YSミニ辞典(二条城)

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二条城(にじょうじょう) : 京都市中京区二条通堀川西入二条城町541にある江戸時代の城で、
    徳川家康が1603(慶長8)年に京都の守護および上洛(じょうらく)時の宿所として造営させた平城である。
    家康と豊臣秀頼との会見場所となったほか、家康の将軍宣下に伴う賀儀と、1867(慶応3)に
    15代将軍・徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。
    京都市街の中にある平城で、足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏によるものがあるが、
    現在見られるものは、徳川氏によるものである。天守や本丸御殿は焼亡したが、二の丸御殿は
    桃山時代の書院造りの形態を伝え、狩野派の画家による障壁画とともに重要な遺構である。
    その後、明治時代に宮内庁の管轄となって二条離宮と称され、1939(昭和14)年に京都市に下賜され、
    城全体が国の史跡に指定されている他、二の丸御殿が国宝に、22棟の建造物と
    二の丸御殿にある計954点の障壁画が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定されている。
    さらに1994(平成6)年にはユネスコの世界遺産(文化)に「古都京都の文化財」として登録された。
     御殿の廊下を歩くと、キュッキュッと鶯が鳴くように廊下が鳴くのは、
    この建物を造る時に、より美しく、より高級に造ったことによる副産物として偶然生まれたそうで、
    その後、この音を侵入者を感知するための仕組みとして、活かしたのではないかといわれている。
    二条城の他、この城とゆかりが深い知恩院の大方丈、小方丈という建物の廊下も、
    鶯張り廊下として有名で、このお寺の鶯張り廊下も、同じ職人さんによって造られたのかも。
    東大手門(ひがしおおてもん) : 重要文化財。堀川通りに面し、二条城の表門に該当する。
    
    東大手門(入口)。以下2011.11.1撮影
    
    東大手門(城内側)
    東南隅櫓(とうなんすみやぐら) : 
    
    東南隅櫓
    
    東南隅櫓(外堀側)
    唐門(からもん) : 二の丸御殿の正面にある門。
     金と極彩色の彫刻で彩られ、豪華絢爛な桃山文化の気風が伝わる。
     1626(寛永3)年、後水尾天皇の行幸の際に伏見城から移築されたものと伝えられている。
     類似の唐門は西本願寺などにもあるが、同時代の唐門では二条城のものが最大級であるとされている。
    
    唐門
    
    同上
    二の丸御殿(にのまるごてん) : 国宝。大きく分けて六つの部分から成り立っている。
     入口の「車寄」に接して北側に「遠侍」がある。「遠侍」は来殿者の受付、警護の侍の詰め所や
     参上した大名の控え室などに使われていたところとされている。「遠侍」に接し西側に「式台」がある。
     ここには老中が執務をする部屋があり、参上した大名が老中と挨拶を交わしたり、
     将軍への献上品を取り次いだりする場所でもあったという。
     「式台」に接してその西北側に二の丸御殿の中心殿舎である「大広間」がある。
     「大広間」には四つの間があり、一の間、及び二の間が将軍の正式の対面所であったといわれている。
     障壁画の巨大な松は、狩野探幽の代表作とされている。
     「大広間」の四の間は将軍上洛時に武器を収めた部屋といわれているが、
     四の間南側襖絵の松鷹図が有名で、必見の襖絵とされている。これも探幽の作とされている。
     「大広間」から渡り廊下のような「蘇鉄の間」を経由して北西側に「黒書院」がある。
     ここは、将軍と譜代大名、親藩との内輪の対面所に使われていたという。
     襖絵には桜、梅や花を描いたものが多いが、複製された模写品のようである。
     「黒書院」の北側に「白書院」があり、ここは将軍の居間であり寝室であったとされている。
     描かれている画は狩野興以作の山水画が多い。
     国宝に指定されている「二の丸御殿」の内部は殆ど全て見学可能であり、
     33の部屋と800畳余りの広さを持つ建物と共に900面以上あるといわれている襖絵、
     障壁画を鑑賞することができる。襖絵、障壁画は全て重要文化財に指定されている。
    
