与那国島(YSミニ辞典)

[ホーム] [索引] [前項] [次項]

与那国島(yonagunijima)よなぐにじま : 沖縄県八重山(やえやま)諸島に属する日本最西端の島で、
    「どなん」とも呼ばれ、漢字で書くと「渡難」、その名のとおり島に渡るのが困難であった。
    黒潮に囲まれたこの島は荒々しい海や風によってけずられ断崖絶壁がほとんどである。
    八重山諸島の中では3番目に大きい島で、石垣島から約124km沖、沖縄本島からは約500kmあり、
    一番大きい西表島までが約77kmと最も近く、面積28.88km2、総人口1628人(2008.12.1)の
    一島で与那国町をなす。与那国島の気候は亜熱帯(あねったい)気候に属し、
    年平均気温23.9℃、年間降水量2000〜3000mm、風速は約6.6m/sで、
    夏は南側の太平洋からは1年を通じて強い風が吹くが、中央の山地によって遮られ、
    高地までは影響があるものの、島の北側では風はそれほど強くない。
    しかし、冬は北方の強い潮風を受けることから南国沖縄とはいえ、コタツを囲む家もある。
    台湾までは111kmしかなく、晴れて澄んだ日には水平線上に台湾の山々を望むことができる。
    島は東西約12km、南北約4kmで東西に細長く、ちょうどサツマイモや平行四辺形に似た地形をしていて、
    面積は小さいながら、200m級の山があるなど大変起伏が激しいものの、周囲は約27.49kmで、
    自転車でも3〜4時間で一周が可能な大きさである。島には1周する道があるが、
    特に島の南東側は起伏に富んだ地形になっていて、あまり海に沿っているわけではない。
    そのあたりにはサンニヌ台や立神岩(たちがみいわ)といった荒々しい地形の場所がある。
     昔、熊野や土佐では、南の海のどこかに「普陀落(ふだらく)」と呼ばれる
    ユートピア(飢えも苦しみもない理想郷)があると信じ、それを目指す行者がかいのない小舟で
    大海に漂い出たという。そんな夢を抱かせるような「海底遺跡」が1986(昭和61)年に
    与那国島東南部の新川鼻(あらかわばな)沖約100mを中心とした海底から発見された。
    東西250m、南北150mの巨石建造物だが、まだ人工物か否かの論争は未決着という。
    20年以上も前に発見されたのに調査が進んでいないのは、歴史学・考古学的にも
    大多数の研究者は「柱状節理」という沖縄近海で多く見られる自然地形として認識しており、
    研究対象としては完全に無視されているからだと言われている。
    発見者の荒嵩喜八郎(あらたけきはちろう)さんは古代の墓とみて
    「与那国は何度も巨大ツナミで人が消え、別の人間が入ってきては再び栄えた。
    そんな歴史の繰り返しだったのだろう」という。
    海底遺跡は与那国観光船のグラスボードで見学(所要2時間、5千円〜)ができる。
     朝鮮の漂流者が伝える15世紀の文献では、支配者がおらず、稲が豊かに実り、
    子を慈しみ育てる心穏やかな島民像が描かれていることなどから、
    理想郷は、海のかなたではなく、与那国島そのものではないかとも言われている。
     (ウィキペディアより)
    別名・頓石(とんいし)と呼ばれ、「神の岩」として島民に畏敬されているる立神岩
    
    軍艦岩(ウィキペディアより
    サンニヌ台はNHK大河ドラマ(琉球の風)のロケが行われた場所で、それの記念碑もある。
    島の東端には太陽が「あがる」ところから名付けられた「東崎(あがりざき)」があり、
    ここは断崖になっていて、その上は一面芝生のなだらかな丘になっていて見晴らしがよく、
    多くの野生の馬が草を食んでいる。
    
    東崎(ウィキペディアより)
    
    東崎の丘の上の野生の与那国馬(楽天トラベルより)
    その反対側、島の西端にあるのが「西崎(いりざき)で、ここに「日本最西端の碑」がある。
    
    西崎にある日本最西端地の碑(以下2008.4.28撮影)
    
