自律(YSミニ辞典)
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春帆楼(しゅんぱんろう) : 山口県下関市阿弥陀寺町4−2にある関門海峡を望む旅館。
明治4年の創業で、
日清講和条約(下関条約)締結会場・昭和天皇皇后両陛下ご宿泊など
数々の歴史と伝統を誇る格式高い割烹旅館である。
また、1888(明治21)年、
内閣総理大臣・
伊藤博文が春帆楼で
フグ料理を食べたのを契機に、
豊臣時代以降のご禁制が解かれ、「フグ料理公許第1号」を得ている。
数々の歴史の表舞台となった関門の急流を望む春帆楼の名は、“春の海の帆船”を心に描いて
伊藤博文が名づけた。時あたかも時代の激動期で維新の志士をはじめ、
内外の賓客が多数来訪している。右隣りには源平の哀史を秘めた
赤間神宮などの史跡もある。
1895(明治28)年3月19日、清国の講和使節団を乗せた汽船が関門海峡の沖合いに到着し、
翌日から下関の料亭「春帆楼」で日清講和会議が開催された。この講和会議には、
日本全権弁理大臣・伊藤博文と、清国講和全権大臣・李鴻章
(りこうしょう)の2人を中心に、
陸奥宗光ほか両国代表の11名が出席した。和議交渉期間の最中に李鴻章が暴漢によって
狙撃され負傷するという事件も発生している。春帆楼の前には、入場無料・年中無休の
「日清講和記念館」がある。この建物は日清戦争後の講和会議が開かれた際の調度品や資料を
公開するために1937(昭和12)年に公開されたもので、当時の会議の場を忠実に再現している。
春帆楼への問合せ : Tel:
0832−23−7181、Fax:
0832−32−7980
春帆楼入口
春帆楼
春帆楼の玄関
春帆楼前にある碑文
春帆楼前にある「ふくの碑」。下関では福にかけて「ふぐ」を「ふく」と呼ぶ
日清講和記念館(にっしんこうわきねんかん)
1895(明治28)年に日清講和会議が開かれた下関の料亭・春帆楼の敷地内に立つ。
この会議で
下関条約が締結され、朝鮮の独立や台湾と遼東半島の割譲などが決まった。
約140平方メートルの室内の中央に、会議に臨んだ伊藤博文、陸奥宗光、清国の李鴻章ら
11人が使用した大小のいすをはじめ、ランプやストーブ、すずり箱、インクつぼなど66点が置かれ、
当時の議場が再現されている。ただ調度品のうち机など一部は戦後の混乱期に紛失して、新調された。
市が2年がかりで建設し1937(昭和12)年に開館させた。
当時の春帆楼経営者・林平四郎氏らが国民の精神教育と観光を目的に建設を働きかけたとされる。
第2次大戦の戦災で当時の春帆楼は焼けてしまったが、記念館は焼失を免れた。終戦直後に
貿易会社に貸し出された時期もあったが、1955年夏、再び記念館として今の形で展示が始まった。
現在も市の所有だが、日常の管理は春帆楼に任せられている。
副店長の橋本恒さん(40歳:2002年当時)は「訪れるのは市外の観光客がほとんどで、
台湾からが目立つ。台湾の割譲を決めた会議だけに台湾の人や歴史に興味ある人には
重要なところなんでしょうね」。開館は午前9時〜午後5時で、年中無休。入場無料。
春帆楼の右隣りにある昭和12年開館の日清講和記念館。
建物は鉄筋コンクリート・日本式千鳥破風造りで地下室もある。
日清講和記念館(春帆楼の門外より望む)
春帆楼内での日清講和会議
伊藤博文の使用した椅子。今では内閣総理大臣と外務大臣の椅子は同じものでしょう
日清講和記念館そばにある伊藤博文と陸奥宗光の銅像
伊藤博文の銅像
陸奥宗光の銅像