YSミニ辞典(山口県の島)

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祝島(いわいしま) : 山口県南東部、瀬戸内海有数の漁場とされる周防灘(すおうなだ)
    伊予灘の境界に位置する山口県熊毛(くまげ)郡上関(かみのせき)町の島で、
    面積7.67km、周囲約12km。柳井(やない)港から1日2便の定期船がある。
    JR広島駅から在来線で1時間半ほどの柳井港から、さらにフェリーで
    1時間半海上を揺られてやっと、この小さなハート形の島にたどり着くことができる。
    安山岩からなる高台状の地形をなし、最高点は長見山と呼ばれ標高357.4m。
    海岸線のほとんどは急斜面となっているため、東側にある港近くの本浦と呼ぶ
    比較的平坦な斜面に住居が集中して集落を形成し、上関町では3番目に大きな集落でもある。
    瀬戸内海の海上交通の要衝に位置し、万葉集にも登場、古代から栄えた歴史を持つが、
    高度経済成長期から人口が流出し、戦後の最盛期には人口は5000人いたとされるが、
    現在は500人弱(2011年6月末現在)で、65歳以上が69%以上を占める過疎地域となっている。
    半農半漁村で、階段耕地が発達し、ビワ園やミカン園が多い。周辺は漁場に恵まれ、
    タイ、スズキの一本釣りや延縄(はえなわ)漁業が盛ん。宮戸八幡宮(はちまんぐう)
    神舞(かんまい)は勇壮な海の神事や古式36種の神楽舞(かぐらまい)を伝え、
    県指定無形民俗文化財。またケグワの巨樹は県指定天然記念物。
    対岸・上関町四代田ノ浦に建設が予定されている上関原発計画には約9割の島民が
    「自然と共に生きる生活を守りたい」と最初から反対を貫き、
    10億8000万円の漁業補償金の受け取りも拒み続け、中国電力の調査や工事を阻止してきた。
    30年も続けられている頑固な抗議活動に、中電は思うように計画を進められずにいる。
    これらの闘う姿は、2010年に「祝(ほうり)の島」「ミツバチの羽音と地球の回転」の2本の映画になった。
    2011年1月には東京の環境NGOと「祝島自然エネルギー100%プロジェクト」を開始。
    太陽光や風力などでエネルギー自給をめざす。週に1度の原発反対島内デモは1100回にも達した。
    参 : 上関原発問題(祝島ホームページ)、映画「ミツバチの羽音と地球の転」オフィシャルサイト
        [YouTube](カヤック隊の若者達の思い)、
        [YouTube](祝島自然エネルギー100%プロジェクトについて)
大津島(おおづしま、おおつしま) : 山口県周南市、徳山港から南西約10kmの沖合いに位置し、
    徳山湾の西部分を縁取り、一部は瀬戸内海国立公園に指定されている、
    面積4.73km、人口約500人の島である。すぐ北に縦長の仙島、お椀を伏せたような
    「徳山みかげ」で有名な黒髪島と南北に並び、徳山湾を外海から隔てて、天然の良港にしている。
    
