シカン文化関連(YSミニ辞典)

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シカン文化(しかんぶんか)
    インカ文明の源流の一つで、9〜14世紀にペルー北海岸のバタングランデ地域を拠点に栄えた。
    巨大な神殿群周辺の墓からはトゥミなどの黄金の副葬品が多数出土している。
    日本人考古学者の島田泉教授(現・南イリノイ大教授)ら調査団による約30年にわたる発掘調査で、
    同文化の存在が学術的に解明された。
     11世紀のペルー北海岸、バタングランデ地域は古代アンデス文明の中でも、
    きわだって個性的な文化シカンが最盛期を迎えていた。長大な灌漑用水路、驚くべき彫金細工。
    こうした遺物はシカンがいかに壮大な文化を育んでいたかを物語っている。
    とくに黄金と青銅を用いた高い水準の彫金技術は、
    コロンブスが新大陸に到達する以前の南北アメリカ諸文化のなかでも卓越していた。
    その後、1千年の時がたち、巨大な神殿ピラミッド群は放置され、風化し、崩壊しつつあった。
     島田教授はシカン文化学術調査団(PAS島田団長)を組織し、1991(平成3)年に
    日干しレンガでつくられた巨大なピラミッド、ロロ神殿横に眠る墓を発掘した。
    この墓にはシカンの支配者層の男性と同時埋葬の4人、100点を超す儀式用の黄金の装身具を含む
    1.2トンという大量の遺物が埋められており、20世紀後半有数の発掘とたたえられた。
    その後も、ロロ神殿西の墓の発掘による、被葬者のDNA分析(1998〜99年)、
    シアルーペ遺跡における金属と土器の工房の発見(1999、2001年)、
    さらに2006年のロロ神殿スロープ脇の墓の発掘など多数の調査を手がけ、
    シカン文化の全体像を復元する研究を続けている。
    
    ロロ神殿のそばの「東の墓」から出土した黄金大仮面
    ペルー文化庁・ペルー国立考古学人類学歴史学博物館蔵

    
    11世紀の「さかな象形土器」。ペルー文化庁・ペルー国立ブリューニング博物館蔵
トゥミ(tumi) : シカン文化の遺跡で発見されたトゥミと呼ばれる儀式用のナイフで、
    生け贄(いけにえ)ののどを切り裂くのに使われ、そこから流れ出る血を皿に受け、神に捧げたとされる。
    トゥミは、南米のケチュア語でナイフという意味である。このトゥミは高さが42センチ、
    992gの重さがある大ぶりで、装飾性に富む黄金のナイフは、人々に見せ、威厳を示すだけで、
    シカン神とされる四角い顔が実際に、生け贄の命を奪ったわけではない可能性が高い。
    さまざまな商品の意匠にも採用されていて、ペルー国の象徴とされている。
    「アンデス文明」の中で、最も高度な金属加工技術は、農業や漁業と並ぶ、主な生業の一つで、
    金属を酸で処理し、その表面だけ高純度の金に見えるようにしたヒ素銅(ヒ素と銅の合金)の
    「トゥンバガ」なども生みだされた。しかし、トゥミは高純度の金を鍛造して作られている。
    1930年代後半(1936年か37年)にシカン文化の首都にある大神殿ピラミッド、
    ベンタナスの南側にあった墳墓から盗掘されたことを、島田教授が聞き取り調査でつきとめた。
    半円形の金板のナイフの上に正面を向いて立つ堂々たるシカン神は、
    トルコ石の象眼などを除いてすべて金製であることからも非常に重要なものであったことが伺われる。
    なぜ、「アンデス史」を変えたと言われるのか。16世紀初頭、スペインが滅ぼしたインカ帝国に
    黄金製品の製作技術を伝えたのはシカンの地から連れて行かれた職人だといわれている。
    つまり、インカ帝国の前の時代にアンデスでシカン文化が繁栄していたのである。
    
    「シカン黄金製トゥミ」(部分)。11世紀初期
    ペルー文化庁・ペルー国立考古学人類学歴史学博物館蔵、義井 豊氏撮影

    
    上のネットの画像は金の色がくすんでいるような気がし、2009年8月20日の朝日新聞「be」artより
    画像をスキャンしてみたが、新聞のしわなどで思ったように複写できなかった。

    
    黄金の都シカン展での展示(表面)             (裏面)
    
    博物館での展示



































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