ジェノサイド(YSミニ辞典)

[ホーム] [索引] [前項] [次項]                                          
ジェノサイド(Genocide) : 集団殺害。集団殺戮(さつりく)
    特定のの人種・民族・国家・宗教などの構成員に対し、絶滅などの全部または一部を破壊する
    意図を持って行う殺害や肉体的、精神的な迫害のことで、特定の住民に対する強制移住なども含まれる。
    ジェノサイド条約国際刑事裁判所で集団殺害罪(国際法違反)として規定されている。
    政治的集団などへの虐殺も含むべきだとの指摘が根強い。
    タリバーンによるバーミヤン遺跡における仏像バーミヤンの大仏)の破壊のような、
    文化財の破壊や言語の使用禁止を念頭に「文化的ジェノサイド」を認めるよう求める意見もある。
    genocideはギリシャ語のgenos(種族・国家・民族)とラテン語の接尾辞cide(殺害)の合成語である。
    ガス室集団虐殺を告発するため、第二次大戦中の1944(昭和19)年に、
    連合国側アメリカで刊行されたユダヤ人ラファエル・レムキンの著
    『占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治』で使用されたのが最初である。
    「ジェノサイド」と指摘される世界の主な大虐殺の例
    ●ナチスのホロコースト : 第2次大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人らを大虐殺したナチ党は、
     ベルゲン・ベルゼンをはじめとするドイツ国内の「強制収容所」の他に、
     アウシュヴィッツやビルケナウをはじめとする「絶滅収容所」をポーランド領内に建設し、
     ユダヤ人らをこれらの「強制収容所」及び「絶滅収容所」に収容した。
     とりわけ「絶滅収容所」には、ユダヤ人の大量殺人を目的とする「ガス室」が設けられた。
     「ガス室」では、「ツィクロンB」と呼ばれる毒ガスを使って、約600万人ものユダヤ人が殺害されたと
     される。ユダヤ人の遺体は、焼却炉をフル稼働して焼却処分されたので残っていないとされる。
    ●「クロアチア独立国」の虐殺 : 第2次大戦中にクロアチアのファシスト組織「ウスタシャ」が
     セルビア人らを虐殺した。ナチス・ドイツはウスタシャのボス、パベリッチを首領にナチスの傀儡政権
     「クロアチア独立国」を設立。パベリッチのウスタシャはユダヤ人・ジプシー・セルビア人を大量虐殺した。
    ●旧ユーゴ民族浄化 : 旧ユーゴスラビア紛争、特にボスニア内戦時の民族浄化で、
     1992〜95年のボスニア・ヘツツェゴビナ紛争などでセルビア人勢力がモスレム人らを虐殺した。
     イスラム教徒、クロアチア人に対する民族浄化(エスニック・クレンジング)が行われ、死者20万人、
     難民200万人を出す惨劇となった。ボスニアのセルビア人指導者で旧ユーゴ内戦戦争犯罪人の
     ラドバン・カラジッチ被告は、この民族浄化を指導したとされており、
     虐殺や人道に対する罪で「旧ユーゴ国際刑事裁判所」に起訴されている。
    ●ルワンダ大虐殺 : 内戦中の1994年春に多数派フツ族民兵らが少数派のツチ族を虐殺した。
     大国間の政治闘争の結果犠牲になったともいえる大虐殺では、少なく見積もっても
     100万人の人々が亡くなったといわれている。ガリ近郊のネルソン・マンデラ平和村にある教会では、
     逃げ込んだ5000人もの人々を無情にも殺戮したその残骸が、
     未だに漂う死臭とズラリと並んだ頭蓋骨と共に、空の青さと対照的にその惨さを物語っている。
    ●アルメニア人大虐殺 : 第1次大戦中のオスマン帝国による大虐殺。トルコ側は認めていない。
     オスマン帝国末期には150万〜200万人のアルメニア系住民がいたと推定されるが、
     第1次世界大戦中に青年トルコ党内閣の計画的な撲滅政策によって共同体ごと消滅した。
     シリア砂漠地帯への強制移住が組織的に遂行され、その過程で大量の処刑が行なわれた。
     また強制移住そのものが「死の行進」であったことから、100万人程度が犠牲になったと推定される。
     民族主義に基づくジェノサイドという二十世紀に特有の現象が最初に起こった例といえる。
    ●グアテマラ先住民虐殺 : 1960年から36年間の紛争で国連の推計では全土で626の村が
     破壊され、死者・行方不明者は20万人以上で、その8割以上が先住民族だったとされる。
     1980年代前半に政府軍がマヤ系民族の農民に発砲し、35人を虐殺した。
    ●アメリカ先住民虐殺 : 米国の西部開拓者らがインディアンを虐殺した。
     1890年12月ウンデッド・ニーの虐殺により、白人によるインディアン戦争は終結した。
     推定1000万人いたインディアンは白人の直接・間接虐殺により実に95%が死に絶えた。
    ●カンボジア大虐殺 : 1970年代後半にポル・ポト政権が都市住民や知識人らを殺害した。
     カンボジアのポルポト政権は1975年から3年9カ月続いたが、
     その間に強制労働や虐殺などによって170万人の命が奪われた。
    ●スターリン大虐殺 : 1930年代の旧ソ連で富農や政治的敵対者を殺害した。
     1997年11月 6日、モスクワ放送は「10月革命の起きた1917年から旧ソ連時代の
     87年の間に6200万人が殺害され、内4000万が 強制収容所で死んだ。
