーシストのピエール・ミシュロ(Pierre Michelot)、
ドラマーのクリスチャン・ギャロ(Christian Garros)と「ジャック・ルーシェ・トリオ」
(一般に、フランスでは「トリオ・プレイ・バッハ(Trio Play Bach)」、
アメリカなどでは「プレイ・バッハ・トリオ(Play Bach Trio)」と呼ばれている)を結成した。
1971年6月にこのトリオで来日した。
ジャック・ルーシェ・トリオ
『G線上のアリア』、『ゴルトベルク変奏曲』をはじめとするバッハの作品をジャズ風に解釈し演奏した、
『プレイ・バッハVol.1〜5』、『シャンゼリゼ劇場のルーシェ』など、多くのライブ出演、ツアー、
コンサートを行った。作曲も得意で「殺人ゲーム」「エバの恋人」などの映画音楽もある。
参 : ジャズでは[
YouTube](Toccata And Fugue in D Minor)
クラシック・オルガンでは[
YouTube](Toccata And Fugue in D Minor,organ)
シンコペーション(syncopation) : 移勢法。切分法。切分音。
強拍と弱拍の通常の位置関係を変え、音楽のリズムに緊張感を生み出す手法をいう。
一般には、弱拍の音を次に続く同一音高の強拍の音とタイで結ぶことによって作り出す。
新主流派ジャズ(しんしゅりゅうはじゃず) : 1960年代の主流であるモード・ジャズの発展形を
新しい主流派=新主流派と呼ぶ。ハード・バップやファンキー・ジャズなどをやっていた
若手ミュージシャン達がマイルスの「モード・ジャズ」を得ることでその音楽性に変化が生じ、
さらにはフリー派の独創的なフレーズなどを取り入れる中で生まれた
ジャズのことをいう。
マイルス・デイビス(tp)、ハービー・ハンコック(pf)、
ウェイン・ショーター(ts)などが代表的プレーヤーである。
新伝承派ジャズ(しんでんしょうはじゃず) : ジャズ原理主義。
ウィントン・マルサリス(tp)などが代表的プレーヤーである。
スイング・ジャズ(swing Jazz)スウィング・ジャズ : 1930年代から1940年代初めにかけて大流行した、
白人が主体となって作られた大人数編成による
ジャズの形態(スタイル)の一つ。
ニューオリンズ・スタイルをベースに、シカゴという土地柄や時代を反映させ、
よりモダンで洗練された響きを内包するようになっていったシカゴ・スタイルと呼ばれる演奏が、
スイング・ジャズの出発点になった。それと並んでもうひとつ、スイング・ジャズの原型となったのが
カンザス・シティ・ジャズで、こちらは同地のミュージシャンが得意にしていた
スインギーなサウンドの中でひとつのスタイルを開花させていく。
黒人ブラスバンドやマーチングバンドと呼ばれるものとは、音楽的には直接の関係はないとされるが、
多くはブラスバンドから発展したともいわれている大人数の
ビッグバンドで演奏され、
歯切れのよいスイング感を特徴とする。ベニー・グッドマン(cl)楽団が代表的とされ、
デューク・エリントン(pf)、カウント・ベイシー(pf)、グレン・ミラー(tb)などの楽団がある。
参 : [YouTube](Benny Goodman「Medley」1937年)、
[
YouTube](Benny Goodman「Sing Sing Sing」1937年)
ディキシーランドジャズ(Dixieland Jazz) : 20世紀初頭、米国のニューオーリンズ地方におこった、
即興性に富む
ジャズをいう。ディキシーランドとは、アメリカ南部諸州のことを指し、
基本的にはニューオーリンズジャズと本質的には変わらないので、
ニュー・オーリンズジャズも含めてディキシーランドジャズといってもおかしくはない。
参 : [
YouTube](下間&三上「St.Louis Blues」)、[
YouTube](有馬靖彦とデキシージャイブ)、
[
YouTube](カレル橋のディキシー・ランド・ジャズ)
