灯台関連(YSミニ辞典)

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足摺岬灯台(あしずりみさきとうだい) : 、高知県土佐清水市にある四国の最南端足摺岬突端に立つ
    白亜の大型灯台。周辺は、足摺宇和海国立公園に指定され、太平洋を望む風光明媚の地。
    また、「日本の灯台50選」にも選ばれている。1914(大正3)年4月1日に設置、初点灯した。
    当時の灯塔は白亜の塔形(八角形)コンクリート造で、第4等フレネル式レンズを使用していた。
    1960(昭和35)年7月29日に現在のロケット型のデザイン灯台に改築された。
    
    足摺岬灯台(大阪のK.Kさん提供)
    アクセス : 土佐くろしお鉄道中村駅から高知西南交通バス「足摺岬センター行き」約1時間40分、
     「足摺岬」下車後徒歩5分。
出雲日御碕灯台(いずもひのみさきとうだい) : 島根県出雲市大社町日御碕にある灯台。
    
    出雲日御碕灯台(大阪のK.Kさん提供)
犬吠埼灯台(いぬぼうさきとうだい)
    千葉県銚子市のはずれ、犬吠埼の突端に立つ我が国を代表するレンガ造りの白亜の灯台である。
    1874(明治7)年に英国人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により造られ点灯開始した、
    西洋型第一等灯台で、日本で24番目に点灯された。周辺は水郷筑波国定公園の一部であり、
    太平洋に臨む景勝地で、灯台からの眺望は99段あるらせん階段を昇ってからのことである。
    犬吠埼灯台は「世界灯台100選」に選ばれた灯台であり、
    「日本の灯台50選」にも選ばれている日本を代表する灯台の一つで
    歴史的文化財的価値が高いので、Aランクの保存灯台ともなっている。
    また、全国に6つしかない最大の第1等レンズを使用した第1等灯台でもある。
    現在は、気象を提供する船舶気象通報、人工衛星(GPS)の誤差情報を提供する
    ディファレンシャルGPS局等の業務も扱う最大級の灯台で、
    正式名は「海上保安庁第三管区海上保安本部犬吠埼航路標識事務所」である。
    
    犬吠埼灯台(2007.9.15撮影)
    
    犬吠埼灯台
    
    犬吠埼灯台
    
    灯台よりの眺め(南側)
    
    灯台よりの眺め(北側)
    開館時間 : AM8:30〜PM4:00 年中無休(雨天等業務都合により中止の場合あり)
    料金 : 大人200円(小学生以下無料)
西埼灯台(いりざきとうだい) : 東シナ海と太平洋を分かつ先島諸島の与那国島(沖縄県八重山郡与那国町)
    の西端・西崎に立つ無人灯台 。西崎には「日本最西端之地」の碑が立っている。
    
    西埼灯台と展望台(2008.4.28撮影)
    
    西埼灯台。左端に見えるのは「日本最西端之地」の碑
    
    与那国島の「日本最西端之地」の碑

    
    西埼灯台
    
    西埼灯台付近から久部良漁港方面を望む。あいにくの雨で視界が悪いのが残念
石廊埼灯台(いろうさきとうだい) : 静岡県南伊豆町の伊豆半島最南端にある無人灯台である。
    1871年10月5日初点灯。1933年に現在のものに建て替えられた。
    
    石廊埼灯台(大阪のK.Kさん提供)
襟裳岬灯台(えりもみさきとうだい) : 北海道えりも町の襟裳岬先端に立つ白亜の大型灯台で、
    「日本の灯台50選」にも選ばれている。周辺は、日高山脈襟裳国定公園に指定され、
    4段にもおよぶ海岸段丘があり、突端には海食崖や岩礁があって、
    豪壮な景観を呈し、ゼニガタアザラシの生息地としても知られている。
    1889(明治22)年6月25日に、初点灯し、当時は第1等灯台だった。
    1900(明治33)年2月15日、霧笛用動力源として石油発動機関を採用。
    1945(昭和20)年7月15日に太平洋戦争時の爆撃で破壊されたが、
    1950(昭和25)年2月3日に再建された。2005(平成17)年4月1日より無人化となった。
    
