東福寺(YSミニ辞典)

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東福寺(とうふくじ) : 京都市東山区本町15丁目にある臨済宗東福寺派大本山の寺院で、
    九条・一条両家の廟所(氏寺)でもあり、創建当初は、真言・天台・禅の三宗兼学であった。
    東福寺の名は、「洪基を東大に亜(つ)ぎ、盛業を興福に取る」と、
    奈良において最大の寺院であった東大寺興福寺より1字ずつとって寺名とした。
    京都五山の第四位の禅寺として中世、近世を通じて栄えた。
    山号を慧日山(えにちさん)と号し、本尊は釈迦如来である。
    開基(創立者)は、1236(嘉禎2)年に創建の摂政・九条道家で、
    約15メートルの釈迦像を安置するために、大寺院を建立することを発願した。
    開山(初代住職)は聖一国師・円爾弁円(しょういちこくし・えんにべんえん)である。
    1255(建長7)年まで19年もの歳月を費やして完成したが、
    本尊は1319(元応元)年の火災で焼失した。その後14世紀半ばに再興されたが、
    再び1881(明治14)年の火災で仏殿、法堂、方丈、庫裏を焼失した。
    1917(大正6)年に本堂(仏殿兼法堂)再建に着工して1934(昭和9)年に完成し、
    1890(明治23)年に方丈、1910(明治43)年に庫裡も再建された。
    明治に再建されたものとは別に、三門、東司、浴室、禅堂などは焼け残っており、
    中世の姿で現存している。東福寺には2メートルもある仏手が保管されているが、
    これは明治の火災の際に救い出されたものとされている。
    明治の廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、
    今なお25カ寺の塔頭(たっちゅう、山内寺院)を有する大寺院である。
    国宝の無準師範画像や宋版「太平御覧」など多くの寺宝を蔵す。
    明治時代の日露戦争の際には寺域が接収され、ロシア兵捕虜の収容施設となっていた。
    三門 : 国宝。禅宗様としては現存する三門の中で日本最大最古のもので、
     大仏様、禅宗様、和様をそれぞれ組み合わせた建造方式となっている。
     三門とは、悟りに通じる「空門」「無相門」「無作門」の三解脱(さんげだつ)門の略である。
     五間三戸、重層入母屋造で両脇に上層へ登る山廊があり、
     上層の須弥檀中央の宝冠釈迦如来のほか、月蓋長者、善財童子・十六羅漢像が安置されている。
    
    三門
    
    同上
    本堂 : 三門の北にあり、明治14年に仏殿と法堂が焼失したあと、
     1917(大正6)年から再建にとりかかり、実に17年もの月日を費やし
     1934(昭和9)年に仏殿兼法堂として完成した。
     高さ25.5メートル、間口41.4メートルで昭和の木造建造物としては最大のものである。
     本尊は釈迦立像、脇に摩訶迦葉尊者 阿南尊者、四天王が安置されている。
     天井の龍の絵は堂本印象作である。
    
    本堂(仏殿)
    
    本堂横にある古井戸?。大阪から御影石が寄贈されたのだろうか?
    方丈 : 1890年の再建。八相の庭と命名された方丈庭園は
     造園家・重森三玲の作で東西南北にそれぞれ庭園を持つ造りとなっている。
     北庭は石と苔を市松模様に配され、サツキの丸刈りとの調和が見事で、
     南庭は東西に細長い庭に、蓬莢・方丈・瀛洲、壺梁の四島に見立てた大きな石と、
     砂に線を描き海を表し、西に五山を築山して大和絵風にあらわし、神仙境を表現しているという。
     西庭は井田市松のといわれ、サツキの刈込みと砂地が大きく市松模様に入り、
     くず石を方形に組んで井田を表現している。東庭は北斗の庭といわれ、
     東司の柱石の余材を利用して北斗七星を構成し、雲文様地割に配している小宇宙空間だという。
    
    方丈(庫裏)
    開山堂(かいざんどう) : 重要文化財。別名「常楽庵」。もとの建物は1819(文政2)年に焼失し、
     1823(同6)年に一条忠良によって再建された。屋上に閣を持つ類例を見ない開山堂で、
     正面柱間八間、内部は禅式瓦敷(四半敷)、祀堂は床高で開山国師像を安置している。
     上層伝衣閣は正面三間、内部左右いっぱいに壇を設け、
     中央に阿弥陀、右に薬師、左に布袋像が祀られている。
    
