春日大社(YSミニ辞典)

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春日大社(かすがたいしゃ) : 1946(昭和21)年に春日神社(かすがじんじゃ)を春日大社と改称した。
    奈良市春日野(かすがの)町160にある神社。祭神は第一殿に武甕槌命(たけみかづちのみこと)
    第二殿に経津主命(ふつぬしのみこと)、第三殿に天児屋根命(あめのこやねのみこと)
    第四殿に比売神(ひめのかみ)の4柱を祀(まつ)っている。
    平城遷都後、藤原氏により創建されたと伝えられ、その氏神として藤原氏の興隆とともに栄えた。
     鎮座地は御蓋山(みかさやま)の麓(ふもと)で、ナギ、アシビ、サカキなどの深い樹叢(じゅそう)
    囲まれた浄域となっている。当大社は、710(和銅3)年に都が奈良に移されると、
    藤原不比等(ふひと)が、神代に功績のあった、また同氏が氏神として崇(あが)める
    常陸(ひたち)(茨城県)鹿島(かしま)神宮の武甕槌命を、都の東方、
    春日御蓋山の頂上浮雲峰(うきぐものみね)に祀り、国土安穏、国民繁栄を祈ったのが、
    今の春日大社の起源といわれる。藤原氏の氏寺である興福寺との関係が深く、
    ともに平城京での藤原氏の権力の基盤となった。天皇の居住地である平城宮から見て、
    日が昇る方向である東、つまり一等地に、興福寺、春日大社があった。
    765(天平神護1)年には鹿島神宮の封戸(ふこ)の一部を春日神に寄進し、
    祭祀(さいし)にあてている。称徳(しょうとく)天皇の768(神護景雲2)年11月9日に現在の地に社殿、
    瑞垣(みずがき)、鳥居を造営し、下総(しもうさ)(千葉県)香取(かとり)神宮の経津主神、
    河内(かわち)(大阪府)枚岡(ひらおか)神社の天児屋根命・比売神の3柱の大神をともに祀り、
    四社明神として崇め奉ったのである。鎌倉時代になると、将軍源頼経(よりつね)は鎌倉に春日社を
    分祀している。明治維新の神仏分離令により興福寺の支配を離れ、官幣大社となる。
    
    世界遺産の石碑(2011.4.2撮影)
    
    春日大社
    
    車舎の説明板
    
    車舎内の牛車
    
    同上

    
    二の鳥居
    
    南門の説明板
    
    南門
    
    南門の前にある「神石」
    この石は太古の昔、神様が降臨する憑代(よりしろ)として祀られた磐座、又は、春日若宮の祭神が
    ここから現れたとされる出現石、或いは、772(宝亀3)年の落雷により落下した社額を埋めた額塚など、
    諸々の伝説がある。神がかりの石として触れることができないように囲われている。

    
    南門横のしだれ桜下の石燈篭群
    
    「南門」をくぐると正面にある「神拝所」
    「神拝所」は「幣殿」と「舞殿」が一棟になった建物で、
    奥にある本殿を参拝する場所であり、重要文化財に指定されている。

    節分万灯籠(せつぶんまんとうろう) : 雅やかな境内に平安時代より今日までに奉納された
    灯籠約3000基に一斉に灯が入れられ、神に捧げる行事で、朱塗りの回廊が淡い明りに浮かび上がる。
    加えて灯籠自体も見どころの一つで、奈良にゆかりの深い鹿や藤の花などの意匠が多彩である。
    中には鎌倉時代のものや直江兼続など戦国武将が献じたものもある。
    夏季の中元万灯籠とともに、年2回行われる。
    
    節分万灯籠
    参 : 燈籠春日大社公式ホームページ鹿






















































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