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知念城跡(ちねんじょうせき、ちねんじょうし、ちねんぐすく) : 沖縄県南城市知念字知念の
    標高100mを越す西側丘陵にある城跡で、「知念森城」という別名があるように
    「神降り初めの城」といって野面積みの石垣に囲まれた丘上の森の中にあり、
    おもろそうしに「知念森ぐすく 神降れはじめのぐすく あまみきよが 宣立(のだ)てはじめのぐすく・・・」
    と詠われているように、中国との貿易の盛んだった時代、知念按司の居城であり、琉球の聖地でもある。
    東の高くなった岩山の上に立地している古城(クーグスク)は天孫(てんそん)氏の時代に築かれ、
    この城の西方にある新城(ミーグスク)の部分は、
    尚真王(しょうしんおう:在位1477〜1526)の頃、内間大親が築いたと言われる。
    アマミキヨが降臨したとの伝承があり、自然石を野面積みで積んだ古城と、
    石造りアーチ門を備えた切石積みの新城の二つの郭から構成されているグスクである。
    城郭の東側にある正門を入ると、右手に「火の神」が祀られている小さな祠が見え、
    さらにその奥には「友利御嶽」があり、琉球国王や聞特大君(きこえのおおきみ)
    神の島である久高島への遥拝所の一つだったと伝えられる。
    友利とは、「名高く尊い」という意味がある。
    城内には番所跡や御嶽、城外には、古屋敷跡、ノロ屋敷跡、古屋敷跡、知念按司墓、
    受水走水とともに稲作発祥の地などが点在する。
    このグスクは「球陽」(尚敬王17年)の記録によると17世紀末に改築され、
    後に知念番所(役場)として、明治40年までつかわれていた。
    1962年6月7日に県指定建造物、1972年5月15日に国指定史跡に指定されている。
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    稲作発祥の地
    
    知念按司の墓
    
    
    
    
    
    
    
    
    
    残念ながらこのように修復中のために城内には入れませんでした
    
    修復前の写真をお借りしました
    
    グスクの手前右側にあるノロ(巫女)屋敷跡
    



















































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