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靖国神社(やすくにじんじゃ) : 東京都千代田区九段にある神社
    戊辰戦争(ぼしんせんそう)での国事に殉じた官軍側の戦死者を祭神として招魂慰霊するため、
    明治天皇の命令で1869(明治2)年6月29日に創建された東京招魂社が起源である。
    10年後の1979(明治12)年に現在名に改称し、別格官幣社となった。
    他の神社が内務省の管轄であったのに対し、
    靖国神社は国家神道の要として陸軍省と海軍省の管轄下に置かれ、
    明治維新から日清・日露戦争や第1次、第2次世界大戦に至る
    246万6495柱(平成15年10月17日現在)の戦死者を祭神として祀り、
    公務殉職者、戦災死亡者などとともに合祀されている。
    
    靖国神社
    
    同上
    
    同上
    
    同上
    1945(昭和20)年の敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の指令で制度としての国家神道は廃止され、
    靖国神社は政教分離(憲法20条の原則)により宗教法人となり、国家との関係は断たれた。
    1978(昭和53)年、第2次世界大戦の責任者として処刑されたA級戦犯が合祀され、
    中国など近隣諸国の反発が大きくなった。靖国神社の性格は基本的には戦前と変わっていないとして、
    欧米ではその性格から「War shrine(戦争神社)」と呼称されている。首相の靖国神社参拝をめぐって、
    憲法の政教分離の原則に違反するとして、訴訟が繰り返し提起されてきた。
    
    参拝反対派は各所にある菊のご紋が気に入らないのかもしれない
    
    靖国神社の参道にある大村益次郎像
    参 : 靖国神社(公式サイト:リンク承諾済)、A級戦犯と合祀千鳥ケ淵戦没者墓苑A56

    戦犯の合祀までのいきさつ
    サンフランシスコ平和条約が発効して日本が独立を回復した1952(昭和27)年に遺族援護法が
    施行され、軍人や軍で働いていた人、その遺族に年金や弔慰金が支給されることになった。
    翌1953年には軍人恩給が復活するとともに、遺族援護法が改正され、それまで除外されていた
    戦犯刑死者や獄死者も公務死と認められ、その遺族も国から経済的援護を受けられるようになった。
    こうした流れの中で、まずBC級戦犯が合祀された。1966(昭和41)年には
    A級戦犯の祭神名票が厚生省から靖国神社に送られた。当時の宮司は合祀に慎重だったが、
    海軍出身の松平永芳宮司に代わった1978(昭和53)年に合祀に踏み切られた。
    靖国神社に関する諸問題
    第2次世界大戦後の極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)で戦犯(いわゆるA級戦犯)とされた
    東條英樹元首相ら14人は、1978年10月17日に国家の犠牲者「昭和殉難者」として密かに合祀され、
    その事実は、1979年4月19日に発覚した。
    また合祀されることを遺族が望まない台湾・韓国人元軍人軍属も祭られていることから、
    靖国神社への政治家の参拝や、靖国神社の存在そのものに対して、
    国内外(特に中国・韓国・北朝鮮)から反発の声がある。
    靖国神社参拝問題
    小泉総理大臣の靖国神社参拝に関する所感
    平成14年4月21日本日、私は靖国神社に参拝いたしました。
     私の参拝の目的は、明治維新以来の我が国の歴史において、心ならずも、家族を残し、
    国のために、命を捧げられた方々全体に対して、衷心から追悼を行うことであります。
    今日の日本の平和と繁栄は多くの戦没者の尊い犠牲の上にあると思います。
    将来にわたって、平和を守り、二度と悲惨な戦争を起こしてはならないとの
    不戦の誓いを堅持することが大切であります。
     国のために尊い犠牲となった方々に対する追悼の対象として、
    長きにわたって多くの国民の間で中心的な施設となっている靖国神社に参拝して、
    追悼の誠を捧げることは自然なことであると考えます。
     終戦記念日やその前後の参拝にこだわり、
    再び内外に不安や警戒を抱かせることは私の意に反するところであります。
    今回、熟慮の上本日を選んで参拝したのは、例大祭に合わせて参拝することによって、
    私の真情を素直に表すことができると考えたからです。
    このことについては、国民各位にも十分御理解いただけるものと考えます。
    平成17年10月17日、靖国参拝後の小泉純一郎首相の発言
    「今日は(17日から始まった靖国神社の秋季)例大祭だし、
    (公約の)1年1回参拝することはいいことだ。二度と戦争をしない決意を表明し、
    戦没者に敬意と感謝の気持ちを伝えることは意義あることだと思う」と記者団に述べた。
    「心の問題を他人が干渉すべきではない。ましてや、外国の政府がいけない
    などと言うべき問題ではない」と首相官邸で述べ、アジア各国からの批判を一蹴した。
    政府与党連絡会議では「アジア諸国との関係を重視し、未来志向で進めていく」と
    関係改善に努める姿勢を示した。
    平成18年1月4日、首相官邸で年頭の記者会見での小泉純一郎首相の発言
    自らの靖国神社参拝について「外交問題にはならない」と正当性を強調、
    「外国政府が心の問題にまで介入して外交問題にしようとする姿勢は理解できない」とし、
    「精神の自由、心の問題は誰も侵すことのできない憲法に保障されたものだ」と
    中国、韓国の対応を強く批判した。「一国の首相が一国民として戦没者に哀悼の念を持って
    参拝することに日本人からおかしいとの批判が出るのはいまだに理解できない」とも述べた。
    中韓両国の首脳訪問など外交関係が停滞していることに「私は交渉の扉を閉じたことは一度もない。
    一つの問題があるからといって他の交渉を閉ざすべきではない。
    あとは先方がどう判断するかだ」と述べ、中韓両国に関係改善の努力を促した。

