YSミニ辞典(京都御所)
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京都御所(KYOTO GOSYO)きょうとごしょ :
鎌倉時代中期から
明治時代初頭の東京遷都まで、
歴代天皇が住んでいた宮殿(旧皇居)で、京都市上京
(かみぎょう)区京都御苑3にある。
794(延暦13)年に平安京が造営されて、皇居は京の中央北部の平安宮内の
内裏
(だいり)に設けられた。
平安時代以来、内裏の罹災
(りさい)の場合は臣下の邸宅を
一時仮内裏として利用するのが常であって、これを里内裏
(さとだいり)と呼んでいる。
現在の京都御所は、かつての里内裏の一つであった
土御門東洞院殿
(つちみかどひがしのとういんどの)の場所にあたる。
南北朝時代の北朝の光厳天皇が1331(元弘元)年に藤原邦綱の屋敷を里内裏(仮皇居)としていた
土御門東洞院殿を皇居と定めたもので、桓武天皇が都を京都に遷
(うつ)し、
1869(明治2)年の東京遷都までの1千年あまりの間の歴代天皇の居所・執務所であった。
京都御所は、その古来の内裏の形態を今日に保存している由緒あるもので、
戦乱などでしばしば炎上し、現存のものは総奉行・松平定信によって1855(安政2)年から
古制にのっとって造営されたものである。
御所の正殿ともいわれ、即位の大礼など大儀が行われ、檜皮葺
(ひわだぶき)、
総桧造りの清楚な感じの建物である「紫宸殿
(ししんでん)」を中心として、
その西北方に天皇の日常の住居であった「清凉殿
(せいりょうでん)」、
東方に宜陽殿
(ぎようでん)があり、紫宸殿の南庭(前庭)を回って日華門
(にっかもん)・
月華門
(げっかもん)・承明門
(じょうめいもん)などの門や軒廊等が連なっている。
そのほかにも、春輿殿
(しゅんこうでん)・小御所
(こごしょ)・御学問所
(おがくもんじょ)・
御常御殿
(おつねごてん)・迎春
(こうしゅん)・御涼所
(おすずみしょ)・皇后御殿などの御殿や、
建礼門
(けんれいもん)・宜秋門
(ぎしゅうもん)・建春門
(けんしゅんもん)・
清所門
(せいしょもん)などの門がある。
東西100m、南北200mの長方形域の苑に北池と南池があり、
池にはもみじ橋、八ツ橋が架かり、ことに八ツ橋の上にかかるフジはみごとである。
現在の京都市上京区京都御苑内にある京都御所は国有財産で、
宮内庁が管轄する「皇室用財産」に分類されている。
ちなみに、「京都御苑」は京都御所・仙洞御所・大宮御所などを包む、
南北1.3km、東西700mの広い緑地をいう。
蛤御門(はまぐりごもん) : 京都御所の周囲を固める九つの門の一つ。
元は新在家御門という名で呼ばれる開かずの門だったが、
1788(天明8)年に京都を襲った天明の大火の時に初めて扉が開かれ、
あたかも火に掛けられて口を開く蛤の様だという事から「蛤御門」と呼ばれるようになった。
1864(元治元)年7月19日に起こった禁門の変では最大の激戦地となったことから、
この事変を蛤御門の変と言う事もある。この事変のあった当時の門は、
現在の位置より東寄りにあって、鍵型になった塀に沿って南向きに建てられていた。
現在は一般観光客の出入り口や駐車場の出入り口として利用されている。
蛤御門(以下2011.11.1、撮影)
宜秋門(ぎしゅうもん) : 別名「唐門」とも「公卿門」とも言われ、檜皮葺
(ひわだぶき)、
切妻屋根の柱間1間の四脚門で、昔の摂政関白、親王、公家、殿上人や将軍の御使及び
諸大名が参内する際の表参内門として利用されていた。
京都御所一般公開時にはここが参観者の入口となる。
宜秋門
御車寄(おくるまよせ) : 宜秋門を入るとすぐに「御車寄」がある。
天皇より「牛車の宣旨、手車宣旨」を賜った者は宜秋門から車のまま通行が出来て、
この御車寄より昇降出来た。御車寄は、昔摂家、親王、堂上、六位の蔵人など昇殿を
許された人々が正式参内の時に限り昇降する事が出来た。
御車寄
同上。玄関に展示の「月に雁(長沢蘆州:ながさわ・ろしゅう作)」
新御車寄(しんみくるまよせ) : 1915(大正4)年、大正天皇の即位礼に際して、
天皇皇后陛下のための玄関として建てられた建物。
新御車寄。舞楽台(ぶがくだい)、「五節舞姫(ごせちのまいひめ)」(人形2体)
建礼門(けんれいもん) : 京都御所を代表的する南正面入口の正門。
素木、切妻造、桧皮葺
(ひわだぶき)、柱間1間の四脚門である。
左右の築地塀
(ついじべい)には5本の筋(水平の線)が入っているが、
これも塀として最高の格式を示すものである。開門されるのは天皇陛下の臨幸や
外国首相などの国賓の来場や一般公開など、特別な行事の時のみである。
天皇の同伴があれば皇后陛下も利用でき、皇后陛下単独の場合は建春門を利用する。
