YSミニ辞典(仁和寺)

[ホーム] [索引] [前項] [次項]
仁和寺(にんなじ) : 京都市右京区御室(おむろ)大内33にある真言宗御室派総本山の寺院である。
    山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇である。
    「古都京都の文化財」として、1994(平成6)年に世界遺産に登録されている。
    京都の文化財は清水寺など17社寺・城が一括登録されている。皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、
    宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に「御室(おむろ)」と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、
    当寺には「御室御所(おむろごしょ)」の別称がある。明治維新以降は、仁和寺の門跡に
    皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになった。なお、「御室」の旧地には現在、
    「仁和寺御殿」と称される御所風の建築群が建つ。御所跡地が国の史跡に指定されている。
    御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。
    徒然草に登場する「仁和寺にある法師」の話は著名である。
    当寺はまた、宇多天皇を流祖とする華道御室流の家元でもある。
    仁和寺は光孝(こうこう)天皇の勅願で886(仁和2)年に建て始められたが、
    同天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御した。遺志を引き継いだ宇多(うだ)天皇によって、
    888(仁和4)年に落成し、「西山御願寺」と称されたが、やがて年号をとって仁和寺と号した。
    現在、金堂(国宝)、御影(みえい)堂、二王(におう)門、五重塔、観音(かんのん)堂、中門、
    鐘楼、茶室の飛濤(ひとう)亭、遼廓(りょうかく)亭(以上、国重要文化財)などがある。
    金堂は1642年移築の紫宸殿(江戸時代)で、阿弥陀・観音・勢至(せいし)
    三尊像(平安前期、国宝)を安置し、御影堂は同年移築された清涼殿(江戸時代)を
    宝形(ほうぎょう)造にしたもので、弘法大師(こうぼうだいし)空海の坐像(ざぞう)を安置している。
    五重塔と仁王門は同年の建立。彫刻に阿弥陀三尊像(国宝)ほか、
    増長(ぞうちょう)天・多聞(たもん)天立像、吉祥天立像、
    愛染(あいぜん)明王坐像(以上平安時代後期、重文)などがあり、
    絵画に絹本着色孔雀明王(くじゃくみょうおう)像(南宋(なんそう)代、国宝)、
    同聖徳太子像(鎌倉時代、重文)など、また文書典籍に『三十帖冊子(さんじゅうじょうさっし)
    (空海筆ほか数筆、平安初期)、『医心方』(平安後期)、『御室相承記』(鎌倉時代、いずれも国宝)など、
    多くの文化財を蔵している。寺域は広大で、山内に宇多天皇の御陵がある。
    二王門(におうもん) : 仁和寺の境内南側にある正門で、徳川幕府3代将軍・家光の寄進により寛永の
     再興時に建立したもの。二王門という名称は左右に金剛力士を安置していることに由来しているという。
     朱塗りの堂々たる楼門で、知恩院の三門、南禅寺の三門とともに、
     京の三大門の一つとされ、重要文化財に指定されている。
    
    二王門前の石碑(2011.4.12撮影)
    
    二王門(フリー写真new.art.coocanより)
    江戸時代に建てられ左右に金剛力士を安置することから二王門と呼ばれる

    
    二王門(2011.4.12撮影)
    
    二王門の向かって右側にある口を開けた「阿形(あぎょう)」の金剛力士像(同上)
    
    二王門の向かって左側にある口を閉じた「吽形(うんぎょう)」の金剛力士像(同上)
    
    中門方面より望む二王門(同上)
    本坊表門(ほんぼうおもてもん) : 仁和寺の御殿入口に当たる門で、これとは別に勅使門があるが、
     一般の観光客はこちらから入ることになる。
    
    本坊表門(同上)
    
    御殿側よりの本坊表門。後方に二王門が見える(同上)
    平唐門(ひらからもん) : 重要文化財のこの門をくぐると南庭へと行き着けるが、
     現在、南庭へは大玄関を経由して行くことしかできない。
    
    平唐門(同上)
    中門(なかもん) : 「二王門」に比べると規模も格段に小さく造りも簡素だが、
     重要文化財に指定されている。二王門と金堂の間にある。
    
    中門(大阪のK.Kさん提供)
    
    中門(2011.4.12撮影)
    
    中門の向かって右側にある持国天立像(同上)
    