    小泉首相の靖国参拝訴訟、憲法判断せず訴え退ける、松山地裁でも。福岡地裁は違憲。
    小泉純一郎首相の靖国神社参拝は憲法違反で、精神的苦痛を受けたなどとして、
    四国の戦没者遺族や宗教家ら133人と2宗教法人が首相と国、靖国神社を相手に、
    1人と1法人当たり1万円の損害賠償や違憲確認などを求めた訴訟の判決で、
    松山地裁は2004年3月16日、憲法判断をしないまま損害賠償請求を棄却、違憲確認請求を却下した。
    坂倉充信裁判長は判決理由で「首相の靖国神社参拝は、
    原告に何らかの強制力を及ぼしたり不利益をもたらしたりするものでない」と指摘。
    また「原告が戦没者への祭祀(さいし)などについて自ら決定し、行うことが制約されたとは言えず、
    利益の侵害があったとは認められない」との判断を示した。
    原告側は控訴の方針。同種訴訟は東京、千葉、大阪、福岡、那覇各地裁でも起こされ、
    大阪地裁は2月27日の判決で、参拝が公的に行われたことは認めたが、
    同じく憲法判断に踏み込まず、訴えを退けている。

    2004年4月7日の福岡地裁の判決では、
    「内閣総理大臣の資格で行われた」と参拝の公的性格を認定した上で、
    政教分離を定めた憲法20条3項が禁止する宗教活動に当たり違憲と判断した。
    一方で、慰謝料請求については、賠償の対象になる不法行為とはいえないとして棄却している。
    小泉首相は今後も参拝を続けるそうで、参拝の資格に関しては4月7日の昼には「総理大臣である個人、
    小泉純一郎として参拝した。公私はわからない。私人であり、公人であり」と言い、
    その日の夜には「私人小泉純一郎が個人的な信条に基づいて参拝しているので、
    私的参拝と言っていいかもしれない」と語っている。

    小泉純一郎首相の靖国神社参拝は憲法で定めた政教分離に違反し、精神的苦痛を受けたと主張し、
    旧日本軍の軍人・軍属として戦死した台湾先住民族の遺族や日本人の宗教関係者ら188人が首相と国、
    靖国神社に1人1万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、
    大阪高裁(大谷正治裁判長)は2005年9月30日、「憲法の禁止する宗教的活動にあたる」と
    高裁レベルで初の違憲判断を示した。賠償請求は認めず、原告側の控訴を棄却した。
    小泉首相の靖国参拝を巡る同種訴訟は全国6地裁で7件起こされ、違憲判断は、
    福岡地裁判決(確定)以来2回目。高裁判決は、これまでに2005年7月の大阪高裁(別の原告団)と
    9月29日の東京高裁と2回あるが、いずれも憲法判断をせずに原告側が敗訴している。
    判決は、小泉首相の参拝の性格について、首相が参拝を私的なものと明言せず、
    公的立場での参拝を否定していないと述べ、「首相の発言や参拝の動機が政治的なものであること
    などを総合すると、総理大臣の職務としてなされたものと認めるのが相当」と判断した。
    さらに、首相がこれまで3度参拝し、国内外の強い批判にもかかわらず参拝を実行、
    継続しており参拝実施の意図は強固だったとし、「国は靖国神社と意識的に特別のかかわり合いを
    持った」と判断。「国が靖国神社を特別に支援し、他の宗教団体とは異なるとの印象を与え、
    特定の宗教に対する助長、促進になると認められる」と述べた。
    2004年5月の1審判決は「参拝は、国の機関としての総理大臣の職務行為とは言えない」として
    私的参拝と判断したうえで、憲法判断をせずに請求を棄却。原告側が控訴していた。

