題経寺(YSミニ辞典)

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題経寺(だいきょうじ) : 東京都葛飾区柴又7丁目にある日蓮宗の寺院の通称で、
    正式の山号寺号は経栄山題経寺(きょうえいざん・だいきょうじ)である。
    尚、「帝釈天」とは本来の意味では須弥山(しゅみせん)の頂上に住み、
    仏法を守護する勇猛な神様である天部の一つを指すが、
    日本においてはこの柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)を指す場合も多い。
     縁起によれば、題経寺の創建は江戸時代初期の1629(寛永6)年で、
    開山は中山法華経寺(千葉県市川市)19世の禅那院日忠(ぜんないんにっちゅう)とされている。
    なお、寺の説明によれば、実際に寺を開いたのは日忠の弟子にあたる
    題経院日栄(だいきょういんにちえい)上人であるとされる。
    本堂右手にある釈迦堂(開山堂)に日栄の木像が安置されていることからも、
    この日栄という僧が実質的な開山であると思われる。
     18世紀末、9世住職の日敬(にっきょう)の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、
    「柴又帝釈天」として知られるようになった。
    帝釈天の縁日は庚申の日とされ、庚申信仰とも関連して多くの参詣人を集めるようになった。
     境内には、文化・文政の頃の釈迦堂をはじめ、明治以降に建てられた諸堂が多く現存する。
    北側の和風庭園(邃渓園・すいけいえん)に面した大客殿は、
    信徒の接待所として設計された建物で1929(昭和4)年に完成した。
    この年には釈迦堂拝殿の造営も行われている。
    建物は木造、平屋建、総檜造りで、屋根は入母屋、桟瓦葦き。ガラス障子の広縁を巡らし、
    縁の正面中央に張り出し部分を設けているところが外観上の特徴である。
    建物内部は四部屋からなる書院造りで、一番奥の頂経の間が上段の間である。
    天井には杉の一枚板を鏡板に用い、折上げ部分に漆を塗っている。
    また、床の間には、近江の伊吹山山麓にあった「日本一」と言われる大南天の床柱がある。
     近代以降も夏目漱石の『彼岸過迄』をはじめ多くの文芸作品に登場し、
    東京近郊(当時は東京ではなかった)の名所として知られた。20世紀後半以降は、
    人気映画シリーズ『男はつらいよ』の渥美清演じる主人公・車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として
    知られるようになる。年始や庚申の日(縁日)は非常に賑わい、映画『男はつらいよ』シリーズ制作中は、
    観光バスの団体客が大勢訪れたこともあるが、同シリーズの終焉に伴い、
    参拝客、観光客が年々減少している。
    帝釈天参道
    
    帝釈天参道(2009年8月5日撮影)
    二天門(にてんもん) : 1896(明治29)年の建立。入母屋造瓦葺の2階建ての楼門。
     日光東照宮の陽明門を模したと言われ、
     初層左右に平安時代の作といわれる増長天と広目天の二天像を安置。
    
    参道の商店街より望む二天門
    
    二天門の近影
    
    境内からの二天門
    
    二天門の右側
    
    二天門の左側
    四天王 : 二天門の右に増長天(ぞうちょうてん)、左に広目天(こうもくてん)が、
     帝釈堂内の御本尊の両側に持国天・多聞天がおられる。多聞天(毘沙門天)は右手に矛を、
     左手に宝塔を持ち北方を、持国天は右手に剣を持ち東方を、増長天は左手に剣を持ち南方を、
     広目天は右手に剣を、左手には巻物を持ち西方をそれぞれ守護している。
    
    二天門の右の増長天
    
    二天門の左の広目天
    南大門
    
    二天門の右方向にある南大門
    
    南大門の境内側
    
    二天門の左方向にある門
    
    左側のズーム
    
    右側のズーム
    帝釈堂 : 二天門から境内を真っすぐに進むと正面が帝釈堂で、
     日蓮大聖人が衆生(しゅじょう)の病を無くさんと、願いをかけて刻まれた板本尊を祀っている。
     建立にあたっては、名人・坂田留吉棟梁が仕上げた総欅造りである。
     特に堂の周囲を法華経説話に取題した彫刻をめぐらして、山号である経栄山に相応しい工夫は、
     入念の彫刻作品と共に無類の文化財になっている。入母屋造瓦葺の拝殿と内殿が前後に並んで建ち、
     内殿は1915(大正4)年、拝殿は1929(昭和4)年に建立された。
     内殿に帝釈天の板本尊を安置し、本尊の両側には持国天と多聞天(七福神の毘沙門天)を安置する。
     このうち多聞天は柴又七福神の毘沙門天としてその名を連ねている。
     毘沙門天は、インドの神様で別称「多聞天」といい、
     右手には財服を生む宝棒(鉾)、左手には除災招福の宝塔を持っている。
     帝釈堂内殿の外側は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われている。
     内殿は建物ごとガラスで覆われ、見学者用の通路を設け、「彫刻ギャラリー」として有料公開している。
    
