YSミニ辞典(Y)
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YMCA(Young Men’s Christian Association)ワイエムシーエー : キリスト教青年会。
キリスト教の信仰に基づき、人格の向上と奉仕の精神による社会活動を目指す国際的な団体。
1844年、ウィリアムズ(George Williams 1821〜1905)がイギリスに創立。
YS11(わいえすいちいち) : 戦後の1945(昭和20)に連合国軍総司令部(GHQ)から日本の
航空機生産の禁止指令が出ていたが、1952(昭和27)に航空工業の再開が許可されたこともあり、
1959(昭和34)に官民共同出資による日本航空機製造(株)が設立され、国産機として
初めて開発した近距離用の双発ターボプロップ中型旅客機で、1962(昭和37)年に初飛行に成功した。
座席数は60〜64席、最大巡航速度は時速約470キロ。
製造は、日本の航空機製造会社6社が分担した。型式番号(機名)は、
YSが「輸送機(Yusouki)のYと設計(Sekkei)」のSの頭文字、最初の1が「胴体案の1番目」、
次の1が「エンジン案の1番目」を示しており、「わいえすいちいち」と読む。
名づけられた。当時としては、離着陸性能と旅客搭乗数が同クラスの外国機に比べ優れた機体だったが、
経費がかかり過ぎて赤字がふくれ、1973(昭和48)年に製造を終了した。
累計製造機数は、試作機2機を含め182機で、うち官需が33機。輸出は12カ国75機。
主に国内のローカル路線で活躍し、2006年に運航を終えたが、
今も一部が自衛隊機などとして現役で飛んでいる。
イラストは「いやぽぽ」さんの
ホームページより
引退間近のYS11
プロペラ機の代名詞とされた一方で、古い飛行機の代名詞とされていた。
ジェット化が進むと、YSは次第に数を減らしていき、最後まで残ったのは羽田と伊豆諸島を結ぶ路線、
そして札幌の丘珠空港と道内各地を結ぶ路線だったが、YS11の後継機として
ボンバルディア・DHC−8(通称ダッシュエイト)が導入されると置換えが進み、
2003年5月に丘珠発着のYS11定期便は運航終了し、2006年9月30日の
沖永良部島から鹿児島空港までが最後のフライトとなり、国内定期運航便から完全に退いた。
海上保安庁や海上・航空自衛隊では、まだまだ現役で飛び続けるが、
海保の全5機は2009年度中に引退し、後継には、ボンバルディアDHC8−Q300型が決まっている。
今、100席以下の旅客機はカナダとブラジルが寡占。
国産旅客機は、三菱重工業が2014年引き渡しを目指すMRJまで待たねばならない。
参 :
機械遺産、
航空科学博物館(公式HP)、
MRJ−90LR
YS11以来、悲願の国産機
三菱重工業が進める国産小型ジェット旅客機の開発計画に、トヨタ自動車が100億円程度を出資し、
資本参加を検討していることが2008年3月5日、明らかになった。
豊富な資金力を持つトヨタが参画すれば、YS11以来半世紀ぶりの
「日の丸ジェット旅客機」の実現に弾みがつきそうだ。
次世代のリージョナルジェット機MRJ(Mitsubishi Regional Jet)は三菱重工業が
新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の助成事業として開発を進めてきた、世界最高レベルの
運航経済性と客室快適性を兼ね備えた70〜90席クラスの最新鋭小型ジェット旅客機で、
エンジンには、最新鋭のプラット&ホイットニー社製「GTF(Geared Turbo Fan)」を採用し、
高い運航経済性と環境適合性を実現する。また、リージョナル機で初めて複合材を本格的に採用、
新型エンジンの搭載や最先端の空力設計などとも相俟って、燃費の大幅な低減を実現、
エアラインの競争力と収益力の向上に大きく貢献する。さらに、宇宙航空研究開発機構(JAXA)との
共同開発の成果を活用して得られた最新の設計手法、要素技術、材料・加工法などを導入、
客室の快適性や環境負荷の低減などにつなげている。
滑走路が短くてすむ国産プロペラ機を、1機種くらい保持していてもいいんじゃあないの。
いつ後継機種のYS11AやYS12が出てくるのかと期待していたのに残念だ。
YSは私のイニシャルなので、飲み屋のボトルキープには「YS11」を使っていて
ボトルはよく利用していたが、飛行機の方は一度も利用しなかったことは心残りであります。
「狭い日本 ゆっくり飛んで 事故もなし」「プロペラ機 ローカルに使って 価値がある」
YS11定期便が運航終了した2003年から、カナダ・ボンバルディア社の
DHC8−400型シリーズが全日空グループと日本エアコミューターで採用され、
主に地方都市や離島を結ぶ路線で就航している。
低コストやジェットエンジンとプロペラを併用した静かで速い(時速約650キロ)面もあると思うが、
カナダとの貿易摩擦などによる政府間の裏取引のために、国産のYS11が犠牲になったような気がする。
それでなかったら、より性能のいいYS11の後機種を製造すればよいことで、
日本航空機製造の自民党への献金が少なかったこともあるのだろうか?
YS11に取って代わったDHC8−Q400型機が国内就航4年間で77件ものトラブルを頻発し、
2007年3月13日には高知空港で、手動操作に切り替えても前輪が出ず、
一歩間違えば深刻な事態になる危険な胴体着陸を試みるはめになったのである。
今里仁機長(36)の冷静沈着な判断と操縦により、最悪の状況ながら1人のけが人も
出なかったことは幸いであったが、二重安全の「フェイルセーフ」が働かないのは大問題だ。
全日空では4000飛行時間に1回、前輪格納ドアの作動試験をしていたものの、
事故機はまだ基準時間に達していなかったというが、飛行しなくとも経年劣化による
サビやヒビ、油漏れなどはあるのだから、せめて1週間に1回位は点検すべきだ。
事故原因として、前脚の格納ドアを開閉するアーム(連結器)部分のボルト1本が脱落していたことが、
14日の国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調)の調べで分かった。
このため、アームの正常な動きを阻み、ドアが開かなかったという。
原因となったアーム部分はアルミ製カバーで覆われており、通常の点検対象から
除外されているそうだが、人命に関わるような車輪部分の点検は早急に実施すべきだ!!
与那国空港から沖縄/那覇空港へはDASH8という
初めて乗ったプロペラ双発機だったことから1時間半もかかった(2008.4.28撮影)