    小泉首相の靖国神社参拝を巡り、日韓の戦没者遺族ら278人が「政教分離を定めた憲法に違反し、
    精神的苦痛を受けた」として、国と小泉首相、靖国神社を相手に1人1万円の慰謝料などを
    求めた訴訟の上告審判決が2006年6月23日、最高裁第2小法廷であった。
    今井功裁判長は、「参拝によって、損害賠償の対象となる法的利益が侵害されたとは言えない」と述べ、
    原告の請求を退けた2審・大阪高裁判決を支持、原告側の上告を棄却した。原告側の敗訴が確定した。

    中国首相ら、靖国参拝を強く批判
    中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相は2004年3月14日、
    全国人民代表大会(全人代)閉会後に北京の人民大会堂で記者会見した。
    「中日関係の主要な問題は、日本の一部の指導者がA級戦犯が
    まつられている靖国神社に何度も参拝し、中国とアジアの人民の感情を大きく傷つけていることだ」と、
    小泉首相の靖国参拝を強く批判し、日中首脳往来が中断している原因だとの認識も示した。

    中国の李肇星(リーチャオシン)外相は2006年3月7日、北京の人民大会堂で記者会見し、
    小泉首相の靖国神社参拝について、ドイツや米国などの政府当局者との会談で批判的な意見が
    出たとして、「中国だけでなく多くの国の人が受け入れられない」と語ったが、
    針小棒大とする中国の国民性がよく表れている。多くとは何十国のことなのに、数国を多くの国と言うし、
    大統領や首相でなくて閣僚ならまだしも、政府当局者としか言えないことはお笑いものである。
    はっきりと、批判した要人の名を告げるべきだ。ドイツ政府当局者にもナチス崇拝者はいるのである。


    日本の首相の靖国神社参拝を支持した外国要人
    「戦没者の霊を弔うことは当然のこと」(カンボジアのフン・セン首相:2001.8)
    「小泉純一郎首相が、国のために命を落とした英霊を祭る靖国神社を参拝することは当然のことだ」
    (台湾の李登輝・前総統:2005.10)

    靖国神社の戦争責任の考え(2006年9月2日の朝日新聞「ニュースがわからん」より引用)
    靖国神社はA級戦犯について「連合軍の形ばかりの裁判で一方的に戦争犯罪人という濡れ衣を
    着せられた」として責任を認めていない。先の大戦についても「我が国の自存自衛のため、
    皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった戦い」と正当化している。

