YSミニ辞典(和歌山城)

[ホーム] [索引] [前項] [次項]

和歌山城(わかやまじょう) : 紀伊・和歌山城。和歌山県和歌山市一番丁にあり、
    本丸の北側に二の丸が配され、その外に大きく三の丸が配された、(梯郭式平山城)である。
    天守閣は、大天守、小天守、乾(いぬい)櫓、二の門櫓、
    楠門を多聞(たもん)によって連結させた連立式天守閣である。各層の屋根には唐破風(からはふ)
    千鳥破風(ちどりはふ)を交互に配し、上層階には物見のための高欄(こうらん)をめぐらし、
    大天守の隅には石落としを設けるなど、江戸時代初期頃の様式を残している。
    とくに、和歌山城天守閣の特徴は、ひし形の敷地に左右され、乾櫓(北西)と大天守(南東)が張り出し、
    城下の北東と南西からの姿に雄大さを増すように工夫されている。
    現在の天守閣は、1945(昭和20)年7月に戦災で焼失した天守閣(国宝)を、
    昭和33年10月1日に鉄筋コンクリート造で再建・復元したものである。
    天守台面積は2,640平方メートル、大天守閣高は23.42メートル(海抜72.32メートル)。
    徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の居城で、国の史跡に指定されている。
    和歌山城は、1585(天正13)年に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりで、
    その築城を担当したのが、今治城などを築いた築城の名人・藤堂高虎(とうどう・たかとら)である。
    和歌山城は和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの虎伏山(とらふすやま)に建造され、
    北部を流れる紀の川を天然の堀としている。まず、秀長の城代として桑山重晴が入り、
    1600(慶長5)年には、関ケ原の戦いで功をたてた浅野幸長が入城した。
    その後、1619(元和5)年には徳川家康の第10子頼宣(よりのぶ)が入城し、紀州55万5千石の
    居城となり、以来、紀伊家は尾張家・水戸家と並び、徳川御三家の一つとして、長い歴史を刻んできた。
    徳川頼宣は1621(元和7)年より城の大改修と城下町の拡張を始め、
    計画では完成時より更に大規模な城構えになる予定であったが、
    大規模な改修であったため幕府より謀反の嫌疑をかけられるほどであった。
    しかし、附家老安藤直次の弁明で事なきを得た。また、外堀も拡張して総構えにしようとしたが、
    幕府より嫌疑をかけられ中止させられてしまったため、堀止の地名が残っている。
    後、数度の火災に遭ったが、その度に再建された。
    和歌山城の入口は5カ所、重要文化財に指定されている「岡口門」、門外に馬術の稽古場のあった
    「追廻門」、一の橋の架かる「大手門」、「不明門」址、「勘定門」址がある。
    現在、城跡として現存しているのは最盛期の4分の1ほどの面積である。
    その他、特徴としては時代によって異なる石垣の積み方などがある。
    それに、豊臣・浅野時代の石垣には刻印された石垣石がある。
    模様は約170種類、2100個以上の石に確認されているが、その大半が和泉砂石である。
    現在は、本丸と二の丸が和歌山公園となっており、本丸南西部には和歌山縣護國神社があり、
    南の丸には和歌山公園動物園がある。主に三の丸跡等には県庁、和歌山市役所や
    和歌山市消防局、和歌山地方裁判所・和歌山家庭裁判所・和歌山地方検察庁をはじめ公的機関や
    学校、商業施設、オフィス街、和歌山中央郵便局、県立近代美術館・県立博物館などがある。
    遺構として石垣、堀をはじめ、公園内には岡口門と土塀、追廻門が現存し、
    岡口門と土塀は国の重要文化財に指定され、二の丸にある大楠は県指定特別天然記念物に
    指定されている。また、大小天守群とそれに続く櫓・門、大手門・一之橋が復元されている。
    
    和歌山城(改修中でこの面にブルーシートが掛けられていたのでパンフレットの写真を引用した)
    
    城内案内図(以下2010.7.29撮影だが、改装中と大雨で撮影枚数は少ない)
    
    大手門(表門)。当初は一之橋御門と呼ばれていたが、1796(寛政8)年に大手御門と改称された
    
    大手門(城側)
    
    城内にある伏虎(ふっこ)
    
    「七福の庭」説明板
    
    七福の庭
    
    本丸御殿跡の説明板
    
    左に折れると天守閣方面で、右手の階段を上ったところが「本丸御殿跡」。
    本丸御殿跡には1923(大正12)年に上水道貯水池が設置され現在に至っている。
    
    三年坂通りからの「岡口門」。1621(元和7)年、徳川氏が搦手門(裏門)として建造したものであり、
    和歌山城内に残る数少ない江戸初期の建造物である。門は櫓門形式をとり、
    土塀を含めて1957(昭和32)年に国の重要文化財に指定された。
    1960(昭和35)年、解体修理が行われた。

    
    右上の門が「岡口門」。
    
    天守閣への入り口「楠門」を入ったところにある石碑
    
    城内への入り口(楠門)(大阪のK.Kさん提供)
    
    多門櫓にある「楠門」の天守閣側
    
    二の門櫓
    
    中央奥に聳えるのが「乾(いぬい)櫓」
    
    乾櫓(大阪のK.Kさん提供)
    
    大天守より乾櫓方面を望む(同上)。後方は北部を流れている紀の川
    
    右が大天守で、左側が入り口が唐破風の小天守
    
    天守閣(大天守)(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上
    
    天守閣(大天守)
    
    埋門
    
    駐車場側にある不明門跡の説明板
    
    1620(元和年間)年頃に建てられた門で、緊急時の脱出用として、常時閉じられていた不明門跡
    
    不明門跡にある1635(寛永2)年に築かれた高さ23mにも及ぶ立派な高石垣
    
    天守閣の最上階にある和歌山城復元模型
    
    同上(大阪のK.Kさん提供)
    
    城内展示物(同上)(葵紋革製軍羽織ほか)
    
    同上(軍船模型)
    
    同上(鎧兜)
    
    同上
    
    同上(漆駕籠)
    
    同上(葵紋入長持)
    
    同上(黒塗金蒔絵葵紋鞍)
    
    同上(和歌山城出土の瓦)
    
    和歌山城入場券(表)

    
    和歌山城入場券(裏)
    アクセス : JR阪和線和歌山駅、南海電鉄南海本線和歌山市駅〜バス「公園前」下車。
            車では阪和道和歌山IC〜国道24号線(バイパス)
            駐車場は、大手門、岡口門周辺の有料駐車場利用
    問い合せ : 073−422−8979(和歌山城天守閣)
    参 : 和歌山城管理事務所(HP)






























































inserted by FC2 system