七福神(YSミニ辞典し)

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今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ) : 大阪市浪速区恵美須(えびす)西1丁目6−10にある神社。
    旧社格は郷社、現在は別表神社である。天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
    事代主命(ことしろぬしのみこと)、素盞嗚命(すさのおのみこと)、月読命(つきよみのみこと)
    稚日女命(わかひめのみこと)を祀る。600(推古天皇8)年聖徳太子四天王寺建立にあたり、
    西方の守護神として創建されたと伝える。商売繁盛の神様「えべっさん」として知られ、
    毎年1月9日から11日にかけて十日戎(とおかえびす)が開催される。当日は商工業繁栄を祈り、
    小宝(吉兆(きっちょう))をつけた福笹(ふくざさ)を受けようと、100万以上の参拝者でにぎわう。
    
    今宮戎神社
    
    手水舎
    
    拝殿
    
    同上
    
    同上
    
    大国社
    
    本殿
    
    三輪鳥居
    アクセス : 堺筋線の恵美須町駅より徒歩5分。南海高野線の今宮戎駅より徒歩3分。
    問合せ先 : 06−6643−0150
    参 : 今宮戎神社(公式HP)、[YouTube](大阪・今宮戎神社の十日戎)
大国主神社(おおくにぬしじんじゃ) : 大阪市浪速区敷津西1丁目2−12にある神社。
    縁起は、社伝によれば、神功皇后が三韓出兵の帰りに立ち寄り、この地に松を三本植えて、
    そこに素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀り、渡航安全を祈願したのが始まりとし、
    この松の木にちなみ「松本宮」と称したという。中世以降は牛頭、天王社、祇園社などの名が残り、
    明治初年の神仏分離令により「八坂神社」と改称されている。
    現在の社名となったのは明治20年代(1887〜96年)である。この「敷津松之宮」は素盞鳴尊、
    大国主命、奇稲田姫命、事代主命、少彦名命とポピュラーな名前の神々が祀られている。
    「大阪七福神」の1つ『木津の大国さん』で知られる「大国主神社」は「敷津松之宮」の摂社である。
    素盞嗚尊を祭神とする敷津松之宮と大国主神社が相殿になっているため、
    両神社の社殿がクロスしている。大国主神社の前では、まず打出の小槌をもったネズミさんと、
    米俵を抱えたネズミさんがお出迎え。社殿には俵の上に座る高さ2m余り、重さ1トンの大国さんが
    鎮座している。この大国主神社は江戸時代の1744(延享元)年に出雲大社から勧請されたと伝えられ、
    毎年1月9日から11日には大国まつりが行なわれ賑わう。
    境内には木津勘助の銅像と折口信夫の歌碑がある。
    
    大国主神社としての鳥居
    
    敷津松之宮としての鳥居
    
    境内にある木津勘助の銅像
    
    大国主神社
    
    手水舎
    
    
    