    (注)以下は靖国神社の項目として、すべてが私のコメントであり、緑色表示を省略しています。
    私の意見(他のホームページや新聞などの意見に同調するところを主体にまとめたもの)
    靖国神社に参拝する目的は、人によってさまざまだが、
    国のために生命を捧げた人々に感謝し、敬意を表し、その霊を慰めるという点で共通している。
    このように、靖国神社はアーリントン墓地や英国のウエストミンスター寺院内の
    「無名戦死の墓」などと同様な性格を有しており、
    そこで復讐や軍国主義の復活を祈るような人はいない。
    現在、靖国神社には、A級、B・C級を問わず、
    1000人余の戦争裁判で亡くなった人々が合祀されている。ここに至る経緯は次の通り。
    占領が終わると、当時の国会は、連合国によってアジア・太平洋の各地で開かれた戦争裁判は、
    日本が主権を喪失していた時期に日本の意思とは無関係に一方的に裁いたものであるから、
    国内法上での犯罪者とはみなさず、「戦犯」の遺族も一般戦歿者の遺族と同じように扱うよう
    遺族援護関係法規を改正した。これによって「戦犯」を合祀する道が開かれ、
    昭和34(1959)年に最初の合祀が行われた。
    もし、日本が戦争に勝利していたとしたら、広島・長崎の原爆投下による民間人大量殺戮に対して、
    呉軍港・江田島や長崎軍港などの軍事施設ではなくて、
    一般市民をターゲットに決定した関係者を、一方的にA級戦犯として罰したでしょう。
    日本各地の都市への無差別爆撃にしても、ハーグ陸戦条約の第二款「戦闘」の
    第一章「害敵手段、攻囲、砲撃」の第23条7項で、戦争の遂行に必要ではない外敵財産の破壊、押収は
    禁じられていたのである。日本からの真珠湾攻撃はハワイの軍事施設の破壊のみだったのである。
    広島に原爆を落としたB29の搭乗員の一人は、広島の原爆資料館で悲惨な当時の状況を見ても、
    「我々にも“リメンバー・パールハーバー”があり、原爆投下の謝罪はしない」と言っていたが、
    一般市民をターゲットにして大量殺戮し、運よく生きたとしても死ぬまで後遺症に苦しむ日本国民と、
    真珠湾攻撃で軍艦や軍事施設にいたアメリカ軍人の死とは、同じ被害者と思っているのである。
    映画「ジェロニモ」で、ジェロニモが降伏した時の中尉との約束を破り、全員を捕虜として
    フロリダの刑務所に送ったことを、若い兵士が将軍に「約束は守るべきです」と進言した時に、
    将軍は「国民のことより、野蛮人のことの方が気になるのかね?我々は勝った。
    それが肝心だ。ジェロニモもアパッチも過去の物として消えればいい。
    理想主義者は嫌いだ。常に物事をややこしくする」との返事に、
    兵士は「幻滅しました」と言って軍を去って行ったが、将軍の考えがアメリカのすべてだろう。
    敵国の日本人も野蛮人として「物」としか思っていなかったのだろう。
    1000年の文化と土地を奪われた原住民であるジェロニモが「なぜ我々の平和の神”ヨシン”は
    味方してくれなかったのか。やつらがあれほど多くの銃と馬を持っているのはなぜなんだ?」は
    日本とよく似ていて「なぜ神風はわれわれに味方してくれなかったのか。
    やつらがあれほどの武器と資源を持っているのはなぜなんだ?」に重なるようだ。
     南方戦線での軍事裁判では、肉親が殺された憎しみから、似ているから、同姓だからというだけで
    死刑になった兵隊も戦犯にされ、間違えて指差した相手国民間人にはまったくオトガメがないように、
    戦犯にされたほとんどの人が、憎しみのもとに敗者として一方的に裁かれ、
    まともな弁護の機会すら与えられていなかったのである。
    映画「私は貝になりたい」のように、上官の命令にいやいやながら従ってアメリカ兵捕虜を突いた
    二等兵も、B・C級戦犯でありながら死刑にされ、殺すのをためらった二等兵を殴る蹴るなどして
    実行させた班長は後に釈放されるという戦争がもたらす不条理も起きているのである。
    東条英機首相(明治17年〜昭和23年)といえども、ひたすら日本の勝利に向けての行動であり、
    頂点に立つ人としてA級戦犯で裁かれても、遺族まで辛い目にあわせることはない。
    A級戦犯とされた人たちは、すでに最高刑の死刑という刑罰に服しているので、
    一般戦歿者と同様に扱うべきで、まつられているというだけで参拝反対の理由はない。
    中国や韓国は何かあるごとに靖国神社のカードを切ってきて、「一般の日本国民は悪くはないが、
    A級戦犯という悪い人たちがいた。」と言うが、日本では仏(ほとけ)になれば皆同じなのだ。
    日本国民も第2次世界大戦では多大の苦痛と悲しみを体験し、
    あんな戦争は二度と起きてほしくはなく、戦後日本国内の日本人は戦争には参加していないのである。
    占領終了後の靖国神社の合祀は、国や都道府県と靖国神社との共同作業であって、
    「戦犯」の合祀は政府の主導で行ってきたと言っても過言ではない。
    そもそも、靖国神社に対する首相の参拝は国内問題であると同時に個人参拝であり、
    公式参拝であったとしても他国が口を差し挟むことがらではない。
    1985年5月、サミット出席の後に西ドイツを訪問した米国のレーガン大統領はビットブルグの
    旧ドイツ軍将兵らの墓に詣でた後、そこにナチス親衛隊兵士も埋葬されていることが判明して、
    ユダヤ系米国市民から激しく反発された。しかし、同行したコール独首相の参詣には
    何の抗議もなかった。日本の首相の靖国神社参拝もこれと同じことで、
    靖国神社参拝が軍国主義の復活には結びつかない。
    しかし、神道や仏教などの宗教上の問題や合祀されることを戦没者遺族が望まないことに関しては、
    遺族の希望にそってもよいと思うが、仏教の人でも初詣、宮参りや七五三、地鎮祭、神頼みなど、
    ふだんから神社とは密接な関係があり、生活に根付いた慣習と言えるので、宗教上のことで
    あまり目くじらを立てることはないし、税金を使って無宗教の国立追悼施設を建設したからといって、
    遺族はすべて無宗教の人ばかりではないでしょう。
    2004年4月10日の朝日新聞「声」欄で、山口県周南市の藤井 寿美枝さん(76歳)の
    「死者を悼む心法では裁けず」の後半より、【死者を悼む心に私的も公的もないではないか。
    なぜ、こだわらねばならないか。受け止め方の問題ではないかと思う。
    死者の安らぎは、それぞれの心的つながりの深いところで得られるものであろう。
    兄も英霊となった。私にとっての死者は自由無碍(むげ)
    万象変化の霊的存在となって私の心を支え続けてくれている。(後略)】のように
    福岡地裁の違憲判決に対して、参拝という善に志向する意思の内的なものが主であるはずなのに、
    公的参拝と位置づけて外的なもののみに裁きの視点があると、問題点を投げかけられている。
    このように身内が祀られていることを心のよりどころにしている人もいる。牧師や僧侶の原告らが
    「首相の参拝は国が特定の宗教に特権を与える行為で憲法の政教分離の原則を侵し、
    精神的にも苦痛を受け、信教の自由や、静かな宗教的な環境で信仰生活を送るという
    宗教的人格権を侵害された」として慰謝料の支払いを求めて訴訟を起こしているが、
    首相が国のために尊い犠牲となった人たちの追悼を行うことも信教の自由ではないだろうか。
    靖国神社を他宗教としてとやかく言うのなら、仏教が主流である日本へのキリスト教や
    イスラム教などの伝道までさかのぼって宗教的人格権を持ち出さなければならなくなる。
    戦没者を追悼するのに宗教・人種・地位・戦争犯罪などは無関係である。

