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住吉大社(すみよしたいしゃ) : 大阪市住吉区住吉にある全国約2300社余を数える住吉神社の総本宮で、
    航海の安全を祈る神社として有名である。式内社(名神大社)、二十二社、摂津国一宮で、
    旧社格は官幣大社(現神社本庁の別表神社)。地元では「すみよしさん」あるいは
    「すみよっさん」と呼ばれ、また毎年初詣の参拝者の多さでも全国的に有名である。
    祭神は、第一から第三本宮に祀られている海の神である底筒男命(そこつつのおのみこと)
    中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の住吉三神と、
    第四本宮に祀られている神功皇后(じんぐうこうごう)すなわち
    息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)で、「住吉大神(すみよしのおおかみ)」と総称される。
    住吉大神宮(すみよしのおおがみのみや)ともいい、当社で授与される神札には
    「住吉大神宮」と書かれている。第一から第三本宮までが一直線に並び、
    第四本宮がその横に置かれるという、四つの本殿が独特な配置になっている。
    この住吉大社、下関の住吉神社、博多の住吉神社の三社が日本三大住吉とされる。
    平安時代以降は和歌の神としての信仰も大いに広まり、
    津守国基(つもりのくにもと)をはじめ神主(かんぬし)にも歌人が輩出した。
    農業、産業の神として広く庶民の崇敬も盛んで、大阪市の鎮守として、正月や祭礼には非常ににぎわう。
    1946(昭和21)年に社号を住吉神社から住吉大社という古称に復した。
    国宝の本殿四棟は住吉造で、神社建築の最古の様式の一つである。
    平安初期までは、香取(かとり)・鹿島神宮(かしまじんぐう)とともに、伊勢神宮(いせじんぐう)と同様
    20年に一度遷宮が行われた。境内には、太鼓橋(たいこばし)とも呼ばれる反橋(そりはし)
    石舞台(国の重要文化財)、400基の石灯籠(いしどうろう)など由緒あるものが少なくない。
    御文庫(おぶんこ)は、1723(享保8)年に大坂、京都、江戸の書肆(しょし)20人が
    発起・創建したもので、いまも大阪の書籍商では献本・参拝の伝統を伝える。
    境外南方に正印殿(神印を納めた所)の跡があるが、
    後村上(ごむらかみ)天皇崩御、長慶(ちょうけい)天皇践祚(せんそ)の遺跡でもある。
    摂社、末社も多く、楠(なんくん)社(初辰(はつたつ)さん)をはじめ独特の庶民信仰をもつものも多い。
    文書、書跡、彫刻、工芸など社宝は多い。なかでも731(天平3)年の奥書のある
    『住吉大社神代記』は、当社の由来について独自の古伝を伝えており、
    木造舞楽面、太刀(たち)などとともに国の重要文化財に指定されている。
    6月14日の御田植神事は田植踊、住吉踊など貴重な芸能を伝承し、重要無形民俗文化財に指定される。
    7月31日の例祭(住吉祭)は、祓の意味を込めた代表的な夏祭で、大阪府指定無形文化財である。
    そのほか1月4日の踏歌(とうか)神事、1月7日の白馬(あおうま)神事、1月13日の御結鎮(みけち)祭、
    4月3日の松苗神事、卯之葉(うのは)神事(5月初の卯の日)、7月21、22日の
    御輿洗(みこしあらい)神事、10月17の宝之市(たからのいち)神事など特殊神事も豊富である。
    
    阪堺線の住吉駅近く、北の乾参道入口にある時計塔。住吉ライオンズクラブが
    チャーターナイト25周年記念として奉納し、1986(昭和61)年12月25日に建立された。
    前の石碑は参んけ以道(さんけいどう)と読める(2010.7.28撮影)

    
    縁日では夕方6時を過ぎても賑わう阪堺線の住吉駅前の電車通り(2010.8.1撮影)
    
    同上ズーム
    
    阪堺線の住吉駅側にある「北参道一の鳥居」。「八幡鳥居」とも呼ばれる(以下2010.7.28撮影)
    