    大黒様
    
    社殿の大黒様
    アクセス : 地下鉄御堂筋線「大国町」下車、2番出口上がるとすぐ
    問合せ先 : 06−6641−4353
大阪七福神(おおさかしちふくじん) : 浪速七福神。大阪市内の7箇所の社寺から構成される
    七福神まいりの霊場。大阪七福神のはじまりは「摂陽奇観」巻之43の享和3年(1803年)の条に
    「今年七福神巡拝発起」とある。しかし、いつの間にか途絶え大正3年に「浪速七福会」を復興し、
    その後「大阪七福神社寺会」により現在に至っているという。
    どの寺社からも始められ、社務所等で「大阪七福神めぐり」をしたい旨を申し出て、
    色紙代1500円と朱印代300円を納めると色紙と地図を授けてくれる。    
七福神 寺 院
(宗派)
住  所
(大阪市)
電話番号
(06−)
ご開帳
の期間
記   事 
寿老人 三光神社
(さんこうじんじゃ)
神道
天王寺区
玉造本町
14−90
6761−
0372
通年 漁業と商売繁盛の神
富貴長寿、中風除けの
神を祀る唯一の神社
福禄寿 長久寺(ちょうきゅうじ)
日蓮宗
中央区田谷町
8丁目2−49
6761−
1363
通年 台所・食物を司る神
延命長寿・出世財福
弁財天 法案寺(ほうあんじ)
浄土宗
中央区島之内
2丁目10−14
6211−
4585
1/1〜
1/7
人望福徳の神
智恵財宝
毘沙門天王 大乗坊(宝満寺)
(だいじょうぼう)
(高野山真言宗)
浪速区日本橋
3丁目6−13
6643−
4078
5月と
11月の
第2日曜日
軍神・財福富貴の神
商売繁盛・無病息災・
金銭融通 
日出大国神
(大国様)
大国主神社
(おおくにぬしじんじゃ)
敷津松之宮(神道)
浪速区敷津西
1丁目2−12
6641−
4353
通年 財力・商売繁盛の神
知恵と財宝・福徳開運
えびす大神
(恵比寿)
今宮戎神社
(いまみやえびすじんじゃ)
(神道)
浪速区
恵美須西
1丁目6−10
6643−
0150
通年 清廉度量の神
和合成功・商売繁盛
南海沿線七福神 
布袋尊 四天王寺(してんのうじ)
(和宗)
天王寺区
四天王寺1丁目
11−18
6771−
0066
通年 延命長寿の神
笑門来福
四天王寺布袋堂
    大阪七福神めぐり(コース例)
    @モデルコース(所用時間:3時間)
     三光神社→長久寺→四天王寺→今宮戎神社→大国主神社→大乗坊→法案寺
    A私のコース(800円の1日乗車券(地下鉄・ニュートラム・バス)利用と徒歩)
     三光神社(玉造駅から徒歩3分)→長久寺(谷町六丁目駅から徒歩5分)→
     四天王寺(四天王寺夕陽丘駅から徒歩5分)→(谷町9丁目駅経由)→
     法案寺(日本橋駅から徒歩5〜10分)→大乗坊(日本橋駅から徒歩10〜15分)→
     (徒歩15分)→今宮戎神社(恵美須町駅から徒歩5分)→
     (恵比寿町駅〜動物園前経由)→大国主神社(大国町駅から徒歩2分)
     玉造駅2番出口から徒歩3分だが、階段が長くきついので、
      高齢者は7番出口からエレベーターを利用し、徒歩6分の方がよい。
     「ご朱印」(スタンプ)はしないで、1寺院に100円、計700円のお賽銭のみ。
    参 : 三光神社(HP)、今宮戎神社(HP)、四天王寺(HP)
七福神(the Seven Gods of Good Fortune)しちふくじん : 福徳をもたらす神として信仰される七体の神。
    七福神信仰が盛んになった近世中期以降は、恵比須(蛭子:えびす)神・大黒天(だいこくてん)
    毘沙門天(びしゃもんてん)・弁財(才)天(べんざいてん)・布袋(ほてい)
    福禄寿(ふくろくじゅ)・寿老人(じゅろうじん)の七神をいう。
    七福神はインドのヒンドゥー教(大黒天・毘沙門天・弁財天)、中国の仏教(福禄寿・寿老人・布袋)、
    日本の土着信仰(恵比寿)の福の神が入り混って形成された神仏習合からなる、
    国際色豊かな神様たちで、室町時代末期頃から信仰されていると言われている。    
七福神 説明 記事
恵比須神 エビス顔で、鯛と釣竿を持っている。
本来は清廉、航海・漁業の守護の神様。
転じて交易、商業、商売繁盛の神。
商売繁盛、徐災招福
清廉
大黒天 頭巾をかぶって打ち出の小槌を持ち、
二俵の米俵の上に立って糧食を司る。
福徳円満のインドの豊作・台所の神様。
福禄をしめし、出世財福の御利益で有名。
五穀豊穣、子孫愛育
裕福
毘沙門天 忿怒の形相で夜叉を踏んでおり、
左手の宝塔は人々に福徳を与え、
右手の宝棒は怨敵をくだくという。
「多聞天」とも言われ、仏教の守護神である
四天王の一人で、財宝を授与し、国土を
守護するインドの神様。「ふーてんの寅さん」
で有名な帝釈天。開運厄除、大願成就
威光
弁財天 七福神の中で唯一の女神で、愛敬をしめし、
音楽、弁舌、学問・芸術と財福(商売繁盛)を
司るインドの神様。
恋愛成就、学問成就
愛敬
福禄寿神 福(幸)禄(給)寿(長命)の三得を授ける
中国の神様で、幸福・俸禄・寿命を象徴している。
道教で人の寿命を司る南極星の化身・
南極老人と言われる。
その 姿は、背が低くて頭が長く、
長い髭をたくわえている。杖を持ち、白鶴を伴う。
招徳人望、俸禄増加
人望
寿老人 中国の長寿の神様で、寿福を司る。
福禄寿の同名異体とされる神、
老子の化身ともいう。杖を持ち鹿を伴う。
長寿の神様。
日本では室町時代より深く信仰されている。
長寿延命、福貴招福
寿命
布袋尊
(布袋神)
堪忍と和合を教えてくれる楽天的な中国の神様。
七福神の中で唯一の実在した人物・布袋和尚。
太鼓腹で生活必需品のすべてを入れた
大きな布の袋をいつも持ち歩き、
度量が大きく、常にほほえみを浮かべていたという。
弥勒菩薩の化身とも言われる。
家庭円満、財宝賦与
大量
イラストは「素材屋小秋」より
    それぞれのルーツは、インドのヒンドゥー教(大黒天・弁財天・毘沙門天)の三神と、
    中国の仏教(布袋尊)・道教の長寿の神(福禄寿・寿老人)の三仙に由来しており、
    これに日本の土着信仰(恵比須神)が入り混じって形成された、
    神仏習合からなる日本的な信仰対象である神々を指す。
    恵比須神は日本固有の神である水蛭子(ひるこ)、後の事代主神(ことしろぬし)で、
    農村では田の神、漁村では大漁の神様として親しまれてきた。
    