    大津島は、かつては二つの島だったが、400年くらい前に二つの島がつながったといわれ、
    南端の馬島は、現在では、島といいながらも、大津島の中のひとつの集落の呼び名になっている。
     太平洋戦争末期には、日本海軍の特攻兵器の一つである人間魚雷「回天」の訓練基地が
    設置されたことでも有名である。現在も回天の発射訓練を行った基地跡が大津島の南西側海上に、
    ほぼ当時の姿で残されていて、海面への揚げ降ろしに使ったクレーンの後も残っている。
    この回天発射訓練基地は、第二次世界大戦末期に造られた4カ所のうち、
    唯一残された場所で、良好な保存状態が戦争遺産として貴重であるなどとして、
    2006年11月15日に土木学会選奨土木遺産に認定された。
    また、「回天」搭乗員の訓練用宿舎の跡地付近には平和について学習する施設として「回天記念館」が
    設けられ、回天の歴史や当時の時代背景、生活の様子をパネルなどを使って紹介している。
     大津島へは、1日10便の巡航船が就航し、徳山港から約30〜40分程度で、
    島内に4カ所ある港を経由している。映画「出口のない海」のロケ地になった大津島に
    巡航船を利用して渡る人は、年間約14万人で、2007年4月には、
    新たな巡航船が就航する予定となっている。 参 : 周南市観光協会(HP)、やまぐちの島々-大津島(HP)
青海島(おおみじま) : 長門市にある周囲約40kmの島で、北長門海岸国定公園の中心部にある。
    1965(昭和40)年10月に開通した青海大橋で仙崎とつながっている。
    いくつかの島が砂州でつながってひとつの島となり、島全体が天然記念物に指定されている。
    特に北側の海岸は日本海の荒波に浸食された海食洞窟や断崖、奇岩が多く見られ、
    「海上アルプス」の別名もある。南西部に位置する青海湖は周囲4km、
    日本海と幅20〜30mの砂州で隔てられた、山口県最大の湖である。
    砂州には松林が広がり、波の橋立てとよばれている。島の最高点は北東側にある高山319.9m。
    以下の写真は、青海島観光汽船の島一周コース順に並べています。
    花津浦(はなづら) : 小岩島で、高さ20m、穴の直径は約8m、この岩が牛の鼻ぐりに似ているので
     「鼻繰岩(はなぐりいわ)」ともいわれている。また、花津浦とは牛の鼻の先という意味と、須佐之男命が
     いとしい我が子を抱いて朝鮮を眺め離れづらいと言われたため名づけられたとも言われている。
    「花津浦」(金子みすゞ作)
     浜で花津浦眺めてて、
     「むかし、むかし」と
     ききました。
     浜で花津浦みる度に、
     こころさみしく おもい出す。
     「むかし、むかし」と
     花津浦の
     その名の所縁(いわれ)きかされた
     郵便局の小父さんは、
     どこでどうしているのやら。
     あのはなづらの
     はな超えて、
     お船はとおく
     消えました。
     いまも、入日の海は燃え、
     いまもお船は沖をゆく。
     「むかし、むかし」よ
     花津浦よ、
     みんなむかしになりました。
    
    花津浦(鼻繰岩)
    
    同上。裏側より臨む
    
    コーモリ洞(青海島観光汽船パンフレットより)。蝙蝠(こうもり)が両翼を広げた形に似ていることから
    名付けられたという。右から3つ目の洞窟には、実際に蝙蝠(こうもり)が生息しているという。

    
    「黄金洞(おうごんどう)」。2つ穴があいているので、またの名を夫婦洞とも呼ぶ。
    奥行80m、入口の幅13m、門の高さ32m。一番奥では両方の洞が続いている。
    中は狭くなっていて、船が入って行けるのは25m位迄となっている。
    
洞内岩壁が黄金色に見えるのは、有色鉱物の作用と日光の反射によるものである。

    
    男性観音(青海島観光汽船パンフレットより)
    
    石門(いしもん)(青海島観光汽船パンフレットより)
    
    大門、小門

    
    変装行列
    
    象の鼻
    
    十六羅漢(静ケ浦)
    
    島見門(青海島観光汽船パンフレットより)
    
    仏岩
    青海島Map(平成5年頃の青海島観光汽船パンフレットより) → こちら
     拡大しているので、断崖絶壁、洞門、石柱などの場所の確認にご利用ください。
     最近のコースには変更があるので、青海島観光汽船のホームページで確認してください。
    参 : [YouTube](青海島1)、[YouTube](青海島2)、[YouTube](青海島3)
    