    前画像鳥居の右奥にある石灯籠(阿州、藍玉大阪積の献灯)。境内の燈籠は、約600基。
    当時は、海上守護の祈願をこめて寄進したもので、広告塔としての意味合いが強いという

    
    前画像の石灯籠が「頼山陽(らい・さんよう)」(江戸後期の儒学者で詩人としても活躍した文人)の書
    
    
    
    阪堺線の鳥居前駅の前ににある大きな石造りの「正面鳥居」で、「一の鳥居」とも呼ばれる。
    
    反橋(そりばし)。石の橋脚は慶長年間(1596〜1615年)に淀君が奉納したとされる。
    長さ約30m、幅約5.5m、高さ約3.6m。2009年12月に新しく架け替えられた

    
    同上
    
    同上
    
    龍社側から望む反橋(大阪のK.Kさん提供)
    
    反橋を渡り終えたところの左手にある「手水舎(ちょうずや、てみずや)」。
    手水は、普通、龍の口から流れ出ているが、住吉大社では、兎の口から注がれている。
    これは、第四本殿の祭神・神功(じんぐう)皇后の祀られた日が、卯の日であることにちなんでいる。

    
    口からお水をだす兎の石像を拡大(大阪のK.Kさん提供)
    
    反橋の南側にある手水舎
    
    反橋の北側にある手水舎

    
    川端康成文学碑(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上
    
    本宮(本殿)前の「住吉鳥居」。柱の断面が方形で珍しい四角柱のことから
    「角鳥居(かくとりい) 」、「角柱鳥居」や「第二鳥居」とも呼ばれている

    
    同上。住吉鳥居の真後ろは「幸福門」で、正面奥に見えるのは第三本宮(大阪のK.Kさん提供)
    
    幸福門(こうふくもん)の額(大阪のK.Kさん提供)
    
    幸禄門(こうろくもん)の額(同上)
    
    幸禄門。幸福門の左側にある門で、奥に見えるのが第三本宮(同上)
    
    幸寿門(こうじゅもん)の額(同上)
    
    幸寿門。幸福門の右側にある門で、奥に見えるのが第四本宮(同上)
    
    誕生石。島津 忠久(源頼朝の子で薩摩島津の祖)の生誕地。薩摩十字がある(大阪のK.Kさん提供)
    
    第三本宮北側にある「鉾社(ほこしゃ)」。祭神は経津主命(ふつぬしのみこと)で、
    鉾御前(ほこごぜん)ともいう。本社は香取神宮で、御本宮を守護する武神。

    
    第四本宮南側にある「楯社(たてしゃ)」。祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)で、
    楯御前(たてごぜん)ともいう。本社は鹿島神宮で、御本宮を守護する武神。

    
    左側が第三本宮、右が第四本宮。屋根の奥に飾られている本殿のX状の木は「千木(ちぎ)」といい、
    銅板で覆われている。第三本宮の祭神は男神なので千木が外削ぎ、
    第四本宮の祭神は女神なので内削ぎとなっている。

    
    第四本宮(国宝)。何かの行事があるときには第一から第四本宮すべてに
    中央の鈴を鳴らす綱を取り除いているのはなぜだろう。参拝者の回転が悪くなるからだろうか?

    
    第三本宮(国宝)
    
    第二本宮(国宝)
    
    同上
    
    同上
    
    第二本宮を東南側(裏側)から望む
    
    行事のない時期の垂れ幕がなく、鈴を鳴らす綱のある第一本宮(国宝)(大阪のK.Kさん提供)
    
    行事のある時期の垂れ幕があり、鈴を鳴らす綱のない第一本宮(国宝)
    
    同上
    
    御輿洗神事や夏祭りに使われる神輿
    
    同上
    志賀神社(しがじんじゃ) : 祭神は底津少童命(そこつわだつみのみこと)、
     中津少童命(なかつわだつみのみこと)、表津少童命(うはつわだつみのみこと)。
     記紀神話で、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が死者の世界の黄泉国(よみのくに)から帰還し、
     海中で禊祓(みそぎはらい)をしたときに、住吉大神とともに出現された海の神だといわれている。
     本社は福岡市の志賀海神社。
    
