今戸神社(YSミニ辞典)

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今戸神社(いまどじんじゃ) : 東京都台東区今戸1−5−22にある神社で、
    浅草駅から隅田川に沿って15分ほど歩いた所に、浅草七福神の一つ今戸神社が鎮座している。
    江戸時代はおろか、千年近くの歴史を持つ神社である。伊弉諾命(いざなぎのみこと)
    伊弉冉命(いざなみのみこと)、福禄寿(ふくろくじゅ)及び應神天皇(おうじんてんのう)を祭神とする。
    神功皇后の子である応神天皇は、武運長久と大愛(慈愛をこめて子を育てる)の神といわれ
    伊弉諾・伊弉冉は、国土・諸神・山海草木を創成したといわれる男女神で、
    産霊(むすび)神として、縁結び・家内安全のご利益があるといわれ、
    福禄寿は、福(幸福)禄(生活・経済安定)寿(健康長命)の3つの福を授ける福の神といわれている。
    1063(康平6)年、源頼義・義家父子が、後冷泉天皇の勅命による奥州の
    夷賊阿部貞任(あべのさだとう)・宗任(むねとう)の討伐折、
    鎌倉の鶴ヶ丘と浅草今之津(現在の今戸)に、京都・石清水八幡から分霊されたのが創建になる。
    その後、白河天皇時代の1081(永保元)年、謀反を起こした清原武衡・家衡討伐のため、
    源義家が今之津を通過するにあたり戦勝を祈願した。その甲斐あって勝ち戦をおさめることができ、
    義家は神徳に報いて社殿を修復した。戦乱兵火に遭うごとに再建されることしばしばあった。
    江戸時代、三代将軍徳川家光は、今戸八幡宮の再建のために官材を下され、
    船越伊豫守と八木但馬守に命じて1636(寛永13)年に再建された。
    大正12年9月の関東大震災によって社殿はまたも灰燼に帰し、
    まもなく復興したものの昭和20年3月の東京大空襲でも重ねて被災の憂き目に遭ってしまった。
    その間、1937(昭和12)年7月に今戸の隣地に鎮守されていた白山神社と合祀、
    社名が今戸神社と改称された。こうした被災→再建の歴史をくり返しながら、
    1971(昭和46)年11月、現在の荘厳な社殿が氏子崇敬者の浄財によって造営された。
    「今戸焼き」の由来といわれる「招き猫発祥の地」として、
    豚の蚊やり、招き猫、稲荷の狐、鳩笛など、高級品はないが素朴な味わいで人気が高く、
    本殿にも巨大な招き猫が、境内各所にもいろいろな猫の姿を見つけることができる。
    また浅草七福神の福禄寿、東京下町八社の縁結びの社として、信仰されてきた。
    境内には新撰組の「沖田総司終焉の地」の碑が立っている。
    沖田総司終焉の地は、千駄ケ谷説と今戸説の2説あり、何れを取っても決定づけられるものはない。
    
    今戸神社の鳥居
    
    今戸神社の手水舎
    
    今戸神社
    
    同上
    
    同上
    
    同上
    
    今戸神社でうまれたという招き猫
    今戸焼の由来 : その昔老女の飼っていた愛猫が、自分を模った人形を作るように夢に現れて告げた。
     その人形が今戸焼の由来となり、老女は裕福なったとのことである。
     今戸神社の招き猫の由来については様々に語られているらしく、
     老婆が老翁になったり、苦労の原因が違っていたりしているようである。
    
    今戸焼の説明板
    
    今戸焼の発祥地の碑。「沖田総司終焉の地」の碑は、千駄ケ谷説に遠慮して小さくしているのだろうか?
    招き猫と縁結びで近年若い女性に大人気(東京23区のパワースポットの一つ)
     イザナギノミコトとイザナミノミコトという夫婦神が祀られていることから、縁結びの神様として知られる。
     また、今戸は招き猫発祥の地としても知られ、招き猫をモチーフとした
     丸い絵馬(角なく丸いご縁を願う)に思いを託す参拝者が多数訪れている。
    参 : 今戸神社(HP)



































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