    二の丸御殿
    
    同上
    
    同上
    二の丸庭園(にのまるていえん) : 二の丸御殿の大広間の西に広がる池泉回遊式庭園で、
     国の特別名勝。二条城の築城とほぼ同時期に小堀遠州によって造られたとされており、
     大広間と池の南側の二方向から鑑賞できるように1626(寛永3)年に改造されたという。
     複雑な形をした池に蓮菜島・鶴島・亀島の3島と4つの橋があり、
     大小さまざまな石組が配置され、独特の風格が感じられる。
    
    二の丸庭園
    
    同上
    
    同上。滝石組み
    
    同上
    本丸御殿(ほんまるごてん) : 重要文化財。1893(明治26)年、京都御所内にあった旧桂宮邸を
     移築した雅やかな公家風の建物。の丸御殿の西側に内濠に囲まれて「本丸御殿」、「本丸庭園」、
     「天守閣跡」などがある。1847(弘化4)年に建てられた。玄関・書院・御常御殿などから
     構成されている。内部は広く、違い棚・袋棚など風流な趣のある装飾が美しい。
     現在、内部は非公開で、春と秋の特別公開時以外は見ることができない。
     本丸御殿には二の丸御殿のような力強さはなく、どちらかといえば優雅さ、優美さが前面に出ている。
    
    本丸御殿
    
    同上
    
    本丸御殿と本丸庭園
    
    東橋を渡ったところにある本丸櫓門
    
    同上(本丸御殿側)
    
    桃山門(重文)
    清流園(せいりゅうえん) : 城の北側に位置する庭園。
     もとは河原町二条にあった旧・角倉屋敷の一部と庭石・庭木などを譲り受けた。
     これをもとに全国各地から銘石を集め茶室を建てて、1965(昭和40)年に完成した。
     洋風庭園と池泉回遊式山水園(和風庭園)の和洋折衷が見事に調和している。
    
    清流園の香雲亭(KYOTOdesignより)
    天守閣跡(てんしゅかくあと) : 最初の天守は、慶長年間に徳川家康によって現在の二の丸北西隅に
     建てられたもので、3代家光の時に行われた寛永の大改修において淀城(大阪城)に移築された。
     その後、新たに造られた本丸の南西隅に伏見城の天守が移築された。
     この二つ目の天守は、取付矢倉と小天守が付属する複合式の層塔型5重5階の天守だったが、
     1750(寛延3)年の落雷により焼失し、以後、再建されることはなかった。
     現在は、本丸の南西角に天守台(天守閣跡)のみが残っている。
    
    天守閣跡
    
    天守閣跡よりの西橋
    
    天守閣跡より本丸御殿を望む
    参 : 二条城ホームページ

    開城時間 : 午前8:45〜 午後4:00(閉門午後5:00)
             (二の丸御殿&展示・収蔵館の会期中は、9:00AM〜)
             休城:12月26日〜1月4日、7月、8月、12月、1月の毎週火曜日(祝日の場合翌日休)
    入城料 : 一般600円、高・中学生350円、小学生200円、展示・収蔵館100円(不定期公開)
    問合せ先 : 075−841−0096(元離宮二条城事務所)
    アクセス : JR京都駅から京都市バス[9]系統(堀川通・西賀茂車庫行)で「二条城前」下車徒歩すぐ。
            JR京都駅から京都市バス[50]系統(立命館大学前行)で「二条城前」下車徒歩すぐ
            阪急京都線「河原町」駅より京都市バス[12]系統(立命館大学前行)で
            「二条城前」下車徒歩すぐ。
            京阪「三条」駅より京都市バス[12]系統(立命館大学前行)で「二条城前」下車すぐ。
            JR京都駅から地下鉄・烏丸線で6分の「烏丸御池」で乗り換え、
            市営地下鉄東西線で2分、「二条城前」駅で下車、徒歩すぐ
    
    二条城拝観券(表)現寸9.2×5.8cm
    
    二条城拝観券(裏)
    
    二条城拝観券(表)現寸11.0×5.6cm。上が券売機で、こちらは窓口での拝観券だと思う。
    
    二条城拝観券(裏)


















































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