東寺(YSミニ辞典)
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東寺(
とうじ) : 京都市南区九条町1にある真言宗東寺派(東寺真言宗)総本山で、
正式には八幡山教王護国寺
(きょうおうごこくじ)という。本尊は薬師如来。平安京遷都に際し、
796年に桓武天皇が創建し、朱雀大路の南端にある羅生門を挟んで東西に建立された初の官寺の一つ。
当初は西寺も存在したが、西寺は後に廃寺となり、現在は東寺のみが残る。
羅城門の東に位置したので東寺のほか左寺、左大寺などと呼ばれた。823年に嵯峨天皇が
空海に東寺を勅賜し、空海は以後これを教王護国寺と称し真言密教(東密)の根本道場とした。
1486年の土一揆で創建時の建物は失われ、現在の堂宇は 奈良時代の伝統的な伽藍配置をふまえて
再建されたもの。伽藍配置は奈良時代の寺院建築形式で、南大門・金堂(国宝)・講堂・食堂
(じきどう)・
北大門が 南北に一直線に並んでいて、東に総高57m、日本一の高さを誇る五重塔(国宝)、
西には潅頂院、西院の御影堂(国宝)、大日堂などの諸堂がある。五重塔は4度の焼失を経ており、
現在のものは1644年に再建されたものである。また「弘法さん」と呼ばれる縁日(弘法市)が有名。祖
師空海入寂の3月21日を期して、毎月21日に御影堂で行われる御影供の日に市がたつ。
当初は年に1回行われていたものが、1239年以降は毎月行われるようになった。
南大門(なんだいもん) : 正門。重要文化財。1895(明治28)年、三十三間堂の西門を移築したもの。
九条通り(九条大路)に面しており、京阪国道口交差点から東へ約100mの場所にある。
南大門
同上
北門(きたもん) : 正式には「北総門」。八条通りとぶつかる所にある。
一般に寺院の表門は南大門となるが、東寺ではこちらが表門となる。
北門
北大門の境内側
金堂(こんどう) : 国宝。1603年に豊臣秀頼によって再建されたもので、広大な境内中には
本尊の薬師三尊像が置かれている。2.9mもある大きな像で、桃山時代に作られたとされる。
金堂
同上gazo-touji_kondou1.jpg
金堂内(国宝・薬師三尊)パンフレットより
五重塔(ごじゅうのとう) : 国宝。京都のシンボルともなっている東寺の五重塔は日本一の高さを誇る
木造塔で、高さ54.8mで、現在のものは1644年に徳川家光が再建した5代目になる。
五重塔
講堂(こうどう) : 重要文化財。金堂の背後(北)に建つ。825(天長2)年に空海により着工、
835(承和2)年頃完成した。当初の堂は1486(文明18)年の土一揆による火災で焼失し、
室町時代の1491(延徳3)年に再建されたのが現存する講堂である。単層入母屋造で純和様である。
金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来を中心とした密教尊を安置する。
講堂
同上
講堂内(国宝・立体曼荼羅)パンフレットより
国宝・梵天像(講堂内)パンフレットより
御影堂(みえどう) : 住宅風の仏堂で、国宝としての名称は「大師堂」という。秘仏の不動明王像がある。
国宝でもある弘法大師坐像もあり、毎朝6時に朝食を供える生人供があり、
多くの参拝者や観光客でにぎわう。
御影堂入口
御影堂
食堂(じきどう) : 納経所。講堂の後方、境内の北寄りに建つ。
初代の食堂は空海没後の9世紀末から10世紀初め頃にかけて完成したと推定されるが、
1596(文禄5)年の地震で倒壊。2世紀以上後の1800(寛政12)年にようやく再建工事が始められた。
この江戸時代再建の食堂は1930(昭和5)年に火災で焼失し、現在の建物はその後の再建で、
1934(昭和9)年に完成したものである。旧本尊の千手観音立像はこの時の火災で焼損したが、
1965(昭和40)年から修理が実施され、現在は寺内の宝物館に安置されている。
現在の食堂には明珍恒男作の十一面観音像が本尊として安置されている。
食堂
同上
大師堂(だいしどう) : 国宝。西院・御影堂
(みえいどう)。かつて空海が住房としていた
東寺境内西北部の「西院」と呼ばれる一画に建つ住宅風の仏堂であるる1379(康暦元)年に焼失し、
その翌年には早くも再建され(現在の後堂部分)、更に10年後の1390(明徳元)年には