    別な観点から首相の靖国参拝に反対している人に、
    「靖国神社は戦死者の慰霊と不戦の誓いの場所というより、
    一義的に戦争のための精神的支柱であったから、死の恐怖を超えて魂は靖国神社に祀られて
    生きると信じて「靖国で会おう」とまでも言わせた
」としているが、それは神社とは関係なく、
    当時の軍国教育と軍隊規律から言わされた言葉であり、本音はこの若さで死にたくはないが、
    国のため、両親のため、弟や妹たちの将来のためとして特攻隊に志願したもので、
    靖国神社は死後に戦友と語り合えるかもしれない心のよりどころにしたものだと思う。
    ほとんどの若い兵隊が死を前にして、絵画や書物の中にあるようなような「天皇陛下万歳」ではなく、
    「お母さん」の一言だったことからも、靖国神社は軍隊としての精神的支柱だったとしても、
    本心は内に秘められた精神的支柱であったと思う。平和な世の中で今に生きる人が、
    靖国神社が戦場で倒れた人たちを追悼し、不戦の誓いを新たにする場所として、
    本当にふさわしいかと言うこと自体がふさわしいものだろうか。国のため、家族のために、
    命を捧げた青少年の魂が、生前に心のよりどころとした靖国に、安眠して悪い理由は何もない。
    また、「靖国神社という存在は、愛する者を戦争でなくした遺族の心のよりどころになっている
    のではなかろうか。そこに眠るみ霊の多くは日本を守るべく亡くなった兵士だと思う。
    無謀な戦争を始め、引き際を誤った軍の最高実力者たちを彼らはどのような気持ちで迎え入れたで
    あろうか。国益を損なう恐れのある首相の参拝をやめて外交を正常に戻し、
    み霊を静かに眠らせてあげるのも供養ではなかろうか
」には、それが真の外交となるか、
    屈辱的な外交であるかは、亡くなられた兵士個々に違いがあると思う。
    当時はきびしい軍律に従うのが精一杯で、身内・友人・恋人のことは想っていても、
    他国との関係など考える余裕はなかったでしょう。祀られている人たちは、
    誰であってもお参りに来てくれる人が多いことを望んでいるのではないでしょうか。
    また、「陸軍航空隊の連隊創立記念日の祝典で飛行中に墜落死した父が戦死ではないからと
    靖国神社に祀られなかったことから、学校などでも肩身の狭い思いをしていたのに、
    終戦後まで生き残り、戦死者たちを有無を言わさず戦場に送りだしたA級戦犯たちが
    戦死者と一緒に祀られているのは納得できない
」との意見には、
    軍の祝典は、兵士を含めて軍関係者を鼓舞することも目的の一つであり、たとえ事故死であっても、
    軍のための参加と行動であり、戦死者として祀るのが当然で、当時の国の方が誤りだと思う。

