植物園関連(YSミニ辞典し)

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小石川植物園(こいしかわしょくぶつえん) : 「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」というのが
    正式名称で、東大の教職員・学生が植物学を実地に研究する教育実習施設である。
    所在地は東京都文京区白山(はくさん)3丁目7番1号。
    面積は16万1588平方メートルで、東京都指定の旧跡となっている。
    園内には約1400種の樹木が栽培されているほか、温室では熱帯・亜熱帯の植物も栽培されている。
    1984(昭和59)年に創立300年を迎えた、日本で最初で最古の植物園である。
    もとは五代将軍の徳川綱吉の別邸だったところを、1684(貞享)年に江戸幕府が
    薬草園(小石川御薬園(おやくえん))として薬になる植物を育てるようになったのが始まりで、
    1875(明治8)年文部省の附属となり、小石川植物園と呼ばれるようになった。
    1877(明治10)年の東京帝国大学の創設とともに大学の附属施設となって
    植物学研究所として一般に公開されるようになり、今日に至っている。
    1897年に初めて園長の官制が設けられ、教授・松村任三(じんぞう)が初代園長に就いた。
    欧米の植物園に倣って、当初より園内を一般にも公開し、
    1895年から定期的に「種子目録」を発行し、新植物の入手や日本植物の海外への紹介に努めた。
    また植物学会が1882年に発足したのもここであった。
    1897年には理学部植物学教室が植物園内に移転し、植物園と一体となり植物学の研究・教育を進め、
    イチョウの精子の発見(1896年平瀬作五郎による)のような画期的な研究が行われ、
    「日本における近代植物学の発祥の地」となった。しかし、1923(大正12)年の関東大震災時に
    心ないしわざのため園の風致は大幅に損なわれ、第二次世界大戦時にも大きな被害を受けた。
     植物園では、その機能を生かした自然史分野を中心とした教育・研究が進められている。
    なお、栃木県日光市に、山地や高山の植物の研究・教育を目的とした
    日光分園(日光植物園、面積10万4850平方メートル)がある。 参 : 日本庭園F23
    
    小石川植物園入口
    
    なぜか入場券(330円)は入口向かいの雑貨店で購入することになっている。
    
    シダ園の標本。園外への胞子の飛散はないのだろうか。
    
    脇枝や雑草が多く感じられた。
    
    
    
    
    
    枯れ枝に生えていた茸
    
    薬草園の花
    小石川植物園の日本庭園
    
    
    
    
    温室 : 温室の一般公開は限られ、原則毎週火・水曜の午後1〜3時までのみ(祝日は入れない)。
    
    
    
    
    
    
植物園(botanical garden)しょくぶつえん : 植物の研究や知識の普及のために、
    多くの植物を収集・栽培・保存、展示し、また標本類を保有している施設のこと。
    植物園は、本来植物学の研究施設であるが、研究部門が発展して大学や研究所として独立したものや、
    逆に、展覧による社会教育だけを目的とする植物園もあり、日本ではとくに後者のタイプの植物園が多い。
    また、世界各地の植物学の研究センターとしての役割を果たしている植物園では、
    絶滅に瀕(ひん)している植物や古い栽培品種などを、生きた状態あるいは種子の状態で
    保存する「遺伝子銀行(gene bank:ジーン・バンク)}、あるいは「種子銀行(seed bank:シード・バンク」
    といった系統保存事業を、研究と並ぶ重要な役割としている。
    参 : 社団法人・日本植物園協会(HP)    
日本一の植物園
順位 植物園(所在地の都道府県) 回答数(人)
新宿御苑(東京) 4319
小石川植物園(東京) 3815
京都府立植物園(京都) 3542
北海道大学植物園(北海道) 3138
神代植物公園(東京)  2897
六甲高山植物園(兵庫)  2331
伊豆シャボテン公園(静岡) 1993
咲くやこの花館(大阪)  1981
名古屋市立東山植物園(名古屋)  1697
10 熱帯・亜熱帯都市緑化植物園(沖縄)  1620
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新宿御苑(しんじゅくぎょえん) : 東京都新宿区と渋谷区にまたがる環境省所管の広大な庭園である。
    都内有数の桜の名所として知られ、また、直木賞作家・大沢在昌の小説「毒猿(新宿鮫2)」の
    舞台にもなったこの公園は江戸時代は雑木林の続く武蔵野(むさしの)台地で、
    信州(長野県)信濃高遠(たかとお)藩主・内藤家の下屋敷のあった敷地の一部である。
    当時は玉川上水が引かれ玉川園とよばれた。1872(明治5)年に国有地となり農事試験場が置かれ、
    1879(明治12)年に新宿植物御苑が開設され、宮内省(現在の宮内庁)の管理するところとなった。
    フランスのアンリ・マルチネの設計によって1902(明治35)年に
    皇室の庭園(純フランス式庭園)として造成され、1906(明治39)年に完成した。
    面積は約58万平方メートルで、西洋庭園・日本庭園と児童遊園のほか大温室があり、
    第二次世界大戦後の1949(昭和24)年に国民公園として一般に開放された。
    入口は、北東の大木戸門、北西の新宿門、南の千駄ケ谷門の3つある。
    園内の東側は西洋庭園で、バラの花壇の左右にスズカケノキ(プラタナス)の並木が続く
    フランス式整形庭園と、広大な芝生広場の周囲にユリノキなどの巨木が茂るイギリス風景式庭園とで
    構成されている。一方、西側は、1772(安永元)年に玉川上水の余水を利用して完成した
    内藤家の庭園の一部に当たる日本庭園で、上ノ池周辺が一番の見どころである。
    一角に立っている旧御綾凉亭(台湾閣)は、皇太子(後の昭和天皇)の
    御成婚を記念して台湾在住邦人から贈られた本格的なビンナン建築様式の建物で、
    設計者は元台湾総督府の建築家であった森山松之助(もりやま・まつのすけ:1869〜1949)である。
    亜熱帯室や熱帯スイレン室などから成る温室は、大木戸門から入ってすぐの所にある。
    新宿門のそばには、園内の四季の解説ビデオなどが見られ、
    休憩所も設けらた新宿御苑インフォメーションセンターもある。
    JR新宿駅の南東約500メートルにあり、北端に新宿通り(甲州街道・国道20号)が通る。
    北東端近くに玉川上水の碑がある。
    例年4月上旬には内閣総理大臣主催の「桜を見る会」が、11月上旬には環境大臣主催の
    「菊を観る会」が開催される。大正天皇・昭和天皇の大喪の礼が執り行われた場所でもある。
    隣接する東京都立新宿高等学校の敷地は、1921(大正10)年に
    この新宿御苑の土地の一部が東京府へ下賜(かし)されたものである。
    開園時間 : 9:00〜16:00(閉園は16:30)
    休園日 : 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)、年末年始(12/29〜1/3)
    入園料 : 大人200円、小中学生50円、幼児無料
    アクセス : 新宿門(正門)へは各線新宿駅より徒歩5〜10分、
            千駄ケ谷門へはJR総武線の千駄ケ谷駅より徒歩5分
            大木戸門へは丸の内線の新宿御苑前駅出口2より徒歩5分
    
    正門入口(新宿門)
    
    新宿御苑の日本庭園
    
    新宿御苑の寒桜
    参 : 新宿御苑公式HP日本庭園
    
























































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