善光寺(YSミニ辞典)

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善光寺(ぜんこうじ) : @長野市元善町491にある寺。山号、定額山(じょうがくさん)
     7世紀初めの創建という。四門四額(しもんしがく)と称して、東門を定額山善光寺、
     南門を南命山(なんみょうさん)無量寿寺(むりょうじゅじ)
     北門を北空山(ほくくうさん)雲上寺(うんじょうじ)、西門を不捨山(ふしゃさん)浄土寺(じょうどじ)とする。
     本堂に安置されているご本尊「一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんぞんあみだにょらい)」は、
     一つの光背の前に阿弥陀如来、観音・勢至両菩薩を配した独特のもので、
     仏教伝来の折、百済(くだら)の国から我が国に渡った日本最古の仏様でもあり、
     642年、本田善光卿によって現在の地に祭られた。
     その後、652年に善光寺式阿弥陀三尊の元となった阿弥陀如来三尊像は
     如来のご託宣を受け秘仏となり、それ以来、今日まで参拝者はもとより、
     寺の住職ですら直接その姿は目にすることはできない。
     それだけに余計、その本尊と縁を結ぶという「戒壇巡り」をする人は絶えない。
      鎌倉時代に、ご本尊の身代わりとして前立本尊(まえだちほんぞん)が造られたが、
     この仏様も秘仏となり、拝観できるのは御開帳の時のみである。前立本尊は、阿弥陀仏如来を中心に、
     向かって右に観音菩薩、左に勢至(せいし)菩薩の三尊が一つの光背を背につけて立っている。
     
     前立本尊
      古くから特定の宗派に属することなく、独自の信仰的存在として信仰を集め、
     善光寺詣でが盛んに行われたことから、現在も僧寺の大勧進(天台宗)と
     尼寺の大本願(浄土宗)が共同管理している。1707(宝永4)年に再建された現在の本堂は、
     江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されている。
     間口24m、高さ30m、奥行き54mという壮大な伽藍(がらん)は東日本最大で、
     最奥部にある仏堂の手前に広大な礼堂(らいどう)を繋ぐ棟の形が、鐘を叩く撞木(T字型)に
     似ていることから「撞木造り(しゅもくづくり)」と呼ばれている。
     裳階(もこし)を廻らせた二重屋根は総檜皮葺(そうひわだぶき)としては日本一の規模を誇っている。
     
     山門前の「六地蔵」
     仁王門 : 1752(宝暦2)年建立のものが1864(元治元)年に再建されたが明治24年火災で焼失。
     現在の仁王門は1918(大正7)年建立のもので、定額山の額は、伏見宮貞愛親王の御筆である。
     
     阿吽(あうん)の金剛力士像が安置されている「仁王門」
     御開帳 : 善光寺前立本尊御開帳(ぜんこうじまえだちほんぞんごかいちょう)が正式名で、
      7年に1度(御開帳の年を1年目と数えるため、実際には6年に1度)、
      秘仏の本尊の代りである「前立本尊」が開帳され、毎回多くの参拝客が訪れる。
     山門(三門) : 重要文化財で二重の入母屋造りである。屋根はサワラの木の栩葺(とちぶき)
      高さ20m、善光寺の額は輪王寺宮公澄法親王の御筆になるものです。1750(寛延3)年落慶。
     
     重要文化財の「山門(三門)」
     
     同上
     
     「善光寺」の3文字の中に5羽の鳩が隠されている鳩字の額。「善」の字は牛の顔に見えるという
     
     御開帳期間中は、本堂の前に「回向柱」が建立されている
     
     本堂
     
     本堂から山門方面を望む
     大勧進 : 善光寺本坊大勧進は厄除不動尊のほか、
      宝物館には源氏物語事書や大手鑑など貴重な展示物もあるも。
     
     本堂の万善堂の他、無量寿殿・不動堂・地蔵八角円堂・紫雲閣・宝物殿・僧侶が
     修行をする聖天堂などがある「大勧進」

     日本忠霊殿・善光寺史料館 : 日本忠霊殿は本堂の北西にあり、戊辰戦争から
      第二次世界大戦までの戦争で亡くなった240万余柱の英霊が祀られている。
      この建物には善光寺史料館が併設されており、庶民的な善光寺信仰のすがたを伝える
      奉納絵馬や三門楼上に安置されていた仏像などを拝観することができる。
      ロビーでは、7年に1度の盛儀「善光寺御開帳」などのビデオ上映を随時行っている。
      忠霊殿内陣に安置されている御本尊は、秘仏となられている善光寺御本尊の分身仏である。
      阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩がお立ちになる一光三尊阿弥陀如来のお姿を
      間近に拝することができる。
     