弘法大師像を安置するために北側に礼堂(前堂)と廊が建てられた。
大師堂は、入母屋造り、総檜皮葺きで、国宝に指定されている。
後堂(大師堂南側)には空海の念持仏とされる不動明王坐像(国宝、9世紀の作、絶対秘仏で非公開)
が安置されている。日本の不動明王像としては最古の作例の1つとされている。
北側の礼堂には、弘法大師坐像(国宝)を安置している。この弘法大師坐像は、1233(天福元)年に
運慶
(うんけい)の四男・康勝
(こうしょう)が制作したもので、空海の弟子の真如が描いた
空海の肖像とほぼ同じ姿と伝えられている。この像の前では、毎朝6時に「お大師様」に
朝食を捧げる「生身供
(しょうじんく)」が執り行われ、多くの参拝者が集まる。
国宝・大師堂(パンフレットより)
毘沙門堂(びしゃもんどう) : 939(天慶2)年平将門の乱に際して、
羅城門に「兜跋毘沙門天」
(とばつびしゃもんてん)が、都の守護神として祀られた。
978(天元元)年大風で羅城門が倒壊したため、「兜跋毘沙門天」を東寺食堂に移して祀るようになり、
その後、1822(文政5)年に現在の毘沙門堂を建立して安置したという。
京都の
都七福神(毘沙門天)のひとつである。元々は羅城門の楼上に置かれ外敵の侵入から
平安京を守る役目を果たしていたという像で、嵐による羅城門倒壊の際、
助け出されて近くの東寺に置かれていたものだと言う。現在、国宝の「兜跋毘沙門天」像は宝物館に
収蔵されており、毘沙門堂には別の毘沙門天像が本尊として祀られている。
毘沙門天は、多聞天ともいい、四天王の一尊として造像安置する合は「多聞天」、独尊像として
造像安置する場合は「毘沙門天」と呼ぶのが通例である。密教においては、十二天の一尊で
北方を守護するとされる。また日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、
特に勝負事に利益ありとして崇められる。
毘沙門堂
大日堂(だいにちどう) : 2000(平成12)年に大改修を終えた。浜田泰介の障壁画がある。
平安時代造の大日如来像を安置する
大日堂
鐘楼
三面大黒天
同上
手水舎
東寺宝物館(とうじほうもつかん) : 北大門を出た左側にある。切妻造りの鉄筋コンクリート3階建てで、
国宝や重要文化財など2000点もの寺宝があり、6mにも及ぶ重文、千手観音立像の彫刻や、
風信帖、伝真言院曼荼羅や五大尊像などもあり、まだ調査のしていない古文書に至っては、
5万点以上もあるといわれている。この寺宝の中から、その時々のテーマに見合った展観を
年に2回行っている。春は3月20日から、秋は9月20日からになる。
宝物館
弘法市(こうぼういち) : 東寺で毎月21日に行われ、地元の人には「弘法さん」と呼んで親しまれている。
早朝5時頃から日没まで開催されていて、南大門前の大きな広場には、所狭しと店が建ち並び、
毎月訪れる人の数は20万人にものぼる。縁日という呼び方にはきちんと意味があり、
神仏がこの世と縁をもつ日とされていて、参詣すると功徳が得られるとされていた。
東寺でいう縁日は、空海の入寂の21日のことであり、御影堂で行う御影供のことを指す。
これがいつの間にか、屋台で参詣者にお茶を出すようになり、江戸時代になると茶店以外にも
様々な店が出てくるようになった。これが今もある弘法市の原点だと言われている。
この弘法市の他にも、第1日曜日に開催されている骨董市もかなりのにぎわいを見せている。
参 :
東寺公式サイト、[
YouTube](東寺、儀式)、[
YouTube](東寺、散策)
東寺境内案内図(パンフレットより)
拝観時間 : 8:30〜17:30(3月20日〜9月19日)、8:30〜16:30(9月20日〜3月19日)
拝観料 : 大人500円、高校生400円、中学生・小人300円、6歳以下無料
問合せ先 :
075−691−3325
アクセス : JR京都駅から京都市営バス16号系統「東寺西門前」下車
JR京都駅から京都市営バス42号系統「東寺道」「東寺東門前」下車
JR京都駅から京都市営バス19、78号系統「東寺南門前」下車
四条河原町から京都市営バス207号系統「東寺東門前」下車
近鉄東寺駅より徒歩で10分
東寺拝観券(現寸15.4×5.9cm)