    中門の向かって左側にある多聞天立像(同上)
    勅使門(ちょくしもん) : 1913(大正2)年に竣工したもので、それほど古いものではない。
     鳳凰、牡丹唐草、宝相華唐草文様など細かな意匠が欄間などに施されている。

    
    勅使門(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上遠景(2011.4.12撮影)右奥は仁王門、白砂は宸殿の南庭
    東門(ひがしもん) : 入るとすぐ左側が御室会館 、右側に御室会館宿泊者用駐車場がある。
    
    東門(同上)
    
    手水舎
    金堂(こんどう) : 二王門から参道をまっすぐ進むと金堂がある。
     仁和寺が寛永年間(1624〜1644年)に再興されたとき、1613(慶長18)年に建てられた
     京都御所の紫宸殿(ししんでん)を移築して本堂としたもので、国宝に指定されている。
     入母屋造り・本瓦葺きで、王朝の気品に満ちている。本尊は、阿弥陀三尊である。
    
    金堂(同上)
    
    同上近景(2011.4.12撮影)
    鐘楼(しょうろう) : 寛永の再興時に建てられたものとされている。
    
    金堂の西側にある重要文化財の鐘楼(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上遠景(2011.4.12撮影)
    御影堂(みえどう) : 京都御所の清涼殿を移築したという優雅な桃山様式の建物である。
     1641(寛永18)年に造営された重要文化財で、西門を入ったところの北西の隅にある。
     単層で宝形造・檜皮葺きの気品ある堂で内には、宗祖の弘法大師、開山宇多法皇、
     仁和寺第二世大御性親王の影像がまつられている。
    
    重要文化財の御影堂中門(同上)
    
    鐘楼の西側にある重要文化財の御影堂(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上(2011.4.12撮影)
    観音堂(かんのんどう) : 本尊の千手観音菩薩像と脇侍二十八部衆、風神雷神像、
     不動明王、降三世明王などが安置され、壁面や柱などには諸仏や高僧が極彩色で描かれている。
     御室桜の北側の鐘楼の近くにある。幅約9m、奥行き約9mで、
     1641(寛永18)〜1644(正保元)年に建てられた入り母屋造り、本瓦葺(ぶ)きの建築物。
     1973(昭和48)年に国から重文指定を受けた。現在も真言密教の
     最も重要な儀式「伝法灌頂(かんじょう)」が営まれ、修行僧の日々の勤行にも使われている。
    
    重要文化財の観音堂(大阪のK.Kさん提供)
    経蔵(きょうぞう) : 寛永期の造営。回転式の輪蔵(りんぞう)に、多数の経巻を納める。
    
    経蔵
    五重塔(ごじゅうのとう) : 1644(寛永21)年、家光による建立で高さは36mの重要文化財。
     各層の屋根の大きさがほぼ同じという江戸時代の特長を色濃くとどめている。
     塔の前で読経する修行僧の姿もみられ、風情が感じられる。金堂の東南側にある。
    
    重要文化財の五重塔(同上)
    
    同上(2011.4.12撮影)
    
    同上
    御殿(ごてん) : 江戸時代初期に宸殿として京都御所の常御殿を賜ったが1887(明治20)年、
     火災により焼失した。明治末から大正初期のはじめにかけて再建された御所風の建築である。
     仁和寺御殿は勅使門・玄関・本坊・宸殿(しんでん)・霊明殿・白書院・黒書院で構成されている。
     御殿は宇多天皇が御所を営んだといわれる場所。御所から移築された常御殿は
     優雅な殿舎が並ぶ姿は御所を彷彿させ、明治以降の御殿建築の傑作といわれてる。
    
    御殿玄関(同上)
    宸殿(しんでん) : 門跡の御座所であり儀式を行なう最も格式の高い殿舎で、
     王朝の雅を偲ばせる風雅な佇まいになっている。内部には美しい螺鈿(らでん)細工が施され、
     さらに鮮やかな襖絵は明治時代に活躍した日本画家の原在泉の筆により描かれている。
     宸殿の北側に廻ると北庭があり、観光では絶好のビューポイントである。
     ここから白砂と池の奥に五重塔が見える。
    
    宸殿の説明立て札(同上)
    
    霊明殿側から望む宸殿(同上)左に右近の橘、右に左近の桜が見える
    
    宸殿の一室(同上)
    
    同上。帳台構に描かれた孔雀
    
    同上。宸殿の上段の間には、床、違い棚、帳台構などを備え、螺鈿細工を施した本格的書院がある。
    美しい大和絵の襖絵は原在泉によるものである(パンフレットより)