    福岡地裁で違憲判決がでた2004年4月7日、記者団の質問に小泉首相が
    「なぜ伊勢神宮(参拝)は問題なくて、靖国だけ問題にされるのか」と不満をあらわにしていたが、
    「靖国神社にはA級戦犯が合祀されていることの違いだけですよ、小泉さん。
    それに、公用車での参拝も問題となっているので、タクシーを利用しましょう」。
    靖国神社参拝訴訟で、首相側は「参拝は個人の思想、信条に基づくもの。
    公用車や秘書官の同行は公私を問わず必要」と私的参拝を主張しているが、
    身辺保護のガードマンは必要としても、公用車や秘書官の同行は私的参拝とはいえない。
    神宮と神社の他の違いとして、最高位に格付けされる「大社」のなかに入るのが
    伊勢大神宮・八幡宮・出雲大社などで、靖国神社は1ランク下でしょうか。
    でも中社や小社という「お宮」は聞いたことがないので、現在では格付けは無くなっているのでしょう。

    朝日新聞社に靖国神社参拝に反対するのは、中立を主体とする新聞にふさわしくない旨のメールを
    送ったが返信はなしに、6月14日の社説の「遺族にも多様な声がある」で、
    反対側ばかりの意見を取り上げ、冒頭に、「私たちは小泉首相の靖国神社参拝に反対する立場から、
    今月はじめの社説「遺族におこたえしたい」でこう主張した」と再確認をしている。
    しかし、「私たち〜反対する立場から」はないでしょう。「私たち」は一方的に反対サイドに立つし、
    新聞には反対する立場も賛成する立場もあってはならないでしょう。
    朝日新聞は中立を保つべきで、下記の社説や私見を追加・訂正した。
    2005年6月20日、ソウルの青瓦台(大統領官邸)で行われた日韓首脳会談で、
    韓国側が求めた新たな国立追悼施設の建設を検討していくことを確認したそうだが、
    他国にそこまで言うには建立費を半分くらい出してくれるのでしょうね。歴史認識問題で、
    小泉首相はこれまでの信念を曲げることなく主義主張を堅持したことは真に喜ばしいことである。
2005年6月5日、6月14日の
朝日新聞の社説「遺族におこたえしたい」、「遺族にも多様な声がある」から
論 点 朝日新聞の社説 私の意見
首相の
靖国神社参拝
深刻な外交問題に発展して
まで参拝することはない。
日本遺族会会長の
古賀誠議員も、首相に
参拝自粛を促している。
私的の参拝はまったく問題はなく、
公人の立場からも、反対する理由はない。
首相がA級戦犯も含め、戦没者に衷心から
追悼を行うことと、将来にわたって平和を守り、
不戦の誓いを堅持することが何故悪い。
戦争指導者の責任 A級戦犯に代表される
戦争指導者には責任が
ある。遺族にも責任を
厳しく問う声がある。
東京裁判では連合国によって一方的に裁かれた
A級戦犯は、最高刑の死刑という刑罰をうけて
いるし、死者や遺族まで鞭打つことはない。
戦後、ソ連で亡くなった人の直接の原因は、
ソ連のいわれなき強制労働のせいである。
A級戦犯の合祀 靖国神社に合祀すべき
ではない。肉親や知人が
東条英機元首相らと一緒に
祀られることに反発している。
合祀を希望する遺族は多く、罪を死でもって
つぐなったA級戦犯も戦死者に変わりはない。
私の母方の家系は、叔父の戦死によって絶えて
しまったまでも、靖国合祀には反対ではない。
中国の批判 単純に「反日」と
片付けられない。
教科書問題とともに内政干渉だ。反日デモも
一方的な愛国主義・反日教育の成果が出ただけ。
無宗教の国立施設
の建立
このような施設こそ
ふさわしい。
何億円もの税金を使って建立しても、
遺族はすべて無宗教ばかりではない。
毎年の維持費もすべて税金から拠出される。
無名の国立施設には、一般市民の参拝は少ない。
つまり、靖国神社のような賽銭収入はない。
国立施設を建立した場合は、広島や長崎の原爆
など、戦争により各地で犠牲となった一般市民も
合祀することにもなり、軍人だけでは問題となる。
    中曽根康弘元首相は2005年6月26日、フジテレビの報道番組で、
    靖国神社に代わる新たな戦没者追悼施設について「前から反対だ。
    靖国神社は国のために死んでくれた人をお祭りしており、寂れることは絶対避けねばならない」と述べ、
    反対の立場を明確にしたのは、「国のために死んでくれた人」を「家族や子供の将来を思い、
    勇敢に戦って犠牲となった人」に変えれば同意見だが、
    東京裁判自体については「私は(正当性を)認めない。A級戦犯と言われる方々が、
    犯罪とか罪という考えは毛頭ない」との認識を示しているのに、
    小泉首相の靖国神社参拝については「(現状では)国益に反することになる。
    A級戦犯の分祀(ぶんし)ができないなら休んだ方がいい」と改めて自粛を要請したのには矛盾がある。
    A級戦犯が犯罪や罪でないのなら分祀する必要はない。私の考えはA級戦犯は罪ではあるが、
    死刑という罰により償いをしたので、合祀に反対する理由はないということである。
    一般の受刑者でも刑期を終えれば、一般人として認められるのでしょう。
    A級戦犯たちは国の勝利のために、がむしゃらに走り過ぎたと言えないでもない。