    襟裳岬灯台(大阪のK.Kさん提供)
観音埼灯台(かんのんざきとうだい) : 神奈川県横須賀市、三浦半島東端の観音崎に立つ灯台。
    白色八角形の中型灯台で、日本の灯台50選に選ばれている。
    東京湾、浦賀水道を照らし、東京湾海上交通センターとあわせ海上交通が輻輳する
    浦賀水道航路の安全に寄与している。また日本初の洋式灯台であり、
    この灯台の着工日を記念して11月1日が灯台記念日に指定された。
    初代の設計はレオンス・ヴェルニー等が担当したが、大正時代の地震により2度再建され、
    現在の灯台は3代目にあたる。周辺は県立観音崎公園となっており、自然環境が保護されている。
    
    観音埼灯台(大阪のK.Kさん提供)
旧堺灯台(きゅうさかいとうだい) : 堺旧港の突端(大阪府堺市堺区大浜北町5丁)にある木製洋式灯台で、
    現存する日本で最古の木製洋式灯台の一つとして、1972年7月12日に国の史跡に指定された。
    木製の六角形の灯台で、高さは11.3m。1877(明治10)年に築造され、
    1968(昭和43)年1月29日までの約一世紀の間大阪湾を照らしつづけた。
    2005年から保存解体修理を行い、2007年3月に修理工事が終了。
     明治時代初期、堺港の改修事業に伴い、新しい灯台設置の必要性が高まった。
    そこで堺の有力者らは自ら基金を出し合い、当時の堺県からの補助金も受けて灯台を建設した。
    灯台の建設にはイギリス人技師・ビグルストーンのほか、堺の大工や石工も深く関わっている。
    建築費は2125円、点灯機械購入には約360円を要したが、
    堺市民(当時は堺県)の寄付と堺県からの補助金によりまかなわれたという。
    1877(明治10)年に堺港の大波止(南波止場)に灯台が完成し、同年9月15日から稼働した。
    当初の光源は石油ランプを使い、約18km先まで灯台の光が届いたとされている。
    しかし時代が下り、1959年から始まった堺泉北臨海工業地帯の埋め立てにより、徐々に
    灯台の役目を果たせなくなった。そのため灯台は1968年に廃止され、90年の歴史に幕を閉じた。
    
    旧堺灯台(2011.4.16撮影)
佐多岬灯台(さたみさきとうだい) : 大隅半島にある本土最南端の灯台。
    佐多岬沖の大輪島の崖っぷちの上に立っているので、灯台そのものに行くことはできないが
    展望台(展望所)から眺望する。1871年点灯(現在の灯台は1950年建設)
    300円の通行料でトンネルをぬけて遊歩道をすすみ、200円をはらって展望台に登る。
    展望台は激烈な台風の被害で展望部分の壁が完全に崩落し、金網のフェンスで覆われている。
    
    展望台より大輪島にある日本最古の佐多岬灯台を望む。左側が日本本土最南端
    
    佐多岬展望台
    
    入園券。原寸は65×110mm
    

    佐多岬公園マップ
薩摩長崎鼻灯台(さつまながさきばなとうだい)
    薩摩半島の最南端、鹿児島県指宿市山川岡児ケ水長崎鼻の突端に立つ灯台。
    開聞岳の眺望に加え、沖に浮かぶ三島(竹島・硫黄島(いおうじま)・黒島)の島影や
    特に空気の澄んだ日には屋久島種子島まで望めるという。
    建造は、1957(昭和32)年。高さ11mの灯台頂部からは、25km先の海上まで照らし、
    錦江湾に出入りする船や、東シナ海を航行する船の道しるべとしての役割を果たしている。
    灯台下の階段を下りると、火山岩の磯がさらに続き、散歩が可能。
    また格好の磯釣りポイントとして釣り人にも人気のスポットとなっている。
    
    薩摩長崎鼻灯台(PICASAのRiku310さんのギャラリーより)
    アクセス : 開聞駅から山川方面行き鹿児島交通バス15分の長崎鼻下車、徒歩10分。
    問い合わせ : 0993−22−2111(指宿市観光課)
潮岬灯台(しおのみさきとうだい) : 本州最南端に位置する和歌山県串本町の潮岬にある灯台。
    1870(明治3)年に点灯をはじめて、熊野灘を照らしている。
    内部は入場料150円で見学でき、太平洋を一望することができる。
    灯台の近くには望楼の芝と呼ばれる大芝生が広がる公園があって、展望タワーやキャンプ場などがある。
    