トミー・フラナガン・トリオ(Tommy Flanagan Trio) : ザ・トミー・フラナガン・トリオ。
リーダーのトミー・フラナガンは、1945(昭和20)年に15歳でピアノでプロデビューしてから、
1950年代の終わりに自分のトリオを持ったこともあったが、以後はサイドマンに徹することが多く、
デクスター・ゴードン(ts)、ミルト・ジャクソン(vib)、ソニー・ロリンズ(ts)、マイルス・デイヴィス(tp)、
ジョン・コルトレーン(ts)、J.J.ジョンソン(tb)、エラ・フィッツジェラルド(vo)といった
超A級アーティストのバックを務めてきた。
トリオの編成としては、ポール・チェンバース(b)・アート・テイラー(ds)、
ピーター・ワシントン(b)・ルイス・ナッシュ(ds)、ロン・カーター(b)、アート・テイラー(ds)などがある。
代表作としては、1957(昭和32)年に発表した傑作として名高い
「オーヴァー・シーズ(Overseas)」のほか、「エクリプソ」「ジャイアント・ステップス」などがある。
1978(昭和53)年にはレジー・ワークマン(b)、ジョー・チェンバース(ds)と「スーパー・ジャズ・トリオ」
を結成し、ジャズ界に君臨した。2001(平成13)年11月16日、71歳で惜しまれつつ永眠した。
トミー・フラナガン・トリオ
参 : [
YouTube]、[
YouTube](&Benny Carter−Autumn Leaves)、[YouTube]
ニューオーリンズジャズ(New Orleans Jazz) : 1900年頃から1920年頃にニューオリンズで
形づくられたジャズ初期の演奏スタイルで、ニューオーリンズがジャズ発祥の地といわれている。
もっとも、この頃は
ジャズという名前もなく、黒人やクレオールによって、ダンスやパレード、
また葬式の際の小規模なブラス・バンド編成で演奏されていた。
ニューオリンズ・ジャズはパレード用の音楽が中心だったが、
1920年代後半にニューヨークで演奏されていたジャズはダンスの伴奏用音楽の要素が強かった。
そしてステージのためのダンス音楽がやがてファンの間でも楽しまれるようになって、
ダンス・ブームが到来する。
ルイ・アームストロング(tp)、キング・オリバー(cor)などが代表的プレーヤーである。
参 : [
YouTube](ルイ・アームストロング「聖者の行進」)
ハードバップ(Hard bop) : 1950年代半ば、主にニューヨークの黒人たちによって展開された
ジャズのスタイル。1940年代に発生したビバップを、より洗練されたスタイルにしたもの。
アートブレーキー(dr)、クリフォード・ブラウン(tp)、リー・モーガン(tp)、ウェス・モンゴメリー(b)、
マイルス・デイビス(tp)、ジョン・コルトレーン(ts)、ソニー・ロリンズ(ts)、オスカー・ピーターソン(pf)、
ウィントン・ケリー(pf)、レッド・ガーランド(pf)、マックス・ローチ(ds)などが代表的プレーヤーである。
ハンク・ジョーンズ(Henry Hank Jones) : 1918年7月31日〜2010年5月16日は、
アメリカ人のジャズピアニスト、バンドリーダー、および作曲家。
ミシシッピ州ビックスバーグで生まれて、ミシガン州ポンティアックに移った。
そこで、バプティスト助祭であり材木検査官であった彼の父親は、3階建てのレンガ造りの家を買った。
ハンクは、10人の子供のひとりであり、音楽一家で育てられた。彼の母親は歌手であり、
彼の2人の姉がピアノを習っていた。そして、彼の2人の弟サド・ジョーンズ(トランペッター)および
エルビン・ジョーンズ(ドラマー)も、世界的に有名なジャズミュージシャンとなっている。
地元バンドで修行時代を過ごした後ジョージ・クラークのバンドに参加した。
1944年にニューヨークに出てアンディ・カーク、ビリー・エクスタイン、コールマン・ホーキース、
ハワード・マギーらと共演した。1947年にJATPに参加し、1948年にエラ・フィッツジェラルドの
伴奏コンボに参加し、1953年からはフリーとしてニューヨークで活動を始める。