    議員連盟の旗揚げは、だれもがわだかまりなく戦没者を悼み、平和を祈る。
    そのための新たな国立施設の建設をめざすため。ということだが、たとえ追悼施設が完成したとしても
    靖国神社に合祀される方がよいとする遺族にはわだかまりがあるし、
    とにかく莫大な建設費はすべて税金で、完成後の維持費もかなりのものとなるのである。
    戦争や長期に渡るシベリアのいわれなき抑留などで犠牲となったのは軍人ばかりではなく、
    一般国民の大きな犠牲となった広島・長崎の原爆投下や、
    各都市爆撃や上陸作戦により犠牲になった人たちすべてが国家が起こした戦争の犠牲者である。
    原爆による犠牲者は原爆慰霊塔に、軍人・軍属は靖国神社に、
    などと分祀されていると思えばよいことで、外国からつつかれて改めるほどのものではない。

    昭和天皇が1988(昭和63)年、靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を示し、
    そのために1978年の合祀の後には自らの参拝を中止したとする、当時宮内庁長官を務めていた
    富田朝彦氏(故人)が記録した昭和天皇の発言メモは、何故今頃になって発表されたのだろうか。
    関係者によると、富田氏は同庁次長時代を含め、昭和天皇との会話を手帳などに書き留めていた。
    靖国発言のメモは1988年4月28日付で、昭和天皇は「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、
    松岡、白取までもが」「だから私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語ったと記されている。
    このことを日本経済新聞だけが2006年7月20日付の朝刊のトップ記事で報じたことから、
    富田氏の親族が日経新聞にメモを売り込み、新聞社は大スクープとして報じたものと思われる。
    親族が全国民に知ってもらいたいのなら、一社だけでなく記者会見などを開いて発表すれば済むことだ。
    天皇陛下とのこのような内密な会話は、富田氏側には守秘義務があるはずで、
    発表するには政府や宮内庁などへの承諾が必要ではなかったのだろうか。
    たとえ金のためとは言え、故昭和天皇も故宮内庁長官も生前には誰にも話さず、
    2人の胸の内に秘めていたことを世間にさらすとは言語道断で、死者に何と申し開きをするのだ!
    ただし、死後何年後には公表するようにと、両者の署名でもあれば別なことだが・・・
    単なる裏話として政治には関係のないこととはいえ、既に中国や韓国をはじめ世界各国から、
    靖国参拝問題としての格好のエサとされている。
     宮内庁の羽毛田信吾長官は2006年8月10日の定例会見で、昭和天皇が靖国神社の
    A級戦犯合祀に不快感を示したとされる富田朝彦・元宮内庁長官のメモについて、
    「長官という職にあるものとして言えば、在任中のことを外に出していくことについては、
    よほど慎重でなければならない」との見解を語った。長官の「心構え」として述べたもので、
    「そうでなければ、陛下が長官にものが言いにくくなる」とも語り、発言の公表に批判的な考えを
    示されたが、まさにその通りで、富田朝彦・元宮内庁長官は外に出すつもりは全くなかったのに、
    心無い親族が世間にさらしてしまったのである。