    日本最西端地の碑の裏から展望台を望む    
    
    日本最西端地の碑のそばにある「太陽の火」の碑
    
    日本最西端地の碑と太陽の火の碑との位置関係
    
    日本最西端地の碑(左)、太陽の火、の碑(右寄り)、西崎灯台(右)との位置関係

    
    西崎より久部良漁港方面を望む
    
    西崎の頂上付近にになっていたアダンの実。パイナップルモドキとも呼ばれ、実は少量だが食べられる。
    
    葉が行司の軍配に似ていることから名がついた「軍配朝顔」が、雨の西崎の岬に一輪咲いていた
    
    カジキのモニュメントがあるこのあたりが久部良漁港で、後ろの白い建物はきれいなトイレ。
    すぐ前に無料バスの停留所がある

    
    久部良漁港から日本最西端の西崎岬を望む
    
    沖縄の天然記念物に指定されたミミモチシダが生息している久部良ミトウ湿地帯の池
    
    ミトウ湿地帯にあるハイビスカスの花びらを食べているカタツムリ
    
    1974(昭和49)年に県名称に指定された「クブラバリ」にある「日本最後の夕日が見える丘」の碑
    
    クブラバリより雨に煙る日本最西端の岬を望む
    
    夕日が見える丘の碑と日本最西端の岬との位置関係
    島の中央部東側に位置する宇良部(うらぶ)岳の231.3mが最高点で、インビ岳とともに
    宇良部山系に属し、西には188mの久部良(くぶら)岳やドナン岳を主峰とする満田原山系が連なり
    変化に富んだ山地と台地からなる地形によって多様な自然環境が形づくられている。
    島の成因は、隆起珊瑚礁ではなく火山島であるが、これは八重山列島の中では他に石垣島と
    西表島だけであり、島の南海岸は波で浸食され、断崖絶壁が多数ある。
    また、与那国島の地質は主に「八重山層群(やえやまそうぐん)」と呼ばれる
    八重山地方に広く分布する砂岩と頁岩(けつがん:層状になった泥岩)のたい積物による
    互層構造(ごそうこうぞう)の地層が基盤となっている。その上に、珊瑚礁からなる
    琉球石灰岩(りゅうきゅうせっかいがん)などがたい積し、島の北部や中央部に広く分布している。
    中央北部に町役場や民宿のある祖納(そない)、西部に日本最西端の久部良(くぶら)
    南部に比川(ひがわ)の3つの集落がある。石垣島や沖縄本島から空便・船便があり、
    大きな港は久部良、空港は祖納と久部良の中間にある。
    
    与那国空港
    飛行機は石垣島から日本トランスオーシャン航空(JTA)のジェット機が1日1便。
    その他週3回、琉球エアコミューターのDHC−8型という39人乗りの飛行機が、
    那覇と石垣島それぞれ1往復ずつ飛んでいる。その他石垣島からのフェリーが週3便。
    他の八重山諸島の島々とは違い、飛行機の方がメインになっている。
    観光のほか主な産業は、漁業、サトウキビ農業、酪農などの農水産業が中心で、
    島の南半分では牛馬が放牧されている。比川の近くには海老の養殖場もある。
    台湾と近接するため古来から貿易が盛んで、近年航路が開かれた。
    世界最大級のガといわれるヨナグニサンを産する。
    レンタバイクやレンタカーの店がいくつかあり、私はレンタバイクを利用するつもりだったが、
    あいにくの雨で町営の無料路線バスにお世話になり、日本最西端の久部良の岬まで行った。
    
    町営の無料バスで小型のボンゴ車だが、運転手はとても親切で、
    途中おばあさんを車椅子ごと施設の前で降ろし、私には島内のことを分かりやすく教えてくれた。

    帰りも久部良を3時半発の無料バスを利用し、途中、泡盛の舞富名(まいふな)などの醸造元の
    入波平(いりなみひら)酒造の前で降ろしてもらい(乗車は停留所のみだが、降車はどこでも自由)、
    私1人に工場の製造工程を説明してもらった。
    
    入波平酒造の建物の表玄関だが、泡盛を製造直売しているのだから、
    観光客のためにも看板などで飾ってほしいね。とても醸造所とは思えない

    
    入波平酒造の泡盛製造工程のうちの一つ
    
    別名・琉球百合の名がある「鉄砲百合」が空港近くの道端に咲いていた。
    本州に咲く別名・細葉鉄砲百合や台湾百合の名がある「高砂百合」は葉がもっと細く、
    花の筒部分の外側に赤みがかったスジがある
    
空港まではすぐそこと聞いたので、歩くことにしたら空港の端からターミナルまでだけで1km以上もあった。
    帰りの飛行機は18時発のRAC880の最終便を利用したが、
    なんとDASH8という双発のプロペラ機だった。
    
    DASH8
    参 : 与那国島役場(HP)、与那国海底博物館(個人HP)、[YouTube](海底遺跡)
























































inserted by FC2 system