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万福寺(まんぷくじ) : @茨城県石岡市茨城1丁目12番21号にある曹洞宗の寺院。
寺号は「光林山万福寺」で、本尊は「阿弥陀如来」である。
寺伝によれば、税所氏の菩提寺として建立されたといわれる。
税所とは、国衙で国内の正税や官物の収納をつかさどる官職であり、
常陸国では百済氏が代々その職を世襲したので、のちに職名税所を姓とするようになったという。
万福寺裏には税所氏の墓石といわれる五輪塔数基が存在する。
A東京都日野市万願寺3−41−7にある臨済宗鎌倉建長寺末寺で、1586(天正14)年、
心峰長益が開山草創といわれている。本尊はもとは達磨大師像だったが、
現在は木彫薬師如来になっている。
B東京都葛飾区柴又6ー17ー20にある曹洞宗の寺院。本尊は、「南無釈迦無尼仏」。
柴又七福神の一つで、福(幸福)、禄(高給)、寿(長寿)を授ける三徳を兼ねた
人望福徳の中国の神
七福神の「福禄寿」も本堂に祀られている。当山安置の福禄寿は、
年代不明であるが、宍戸家に伝えられた家宝仏であったものを奉納され、以来当山に祀られている。
1928(昭和3)年8月の創立され、1930(昭和5)年に完成した柴又新四国八十八カ所霊場がその前身。
これはこの地から人骨数体が発掘されたため、地元の人びとの要望に基づくという。
境内には110体の弘法大師石像が安置されている。
1948(昭和23)年に、正式に「万福寺」という名称となった。
本堂の完成は1981(昭和56)年、山門の完成は1988(昭和63)年で、まだ歴史の新しいお寺である。
案内立て札
万福寺の山門
境内からの山門
万福寺本堂
一回一誦(いっかいいちじゅ)の石碑の上部の回転部分は「摩尼車(まにぐるま)」または
「後生車(ごしょうぐるま)」といい、1回転させる事でお経を1回読誦(一回一誦)した事になる。
更に心を込めて回すと、その回数のお経を読んだ事と同じ功徳がいただけるとされる。
また、一心に合掌し誓いや願いを祈りながら摩尼車を回すと必ず祈願が叶うと信じられている。
黒い回転部分には正法のお経である般若心経が刻まれている。
聖観世音菩薩座像(個人永代墓)
参 :
万福寺(HP)
C東京都大田区南馬込1−49−1にある曹洞宗の寺院。
山号は慈眼山・院号は無量院。鎌倉時代の1192年(建久3)年に梶原景時が源頼朝の命令で、
荏原郡大井郷道塚(現在の品川区大井鹿島付近の浜辺)に建立したのが始まりと伝えられる。
本尊の阿弥陀三尊を清めた湯水は眼病に効くといわれる。
D東京都世田谷区北烏山5−13−1にある浄土真宗本願寺派の寺院。
E新潟県新潟市西蒲区二箇にある永平寺を本山とする曹洞宗の寺院である。
山号は「普門山万福寺」。越後4カ道場の一つである石瀬の種月寺12世体厳存禅師によって
1599(慶長4)年に開かれたと伝えられている。全国でも珍しいミズバショウの寺で、
山すその湿地に植えられて群落美を誇るミウバショウの数は約2000株ある。
4月末から5月始めにはヤブマキも咲く。
F山梨県甲州市勝沼町等々力1289にある杉の御坊の名をもつ浄土真宗の寺。
寺記によれば、推古天皇12年(604年)、聖徳太子の命により創建されたとも、
巨摩郡にあった天眼寺を移したとも伝えられている。法相、天台、真言三宗兼の道場であったが、
1228(安貞2)年に遊化した親鸞の教えに従い1244(寛元2)年に浄土真宗となり、
1321(元享元)年に十二坊が興されたといわれている。
G京都府宇治市五ケ庄三番割34にある黄檗宗
(おうばくしゅう)の大本山の寺院で、
日本三禅宗の一つである。山号は「黄檗山」。
1661(寛文元)年、中国・明の帰化僧・隠元隆g
(いんげんりゅうき)の開創。
開基は徳川家綱。本尊は釈迦如来であるが、都七福神の一つ「布袋尊」を祀る。
日本の近世以前の仏教各派の中では最も遅れて開宗した、黄檗宗の中心寺院で、
建物や仏像の様式、儀式作法から精進料理に至るまで中国風で、
日本の一般的な仏教寺院とは異なった景観を有し、中国の黄檗山万福寺にならった
万福寺式伽藍
(がらん)配置で有名である。また、鉄眼
(てつげん)開版の大蔵経の版木を蔵する。
宗教法人としての名称は「萬福寺」であるが、ここでは「万福寺」と表記する。
大雄宝殿(重要文化財)
参 :
黄檗山萬福寺(HP)
H大阪府茨木市蔵垣内3丁目7にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は「等光山
(とうこうさん)万福寺」。
本尊は「阿弥陀如来」。1720(享保5)年に僧了應が開基した。
I愛媛県今治市大三島町口総4168にある浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は「西向山万福寺」である。
1660(万治3)年の創建で、本尊は
「阿弥陀如来像」である。
参 :
西向山万福寺(HP)
J鳥取県日野郡江府町武庫624にある曹洞宗の寺院。山号は「高谷山万福寺」で、
本尊は「聖観音菩薩」である。この寺の本堂には、『万福寺』と『熊野堂』が同居している。
左奥に、もう一つ須弥壇があり、そこに熊野堂の本尊「如意輪観音」を祀ってある。
伯耆三十三観音霊場の第十二番札所でもある。
K島根県益田
(ますだ)市東町25−33にある時宗
(じしゅう)の寺。清滝山と号する。
本尊は阿弥陀如来
(あみだにょらい)。古くは益田市内の中須
(なかす)にあった安福寺という
天台宗の大寺であったが、大津波のため流失し、その後、1321(元亨1)年ごろ、
4代目遊行上人
(ゆぎょうしょうにん)春海
(しゅんかい)がこの地を訪れて中興し、時宗寺院となった。
1374(文中3・応安7)年に七尾
(ななお)城主益田兼見
(かねはる)が現在地に移して万福寺と改めた。
鎌倉時代の様式を残す本堂、鎌倉末期ころ作の絹本着色『二河白道
(にがびゃくどう)図』は
国指定重要文化財。また
雪舟作と伝える池泉回遊式の築山
(つきやま)庭園は国指定名勝・史跡である。
参 :
日本庭園、
万福寺(HP)
本堂
萬福寺の前庭にある雪舟像
萬福寺の雪舟の庭
萬福寺内の掛軸
L岡山県津山市東田辺にある真言宗の寺院で、山号は「黒沢山万福寺」。
虚空蔵菩薩信仰の地として「日本三大虚空蔵」の一つに数えられている。
万福寺の歴史は古く、714(和銅7)年にまでさかのぼり、
もともとは修験道など古い山岳宗教の拠点として建てられたものだが、
後に真言宗と合なって今日に至っている。
※以上の寺院ほか、全国には多くの万福寺があります。