    志賀神社(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上
    
    同上
    
    第二本宮(国宝)横にある神楽殿(大阪のK.Kさん提供)
    
    住吉文華館の案内板(2011.4.10撮影)
    
    住吉文華館(同上)
    
    「住吉文華館(すみよしぶんかかん)」。住吉大社に伝えられる多数の文化財・宝物(文書・短冊・絵図・
    狛犬・舞楽衣装・舞楽面・刀剣等)を収納・展示。(大阪のK.Kさん提供)

    
    ここにあった住吉神宮寺の大塔(二重の塔)は四国八十八カ所第10番の「切幡寺」に移築された(同上)
    
    古文書から新書まで奉納書籍を収蔵している「住吉御文庫(すみよしおぶんこ)」。
    1723年に三都の書林が奉納された大阪最古の図書館(2011.4.3撮影)

    
    新装後の住吉御文庫(2011.12.28、大阪のK.Kさん撮影)
    
    海士子社(あまごしゃ)。祭神は鵜茅葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)で、海宮伝説により
    祭られている海神。祭神は海幸彦山幸彦の神話で、海宮の豊玉姫の御子神でもある
    (大阪のK.Kさん提供)

    
    同上
    
    児安社(こやすしゃ)。祭神は興台産霊神(こごとむすびのかみ)で、かつては縁結びの神として
    信仰を集めていた。現在は、子供を守る神としても崇敬されている(同上)
    
    
    同上
    大海神社(たいかいじんじゃ) : 祭神は豊玉彦命(とよたまひこのみこと)と
     豊玉姫命(とよたまひめのみこと)。記紀神話では、海宮に赴いたときに出会った
     父神と娘神の二神(豊玉彦命と豊玉姫命)の伝説が残っている。
     大海神社は、その舞台となった海宮、つまり龍宮そのものである。
    
    大海神社の鳥居(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上遠景
    
    大海神社(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上
    
    大海神社社前の「玉の井」と呼ばれる井戸を利用した手水舎。
    海神より授かった潮の満干を支配する力を持つ潮満珠 (しおみつたま) を沈めたところだと
    伝えられている。昔は、萩と藤の名所でもあった。(同上)

    初辰(はったつ) : 毎月最初の辰の日のことで、この日に参拝すれば、より一層力を与えて
     守り助けてくれると信仰されてきた。そして1年を一区切りとして、48回参拝すれば、満願成就となる。
     これは、四十八辰、つまり始終発達するという意味からきたもので、
     4年間月参りを続けられるというのは、それだけ無事発達していることでもある。
     種貸社(たねかししゃ)、楠くん社(なんくんしゃ)、浅沢社(あさざわしゃ)、大歳社(おおとししゃ)
     4社を順番にお参りするのが正式参拝ルートとされる。その他、祈祷を受けた後、
     種貸社、楠くん社、大歳社の3社を参り、御田で収穫された御神米をいただく「みのりまいり」もある。
    種貸社(たねかししゃ) : 初辰さんの一つで、祭神は 宇迦之御魂神 (うがのみたまのかみ)
     商売( 資金調達)、子授け(子宝安産)の神さまで、「種銭」というお祓いをした硬貨を授かり、
     これを商売などの元手に加えて、一粒万倍の祈願をする。
    
    種貸社(大阪のK.Kさん提供)
    楠くん社(なんくんしゃ) : くんは王へんに君()。初辰さんの一つ。
     商売発達、家内安全の神さま。親しまれているのは、羽織りを着た愛嬌のある土人形の招き猫で、
     偶数月には右手を、奇数月は左手を挙げたものを毎月集めて48体そろうと、
     満願成就の証として納める。そして新たに大きな招福猫と交換してもらい、今後の繁栄を祈願する。
     樹齢千年を超える楠の大樹(千年楠)を御神木として、江戸時代には祈りを捧げ、
     後に根元にお稲荷さんを祭るようになったといわれる。
    