     青海島観光汽船(TEL:0837−26−0834)の基本のコースで1周することができる。乗船2200円。
    アクセス : JR長門市駅→防長バス、サンデン交通バス青海島通(かよい)・静ケ浦行きで20分
     (バス停:静ケ浦下車)。車で、中国道美祢ICから国道435・316号経由35km40分
    問い合わせ先 : 0837−23−1137(長門市商工観光課)
笠戸島(かさどじま) : 下松港の南に浮かぶ周囲約36kmの細長い島。
    市街とは笠戸大橋で結ばれている。海岸線は変化に富み、島全体が瀬戸内海国立公園に指定。
    ハイキングコースや遊歩道が整備され、夏は海水浴場もオープンする。
    また、国民宿舎大城では温泉のほか、笠戸ヒラメや瀬ダコ料理が味わえる。
    アクセス : JR下松駅南口→防長交通バス笠戸深浦行きで11分、バス停:本浦、同バスで14分、
     バス停:笠戸島ハイツ前、同バスで18分、バス停:国民宿舎前などで下車
     車では、山陽道徳山東ICから10km20分
巌流島(がんりゅうじま) : 下関港の南、彦島の400m沖に浮かぶ無人島。正式には船島といい、
    1612(慶長17)年に剣豪宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した舞台として名高い。
    5月上旬には巌流島フェスティバルが行われる。バーベキューサイト(料金:無料、時間:10〜17時、
    申込先:下関市観光施設課)も設置され、海峡の絶景を楽しみながらバーベキューができる。
    アクセス : JR下関駅→サンデン交通バス唐戸経由で7分、バス停:唐戸下車、
     徒歩3分の唐戸桟橋から関門汽船(往復1000円、TEL:093−321−3081)に乗り換え10分、
     またはJR下関駅→同バス彦島営業所行きで10分、バス停:江の浦桟橋通り下車、
     渡船(往復1000円、要予約、TEL:083−266−1009)に乗り換えて3分。
     車では、中国道下関ICから8km25分
周防大島(すおうおおしま) : 本州沖約2kmの瀬戸内海上にあり、山口県南東部、
    大島郡周防大島町に属する島で、瀬戸内海では淡路島、小豆島に次ぎ3番目に大きい島である。
    正式には屋代島(やしろじま)と称するが、周防国の大島であったことから周辺の小島を含めて
    周防大島と呼ばれることが多い。本州との間の大島瀬戸は潮流が速く、
    古くは水運の難所とされていたが、現在は好漁場として釣り人のメッカとなっている。
    島内は海岸沿いまで山が迫り、平地は屋代・小松地区や安下庄地区などわずかしかない。
    島内最高峰は嘉納山(かのうさん)(685m)だが、最も山姿が美しいのは嵩山(だけさん)(619m)で
    大島富士とも呼ばれている。晴れた日には島東部から四国の石鎚山まで望むことができる。
    瀬戸内海の豊富な魚介類やみかんの産地として名高い。気候は温暖で平均気温は15℃を超える。
    古くから瀬戸内海海上交通の要衝とされ、万葉集にも大島を詠んだ歌が見える。
    日本で最も高齢化率が高い島でもある。
    2004(平成16)年に大島郡の久賀(くか)、大島、東和(とうわ)、橘(たちばな)の4町が合併して
    周防大島町が成立した。町域は、瀬戸内海に浮かぶ周防大島を中心とする島嶼(とうしょ)からなり、
    瀬戸内海国立公園に含まれる。同島のほか有人島として、浮(うか)島、
    沖家室(おきかむろ)島、情(なさけ)島、前島、笠佐(かささ)島がある。
    周防大島は沈水島で、屈曲の多い海岸線をもち、湾沿いに半農半漁の集落が散在する。
    大島大橋で本土の柳井(やない)市と結ばれ、国道437号が通じる。
    古代の屋代郷の地。中世には、周防国衙(こくが)領、屋代庄、安下庄(あげのしょう)
    島末庄(しまずえしょう)などの荘園で、和田は近世に毛利(もうり)水軍村上氏の給領地であった。
    久賀には萩藩大島宰判勘場(さいばんかんば)(代官所)が置かれた。
    明治以降にハワイへ多くの移民を送り出してきた「移民の島」としても知られ、
    その縁でハワイ州カウアイ島と姉妹島縁組を結んでいる。
    果樹栽培が盛んで、北岸の日前(ひくま)は、嘉永(かえい)年間(1848〜1854)に始まった
    大島ミカン(温州(うんしゅう)ミカン)栽培の発祥地。現在、ミカン栽培は全島に及び特産となっている。
    沿岸では小型底引網や釣り漁業が行われ、情島、沖家室島では一本釣りが盛ん。
    小松塩田跡地ではクルマエビを養殖。小松には独立行政法人国立高等専門学校機構
    大島商船高等専門学校がある。安下庄のシナナシは国の天然記念物。
    西長寺の木造阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像は「日見(ひみ)の大仏」とよばれ、
    国の重要文化財に指定される。「久賀の諸職用具」「周防大島東部の生産用具」、
    医療用に使用された「久賀の石風呂(いしぶろ)」は国指定重要有形民俗文化財。
    この町出身の民俗学者・宮本常一(みやもと・つねいち)関係の文献・資料を展示する
    周防大島文化交流センター、久賀歴史民俗資料館、移民の歴史をたどる日本ハワイ移民資料館、
    旧海軍戦艦陸奥(むつ)の遺品などを展示する陸奥記念館、2007年開館の星野哲郎記念館
    各所に海水浴場などがある。人口約19,739人(2010年11月1日現在)。
    