    展望タワーより潮岬灯台方面を望む
    
    本州最南端のモニュメント
    
    望楼の芝生より展望タワーを望む
    展望タワーに上り、「本州最南端訪問証明書」をもらう
残波岬灯台(ざんぱみさきとうだい) : 沖縄西海岸側、中頭郡読谷村宇座1861にある残波ビーチを
    越えた残波岬に立つ白亜の大型灯台で、日本に15基ある登れる灯台の一つである。
    残波岬灯台は本土復帰後の1973(昭和48)年に建設着工し、
    1974(昭和49)年3月30日より点灯している。
    残波岬は日本夕焼け百景に選ばれ、上級者向けのダイビングポイントとしても有名である。
    地上から塔頂までは30.61mあり、150円の入場料を払って螺旋階段を上まで昇る事ができる。
    営業時間 : 灯台・展望台は9:00〜17:00(年中無休だが悪天候の場合は閉館)
    
    地上から28mの残波岬灯台(2008.4.16撮影)。灯台の右奥に見えるのは那覇空港に向かう旅客機
    
    残波岬灯台(ナショナルジオグラフィック壁紙より)
    
    パンフレットより
    
    息を切らして登ったこの最後の階段の先にはダイナミックな外界が広がる
    
    この突端が沖縄本島最西端と思ったが、最西端は那覇空港の西にある大嶺岬だった
    
    灯台よりの眺め
    
    灯台よりの眺め
    
    拡大画像。原寸は110×60mm
宗谷岬灯台(そうやみさきとうだい) : 北海道稚内市宗谷岬に建つ灯台。
    稚内灯台と同様に樺太の対岸にある国境の灯台であり、
    国際海峡である宗谷海峡の航路を守る重要な役割を果たし、日本の最北に位置する。
    1885(明治18)年に八角形鉄造の初代宗谷岬灯台が点灯。
    1911(明治44)年に野火の為、初代宗谷岬灯台が消失される。
    1912(明治45)年に二代目宗谷岬灯台が再建される。
    1954(昭和29)年に大規模な改築工事で現在の姿になる。
    
    宗谷岬灯台(大阪のK.Kさん提供)
    アクセス : JR稚内駅より宗谷バス宗谷岬線で約50分、1日4往復、1350円、
            往復割引1割引有(2008年12月現在)宗谷岬下車徒歩すぐ。
大王埼灯台(だいおうさきとうだい) : 大王崎灯台。三重県志摩市大王町波切54にある灯台。
    志摩半島と熊野灘を二分するように太平洋に付き出た志摩半島の先端の荒々しい岩礁に
    波がうねる大王埼の岸壁に映える白亜の灯台で、「喜びも悲しみも幾年月」「君の名は」「浮草」
    「学校の怪談4」など数々の映画に登場している。また、この地は織田水軍の将、
    九鬼義隆が生まれた地としても知られ、「波切城跡地」としても知られている。
    大正時代に3000トンの巡洋艦「音羽」が大王岩に激突して座礁してしまう大惨事があり、
    8年後の1927(昭和2)年に建てられた。地上から灯塔の頂部まで高さ20.5m、
    全国で14基ある参観灯台の一つで、見張り台まで上がり展望することができる(有料)。
    参 : 喜びも悲しみも幾年月
    
    大王埼灯台(大阪のK.Kさん提供)
    アクセス : 近鉄:志摩線鵜方駅〜大王埼灯台まで電車・バスで約30分、徒歩7分
     伊勢道伊勢IC〜伊勢磯部線〜国道167号〜国道260号で車で約1時間
     伊勢志摩パールロードの浦大橋から約15分。
     伊勢二見鳥羽ライン竪神ICから国道42号・国道167号・
     伊勢道伊勢西ICから県道32号(伊勢道路)、国道167号・260号経由で35km
竜飛埼灯台(たっぴさきとうだい) : 青森県東津軽郡外ケ浜町三厩龍浜にある、津軽半島の最北端、
    津軽海峡に突き出た竜飛岬にある灯台。1932(昭和7)年に初点灯し、
    無人化が進む灯台にあって現在でも4人の職員が交代で24時間監視を続けている。
    津軽半島の西側に位置し、難所とされる津軽海峡の安全航行に大きな役割をはたしている。
    
    龍飛崎灯台(2007.9.10撮影)
    