    楠くん社(同上)
    
    同上
    
    千年楠
    
    大阪府指定有形文化財の2棟の高庫(たかくら)。第一本宮裏の森の中にある二棟の板校倉造で
    井楼造ともいわれる。御神宝を納める庫で、室町時代の建物と伝えられる(2011.4.3撮影

    招魂社(しょうこんしゃ) : 神職や崇敬者を代表するような人をはじめ、
     特別の奉仕をした人々や殉職者や偉業者など、住吉大社に縁の深い人などを
     諸霊神 (もろもろのみたまのかみ)(祖霊神)として祭り、春分の日と秋分の日の2回お祭りがある。
    
    招魂社(大阪のK.Kさん提供)
    
五社(ごしゃ) : 御祭神は「神主七家租神(大領・板屋・狛・津・高木・大宅・神奴)」
    
    薄墨社(うすずみしゃ)。祭神は「国基霊神(くにもとのみたまのかみ)」。左端(大阪のK.Kさん提供)
    
    斯主社(このぬししゃ)。祭神は「国盛霊神(つもりくにもりのみたまのかみ)」。左端から2番目(同上)
    
    今主社(いまぬししゃ)。祭神は「国助霊神」。左端から3番目(同上)
    
    八所社(はっしょしゃ)。祭神は「素盞鳴尊(すさのをのみこと)」。左端から4番目(同上)
    
    新宮社(しんぐうしゃ)。熊野街道の旧津守王子で、祭神は「伊弉那美命(いざなみのみこと)・
    事解男命((ことさかのをのみこと)・速玉男命(はやたまのをのみこと)」。左端から5番目(同上)

    貴船社(きぶねしゃ) : 祭神は高おかみ神(たかおかみのかみ)で、水や雨を司る神さま。
     本社は、京都の貴船神社である。
    
    貴船社の案内板(大阪のK.Kさん提供)
    
    貴船社(同上)
    立聞社(たちぎきしゃ) : 祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)で、別名に「長岡社」。
     古くは「春日社」とも呼ばれた。縁切りの神様、禁煙・禁酒を決意した参拝者に崇拝されている。
    
    立聞社の案内板(大阪のK.Kさん提供)
    
    立聞社(同上)
    侍者社(おもとしゃ) : 縁結びの神さま。祭神は「田裳見宿禰(たもみのすくね)で、
     相殿は「市姫命(いちひめのみこと)」。初代の神主とその姫神をまつる。
    
    侍者社(大阪のK.Kさん提供)
    
    侍者社
    
    侍者社(大阪のK.Kさん提供)

    
    手水舎(竜の銅像)(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上
    
    夫婦楠(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上
    
    同上、左の太い方の楠が夫、右が妻
    
    伊勢神宮拝所
    
    第一本宮の南側にある朱塗りの門
    
    この門を出て右に曲がり石舞台を通って南門を出て、大歳神社
    
    こちらからだと住吉神社への入り口となる
    
五所御前(ごしょごぜん) : 第一本宮と若宮八幡宮との間にある、杉の木が石の玉垣の内に
     立っている左側の場所で、石の玉垣のなかにある砂利には「五・大・力」と書かれた小石があり、
     三つの玉石を集めると『五大力』即ち、体力・智力・福力・財力・寿力の徳を
     一願叶えてくれる心願成就のお守りになるとされている。
     むかし、神功皇后が住吉大神をお祭りするための土地を求められたとき、
     この杉の木に白鷺(しらさぎ)が3羽きて止まったのを見て、大神がこの地を望んでいると考え
     ここに大神を祀ることに決めたと伝えられている聖地で、「高天原(たかまがはら)」とも呼ばれている。
     毎年5月の住吉大社創立記念の祭、卯之葉神事では、卯の葉の玉串がささげられる。
    
    五所御前。右側の鳥居と赤い建物は「若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)」。
    
    五所御前(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上
    
    大阪のK.Kさんが運よく探して持ち帰った「五・大・力」石
    
    同上(2011.12.28、大阪のK.Kさん2組拾得)
    若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう): 住吉大社の摂社で、祭神は、
     誉田別尊(ほんだわけのみこと:応神天皇)、武内宿禰(たけしのうちのすくね)
     武勇の神様(国家鎮護・厄除開運・安産育児)
    