    民間信仰として素朴に祀られてきた恵比須神からもたさられる御利益、また恵比須神の役割は、
    まずはじめに生業守護を司り、福利をもたらす神として「夷三郎」とも称されており、
    「源平盛衰記」中にもその御名が見られる。
    それまでの仏教・民間信仰などで福神として信仰されていたものが、経典の「七難即滅、七福即生」や
    竹林の七賢などにならい、室町時代末期頃に「七」に整えられたものである。
    江戸時代には上野寛永寺開祖の天海僧正が徳川家康に福の大黒天、人望の恵比須天、
    威光の毘沙門天、愛嬌の弁才天、長寿の寿老人、清廉潔白(心が綺麗なこと)の布袋、
    大量(度量が大きいこと)福禄寿の7つの福が人生にとって大切であると説いて、家康は
    七福神信仰を奨励したことで江戸中期頃には盛んに七福神を祀る神社仏閣が建てられるようになった。
    七福神信仰は江戸時代末期には更に盛んとなり、七福神めぐり、
    正月の1月2日の夜に宝船に乗った七福神の絵を枕の下に敷いて良い初夢が見られるとされたり、
    床の間に飾ったり、商売繁盛の縁起物としても喜ばれるようになった。
    瑞祥(ずいしょう)の象徴として絵画・彫刻・芸能の題材にもされる。
    (注)恵比須神の「須」は、JR山手線の恵比寿駅のような「寿」ではない。
    七福神めぐり : 七福神をそれぞれ祀る社寺を巡拝し、開運を祈ること。
     特に、新春に巡拝すると、七難即滅(しちなんそくめつ)、七福即生(しちなんそくしょう)
    功徳が大きいと言われ、各社時には毎年多くの人が足を運んでいる。
     全国に七福神を祀る社寺は数多くあるため、七福神めぐりの組み合わせも70通り以上もある。
    その中でも最も歴史が古いとされているのが「都七福神(みやこしちふくじん)」である。
    1980(昭和55)年1月に開設され、毎月7日が縁日である。他に「京の七福神」、「京都七福神」がある。
    大阪(浪速)七福神めぐり → 大阪七福神
    柴又七福神めぐり → 柴又七福神        
日本一の七福神 TOP20    
順位 七福神(都道府県) 回答数(人)
1位 京都七福神(京都) 1280
2位 浅草名所七福神(東京台東・荒川区) 1072
3位 出雲国七福神(島根) 931
4位 大阪七福神(大阪) 854
5位 柴又七福神(東京葛飾区) 805
6位 谷中七福神(東京台東・荒川・北区) 735
7位 深川七福神(東京江東区) 641
8位 亀戸七福神(東京江東区) 589
9位 隅田川(向島)七福神(東京墨田区) 414
10位 淡路島七福神(兵庫) 375
11位 日本橋七福神(東京中央区))   355
12位 都七福神(京都)   296
13位 阪急沿線西国七福神(兵庫)  259
14位 大和七福八宝(奈良)   223
15位 宇佐七福神(大分)   216
16位 さぬき七福神(香川)   195
17位 武蔵野七福神(埼玉)  182
18位 藤沢七福神(神奈川)   178
19位 横浜磯子七福神(神奈川)   167
20位 四国七福神(愛媛)   159
朝日新聞、2010.1.6、「アスパラクラブ」会員の
アンケートより。回答総数4683人。
民俗学者の岩井宏實さんと朝日新聞夕刊be編集部で
候補を選択(11位以下のデータはアスパラクラブHPより)
大乗坊(だいじょうぼう) : 大阪市浪速区日本橋3−6−13にある高野山真言宗の寺院で、
    大阪七福神の一つ「毘沙門天」を祀っている。摂津国八十八箇所霊場第29番札所でもある。
    元は四天王寺の東北方、牛崎と云う所に在った寶満寺37坊の1つであった。かつては四天王寺東北方
    牛崎(筆ケ崎)にあり、天文・天正年間に織田信長の焼き討ちで現在の地に逃れ再興された。
    宝暦年間には信者の寄進による広大な寺域を持ち、以来「長町の毘沙門さん」として信仰されてきた。
    御前立の立像は肩に鬼の面が彫り込まれており鎌倉中期の作品と推定され、
    重要文化財の指定を受けている。1945(昭和20)年の空襲で堂宇は全焼したが、
    本尊は宝物庫に入れ、アスベストで覆い密閉していたため、難を逃れた。
    日本の四大毘沙門天王像の一つである本尊の「毘沙門天王立像」は秘仏として
    60年に1度の開帳であったが、本堂再建後は毎年5月と11月の第2日曜日には御開帳される。
    
