松陰神社(YSミニ辞典)

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松陰神社(しょういんじんじゃ) : 江戸時代末(幕末)の思想家・明治維新の立役者である伊藤博文
    数多くの逸材を育てた教育者である吉田松陰を祭神とする神社で、
    松陰の墓所がある東京都世田谷区と、松陰の生誕地である山口県萩市にある。
    どちらも、学問の神として崇敬を受ける。
    松陰神社(萩) : 山口県萩市椿東松本1537に所在。旧社格は県社。
    JR山陰本線東萩駅から歩いて15分くらいの所にある。
    1890(明治23)年、松陰の実家・杉家の邸内に土蔵造りの小祠を建て、
    松陰が愛用していた赤間硯を神体として祀ったのが当社の創建で、
    松蔭の没後31年たってから建立された。
    
    松陰神社(萩)境内入り口の大鳥居
    
    松陰神社(萩)
    
    神社本殿に向かって右側にある手水舎。
    左側にの神社の墓所の中には吉田松蔭をはじめ、安政の大獄で処刑された志士たちの墓がある

    
    松陰神社(萩)本殿
    
    同上
    1907(明治40)年9月、伊藤博文侯爵、野村靖子爵を松陰神社維持会の総裁、副総裁として、
    縣知事渡辺融に縣社格を願い出て、同年10月4日に正式に許可を受け、
    萩城内にあった鎮守・宮崎八幡の拝殿を移築して本殿とし、同時に県社に列格した。
    現在の社殿は1955(昭和30)年に新しく建てられたものである。
    創建当時の土蔵造りの旧社殿は松下村塾での門人を祭る摂社・松門神社となっている。
    境内には松下村塾の遺構・松陰幽囚の旧宅・松陰の足跡を偲ぶ吉田松陰遺墨展示館、
    吉田松陰歴史館、松陰神社宝物殿「至誠館」などがある。
    萩市で学問の神として最も尊敬を集める神社であり、正月には多くの初詣客が訪れる。
    ◆駐車場 : 一般車 無料(境内60台、神社前59台)/大型車 500円 13台
    ◆お問合せ : 松陰神社社務所   0838−22−4643
    松陰神社宝物殿「至誠館」
     明治維新の原動力となった幕末の思想家、維新の父・吉田松陰が1859(安政6)年に
    安政の大獄により江戸で刑死、殉節してから150年となる2009(平成21)年を迎えることを記念し、
    2003年から建設準備を進め、松陰の生涯、思想、行動を後世に伝え、
    萩の文化発信の拠点としようと2007年8月に着工し、5年がかりで松陰神社の境内に建設した。
    完成後、広く親しみをもってもらうため、「松陰神社宝物殿」の愛称を一般募集し、「至誠館」に決まった。
    正式名称は「松陰神社宝物殿」で、愛称が「至誠館」である。
    松陰の命日にあたる2009年10月27日に開館し、翌日28日の午前9時から一般公開された。
    
    至誠館入口外観(2009.11.17撮影)
    