1956〜58年にはベニー・グッドマン楽団に参加。その後ニューヨークでスタジオ・ミュージシャンとして
活動し、1975年4月末グレート・ジャズ・トリオを結成しジャズ界に復帰し大きな成功と評価を得た。
評論家とミュージシャンは、ジョーンズが雄弁で、リリカルで、非の打ちどころがないと述べ、
油井正一氏からも高く評価されていた事は有名である。
演奏スタイルはスイングに留まらず独自の成長を続け、特に、彼から生み出される
個性的な美しいハーモニーとソロ、優しく、時に力強い繊細なタッチは評価が高い。
伝説のアルトサックス奏者チャーリー・パーカーの「 ナウ・ザ・タイム」、トランペッターの
マイルス・デイビスの名演で知られる「サムシン・エルス」と いったジャズの歴史に残る名盤に
名を刻んでいる。もちろん後年のザ・グレイト・ジャズ・トリオ名義のアルバム含め、
自身のリーダー作で60個以上のアルバムに録音しており、
ゲストとして600枚を超えるレコード・CDに録音した。
日本ではPanasonicのCMに長期出演し、「やるもんだ」の決めセリフを言うことでお馴染みで、
来日時は決まって「やるもんだ!」を聞かせてくれることが多かった。
1989年NEA Jazz Master、2008年アメリカ国民芸術勲章、2009年はグラミー賞の功労賞授与。
2010年5月16日ニューヨーク・ブロンクスで死去した。享年91歳。
2010年3月下旬に体調を崩して入院し、数日前にホスピスに移っていたという。
参 : [
YouTube](Hank Jones on Bebop)、[
YouTube](Round Midnight)、
[
YouTube](A Night In Tunisia)、[
YouTube](Hank Jones Trio 「Wisper Not」)、
[
YouTube](Blue Monk)、[
YouTube](Willow Weep For Me)、
[
YouTube](Great Jazz Trio 「Softly,As in a Morning Sunrise」)
米ジャズピアニスト、ハンク・ジョーンズさん死去(
asahi.comより)
ジャズ黄金期から現代まで活躍した米国のピアニスト、ハンク・ジョーンズさんが
2010年5月16日午後、ニューヨークのホスピスで死去した。91歳だった。
日本のレコード会社関係者が明らかにした。2月の日本ツアーでは健在ぶりを示し、
洒脱
(しゃだつ)なスタンダードナンバーを披露したが、
3月下旬に体調を崩して入院し、数日前にホスピスに移っていたという。
ジャズサックス奏者の渡辺貞夫さんの話 : 伝統にのっとり、品が良く、人柄のにじみ出たプレー。
あこがれの人だった。ハンクのいるグレイト・ジャズ・トリオと1976年、
アルバム「アイム・オールド・ファッション」を録音した。
15日の夜、岩手県一関市のジャズ喫茶ベイシーで偶然にもそれを聴き、
店の人たちと懐かしんだばかりだったのに。ハンクが僕にさよならを言いに来てくれたのかも知れない。
3年ほど前の来日でも、彼は帯状疱疹(ほうしん)の痛みを抱えた体で僕と共演した。
ホテルの部屋に電子ピアノを持ち込んで練習していた。責任感の強い人だった。
ビッグバンド(big band) : ポピュラー音楽、特に
ジャズにおけるバンド形式の一つで、
フルバンドとも呼ばれる。一般には大人数編成によるアンサンブル形態のバンド(楽団)、
あるいはこの形態で演奏されるジャズのジャンルのことを指す。
前者はジャズ・オーケストラ、後者はビッグバンド・ジャズと表現をすることもある。
アンサンブルの形態としては、高度なアレンジとソロパートの組み合わせにより演奏されるため、
即興演奏を主とするジャズコンボとは対極を成すといえる。
ジャズのジャンルとしては1930年代と1940年代に主流となっていた
スウィング・ジャズと
同義語とされることも多いが、近年ではビッグバンドの形式でスウィング・ジャズ以外
(
ビバップ、