     レーニンは、社会主義建設のため国内で 400万の命を奪い、
     スターリンは1260万の命を奪った」と放送した。このうちスターリン時代に関しては、
     マーティン・メイリア教授(カリフォルニア大学バークレイ校)が、最低2,000万人という数字を
     提示している。内訳は、強制労働収容所の死者1200万人、1937〜39年の処刑者100万人、
     農業集団化の犠牲者600万人〜1100万人などである。
    ●ナミビア先住民虐殺 : 1904〜07年、旧独領西南アフリカで
     植民地支配に抵抗したヘレロ族ら3万5千人以上を独軍が虐殺した。
    ●スーダン虐殺 : 2004年にスーダン政府の支援を受けたアラブ系民兵組織が西部の
     ダルフール住民を集団虐殺した。ダルフール紛争はスーダン西部のダルフール地方で2006年現在も
     進行中のスーダン政府に支援されたアラブ人によるジャンジャウィードと呼ばれる民兵と
     地域の非アラブ人住民との間に起きている民族紛争である。この紛争で2003年2月の衝突以降、
     2006年2月時点での概算で18万人が既に殺害され、現在進行中の民族浄化の事例として
     広く記述されている。2004年6月3日の国連事務総長の公式統括(bilan officiel)によれば、
     1956年の独立以来、1972年から1983年の11年間を除いて、200万人の死者、
     400万人の家を追われた者、60万人の難民が発生しているとされる。
    ●ウイグル・チベット・東トルキスタン虐殺 : 中国政府(清朝〜中国共産党)による
     ウイグル・チベット・東トルキスタンでの迫害・虐殺・民族浄化が行われた。
     中華人民共和国における少数民族への強制的な断種、避妊手術では、
     「計画生育」と言う名目で赤ちゃんを大量に強制中絶し(避妊の手段も知識も無い環境の下、
     妊婦は密告され強制中絶に、犠牲になった胎児はおよそ850万とされる)、
     中国共産党の50回もの核実験によって75万人もの人々が放射能中毒で犠牲になり、
     「政治犯」として50万人もの人々が処刑されている。
    ●毛沢東の虐殺 : 毛沢東は、1957年2月27日、「49年から54年までの間に
     80万人を処刑した」と自ら述べている。(ザ・ワールド・ アルマナック1975年版)。
     周恩来は、同年6月、全国人民代表大会報告で、1949年以来「反革命」の罪で逮捕された者のうち 、
     16%にあたる83万人を処刑したと報告している。
     また、42%が労働改造所(労改、強制収容所)に送られ、32%が監視下に置かれたと述べている。
     毛沢東は、その後もさまざまな権力闘争や失政を続けたが、丁抒らの研究によると、
     大躍進運動と文化大革命によって、2000万人が死に追いやられたとされている。
    ●チベット蔵族の虐殺 : 1950年の中華人民共和国のチベット侵攻以降における同地での
     蔵族の虐殺及び追放。1959年の「ラサ決起」の後、中国側は叛徒の徹底的な弾圧に乗り出した。
     この前後に行われた虐殺行為については国際法律家委員会のメンバーが現地人の証言をまとめ、
     「チベットと中華人民共和国」というレポートを出している。
     中国がまず標的にしたのは「富裕階級」「地主」「村などのリーダー」だった。
     それらの人々は公衆の面前で銃殺されたり、焼き殺されたりしたという。
     「財産を公開しない」という理由である者は溺死させられ、ある者は生き埋めにされた。
     密告制度が導入され、人民裁判、つまり、公衆の面前で個人を卑しめたり、
     その罪状を糾弾させる行為が行われた。これにより、子供は親の罪状を、親は子供の罪状を
     あげつらわなければならなくなった。子供に自分の親を射殺させるなどの行為も行われた。
     中国は、3階級の処刑が終わると、今度は僧侶の処刑と寺院の破壊に着手した。
     抵抗した僧侶らのうち、ある者は縄で絞め殺された。
     その際に、縄で首をしめる道具として仏像が使われたという。腹を切り裂く、撲殺する、糞尿を食わせる、
     生きたまま焼き殺したり生体解剖を行ったりと、残虐を極めた行為で次々と僧侶たちを処刑していく。
     経典はマットレスやトイレットペーパーに使われた。中国が殺したのは富裕階級と僧侶だけではない。
     新婚の女性は産婦人科で知らぬうちに不妊手術を受けさせられた。
     「検査」と称し強制的に連行された男性は、生殖器に何らかの手術を施され、
     それ以降、性的欲求をまったく感じなくなったという。子供たちは「中国本土で教育を受けさせる」という
     名目で連れ去られたまま、二度と戻ってくることはなかった。
     チベット亡命政府の発表によると、「解放」の美名のもとに中国によって殺されたチベット人は
     1950年から1984年までの間で120万人以上にも上り、
     中国側は決してこの数字を認めようとしないが、虐殺は現在も続いているそうである。
     参 : ジュネーブ条約A56
ジェノサイド条約(Genocide Convention) : 集団殺害罪の防止および処罰に関する条約。
    1948(昭和23)年に国連総会で採択され、国民・人種・民族・宗教などの集団を破壊する意図をもって、
    集団構成員に殺害・危害を加える行為を禁止している。 参 : 国際刑事裁判所



































inserted by FC2 system