    サザンセト「なぎさパーク」(以下2010.1.25〜26撮影)
    
    なぎさ水族館
    
    陸奥記念館
    
    戦艦陸奥艦首錨及び錨鎖
    
    同上説明板
    
    筏八幡宮の石鳥居
    
    同上説明板
    
    サンシャイン・サザンセトホテルよりの眺望
    
    同上からの沈む夕日
    
    道の駅「サザンセトとうわ」(2010.1.25撮影)
    参 : 周防大島観光マップ(ほっぷ150号参照して作成)、周防大島町(HP)、周防大島観光協会(HP)、
        周防大島町商工会(HP)、道の駅サザンセトとうわ(HP)
粭島(すくもじま) : 山口県周南市の徳山湾の南側を形作る大島半島の先端にある島で、
    「フグ漁発祥の地」として知られる。徳山湾より約8.4kmの海上にあり、
    周南市市街地から南東約15kmに位置し、周囲は約2kmで、標高137.8mの小島だが、
    大島半島と1935(昭和10)年に完成した小瀬戸橋(幅6m、長さ70m)で結ばれ、
    漁港の周囲に約180戸の民家が連なる。古くから漁業の島として発展を見せ、
    特にフグの延縄漁(はえなわりょう)は有名で、明治期の終わり頃から遠洋漁業も盛んになり、
    遠く日本海や東シナ海まで出漁する船が港に並び、活気溢れる風景が広がっていた。
    徳山漁協粭支部長の高松清治さん(68)の話では、トラフグ漁に携わる漁船は現在、約30隻。
    「20年前までは百隻近くおり、外洋まで出かけていた。それが、砂浜が消えるなど環境変化で
    漁獲が落ちて…」と嘆いた。それでも2000年度、徳山市のトラフグの漁獲量は30トン。
    萩市の31トンに次いで県内第2位である。
    旧徳山市時代、飲食店や旅館業者らが「徳山ふく連盟」を結成し、フグの街・徳山をPRしている。
    石丸好助(いしまるよしすけ)は1875(明治8)年に粭島の回船業を営む家に生まれている。
    小さい頃から修練を積んだ好助は、若くして船長となり朝鮮や北海道まで航路を広げ事業を
    拡張していった。そして1907(明治40)年の日露漁業協定調印を機に北洋漁業へ注力し
    成功を収めている。その後、社会情勢の変化により操業が困難になると1931(昭和6)年に
    事業から撤退し、故郷粭島へ戻り島の発展に寄与した。貴船神社の所にはその功績を称えて
    像が建てられている。また、その発祥地として島の入り口に「ふくのモニュメント」が建てられている。
    粭島では毎年夏になると勇壮な貴船祭りが催される。貴船神社を出た金色の神輿は海に入り、
    白装束を着た若者に揉まれながらお旅所へと運ばれる。海上安全と豊漁を祈願して始められ、
    300年以上の歴史があるという。2009年には『貴船祭』で「島の宝100景」に選ばれている。 
角島(つのしま) : 山口県の北西端、下関市豊北町に属し、日本海(響灘)に浮かぶ人口900人あまりの島。
    周囲約17km。北長門海岸国定公園に含まれる。
    白い砂浜とエメラルドグリーンの海の美しさはすばらしく、海岸は磯釣りのメッカ。
    古くから牧畜が盛んで、牛がのんびり草を食む放牧風景も見ることができる。
    島の北西に位置する夢ケ岬には、1876(明治9)年に英国人技師R.H.ブラントンの
    設計で立てられた総御影石造りの角島灯台が立ち、島のシンボルとなっている。
    この洋式灯台は、130年以上経った現在でも、現役で毎日点灯している。
    本州とは海士ケ瀬戸で隔てられていたが、2000年に1780mの角島大橋が開通し、
    通行料金無料の離島架橋としては、沖縄県の古宇利大橋に次ぎ全国第2位の長さを誇り、
    山口県を代表する人気観光スポットになった。夏になると、浜ではハマユウが開花する。
    