ヒュージョンなど)が演奏されることも多いため、現在では必ずしも同義語とは言えない。
ビッグバンドの演奏は5本のサックス、トランペット4本とトロンボーン4本のブラスセクションに、
ピアノ、ベース、ドラムス、ギターのリズムセクションを加えた17人編成が世界の標準になっている。
参 : [
YouTube](Dizzy Gillespie Big Band「1947 groovy man」)、
[
YouTube](原信夫とシャープス&フラッツ
)
ビバップ(Bebop) : 1940年代初期に成立したとされる、
ジャズの一形態で、継承するか、
反発から生じたかの違いはあっても、モダン・ジャズの起源はこの音楽にあるというのが、
最も一般的な見解である。仮名表記によって、ビー・バップ、ビ・バップなどとも記される。
マンネリ化したスウィング・ジャズに飽きた、あるいは、本来の即興演奏が好きな
ジャズメン(ジャズの演奏家)たちが、ライヴハウスや演奏主体の飲食店の閉店後に、
ジャム・セッションをしていて、そこから発展し生まれたとされる。
チャーリー・パーカー(as)、セロニアス・モンク(pf)、ディジー・ガレスピー(tp)、
バド・パウエル(pf)、ポール・チェンバース(b)などが代表的プレーヤーである。
ヒュージョン(Fusion、Jazz Fusion)フュージョン : @融合。合併。連合。
A二つのジャンルの音楽(特に
ジャズとロック、ジャズとソウルなど)を融合させた音楽のこと。
1960年代の後半より、電気楽器やロック風な奏法を取り入れた、
新しい演奏スタイルジャズ・ロック、クラシックや現代音楽の要素を取り入れたクロスオーバーを経て、
アメリカなどでは1970年代終盤、日本でも同時期から1980年代に入ると、
より
ソフィストケイトされたポピュラーな演奏になった。
これを、他のジャンルと融合した音楽としてフュージョンという新たなジャンルで呼ばれた。
マイルス・デイヴィス(tp)のビッチェズ・ブリューがフュージョンの最初のアルバムとされていて、
他にジョー・ザビヌル(pf)がリーダーのウェーザー・リポート、チック・コリア(pf)、
マイケル・ブレッカー(ts)、パット・メセニー(g)、ジョージ・ベンソン(g)、ジョン・スコフィールド(g)、
ジャコ・パストリアス(b)などの代表的プレーヤーがいる。現在ではよりポップ性を持たせ、
大衆により聞きやすくなったスムーズジャズがアメリカのラジオ局を中心に人気になっている。
参 : [
YouTube](ハービー・ハンコック)
フリージャズ(Free Jazz) : 即興演奏を重視した前衛的なジャズ・スタイルの総称をいう。
1960年代、従来の和声・音階・リズムなどの枠組みにとらわれず、自由な自由な演奏を目指したもの。
オーネット・コールマン(as)、セシル・テイラー(pf)、エリック・ドルフィー(bcl)、
アーチェー・シェップ(ts)などが代表的プレーヤーである。
ブルース(the blues) : ブルーズ。4分の4拍子の哀愁を帯びた歌曲のこと。
アメリカ黒人に歌われた哀歌で、のちに
ジャズに取り入れられてジャズの音楽的基盤ともなった。
ロバート・ジョンソン(g)が代表的プレーヤーである。
参 : [
YouTube](ジャズ・メッセンジャーズ「ブルース・マーチ」)
ブルーノート(a blue note) : @アメリカ黒人音楽の旋律にあらわれる音階的な特徴で、
長音階の3度(ミ)と5度(ソ)と7度(シ)の音が半音下がるもの。また、その下がった音。
ブルース・ジャズに特徴的な音。
Aニューヨークに1939(昭和14)年に誕生した音楽史上初めてのジャズ専門レーベルである。
設立したのはブルースが大好きだったドイツ系移民のアルフレッド・ライオンで、
最初はブギウギ・ピアノの2枚のEPによってそのスタートを切った。
1940年代に入ると、ジャズはビバップと呼ばれるモダン・ジャズの時代を迎える。
その路線にブルーノートは他のレーベルより一歩遅れて参入した。しかしそこから快進撃が始まる。