    至誠館入口
    
    入館券。裏は白紙
    松陰が遺した著述、物品を永久保存を目的とし、それらを展示することを通じて、
    松陰の思いを現代に伝える。城下町・萩にふさわしい大屋根や白壁があり、
    所蔵する宝物は処刑前に門弟にあてた遺墨「留魂録」など約1000点を展示し、
    松陰の生涯や思想を解説するパネルもある。松陰神社は「時代を超えて人々の心を揺り動かす
    松陰先生の国家観や教育観などの『志』に触れてほしい」と話している。
    至誠館は鉄筋コンクリート一部鉄骨造り平屋建てで、
    延床面積は約500平方メートルで外観は和風になっている。総工費は約3億2000万円。
    内部は回遊型で松陰の生涯や萩市内のゆかりの地を年表で紹介する無料ゾーンと有料ゾーンがある。
    有料ゾーンには松陰が門下生や家族にあてた遺書などを展示する「留魂の間」や、
    松陰の足跡をたどる「時代の書院」「村塾の観席」などのコーナーがある。
    さらに映像を使った「デジタル展示」コーナーがあり、松陰をめぐる人々の紹介や留魂録、詩文、
    書簡などを読むことができる。また無料ゾーンにはミュージアムショップを設け、
    ここでしか手に入らないオリジナルグッズを販売する。無料ゾーンの奥の壁には、
    これまでよく知られた吉田松陰の姿とは違った若々しい肖像画が展示されている。
    同神社の上田俊成宮司によると、宝物殿の開館に合わせ、萩出身で萩高校美術部にも
    在籍したことのある日本画家、内田青虹さん(東京都内在住)から寄贈を受けたという。
    60号の大きさで、正座して書を手にしている姿。若々しく男前に描かれている。
    内田さんは肖像画を描くにあたって、松陰の兄の民治の子孫にあたる
    杉治彦さん(神奈川県鎌倉市在住)を訪れて話を聞き、イメージをふくらませた。
    10月27日の開館式に姿を見せた杉さんも「内田さんの肖像画の方が、
    より実物に近いのでは」と話し、気に入った様子だったという。  
 これまでの松陰の肖像画は、
 萩から江戸に送られて処刑される前の数え30歳のとき、
 松下村塾生の松浦松洞(しょうどう)
 描いたものがよく知られている。威厳をもたせるため、
 実物より老けたように描いたともいわれ、一見、60歳前後にも見える。
 このため「実物はもっと若かったはず。
 違った肖像画も見てみたい」との声も一部にあった。
 上田宮司は「松陰先生のこれまでの肖像画の方が定着しているし、
 威厳もある。今後もこちらが主流になると思うが、
 若々しい顔もまた魅力的だ」と話している。

 年中無休で、入場料は大人500円、中高生250円、小学生100円。
 電話による問い合わせ : 0838−22−4643
 参 : 萩・松陰神社(HP)、萩市観光協会(HP)、山口県神社庁(HP)







    松陰神社(東京) : 東京都世田谷区若林4−35−1に所在する。旧社格は府社。
    また、付近には国士舘大学(世田谷キャンパス)や世田谷区役所がある。
    東急世田谷線松陰神社前駅下車徒歩3分。鎮座地にはかつて長州藩主の別邸があった。
    松陰が安政の大獄で刑死した4年後の1863(文久3)年、
    高杉晋作、伊藤俊輔(博文)ら松陰の弟子達によって
    小塚原の回向院にあった松陰の墓を長州藩の下屋敷のあったこの地に改葬された。
    1882(明治15)年11月21日、長州藩士の門弟ら(伊藤博文・乃木希典・木戸孝允など)が中心となり、
    松陰の墓の東側に松陰を祀る神社が創建された。従って御祭神は安政6年に安政の大獄に連座し、
    江戸伝馬町の獄中にて30歳の若さで刑死した吉田松陰すなわち
    「吉田寅次郎藤原・矩方命(よしだとらじろう・ふじわらのりかたのみこと)」である。
    現在の社殿は1927(昭和2)年から3年にかけて造営されたものである。
    鳥居をくぐると、左手中ほどに幕末に活躍した吉田松陰の座像が、
    右手奥には松下村塾を模した家があり、頼三樹三郎など同士6人の墓がある。
    松陰の50年祭に際して寄進された26基の燈籠には伊藤博文、木戸孝正、山縣有朋、桂太郎、
    乃木希典、井上馨、青木周蔵などの名前が刻まれている。
    松下村塾を模造した建物、頼三樹三郎、広沢真臣らの墓もある。
    また、桂太郎の墓所も近くにある。松陰らが眠る墓域は幕末時代、徳川勢により一度破壊されたが、
    慶応4年(明治元年)、木戸孝允がこれを修復整備した。
    墓域には現在も、木戸が寄進した鳥居が残っている。
    松陰神社前駅の商店街では、毎年秋に幕末維新祭りを開催し、幕末維新、奇兵隊、
    新選組などの歴史ファンが関東や遠くは九州から駆せ掛ける。
    またここでは萩市と会津若松の観光業者が呉越同舟で隣り合わせで営業している。
    参 : 世田谷区・松陰神社(HP)











































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