    龍飛崎灯台
    
    龍飛崎灯台
    
    龍飛崎灯台そばのレーダー基地
    
    龍飛崎灯台付近からの眺め
    
    同上。風車群側
地球岬灯台(ちきうみさきとうだい) : 正式名称は「チキウ岬灯台」。チキウとはアイヌ語の
    「チケウ(削れたもの)」または「チケウエ(その断崖)」がなまったものと言われており、
    国土地理院では「チキウ」と規定されている。また、この「チキウ」を漢字に当てはめ、
    一般に「地球」と呼んでいる。北海道室蘭市にある地球岬先端の断崖に立つ白亜八角形の大型灯台で、
    「日本の灯台50選」の一つでもある。また、2005年の土木学会選奨土木遺産にも選ばれた。
    北海道の灯台のなかでもっとも遠い約44Km先まで届き、その光は噴火湾全域を優にカバーし、
    航行船舶の道しるべとして、1920(大正9)年4月1日の設置点灯以来、海の安全を見守ってきた。
    周辺は、室蘭八景の一つで、100m前後の断崖絶壁が約13kmにわたって連なり、
    太平洋に落ち込んでいる。
    
    「ようこと地球岬へ」の立て看板(以下2007.9.9撮影)
    
    チキウ岬灯台への入口
    
    入口を少し下りた所で大海原が開ける
    
    一般公開した地球岬灯台。2007年9月9日に「地球岬」によったら、
    運よく地球岬灯台を公開していて10分くらい待って展望台まで登れた。
    「チキウ岬灯台訪問記念」の証明書と「海の日」のティッシュまでもらった。

    
    同上近影
    
    幸福の鐘の石碑
    
    幸福の鐘
    
    地球岬灯台よりの眺め
    
    同上
    
    同上
角島灯台(つのしまとうだい) : 日本海(響灘)に浮かぶ角島北西端の夢ケ崎に立つ石造の灯台で、
    山口県下関市豊北町角島2343−2にある。
    灯塔は総御影石造りで、日本に2つしかない塗装を施していない灯台の一つ。
    「灯台の父」と呼ばれたイギリス人技術者・リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計による最後の灯台で、
    灯高26mの日本海では初めての、美しい第一等洋式灯台である。
    工事は1973(明治6)年8月に着工、イギリス人技師の監督の下に進められ、オスロー、バウエルス、
    デイックと三代にわたり、明治8年末に完成し、1876(明治9)年3月1日に石油灯で初点灯した。
    初代灯台長となったデイックは、温厚なイギリス人紳士で灯台の完成後3年間角島に留まり、
    日本人職員の技術指導に当たったと言われる。
    レンズは日本でも6箇所しかない一等八面の特大フレネル・レンズで、第1等灯台に指定されている。
    この灯台は、歴史的文化財的価値が高いAランクの保存灯台で日本の灯台50選にも選ばれている。
    北長門海岸国定公園内に含まれ、灯台周辺は下関市立の角島灯台公園となっている。
    灯台守の宿舎であった退息所が復元され資料館となり、参観灯台として常時内部が一般公開されている。
    1966(昭和41)年に事務所が萩に移転し、灯台は見回り管理となっている。
    
    角島灯台(2005.12.8撮影)
    
    角島灯台入口側
    角島灯台記念館(旧吏員退息所)
    灯台の設計者であるイギリス人技師R・H・ブラントンの設計により、
    1975(明治8)年12月に灯台本体とともに完成し、灯台職員の宿舎として使用されていた。
    当時としては、珍しい洋風建築で、木柱の並ぶ吹放しのヴェランダを設け、
    室内は中廊下式で四室に分かれ、突出した部分には台所、浴室等が設けられている。
    また、各部屋にはマントルピース(暖炉)が設置され、異国情緒を漂わせている。
    構造は、赤煉瓦造の壁体の上に木造の小屋組を置いて、桟瓦葺としており、
    特に、煉瓦の積み方(イギリス積み:最初に長手方向が見えるように積み、
    次の段には小口が出るようにして、交互に積み上がる工法)に、その特徴がある。
    永い間、国の所有であったが、1987(昭和62)年に豊北町が払い下げを受け、
    1992(平成4)年度から整備を進め、建設当時の姿に修復したものである。
    