    霊明殿(れいめいでん) : 御殿内の唯一の仏堂で、仁和寺歴代門跡の位牌をお祀りしている。
     1910(明治43)年に起工、翌年竣工した。本尊は木造薬師如来坐像で、
     秘仏のため実態が不明であったが、1988(昭和63)年の調査で重要なものであることがわかり、
     平成元年6月に重要文化財に指定、つづいて翌年6月には国宝に指定された。
     白檀で造られた全高10.7cmの小さい秘仏で、平安時代後期の1103(康和5)年、
     白河 天皇の皇子・覚行法親王の発願により仏師円勢と長円が造像した。
     霊明殿は春と秋に公開される。
    
    霊明殿(同上)
    
    同上
    
    仏堂(同上)
    
    霊明殿の北西側にある建物(同上)。何に使われるか分からない。
    白書院 : 非公式な対面所としての殿舎。
    
    白書院の案内板(同上)
    
    白書院の一室(同上)。李白の筆「壮観」の拓本。
    飛濤亭(ひとうてい)・遼廓亭(りょうかくてい) : 茶室の飛濤亭と遼廓亭は池泉回遊式の庭の奥にある。
     飛濤亭は光格天皇の好みで建てられた草庵風の茶席。江戸時代末期に建てられた茅葺の4畳半。
     腰をかがめずに入れるように鴨居の高い貴人口を設け、床は踏込みの洞床。
     遼廓亭は江戸時代に尾形乾山邸にあった光琳好みの茶室を移築したものである。
    
    北庭にある茶室「飛濤亭」。奥に五重塔が見える(大阪のK.Kさん提供)
    
    重文の「飛濤亭」内部(パンフレットより)
    
    重文の「遼廓亭」内部(パンフレットより)
    霊宝殿 : 彫刻・絵画・古文書(こもんじょ)・工芸品など寺宝(国宝・重文)を多数収納する。
     毎年2回名宝展が開催される。
    霊宝館 : 創建当時の本尊だった阿弥陀三尊像が安置されている。これ以外に両脇待像や
     絹本著色(けんぽんちゃくしょく)、孔雀明王像など数多くの国宝や貴重な文化財を所蔵している。
     春(4月1日から約50日間)と秋(10月1日から約50日間)に一部が特別公開される。
    
    国宝の阿弥陀如来坐像(パンフレットより)
    御室桜(おむろざくら) : 仁和寺といえば御室桜と言われるほど有名な桜。
     「わたしゃお多福御室桜 花(鼻)が低くても〜」と歌われるほどの背丈の低い(約2m)が特長。
     京都で最も遅いとされる遅咲き。200株の桜は寛永年間(1624〜1644年)に植樹されたもの。
     御室桜の名前は平安時代から有名であった。
    
    御室桜(大阪のK.Kさん提供)
    
    同上(2011.4.12撮影)
    北庭(きたにわ) : 宸殿の北側にある池泉鑑賞式の日本庭園。
    
    霊明殿から見た北庭(大阪のK.Kさん提供)。右端は宸殿
    
    同上
    
    同上(2011.4.12撮影)
    
    同上
    
    右近の橘(大阪のK.Kさん提供)
    
    左近の桜(同上)
    
    同上(2011.4.12撮影)
    
    仁和寺の配置図
    
    拝観券の表裏(原寸4.6×13.2cm)
    アクセス : ★JR京都駅から市バス26系統「宇多野・山越」行きで45分、
     或いはJRバス「栂ノ尾(とがのお)」又は「周山」行きに乗車し「御室仁和寺駅」下車、徒歩すぐ。
     または嵐電北野白梅町駅から北野線で4分、「御室仁和寺駅」下車、徒歩5分。
     ★阪急京都線「大宮」駅下車し、地上に出て京福電鉄「大宮」駅から嵐山線「嵐山」行きの電車に乗車し、
     「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」駅で京福電鉄北野線「北野白梅町」行きに乗り換え、
     「御室仁和寺」駅で下車する。北の方向へ徒歩約3分で仁和寺の二王門に着く。
     ★「四条河原町」からは市バス59系統]「金閣寺宇多野・山越」行き、
     又は10系統「三条京阪山越」行きに乗車し「御室仁和寺」で下車、直ぐ。
    参 : 仁和寺(HP)























































inserted by FC2 system