    大乗坊
    
    案内板
    
    手水舎
    問合せ先 : 06−6643−4078
    アクセス : 大乗坊は恵美須町駅と日本橋駅のちょうど中間にあり、
     「日本橋」下車堺筋を南へ約400m、高島屋別館向かい側の通りを西へ入る。
都七福神(みやこしちふくじん) ; 京都府京都市内の7箇所の社寺から構成される七福神めぐりの巡礼札所。
    七福神めぐりは、京都が発祥の地とされ、歴史の古いものとなっている。
    室町時代に京都で最初に七福神信仰がおこり、それが次第に日本各地に
    拡がっていったといわれている。えびす神以外は中国とインド由来の神である。
    正月に参詣すると福がもたらされるという。また毎月7日が七福神の縁日である。    
都七福神めぐり
七福神 所轄寺社 ホームページ
(宗派)
所在地 交通アクセス
恵比須神 京都
ゑびす神社
ゑびす神社
(神道)
東山区大和
大路通四条下ル
京阪電車:四条駅〜徒歩6分
市バス207:四条京阪前〜
大黒天 妙円寺
(松ケ崎大黒天)
妙円寺
(日蓮宗)
左京区松ケ崎
東町31
市バス:松ケ崎大黒天〜徒歩3分
毘沙門天 東寺
(教王護国寺)
東寺
(東寺真言宗)
南区九条町1 市バス:東寺東門前〜徒歩1分
近鉄京都線:東寺駅〜徒歩3分
弁財天 六波羅蜜寺
(弁天堂)
六波羅蜜寺
(真言宗智山派)
東山区松原通
大和大路東入ル
京阪電車:五条駅〜徒歩7分
市バス206:「清水道」〜徒歩5分
福禄寿神 赤山禅院
(赤山さん)
赤山禅院
(天台宗)
左京区修学院
赤山町
市バス5など:
修学院離宮道〜徒歩15分
寿老人 行願寺
(革堂)
行願寺革堂
(天台宗)
中京区寺町通
竹屋町上ル
市バス205:
河原町丸太町〜徒歩3分
布袋尊 黄檗山・萬福寺
(天王殿)
萬福寺
(黄檗宗)
宇治市五ケ庄
三番割34
JR奈良線:黄檗駅〜徒歩5分
京阪宇治線:黄檗駅〜徒歩5分
    