    開山堂
    
    同上
    愛染堂(あいぜんどう) : 開山堂の西、南正面にして立つ丹塗りの八角小円堂。
     もと万寿寺と呼ばれていたが、1934(昭和9)年の室戸台風で倒壊、その後現在の地に移された。
     唐様を主とした鎌倉末期風の優雅さをもって現存する貴重な遺構である。
     単層、こけら葺、桟唐戸。内部は瓦敷、鏡天井とし、須弥壇上に宝塔形の厨子を置き、
     愛染明王を祀っている。
    
    愛染堂
    禅堂(ぜんどう) : 南北朝時代の1347(貞和3)年に再建の重要文化財建造物。
     東司の北にある。選仏場(せんぶつじょう)、僧堂ともいい、座禅専修の道場としては、
     中世期より現存する最古最大の建物で、桁行七間、梁間四間、単層、裳階(もこし)付切妻造。
     鎌倉風の花頭窓と格子窓、弓形の木を並べた波欄間、鏡天井。
     身舎(もや)中央には二重虹梁(こうりょう)と大瓶束(だいへいづか:下の細まった円い短柱)。
     掲げられている扁額「選佛場」は宋国径山万寿寺(きんざんまんじゅじ)の無準師範の筆である。
    
    禅堂
    
    同上(ゆんフリー写真素材集より)
    経蔵(きょうぞう) : 開山の円爾弁円(聖一国師)は、1241(仁治2)年に宋から帰朝の際
     一千余の典籍を持ち帰り、我が国文教の興隆に多大な貢献をなした。
     それらの経典が納められていたという『経蔵』で、江戸時代の1793(寛政5)年の再建である。
     円爾上人は晩年、故郷の駿河国に戻り、禅宗の流布を行うとともに、
     宗から持ち帰った茶の実を植え茶の栽培を広めたことから、静岡茶の祖とも呼ばれている。
    
    経蔵
    鐘楼(しょうろう) : 東福寺殿鐘楼と称し、経蔵の前に位置する西の鐘楼である。
     こじんまりとした建物は室町後期のものといい、銅鐘(重文)は鐘身1.4m、口縁外径1m、
     厚さ8.5cmの大鐘で、蓮華門の撞座のすぐれた点より平安初期を下らざる鋳造とみられている。
    
    鐘楼。奥は経蔵
    
    同上
    
    日下門(くさかもん)
    通天橋(つうてんきょう) : 仏殿から開山堂に至る渓谷洗玉澗(せんぎょくかん)に架けられた橋廊で、
     1380(天授6)年、春屋妙葩(しゅんおくみょうは)が谷を渡る苦労を無くすために架けたとされている。
     現在のものは1959(昭和34)年に台風によって倒壊したものを昭和36年に再建したものだが、
     この一帯に茂る約2000本もの楓は宋から伝わった「通天紅葉」と呼ばれる
     三葉楓(葉先が3つにわかれている)など楓の木が多く、まるで紅葉の雲海を見ているような
     素晴らしい景色である。もとは桜の木が植わっていたが「後世に遊興の場になる」という理由で
     伐採され、楓の木が植えられたものである。秋には紅葉の名所として有名である。
     臥雲橋、偃月橋(えんげつきょう)とともに、東福寺三名橋と呼ばれる。
    
    通天橋
    
    同上
    東司(とうす) : 重要文化財。室町時代唯一、日本最大最古の禅宗式の東司(便所)の遺構で、
     桁行七間(約35m)、梁間四間(14m)、一重切妻造の建造物である。
     多くの修行僧が一斉に用を足すことから百雪隠(ひゃくせっちん)とも呼ばれる。
     内部は中央通路をはさんで左右両側に円筒の壺を埋める。常時非公開。
    
    東司(ゆんフリー写真素材集より)
    
    東司内部(ゆんフリー写真素材集より)
    境内案内図
    
    境内案内図
    
    拝観時間 : 9:00〜16:00(11月のみ8:30〜16:30)
    拝観料 : 通天橋・開山堂 400円(小中学生300円)
            方丈庭園 400円(小中学生300円)
    アクセス : 京都駅からJR奈良線「東福寺」下車
            京都駅から京都市営バス208号系統「東福寺」下車
            四条河原町から京都市営バス207号系統「東福寺」下車
    駐車場 : 無料30台(秋の特別拝観期間中は北駐車場閉鎖)
    参 : 東福寺(HP)、[YouTube](東福寺の紅葉)




























































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