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周防国分寺(すおうこくぶんじ) : 聖武天皇の勅命により、国ごとに建てられた官寺の一つで、
    中世に大内氏、近世は毛利氏に手厚く保護され、
    奈良時代に創建当初の境内に今も伽藍を残すきわめて珍しい例として知られ、
    国の史跡に指定されている。また国の重要文化財で毛利重就の再建による金堂には、
    藤原時代初期の木造日光・月光菩薩立像をはじめ薬師如来像、四天王像など多くの仏像、宝物がある。
    入り口の両脇には、室町時代の四天王立像が安置されており、
    楼門・四天王像ともに県指定の有形文化財に指定されている。
    宗派は、高野山真言宗(別格本山)に属している。奈良時代聖武天皇の命で建てられあと、
    たびたび被災し、現在の建物は江戸時代の1780年に建立されている。
     1997(平成9)年から2004(平成16)年までの8年間に及んだ金堂の「平成大修理」を終え、
    2004年11月に落慶法要が行われ、周防国分寺の歴史が再び歩み始めた。
     2006年12月、防府市が進める「歴史を生かしたまちづくり」に伴う旧山陽道の踏査で、
    周防国分寺境内前の旧山陽道沿いの側溝の石垣に、江戸時代中期の1769(明和6)年に
    石垣を大改修した記述のある石碑がはめ込まれているのを防府市教委が確認し、
    「国分寺周辺の変遷を裏付ける貴重な文化財」と位置づけ、保存を検討している。
     県地方史学会理事の重枝慎三さん(71歳)によると、石碑の建つ2年前、
    国分寺では楼門を改修、約10年後に金堂が再建された。
    碑の位置は金堂と楼門の中心線に据えられており、重枝さんは「藩主の毛利重就が
    国分寺大改修の一環として実施した山陽道改修の記念碑ではないか」とみている。
    参 : 国分寺周防国分寺(HP)
    
    
    車道からの楼門(仁王門)
    
    仁王門前の石碑
    
    県指定の有形文化財となっている仁王門。この門は、三間一戸、潜り戸付きで、
    屋根は、入母屋造り、本瓦葺の楼門で、棟高は12m程である。
    上層の縁、高欄、組物、二軒扇垂木、花頭窓など、禅宗様式を取り入れている。

    
    立て札には「国分寺」と「開運除厄聖天噂」と書かれている
    
    金堂(本堂)からの仁王門
    
    重要文化財の金堂
    
    
    
    
    
    
    
    左端に聖天堂が見える
    
    
    
    
    
    
    
    仏足石
    
    
    
    1953(昭和28)年に実施された発掘調査で、塔の基壇跡が検出された




























































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