ジュネーブ(YSミニ辞典)

[ホーム] [索引] [前項] [次項]                                          
ジュネーブ合意(Agreed Framework)じゅねえぶごうい : 米朝枠組み合意。
    米朝両国政府がジュネーブで朝鮮半島の核問題の解決のために協議し、
    1994年10月21日に「合意枠組み」に到達したこと。
    北朝鮮が稼働させていた黒鉛炉を、軍事転用がより困難な軽水炉に置き換えることに重点が置かれ、
    日米韓三国を中心に「朝鮮半島エネルギー開発機構」(KEDO)を組織し、軽水炉の建設にあたった。
     同合意では、黒鉛炉と、そこから抜き出された使用済み燃料棒、再処理施設をただちに「凍結封鎖」し、
    将来的には、国際原子力機関(IAEA)の査察・検証を経て「解体」することが確認されていた。
    KEDOは、軽水炉完成までの代替エネルギーとして年間50万トンの重油提供を約束した。
    具体的には、北朝鮮が核転用可能な黒鉛減速炉と関連施設を封鎖・凍結する見返りに、
    米国が核転用不可能な軽水炉2基を提供し、1号基が完成するまで、
    重油を毎年50万トン提供する代替エネルギーとしての重油を供給するとした。
    さらに、米朝関係正常化に関しては、3カ月以内に通信、金融取引を含む貿易・投資制限を緩和し、
    技術的問題の解決に伴い連絡事務所を設置し、事態の進展にあわせて大使級の関係に
    進むことも合意した。ちなみに日本は軽水炉建設費用の20%を負担することにした。
     北朝鮮に課されたこれらの義務の履行スケジュールは、すべて軽水炉建設日程の進展に
    リンクされていた。2003年とされた軽水炉の完成を受けて黒鉛炉は解体されることになっていた。
    それに先だって、「炉心の主要部品が納入されるまでに」とされたIAEAの完全な査察も、
    凍結した燃料棒の処分も、工事の遅れを理由に実施されなかった。
     そうした状況で、2002年秋に、北朝鮮のウラン濃縮疑惑が噴き出し、
    10月には核施設を建設していることを認めたのをはじめ、それを追及する米国に反発して、
    核関連施設の凍結を一方的に解除し、「米国が我々への敵視政策をやめないのなら核開発を進める」
    と公言した。このため国際世論は「米朝合意」違反だと批判している。
    そして、北朝鮮は、使用済み燃料棒の再処理で得られたプルトニウムを使って核兵器開発を推進し、
    2005年2月には「核保有宣言」を行い、ジュネーブ合意は瓦解(がかい)した。