    柴又七福神の良観寺の布袋石像そばにある高さ20cmくらいの七福神石像。
    左より、寿老神、布袋尊、大黒天、恵比寿、弁財天、毘沙門天、福禄寿

     東京の七福神には、有名な「柴又七福神(葛飾区)」のほか、「隅田川七福神(墨田区)」、
    「深川七福神(江東区)」、「日本橋七福神(中央区)」、「港七福神(港区)」、
    「東海七福神(品川区・大田区)」、「池上七福神(大田区)」、「元祖山手七福神(目黒区・港区)」、
    「新宿山手七福神(新宿区)」、「谷中七福神(台東・荒川・北区)」、「下谷七福神(台東区)」、
    「浅草名所七福神(台東・荒川区)」、「亀戸七福神(江東区)」、「江戸川ライン七福神(東金町・葛飾区)」、
    「板橋七福神(板橋・練馬区)」、「荏原七福神(品川区)」、「銀座七福神(中央区)」、
    「小石川七福神(文京区)」、「千寿(千住)七福神(足立区)」、「伊興七福神(足立区)」、
    「青山七福神(石勝山の手七福神・赤坂七福神)」の数多くの七福神がある。
    参 : 七福神巡り都七福神事務局(六波羅蜜寺HP)
柴又七福神(しばまたしちふくじん) : 恵比寿天、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋尊(宝袋尊)、寿老人、
    福禄寿の七福神をさすのが一般的であると言われている。しかし、このように定まったのは
    江戸時代中期以降と考えられている。柴又七福神では布袋尊は宝袋尊と表わす。    
七福神 寺 院
(宗派)
住   所 電話番号
(03−)
ご開帳
の期間
記   事 
恵比寿天 医王寺
(いおうじ)
(真言宗)
葛飾区柴又
5−13−6
3658−9777 1/1〜
1/7頃
漁業と商売繁盛の神
柴又七福神事務局
大黒天  宝生院
(ほうしょういん)
(真言宗)
葛飾区柴又
5−9−18
3657−0275 通年  台所・食物を司る神
出世財福 
福禄寿  万福寺
(まんぷくじ)
(曹洞宗)
葛飾区柴又
6−17−20
3657−4588 1/1〜
1/31
人望福徳の神 
毘沙門天
(帝釈天)
題経寺
(だいきょうじ)
(日蓮宗)
葛飾区柴又
7−10−3 
3657−2886 通年  軍神・財福富貴の神
商売繁盛・無病息災 
弁財天  真勝院
(しんしょういん)
(真言宗)
葛飾区柴又
7−5−28 
3657−8448 1/1〜
1/7 
財力・商売繁盛の神
知恵と財宝
宝袋尊
(布袋尊)
良観寺
(りょうかんじ)
(真言宗)
葛飾区柴又
3−33−13
3607−1872 1/1〜
1/7 
清廉度量の神
和合成功 
寿老人  観蔵寺
(かんぞうじ)
(真言宗)
葛飾区高砂
5−5−2 
3607−3569 1/1〜
1/15
延命長寿の神 
    柴又七福神めぐり(コース例)
    @標準コース : 京成高砂駅<5分>寿老人(観蔵寺)(京成高砂駅−<北総線5分>
     −新柴又駅<2分>)
<23分>恵比寿天(医王寺)<3分>大黒天(宝生院)<5分>福禄寿(万福寺)
     <8分>毘沙門天(題経寺)<2分>弁財天(真勝院)<3分>宝袋尊(良観寺)<6分>京成柴又駅
    A逆コース: 柴又駅<6分>良観寺<6分>真勝院<2分>題経寺(帝釈天)<4〜5分>
     万福寺<7〜10分>宝生院<3分>医王寺<23分>観蔵寺<6分>高砂駅
     (医王寺〜観蔵寺までは、新柴又駅→高砂駅まで電車を利用してもよい)
    B私のコース : 柴又駅→題経寺→(矢切の渡し)→(寅さん記念館)→医王寺→宝生院→万福寺→
     真勝院→良観寺→柴又駅→高砂駅→観蔵寺→高砂駅
     2009年8月5日の朝8時前に宿を出て、日暮里駅から京成線で柴又駅まで行き、
     毘沙門天の題経寺を始めに、矢切の渡し、寅さん記念館、恵比寿天の医王寺、大黒天の宝生院、
     福禄寿の万福寺、弁財天の真勝寺、宝袋尊の良寛寺と、柴又から京成高砂まで電車を利用したほかは
     すべて炎天下を歩き、寿老人の観蔵寺で七福神の寺をすべて巡った。
     6時過ぎにドーミーイン浅草に着き、歩数計を見ると、なんとこれまで最高の31383歩も歩いていた。
     前日の28006歩と翌日の日光巡りでの29200歩を合わせると3日間で88589歩歩いたことになる。
     矢切の渡しまでに道を間違えて1kmくらい余分に歩いたこともあり、70歳の私としては、
     七福神巡りだけにしておけばよかった。3日後に我が家に帰ってから体の節々が痛くなった。