    角島灯台より南東方面を望む。雲間から日の光がそそいでいる。
    
    角島灯台より北東方面を望む。右端に小さな教会が見える。
都井岬灯台(といみさきとうだい) : 、宮崎県串間市に属する都井岬の標高240mの断崖上に立つ、
    白色の大型灯台で、「日本の灯台50選」にも選ばれている。
    周辺は、日南海岸国定公園の最南端に位置する風光明媚の地である。
    1929(昭和)4年5月16日に起工し、同年12月22日に完成して、初点灯された。
    当初は、国産の第1等単閃光レンズを使用し、レンズ室を覆う灯籠には関東大震災により大破した
    横浜の試験灯台のものを再利用した。光源には、1300カンデラの石油ランプを使用した。
    1944(昭和19)年7月に、電化された。2000(平成12)年3月に「都井岬灯台展示資料室」を開設。
    
    都井岬灯台()
灯台(a lighthouse)とうだい : @燈台。岬の先端や港内に設置された航路標識の一つ。
     船舶に陸上の特定の位置を示すために設置する塔状の構造物(沿岸灯台)並びに
     港湾の所在、港口等を示すために港湾に設置した構造物(防波堤灯台)で、
     遠方からでも識別可能な強力な光源を有する。
     夜間には光源が明滅(大型のものでは指向性を持ったレンズが回転)し、
     航行する船舶が場所を識別する目印となり、また、霧笛を鳴らすなどして船舶の安全を守る。
     現在多くはコンクリート製だが、木造や石造、煉瓦造のものも見られる。
      日本では「航路標識法」第2条第2項において「航路標識とは、灯光、形象、彩色、音響、
     電波等の手段により港、湾、海峡その他の日本国の沿岸水域を航行する船舶の指標とするための
     灯台、灯標、立標、浮標、霧信号所、無線方位信号所その他の施設をいう。」と定められている。
     それらを分類での灯台は「光波標識」の中の夜標として位置づけられている。    
日本一の灯台 (回答総数1万6857人)
順位 漁港(所在地) 回答数(人)
1位 犬吠埼灯台(千葉) 4586
2位 襟裳岬灯台(北海道) 3035
3位 足摺岬灯台(高知) 2922
4位 納沙布岬灯台(北海道) 2734
5位 室戸岬灯台(高知) 2445
6位 宗谷岬灯台(北海道) 2359
7位 潮岬灯台(和歌山) 2328
8位 石廊埼灯台(静岡) 2091
9位 観音埼灯台(神奈川) 1975
10位 竜飛埼灯台(青森) 1651
2008.8.20「be」掲載。朝日新聞の
「アスパラクラブ」会員のアンケートより
候補は俳優・加藤剛さんと編集部で選択
    A灯明台(とうみょうだい)。昔の室内照明器具。上に油皿をのせて灯心を立て火をともす台。
入道埼灯台(にゅうどうざきとうだい) : 秋田県男鹿半島の突端にある灯台で、明治31年に初点灯し、
    現在資料館展示室も設置され見学もできる。灯台は白と黒のまだらに塗られ、
    駐車場は無料で、150円の見学料を払えば高さ約29mの灯台から、美しい日本海の夕陽も眺められる。
    
    入道埼灯台(大阪のK.Kさん提供)
納沙布岬灯台(のさっぷみさきとうだい) : 北海道根室市にある納沙布岬の突端に立つ
    白亜塔形の中型灯台で、北方領土を除くと、日本最東端に位置している。
    また、「日本の灯台50選」にも選ばれている。周辺は、北方四島や知床半島を望む、風光明媚の地。
    1872(明治7)年8月15日<旧暦では7月12日>に初点灯した。
    「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計による八角形の木造で、
    北海道の洋式灯台としては最初のもの。ここと水晶島の間にある珸瑶瑁(ごようまい)水道は
    暗礁浅瀬が多く、航海の難所として恐れられていて、灯台の建設が求められていた。
    1930(昭和5)年に現在のコンクリート造灯台に改築される。
    1998(平成10)年4月より、無人化される。
    アクセス : JR根室駅より根室交通バスで約35分、1日8〜9往復、1040円、
            往復割引1割引有(2008年12月現在)納沙布岬下車徒歩すぐ。
    
    日本最東端の納沙布岬(2007.9.7撮影)
    
    納沙布岬灯台(大阪のK.Kさん提供)
    
    納沙布岬灯台(2007.9.7撮影)
    