この門を入り、丹塗り瓦葺の承明門
(じょうめいもん)を潜ると正面が紫宸殿である。
京都三大祭のうちの葵祭りと時代祭りは、この建礼門前から行列が出発する。
京都御所の外側からの建礼門
承明門(じょうめいもん) : 紫宸殿の南正面に位置する門。
瓦葺、切妻屋根の12脚門で、天皇行幸や上皇御即位後の出入りに用いられる。
承明門。奥の建物が紫宸殿
建春門(けんしゅんもん) : 京都御所の東側にある唯一の門。
建春門
春興殿(しゅんこうでん) : 現在の殿舎は、平安時代の頃の春興殿とは位置関係が異なり、
安政年間に造営された内侍所(賢所)のあった場所に大正天皇の即位礼にあたり造営された。
春興殿
日華門(にっかもん) : 紫宸殿の入口。
日華門と月華門は東西に相対し位置し、ともに瓦葺き丹塗り円柱の唐様の門である。
日華門
紫宸殿(ししんでん) : 御所の正殿で、天皇の即位式、立太子礼などの最重要儀式が執り行われた
最も格式の高い建物である。白砂の南庭
(なんてい、だんてい)に面して南向きに建つ。
入母屋造、桧皮葺の高床式宮殿建築の建物で、平面は33m×23mほどの規模がある。
建具は蔀戸
(しとみど)が使われている。規模は大きいが、華美な装飾のない、簡素な建物である。
構造は中央の母屋の東西南北に庇を付した形になる。
内部は板敷きの広い空間となり、中央に高御座(
たかみくら、天皇の座)、
その東に御帳台(
みちょうだい、皇后の座)が置かれている。高御座、御帳台ともに高さ約5m、
平面八角形で、柱と柱の間に帳(
とばり、カーテン)をめぐらし、内部には椅子が置かれている。
高御座、御帳台の背後の襖は「賢聖障子
(けんじょうのしょうじ)」と呼ばれ、
中国古代の賢人32人の肖像が描かれている。これは平安時代からの伝統的な画題である。
現在の高御座と御帳台は、大正天皇の即位の礼に際し、古制に則って造られたものである。
今上天皇の即位の礼の際には、一度解体した後、東京の皇居宮殿に運ばれて使用された。
建物正面の階段の左右には「左近桜」と「右近橘」の木がある。
紫宸殿(木は西側の「右近の橘」)
同上
同上
同上(木は東側の「左近の桜」)
清涼殿(せいりょうでん) : 紫宸殿の背後西側にあり、東を正面とした建物。入母屋造、
桧皮葺の寝殿造の建物で、建具に蔀戸
(しとみど)を使う点などは紫宸殿と共通する。
本来は天皇の居所兼執務所であったが、天皇が常御殿に居住するようになってからは、
清涼殿も儀式の場として使われるようになっている。
本来、居住の場であった名残で、建物内は紫宸殿よりは細かく仕切られている。
中央の母屋には天皇の休憩所である御帳台
(みちょうだい)がある。その手前(東側)には
2枚の畳を敷いた「昼御座
(ひのおまし)」がある。ここは天皇の公式の執務場所である。
母屋の北側(建物正面から見て右側)には四方を壁で囲われた「夜御殿」(よんのおとど)がある。
これは天皇の寝室であるが、天皇の居所が常御殿に移ってからは形式的な存在になっていた。
この他に西側(裏側)には鬼の間、台盤所
(だいばんどころ)、朝餉の間
(あさがれいのま)、
御手水の間
(おちょうずのま)、御湯殿があり、南側には殿上の間がある。
これらの部屋の障壁画は宮廷絵師の土佐派が担当している。
また、建物正面の庭には「漢竹
(かわたけ)」、「呉竹
(くれたけ)」が植えられている。
清涼殿
小御所(こごしょ) : 御元服御殿ともいい、東宮御元服、立太子の儀式など皇太子の儀式が行われた。
1954(昭和29)年に焼失。現在の建物は1958(昭和33)年に再建されたもの。
小御所
小御所の管絃(人形5体)
篳篥(ひちりき)
琵琶(びわ)
羯
鞨鼓(かっこ)と太鼓
御池庭(おいけにわ) : 回遊式庭園。水面に映る庭園の姿が美しい。
御池庭
御三間(おみま) : 七夕や盂蘭盆会などの宮中内の儀式が行なわれた建物。
内々の御対面にも使われたという。
御三間
清所門(せいしょもん) : 宜秋門の北100mの場所にある瓦葺きの門で、
京都御所一般公開時にはここが出口または出入り口となる。
清所門
見学順路
一般公開中の順路
参 : [
YouTube](2011年、京都御所秋季一般公開(宜秋門から承明門まで)
京都御所は春・秋の特別公開期間以外は参観許可が必要だが、拝観料は無料。
ちなみに、春の一般公開は、明治天皇が春先3月に5箇条のご誓文を下したのを記念し、
秋は桓武天皇の時代、平安京遷都が秋口の10月にあったのを記念して、昭和21年より行われている。
参観者は、宜秋門から参入し、朔平門
(さくへいもん)または清所門から退出することになる。
問い合わせ :
075−211−1211(宮内庁参観課)
アクセス : 地下鉄烏丸線今出川駅、丸太町から徒歩5分。
市バス 烏丸今出川から徒歩5分