    ★七福神めぐりは、各お寺に色紙が置いてある(100円)ので、これを買い求め、
     各々お寺で「ご朱印」(スタンプ)を押して回る。(スタンプ1回200円)
     色紙を買って全部のお寺を回ると、1500円かかる。
      私はこのスタンプのことは知らず、1寺院に100円のお賽銭をあげたので700円と、
     水洗い観音様やお地蔵様などのお賽銭で1000円は超えたと思う。
     弁財天の真勝寺では賽銭箱がなく住職に聞くと、「浮浪者の盗難が多いので取り払っているので、
     賽銭は戸の隙間から投げ込んでおいてください」と言われたが、七福神には全国からの参拝者が
     いるのだから、一つだけの寺が浮浪者のみの理由で賽銭箱を出さないということはやめてほしい。
     盗られても出しておくのが仏の教えだと思う。改善を願いたい。

    ★歩いて7カ所の寺院を回ると、1〜2時間かかるが、
     矢切の渡しと寅さん記念館によると、2〜4時間はかかる。
    ★題経寺(帝釈天)を除く各寺院には、観光車両用駐車場はないので、
     江戸川河川敷にある区営の「柴又公園駐車広場」を利用する。
    参 : 万福寺(HP)、医王寺(HP)、柴又観光協会(HP)
長久寺(ちょうきゅうじ) : 大阪市中央区谷町8−2−49にある日蓮宗の寺院で、
    大阪七福神の一つ「福禄寿」を祀る。大圓山・長久寺の縁起は、
    1579(天正7)年豊臣秀頼の武運長久を祈るため淀君の命で、
    片桐且元並びに大野修理之介が奉行となり、大坂城築城の余材をもって建立。
    開山は中正院日長聖人である。1712(正徳2)年本堂を除き殆どの堂宇が焼失したが、
    宝暦(1751〜64年)、明和(1764〜71年)年間に復興した。
    その後盛衰興廃があったが、戦前・戦後の数度にわたる道路拡張・都市計画により、
    境内の大半が縮小され現在に至っている。現在の本堂は1963(昭和38)年の完成で、
    鉄筋コンクリート造りである。淀君が建立し、400年近く維持されてきた本堂、
    大門等は奈良西之京・薬師寺に移され、現在は慈恩院として活用されており、その他、
    淀屋辰五郎が寄進した客殿は奈良・樫原市の愛和之道本部に、鐘楼は茨木市・妙徳寺に、
    妙見堂は池田市・本養寺に、小門は能勢・安隠寺に移築、現存しているとのことである。
    これらのことから、当院の最盛期での規模の大きさが伺うことが出来る。
    尚、境内の墓地には赤穂浪士の1人である、原惣右衛門の墓がある。
    
    大圓山・長久寺
    
    七福神の「福禄寿」を祀る
    
    同上
    問合せ先 : 06−6761−1363
    
アクセス : 地下鉄谷町線「谷町6丁目」下車、谷町筋を南へ、谷町7丁目交差点西に入るすぐ
法案寺(ほうあんじ) : 大阪府大阪市中央区にある仏教寺院。詳名は法案寺南坊。
    通称・日本橋聖天。山号は志宜山(しぎさん)。高野山真言宗・準別格本山。
    本尊・薬師如来。現在、仮本堂(聖天堂)には聖観音・歓喜天(聖天)・不動明王・弘法大師などを祀る。
    歓喜天は「日本橋の聖天さん」と呼ばれて信仰を集めている。
    境内には弁財天・不動明王・地蔵菩薩などを祀り、弁財天は「大阪七福神」の一つになっている。
    
    法案寺
    
    
    
    手水舎
    
    弁財天
    
    同上
    
    境内の見事な五葉松
    問合せ先 : 06−6211−4585
    アクセス : 「日本橋」下車境筋を北へ、日本橋北詰東へ150m
















































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