    同上。水平線の先にうっすらと北方領土の歯舞群島が見える

    
    灯台の近くに「返せ北方領土」の碑がある
野島埼灯台(のじまざきとうだい) : 南房総最南端に位置する千葉県白浜町の野島埼にある灯台で、
    関東を代表するリゾート地白浜のランドマークとなっている。
    野島埼灯台入り口付近はロータリーになっていてその周辺に駐車することができる。
    灯台の入場料は150円で、白浜の海岸線がよく見える。
    
    野島埼灯台(大阪のK.Kさん提供)
日の御碕灯台(ひのみさきとうだい) : 和歌山県美浜町にある高さ14m無人灯台で、
    紀伊半島と四国を結ぶ紀伊水道を照らし続けている。三尾の集落から西へ5分ほどの山頂に建っている。
    建設は1895(明治28)年だが戦災により消失、1951(昭和26)年に再建された。
    このとき大型灯台では初めてのタイル貼りが採用された。
    周辺は日の岬パークとなっていて、アメリカ資料館、展望台レストハウスなどがある。
    
    日の御碕灯台(大阪のK.Kさん提供)
美保関灯台(みほのせきとうだい) : 島根半島の東端、美保関の地蔵崎の馬着山に、
    1898(明治31)年、フランス人の指導により建設された山陰最古の大変美しい石づくりの灯台である。
    「世界灯台100選」に選ばれた灯台 でもあり、「日本の灯台50選」にも選ばれている
    日本を代表する灯台で、歴史的文化財的価値が高いので、Aランクの保存灯台ともなり、
    灯台として全国初の国登録有形文化財にもなっている。
    美保関灯台入り口近くに無料の駐車場があり、そこから歩いて3分ほどのところある。
    1898(明治31)年11月8日に、フランス人技師により設計、片江の石工寺本常太郎によって
    施工されて、初点灯したが、当時は第1等灯台で、光度は6万7500カンデラ。
    当初は、地蔵崎灯台と呼ばれ、山陰では、最初に建てられた灯台だった。
    1922(大正11)年に光源が電化される。1935(昭和10)年に美保関燈台と改名。
    1954(昭和29)年に第1等レンズを変更して、LB−90型灯器になる。
    1962(昭和37)年にに無人化。1993(平成5)年に最新設備に改良し、
    メタルハライド電球を使用するLB−M60型灯器となる。
    1998(平成10)年にに「世界各国の歴史的に特に重要な灯台100選(世界灯台100選)」に選ばれた。
    2007(平成19)年に国の登録有形文化財となる。
    2009(平成21)年2月6日、近代化産業遺産に選定される。
    
    美保関灯台
    
    灯台設置当時から使用されていた第1等フレネル式閃光レンズ
    
    LB−90型灯器
    アクセス : JR山陰本線松江駅から一畑バス(美保関行き)で40分、美保関ターミナル下車、
            町営バス乗り換え(美保関線)40分、美保神社入口下車、タクシーで約5分。
室戸岬灯台(むろとざきとうだい) : 、高知県室戸市室戸岬町の室戸岬付近の高台に立つ白亜の鉄造灯台。
    周辺は、室戸阿南海岸国定公園に指定され、太平洋を望む風光明媚の地。
    実効光度160万カンデラと光達距離26海里(約48km)は、共に日本一。
    また、日本に6箇所しかない直径2.6mの第1等フレネル式レンズを備えた第1等灯台でもある。
    更には、日本の灯台50選の一つ、その歴史的価値から海上保安庁によってAランクの保存灯台にも
    指定されており、正に日本を代表する灯台のひとつである。
    1899(明治32)年に初点灯された。鉄製で白一色に塗装され、現在も原形を保っている。
    当初は石油ランプであった。1917(大正6)年に電化された。
    1934(昭和9)年9月の室戸台風により灯台レンズが破損したため修理が行われた。
    1945(昭和20)年3月、太平洋戦争末期、アメリカ軍空母機動部隊が室戸岬沖80kmに接近。
    アメリカ軍の艦載機による機銃掃射を受け、灯台レンズが破損する。
    1953(昭和28)年10月、日本で初めて電動駆動装置(回転機械制御用の電動駆動機器)の採用。
    
    室戸岬灯台(大阪のK.Kさん提供)
    アクセス : 土佐くろしお鉄道奈半利駅から高知東部交通バス室戸岬行き約1時間、
     スカイライン入口下車後徒歩20分(最御崎寺参道、山門を過ぎてさらに奥に直進約100m)
































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