無名のセロニアス・モンクに最初からリーダー録音を行わせたことも、
このレーベルの大きな実績になった。売れ行きは芳しいものでなかったが、
それを継続させたことでモンクの重要な吹き込みが数多く残せたからである。
シドニー・ベシェの「サマータイム」もヒットを記録した。
1950年代にはフォトグラファーでもあるフランシス・ウルフ、レコーディング・エンジニアの
ルディ・ヴァン・ゲルダー、デザイナーのリード・マイルスによる分業制が確立、
ジャズ・サウンド、アートワーク・デザインすべてが揃った素晴らしい作品を次々に送り出し、
ジャズ界のみならず、ミュージック・ビジネス・シーン全体に与えた影響も計り知れない。
ブルーノートは、後のジャズ・シーンを担うジャズメンを数多く輩出、アート・ブレイキー、
ホレス・シルヴァーらを筆頭に、アート・ブレイキー、クリフォード・ブラウン、ホレス・シルヴァー、
ハンク・モブレー、ジミー・スミス、リー・モーガン、ルー・ドナルドソン、ジミー・スミス、
ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、トニー・ウィリアムス、ソニー・クラーク、
オーネット・コールマン、ドナルド・バード、フレディ・ハバードら、ブルーノートほど
初リーダー・アルバムの多いレーベルは他に存在しないし、モダン・ジャズメンのほとんどが
ブルーノート出身と言っても過言ではない。さらに1980年代中盤に復活したこの名門レーベルは、
1990年代にはUs3による<カンタループ>の世界的ヒットを生み、カサンドラ・ウイルソンを始め、
アル・グリーンなどジャズと言うカテゴリーだけでは括れないボーダーレスなジャンルの
ヴォーカリストを多数擁し、ノラ・ジョーンズの世界的ヒットをも生んで、
今も音楽シーンに影響を与え続けている。
モード・ジャズ(Modal Jazz) :
モダン・ジャズのサブ・ジャンルの一つで、クラシックや現代音楽で
使われていたモード(音階)を用いてアドリブ演奏される
ジャズをいう。
1950年代後半に試され、マイルス・デイビス(tp)が1958年にリリースした
「Kind of Blue」(カインド・オブ・ブルー)のアルバムの最初の曲「So What」がモード奏法の
典型といわれている。それ以前にも、ジョージ・ラッセルなどが試みた手法である。
マイルス・デイビス(tp)のほか、ジョン・コルトレーン(ts)、ビル・エバンス(pf)、
ハービー・ハンコック(pf)などの代表的プレーヤーがいる。
モダン・ジャズ(Modern Jazz) : 一般に、1940年代に確立した
ビバップから、1960年代終盤の、
「電化ジャズ」(主に、マイルス・デイヴィスらによって作られた)あたりまでの
ジャズの総称。
但し、一般に電化ジャズ自体は含まない。現在のジャズも含むという見解もあるが、
「現在のジャズは、クラシック音楽同様、主流が厳密な理論に縛られ、演奏による古来の楽曲と理論の
保存が最優先となってしまい、最先端としての音楽的進歩は見られないため、除く」という見解もある。
対応するそれ以前のジャズは、「アーリージャズ」「クラシックジャズ」「オールドジャズ」などと呼ばれる。
ちなみに、
モダン・ヴァイブの第一人者といえば、いまも昔もミルト・ジャクソンと相場は決まっている。
スイング時代にはライオネル・ハンプトンという大スターがトップの地位に君臨していたが、
ジャクソンが登場してからハンプトンは大御所として祭り上げられ、
実質的にはジャクソンがヴァイブにおけるトップ・ミュージシャンとなった。
ラグタイム(ragtime) : 1880年代からアメリカのミズーリ州を中心におこったピアノ音楽をいう。
作曲家・演奏家に黒人が多く、
シンコペーションが多用された。
ジャズの前身とされるが、即興演奏は行わない。
スコット・ジョップリン(pf)などの代表的プレーヤーがいる。
参 : [
YouTube](Alexander’s Ragtime Band「Muskrat Ramble」)