    帝釈堂
    
    帝釈堂前の「瑞龍松」。毎年春になると、肥料として一斗酒が松の木に与えられているという。
    大鐘楼堂 : 1955(昭和30)年、名匠・林亥助棟梁によって完成された。
     高さ約15m総欅造り、関東一の鐘楼と言われる。四手先の豪壮な桝組と木彫りが施されている。
    
    鐘楼
    祖師堂(本堂) : 本尊は大曼荼羅。入母屋造の拝殿と内殿が前後に並んで建つ。
    
    右が本堂で、奥は帝釈堂
    釈迦堂(開山堂) : 江戸末期に建立された寺内最古の建築。釈迦如来立像と、
     開山日栄上人と中興の祖日敬上人の木像を安置。
    
    釈迦堂
    大客殿 : 1929(昭和4)年、大工棟梁・鈴木源治郎によって完成された。
    
    大客殿
    邃渓園(すいけいえん) : 大客殿前に広がる池泉式庭園で、1965(昭和40)年、
     向島の庭師永井楽山の設計。大客殿(東京都の選定歴史的建造物)は、
     「頂経の間」の「日本一」と言われる大南天の床柱は、直径30cm、
     滋賀県の伊吹山にあった樹齢約1500年の南天の自然木を使用したもの。
     座敷の手前の廊下から邃渓園を眺めることが出来る。
    
    邃渓園
    水屋
    
    帝釈堂前の水屋
    二尊像
    
    二尊像
    浄行菩薩(じょうぎょうぼさつ) : 法華経の地涌の四菩薩の一人。
     この世を浄化し、人々の罪や穢れを清めてくれる菩薩で、
     タワシで菩薩を洗い清め、お参りすることで、罪や穢れが清められるとされる。
    
    浄行菩薩
    御神水(ごしんすい) : 寛永年間(1624〜1644年)に題経院日栄上人がこの地を巡錫されていた時、
     一本の松の根方より霊水が湧くのを見て、一庵を創建したのが題経寺の実際の開基と伝えられている。
     その霊水は現在も湧き出しており、福徳、延命、無病息災の霊験があるといわれている。
     この御神水で、寅さんが産湯を使ったとされている。
    
    御神水
    
    左が浄行菩薩で、右は大香炉
    
    境内案内図
    
    帝釈天近郊MAP
    参 : 帝釈天題経寺(HP)、[YouTube](フーテンの寅・渥美清さんの柴又帝釈天:駅・参道・境内)、
        帝釈天境内(HP).

    柴又帝釈天(題経寺)の宵庚申
     2007年1月25日(木曜日)翌日の初庚申にあわせ、宵庚申が行われました。
     柴又題経寺の庚申は、行方不明となっていた題経寺のご本尊が、1779(安永8)年春の
    庚申の日に発見されたと言われ、60日ごとの庚申の日を縁日にしたのが始まりと伝えられています。
    庚申の縁日には、午前9時頃から参道商店街が店を開け、「だるま」などの出店が並び、
    地元の住民や観光客で賑わいます。題経寺では、二天門の軒にお線香所が設けられ、
    参拝者は線香を手向けて祈願することができます。
     庚申の前日の午後4時半頃から、「宵庚申」とよばれる纏(まとい)の奉納が、
    題経寺に属する「睦会」によりおこなわれました。題経寺で所有する約12kgの纏と
    うちわ太鼓を手にした「睦会」の会員が、柴又駅から題経寺までの参道商店街を歩き、
    その後、帝釈天に纏を奉納し、参加者全員で祈願を行いました。
     早めに店じまいをした参道商店街では、奉納が終わる頃、
    大正時代を偲ばせる灯りが各店の軒先に灯されました。
    ※参道商店街では、毎日、店じまい〜午後9時頃まで、
    「柴又レトロ・宵灯り」と名づけられたライトアップが行われています。























































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