    文官で唯一処刑された福岡市生まれで東大卒の広田弘毅元首相(内閣総理大臣)が
    靖国神社に合祀されていることについて、遺族で孫の元会社役員、
    弘太郎氏(67)が靖国合祀に反対の立場であることを明らかにされたが、
    祖父の広田元首相は外交官出身で軍人でもないのにA級戦犯として絞首刑にされたことの無念さと、
    事前に遺族の了解も取らずに合祀されたことなどについて当然なことだと思う。
    軍人以外の一般人は靖国に祀られることはないのだから、国内法上では犯罪者とはみなさずとはいえ、
    合祀されていることは戦犯のレッテルが貼られていることになりかねないでしょう。
    弘太郎氏は2006年8月11日に靖国神社に参拝されたが、アジア各地で戦死した兵士を思ってのことで、
    まつられている祖父を思う気持ちはなかったそうである。それは、文官であった祖父が軍人として
    勝手にまつられているだけで、「そこに祖父はいない」とする考えだからである。

    大阪市浪速区の中谷藤市(79)さんは、朝鮮戦争さなかの1950(昭和25)年10月、
    米軍の要請で極秘に編成された海上保安庁の特別掃海隊員として北朝鮮の元山沖に出動し、
    掃海艇が機雷に触れて爆発し、21歳の若さで亡くなった弟の坂太郎さんの靖国神社合祀を希望し、
    神社側では合祀を検討しているが、合祀されると太平洋戦争後の初の戦没者となる。
    米軍の要請を日本が請けたものの、戦争放棄をうたう憲法が発効しており、
    遺族は口外を禁じられていたのである。海上保安庁の職員とはいえ、
    国のために朝鮮戦争に参加しての死亡であることから、遺族が希望すれば合祀は可能でしょう。

    朝日新聞の靖国神社に関する報道をめぐり、靖国神社が同紙に対し、小泉首相の参拝に際して、
    記者らの立ち入りを認めないなど、取材を制限していたことが2006年8月15日にわかった。
     朝日新聞によると、靖国神社側が問題としたのは8月12日付朝刊に掲載された
    「靖国神社 懐寒し」の見出しの記事で、同神社の所有地を大まかに示す地図を掲載したことなどから、
    同神社から「プライバシーまた身辺保護の立場から、極めて行き過ぎた報道」という
    14日付の抗議書を手渡されたというが、平素から朝日新聞社は首相の靖国神社参拝には批判的で、
    関係のない懐事情まで報道されれば、取材制限は当然なことである。
    中立の立場でなければならない新聞社が、あまりにも偏った報道をするから、
    団体の襲撃やこのような事態が起きることになる。「社説」といえども中立を貫くべきである。

    韓国の通信社・聯合ニュースは2006年8月16日、同国政府が靖国神社問題と関連して、
    A級戦犯が分祀された場合も、日本の指導者の靖国参拝を容認できず、
    靖国問題の根本的な解決にはならないとする立場を内部で確認したと報じた。
    青瓦台(大統領官邸)高官の話によると、その理由として戦史展示館「遊就館」など、
    過去の軍国主義を美化し、侵略戦争を正当化する靖国神社の歴史観に変わりがないためだとの
    ことであるが、他国内のことに口を挟み、何かにつけて「いちゃもん」を付ける韓国のやり方で、
    戦争で亡くなった人たちの遺品を展示するのに、展示内容には関係のないことだ。
    たとえ、「遊就館」を廃館したとしても、靖国神社自体が悪いと言い出すだろう。
    つまり、無宗教の国立施設を建立して分祀しても靖国参拝問題は解決できないことになりそうだ。
    




























































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