    北核放棄代価として2兆7000億ウォン支給
     北朝鮮の核プログラム放棄代価として、1994年ジュネーブ合意以後、
    今日まで、北朝鮮に総額2兆7000億ウォン余りが支給されていたことが分かった。
     国会外交通商統一委員会の権寧世(クォン・ヨンセ=ハンナラ党)議員が2009年10月5日、
    外交通商部から受けた「北核交渉関連対北朝鮮支援現況」関連資料によれば、
    1994年のジュネーブ合意履行のために、軽水炉事業費名目で韓国が11億5000万ドル、
    日本4億1000万ドル、欧州連合(EU)1800万ドルなどを支出し、
    米国が2002年まで重油365万トン(4億ドル相当)を提供、
    総額で19億7800万ドル相当が北朝鮮に提供されていた。
     また2007年の「2.13合意」および「10.3合意」により、
    韓国、米国、日本、中国、ロシアの6者会談参加国が、2009年4月まで、
    北朝鮮に提供した重油74万5000トン(3億1000万ドル相当)まで含めば、
    北核交渉と関連して、韓国をはじめとする関連国が北朝鮮に支給した代価は総額で
    22億8800万ドル(2兆7456億ウォン、1ドル=1200ウォン基準)に達している。
     これと別途に、この10年間、韓国と米国、世界保健機構(WHO)をはじめとする国際機構が、
    食糧、肥料、緊急救護などの名目で各々2兆366億ウォン、米国7560億ウォン、
    国際機構1兆1916億ウォンなど、総額3兆9842億ウォン相当を北朝鮮に支援したことが分かった。
ジュネーブ条約 : 戦争の進め方を扱う「国際人道法(Geneva Conventions and Protocols)」の一部で、
    1907(明治40)年のハーグ陸戦条約、1949(昭和24)年8月12日に締結されたジュネーブ条約、
    1977(昭和52)年の2つの追加議定書などがある。ジュネーブ条約の前身は、
    1864(元治元)年、スイスのジュネーブで、16カ国の外交会議が開かれ、
    戦地における戦傷病兵の救護及びその救護者の中立性保護を規定した条約を結んだのが始まりで、
    以来、いくつもの条約がつくられ、国際赤十字の結成と活動を基礎づけた。
    日本は22年後の1886(明治19)年に加盟している。
    現在は、1949(昭和24)年になって締結された4つの条約にまとめられ、
    戦争(武力紛争)に際し、戦闘行為に参加しない民間人や、戦闘行為が
    できなくなった人びと(捕虜、傷病者など)の保護を目的として、第1条約で陸戦傷病者保護、
    第2条約で海戦傷病者保護、第3条約で捕虜の待遇を定め、対象を軍隊のほか民兵隊や義勇隊に、
    人道的な待遇や暴行からの保護、報復措置の禁止を義務づけているほか、尋問の際に精神的拷問や
    強制を禁じている。第4条約で文民保護を定めている。そのため、「ジュネーブ4条約」または
    「ジュネーブ諸条約」と呼ばれ、赤十字が基点になっていることから「赤十字条約」とも呼ばれている。
    この「ジュネーブ4条約」には、2002年11月末現在、190カ国が本条約を批准または加盟しており、
    日本は1953年4月に加盟しているが、1977(昭和52)年の追加議定書にはまだ加入していない。
    戦争当事国がジュネーブ条約に違反した取り扱いをした場合、条約から導き得る救済策は
    @関係者の処罰(個人の責任追求)とA国家賠償(国家の責任追求)の2つである。
    ジュネーブ条約では捕虜への人道的な取り扱いを確保するために、締約国に対し、
    違反行為をおこなった者や命じた者に対する処罰のための国内法を整備し、
    処罰する義務を負わせている。したがってジュネーブ条約とは、条約に違反した個人を
    国内裁判所で訴追することを原則としており、国際裁判所での処罰が想定された制度ではない。
    (注)日本の国際免許制度は、ジュネーブ条約を根拠にしているために、原則的にはこの条約を
       批准した国の国際運転免許でなければ日本国内で利用することはできない。
       来日前に取得した国際運転免許証は、発給日から1年間有効だが、国際運転免許証から
       日本の運転免許証への切り替えはできない。切替えの条件や必要書類を満たしていれば、
       外国運転免許証から日本の運転免許証への切り替えはできる。
    参 : 戦争犯罪
    
    現在、内戦状態のイラクも1956年に署名しているが、ジュネーブ条約は戦時における条約なので、
    フセイン政権時代の政治犯への虐待など、国家であっても適用されなく、テロリストにも通用しない
    ので条約の軽視につながっていると思う。戦時でなくても武器を公然と携行しているテロリストや
    ゲリラなどにも適用する条約を制定すべきである。

ジュネーブ条約追加議定書 : 1977(昭和52)年にベトナム戦争や頻発する各国の内戦で、
    多くの一般住民が犠牲者になったのを教訓として採択された。
    「国際的武力紛争の犠牲者の保護」と「非国際的武力紛争の犠牲者の保護」の二つからなる。
    紛争時であっても、攻撃対象を無制限に拡大することは許されない、という考えを基礎にした多国間条約で、
    1949(昭和24)年に採択されたジュネーブ条約とともに、国際人道法の中核となるものとされている。
    一般住民の攻撃や無差別攻撃の禁止などに加えて、ダムや原子力発電所など、
    大きな被害をもたらす対象への攻撃も禁止、食料や医療手段などの保護や、
    捕虜の扱いについても細かく規定している。日本政府はジュネーブ条約については批准しているが、
    国内関係法を整備しないまま50年以上が経過しており、
    これが追加議定書について批准しなかった理由であると、外務省では説明している。
    2003年6月に有事関連3法が成立した際に、政府は武力紛争時の住民や捕虜の人権を守るための
    「国際人道法」の整備を約束しており、追加議定書の批准と条約を履行するための国内法として、
    非人道行為処罰法、捕虜に関する法案などを国会に提出している。






















































inserted by FC2 system