    
    五所御前と石舞台の間にある門(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上。案内板
    石舞台(いしぶたい) : 卯の葉神事の時に優美な雅楽が演じられる住吉大社の石舞台は
     日本三舞台の一つ。他の舞台は、四天王寺の石舞台、厳島神社の平舞台。
     また雅楽が演奏される回廊は慶長年間(1596〜1615)年に
     豊臣秀頼の寄進によるものとされ、重要文化財に指定されている。
     石舞台はほぼ方形の石造橋上に造られたもので、舞楽を演じる時には木製高欄を立てる。
    
    石舞台。石舞台の南側、写真では石舞台の奥側にあるのが「南門(四脚門)」
    
    同上。奥にある門は五所御前側にある門
    
    重要文化財の南門(なんもん)。切妻造、本瓦葺の四脚門で、
    右側が東楽所(ひがしがくしょ)、左側は西楽所(にしがくしょ)に連なっている。
    何れも豊臣秀頼の寄進といわれており、「南門」、「楽所」ともに重要文化財に指定されている。
    (大阪のK.Kさん提供)

    市戒・大国社(いちえびすだいこくしゃ) : 祭神は「事代主命 (ことしろぬしのみこと)・
     大国主命 (おおくにぬしのみこと)。大阪では最古のエビス神で、
     住吉の「えべっさん」として親しまれている。
    
    市戒・大国社(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上
    船玉神社(ふなたまじんじゃ) : 祭神は天鳥船命(あめのとりふねのみこと)
     猿田彦神(さるたひこのかみ)で、住吉大社が海運保安の神であるのに対し て、
     船玉神社は船舶そのものの霊を祭る神である。造船・海運業者 の崇敬厚く、多くの奉納品が
     この神社に納められて居たが、最近不況でそれも少ないと言う。
     現在では航海・航空を問わず、海外に渡航する前に参拝する方も増えている。
    
    船玉神社(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上
    五月殿(さつきでん) : 7月31日の夏越祓神事ではここで大祓式が行われ、茅の輪くぐりが行われる。
    
    五月殿(大阪のK.Kさん提供)
    御田(おんだ) : 約20アール(約600坪)の田んぼで、毎年6月14日に執り行われる「御田植神事」は
     神宮皇后が五穀豊穣を祈る為に、長門国から植女を召し御田を定められたことに始まる。
     実際に苗を植え、稲刈りまで通している御田は全国でも少なく、カモによる無農薬栽培を行なっている。
     1979(昭和54)年に重要無形民俗文化財に指定される。
    
    御田植の説明板(大阪のK.Kさん提供)
    
    御神田。後方の建物は「五月殿」(同上)
    
    五月殿方面から望む御神田。左手前は「藁小積」(同上)
    
    鯉のぼりが飾られた御神田(2011.4.10撮影)
    
    東脇参道一の鳥居
    
    南鳥居
    浅澤神社(あさざわじんじゃ) : 浅澤社。芸能美容、女性守護の神さま。住吉大社の境外末社で、
     「弁天さん」と呼ばれて親しまれ、福の神・女性の作法・芸事の守護神として崇敬されている。
     古くはこの付近は池沼も多く、杜若(かきつばた)の名所として万葉集にも詠まれた。
     1997(平成9)年に、往時を偲ばせる「かきつばた園」が復活した。
    
    浅澤神社の社号標
    
    浅澤神社の鳥居額(同上)
   
 
    浅澤神社の鳥居(同上)
    
    浅澤神社(同上)
    
    同上
    大歳神社(おおとししじんじゃ) : 大歳社。集金満足、心願成就の神さまとして、崇められている。
     その月の収穫に感謝する。
    
    住吉神社の近くにある大歳神社の鳥居
    
    大歳神社の手水舎
    
    「大歳神社」
    
    「おいとしぼし社」の鳥居額(大阪のK.Kさん提供)
    