    早朝の角島大橋の一部(2005.12.9撮影)
    戦前は下関要塞地帯の一角として旧日本陸軍の砲台陣地が置かれていた。
    現在も一部の遺構が残っている。「しおかぜの里角島」(TEL:083−786−0700)では特産品を販売。
    アクセス : JR特牛(こっとい)駅→ブルーライン交通バス角島行きで23分、
     バス停:灯台公園前下車(1日8便)。車では中国道美祢ICから30km1時間。
    参 : [YouTube](角島大橋ツーリング2010−夏)、[YouTube](角島ツーリング)
情島(なさけじま) : 山口県大島郡周防大島町の伊保田港から北東へ約3kmの瀬戸内海海上に位置し、
    瀬戸内海国立公園の区域に指定されている。
    島内には平坦地が少なく、集落も、島の東側の小さな入り江に沿って4集落に分かれている。
    島は、海峡をはさんで、山口県の最東端に当たる諸島(もろしま・無人島)や
    大島の伊保田瀬戸ケ鼻とわずかな距離で向かい合っている。このため周囲は潮の流れが速く、
    瀬戸内海屈指の好漁場となっており、漁業はタイ、スズキ、メバルなどの一本釣り漁が盛んである。
    児童福祉施設「あけぼの寮」がある島としても知られている。
     島では、かって梶子(一本釣り漁船の漕ぎ手)として、他の地域から多くの少年たちを雇い入れていた。
    1958(昭和33)年に製作された映画「怒りの孤島」は、情島の梶子を題材として製作したものと
    いわれている。「鯛の島」は情島を舞台にした吉村昭の小説で、戦艦陸奥の爆沈から終戦に至る
    混乱期における時代の流れに翻弄される情島の人々の姿が描かれている。
見島(みしま) : 萩見島。山口県萩市に属する島。山口県の最北端に位置しており、
    萩市沖北北西約45kmの日本海上に浮かぶ、面積7.7km・周囲24km・
    最高標高181mの小さな離島である。人口は1041人(平成21年4月1日現在)。
    萩市には7つの島があるが相島、大島、櫃島(ひつしま)と並び、現在も人が住んでいる島である。
    見島はそれらの中で最も遠い位置にある。また北長門海岸国定公園にも含まれている。
    朝鮮半島に近いことから、古くから大陸との交易の中継地として栄え、約1000年の歴史がある。
    また防人が置かれたこともある。島内には、こうした島の長い歴史を物語る
    ジーコンボ古墳群をはじめとする史跡が多く残されている。島の最北端の「長尾ノ鼻」は、
    同一場所から、水平線から昇り、水平線に沈む太陽を見ることができる大変珍しい場所である。
    島の海岸線には、太古の時代から手付かずの玄武岩の断崖絶壁など雄大な自然が残されている。
    島の近海では、大物、小物釣りと季節ごとの釣りが楽しめ、
    クロマグロが釣れることで全国的に有名で、300kgを超える大物が釣れたこともある。
    見島には和牛の元祖といわれる見島牛がいて、国の天然記念物になっている。
    伝統の大だこ「鬼揚子(おにようず)」は、長男が生まれた家で、
    その子の健やかな成長と将来を祝福して制作し、正月の空に揚げる伝統行事である。
    
    見島の「鬼揚子」
    かつては一島で村(見島村)を構成していた。郡区町村編制法公布時には独立した
    見島郡(みしまぐん)に属する村であったが、1896(明治29)年4月1日に見島郡が阿武郡に編入され、
    1955(昭和30)年3月1日の合併により萩市見島となって現在に至る。
    本村(ほんむら)と宇津(うつ)に、9軒ほどの旅館と民宿がある。
    郵便番号は島内共通で758−0701であり、電話番号は0838−23−XXXXである。
    アクセス : 萩商港から高速船「おにようず」の他、萩〜相島、萩〜大島間の連絡船がある。
    参 : 山口県萩市見島観光協会(HP)、萩海運有限会社(HP)、
        [YouTube](あがれ鬼楊子1/2)、[YouTube](あがれ鬼楊子2/2)
山口県の島(やまぐちけんのしま) : 萩の約45km沖合い、対馬海流の真っただ中にぽつんと浮かぶ
    面積約7.8kmの小島「見島(みしま)」は、山口県の最北端にある島で、
    人口は約1300人で豊かな海の幸と多くの史跡に恵まれている。
    最西端は下関市の「蓋井島(ふたおいじま)」で、人口は約150人で漁業が盛んである。
    最南端は上関町の「八島(やしま)」で、人口は約100人の美しい島で、夏にはキャンプ場が設けられる。
    最東端は東和町の「諸島(もろしま)」だが無人島である。
     三方が海に開けた山口県には、周辺に大小約240の島があり、
    そのうち22の島におよそ7000人の住民が生活している。
    ちなみに山口県は、人が住む島の数では全国第5位である。


























































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