     日本忠霊殿・善光寺史料館
     経蔵(きょうぞう) : 本堂の正面左手(西側)にあり、仏教経典のすべてを網羅した一切経が
      納められている。経蔵内部の中央には輪藏(りんぞう)と呼ばれる独楽(こま)のような形をした
      書庫がある。この輪藏を回すことによって一切経を読んだのと同じ功徳が得られるとされる。
      経蔵内には、釈迦如来像、如意輪観音像、伝教大師像、慈覚大師像のほか、
      輪蔵を考案した傳大士(ふだいし)像が安置されている。
     
     重要文化財の「経蔵」
     
     同上
     
     経蔵方面より本堂を望む
     お戒壇めぐり : 善光寺のご本尊(一光三尊阿弥陀如来)が安置されている瑠璃檀と三卿の間の
      床下に部屋があり、その部屋をロの字型にめぐる暗黒の回廊をめぐることである。
      瑠璃壇床下の何も見えず何も聞こえない真っ暗な回廊を歩き、
      中程に懸かる秘仏のご本尊の身代わりとされる「極楽の錠前」に手を触れてご本尊と結縁を果たし、
      往生の際、極楽浄土にお迎えに来ていただけるという約束をいただく道場である。
      入り口には、タイ国王より贈られた仏舎利(お釈迦様の御遺骨)とお釈迦様の像が御安置されている。
       内々陣の右手を進むと、お戒壇めぐりの入り口がある。
      入り口には、「右手で、腰の高さに壁をなでて・・・」などと案内板がある。
      この入り口から7段の段を下るとお戒壇めぐりのスタートである。
      真っ暗闇の中を、右壁に手を付いて伝いながら歩く。その距離約45mあり、
      真っ暗闇なので相当長く感じる。しっかりと右壁に手を置きながら歩いていると、
      ご本尊の下あたりで極楽の錠前に触れることができる。
      ごの錠前(鍵)に触れることで、極楽浄土行きが約束されるという。
      
      内々陣の奥、右側を進むとお戒壇巡りの入り口がある

     善光寺三門、5色に輝く(長野灯明まつり)
      善光寺が色とりどりにライトアップされる「第5回長野灯明まつり」が2008年2月9日から
     始まるのを前に8日夜、試験点灯があり、5年ぶりに三門がライトアップされた。
      三門は2007年まで修復工事が続いていた。緑の光線で照らされ、15分間に一度、
     青、紫、赤、黄へ色が変わる。照明デザイナーの石井幹子さんは「長野オリンピック10年を記念し、
     五輪の輪の色をイメージしました」という。
      本堂や仁王門などの建物も様々な色でライトアップされる。点灯は午後6〜9時の17日まで。
     
     山門のライトアップ
     
     「ご参拝のしおり」より(原寸は10×21cm)
     
     内陣券の表裏(原寸は7.5×9.2cm)
     参 : 善光寺(公式HP)
    A新善光寺。甲府市にある浄土宗の寺。山号、定額山。
     1558年武田信玄が信濃善光寺の本尊を移して開いたという。
    B新善光寺。北海道札幌市中央区南6条西1丁目にある浄土宗の寺院。
     参 : 新善光寺(HP)
    C甲斐善光寺(かいぜんこうじ) : 山梨県甲府市善光寺3−36−1にある浄土宗の寺院。
     山号は定額山(じょうがくざん)。詳しくは定額山浄智院善光寺(じょうがくざんじょうちいんぜんこうじ)
     称する。長野県長野市にある善光寺をはじめとする各地の善光寺と区別するため
     甲斐善光寺(かいぜんこうじ)と呼ばれることが多く、甲州善光寺(こうしゅうぜんこうじ)
     甲府善光寺(こうふぜんこうじ)とも呼ばれている。
      開基武田信玄公が、川中島の合戦の折、信濃善光寺の焼失を恐れ、
     1558(永禄元)年、御本尊善光寺如来をはじめ、諸仏寺宝類を奉遷したことに始まる。
    Dほか全国に「善光寺」を寺名とする寺院は119寺ある。











































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