    大歳神社の右横にある「おいとしぼし社」の「おもかる石」。
    石を持ち上げて重みを感じ、願いをした後に再び石を持ち上げ、
    元の重みより軽く感じたなら、その願いは叶い、重く感じれば叶わないといわれている。

    
    車返しの櫻の案内板
    
    車返しの櫻
    
    車返しの櫻の石碑(大阪のK.Kさん提供)
    
    葉が散ってしまった車返しの櫻(同上、2010.12.20撮影)
    
    ようやく咲いた車返しの櫻(2011.4.14撮影)1週間前は3分咲きでした
    
    卯の花苑(うのはなえん)の説明板。卯之葉神事が行われる5月の初旬から一般公開され、
    苑には18品種600株、白・淡紅・紫紅色の美しい花が咲き、とても見ごたえがある

    
    卯の花苑内にある歌碑

    境内地図
    アクセス : 南海電鉄南海本線「住吉大社」駅下車、東の方向へ徒歩約3分。
     恵美須町から阪堺電軌阪堺線「浜寺公園行」に乗車し、「住吉鳥居前」で下車、東の方向へ徒歩約1分。
     天王寺駅前から阪堺電軌上町線「住吉公園行」に乗車し、「住吉公園」で下車、東の方向へ徒歩約3分。
    参 : 住吉大社(HP)、[YouTube](住吉大社)、[YouTube](パワースポット、住吉大社)
住吉の高灯籠(すみよしのたかどうろう) : 大阪市住之江区浜口西1−1にある再現された高灯籠で、
    住吉大社の西方、住吉公園の入り口の国道26号線をはさんだ所に建てられている。
    内部は資料館になっており、昔に描かれた高灯篭の絵や昔の写真、そして高灯籠再建に際して発足した
    「住吉名勝保存会」の業績を展示し、第1・3日曜日の10〜16時まで定期的に一般公開されている。
    もとは、住吉大社境内前の浜にあった高さ約16mの常夜灯で、住吉の名所として知られていた。
    我が国最初の灯台として、鎌倉時代末の創建という説もある。
    灯台としての役割を果たすとともに、展望台としても利用されていた。
    しかし、1950(昭和25)年のジェーン台風で木造部分が破壊され石組みの台のみが残り、
    同1970(昭和45)年に解体され、1972(昭和47)年には道路拡張の為に撤去されていた。
    住吉大社宮司の強い要望により、住吉名勝保存会が発足して地元有志と自治体の協力により、
    元の場所より約200m東の現在地に移して1974(昭和49)年に復元された。
    パンフレットによると、石組の土台は本来のものをそのまま利用し、
    上層部は鉄筋コンクリートによって、昔の姿のまま忠実に再現されたという。
    高さは地上21mで、日没後は22時までライトアップされている。
    現在の高灯籠の周囲にも1790年頃の石灯籠が幾つか保存されていて、
    この辺りがかつて住吉大社の参道であったことを知ることができる。
    高灯籠の中は2005(平成17)年より資料館となり、無料で入館できる。
    館内は江戸期の灯台の内部を活用していて、パネルや屋根瓦等が展示されている。
    螺旋階段を上がると展望台になっていて、西側の住吉公園や住吉大社が望める。
    アクセス :  南海本線「住吉大社駅」から徒歩4分(住吉公園西側の国道26号線沿い)
    
    高灯籠(東側)。以下大阪のK.Kさん写真提供
    
    高灯籠(西南側)
    
    入り口ある由来を記した石碑
    
    高灯籠史料館入口(南側)
    
    明治末〜大正初年の住吉高灯籠
    
    旧高灯籠の屋根の四隅に取り付けられた「鬼瓦」(明治時代)
    
    高灯籠の屋根の四隅に釣り下げられていた大型の風鈴「青銅製風鐸」(江戸時代)
    
    安全祈願・厄除け・雷避けとして高灯籠の屋根に取り付けられていた「瓦製神猿(黒猿さん)」(明治時代)














































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