死刑関連(YSミニ辞典)

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刑場(an execution ground)けいじょう : 処刑場。しおきば。処刑をする所。死刑(刑罰)を執行する場所。
    (例)刑場の露と消える。
    日本の刑場 : 死刑囚が収容されている東京、大阪、名古屋、広島、福岡、札幌、仙台の7カ所の
     拘置所の中に、死刑執行の部屋が設けられ、絞首刑が執行されている。
     日本の刑場は隣室から続く床面に落下口が設けられているので
     階段はなく水平に歩いて落下口まで到達できる。
     「階段」や「台」がある場合、被執行者が暴れた場合、執行を行うのに労力を必要とされるからである。
     またごくまれに首にかけた縄が死刑執行のときに外れてしまう場合がある。
     東京拘置所は2階建ての構造で、首に縄をかけられた死刑囚が2階の板の上に乗り、
     板が開くと約4メートル下の1階部分に落ちる。刑務官が板を開けるための押しボタンは別室に3つあり、
     どれで開いたかは分からない仕組みになっている。予備のレバーで開ける場合もあるという。
     執行の直前に教誨師が死刑囚と会う部屋は隣接しており、検察官らは執行をガラス越しに確認する。
    
    東京拘置所の刑場図
    外国の刑場 : 死刑を存続させている外国においても、刑場は拘置所や刑務所の中に設けられている
     場合がほとんどであるが、中国や一部のイスラム諸国においては、公開処刑も行われている。
    参 : 死に神A16、[YouTube](千葉景子法相、死刑執行刑場を公開)、
        ATETOP.COM](東京拘置所内部公開 刑場)
絞首刑(a hanging、the gallows、death by hanging)こうしゅけい、デス・バイ・ハンギング
    絞殺刑(こうさつけい)とも呼ばれ、死刑の一種で、絞首して殺す刑罰である。
    日本では、古く律令法において「絞」という呼称で呼ばれ、現在の日本における死刑の執行も、
    絞首による方法で行われ、落下のエネルギーを用いて刑が執行されるので、
    より細かい区分では「縊首(いしゅ)刑」とも言う。
    輪になった縄(ロープ)に死刑囚の頭を差し入れさせ、のちに足元の床を開放させることで行なう。
     人間の頚(くび)には、前頚部に頚動脈、後頚部には脊椎動脈の2本の動脈があるが、
    ロープを頚にかけ、受刑者の体重を用いて頚部を圧迫し、
    これによって頚部の動脈を閉塞してに急性貧血を生じさせ、速やかに死をもたらす。
    一般に絞頚開始から8〜12秒で意識不明に陥るといわれている。落とし戸を用いる場合は、
    落下距離を十分とれば落下時の衝撃で受刑者の頚椎が折れて瞬時に意識を失うとされている。
    参 : A16
     
    絞首刑は限りなく残虐(2011.11.9、msn産経ニュースより一部引用)
     元最高検検事・土本武司(つちもと・たけし)氏は、死刑制度を採用する各国で現在、用いられている
    方法のうち軽いものから順に挙げれば、薬殺(注射刑)、電気殺、ガス殺、銃殺、斬首、絞首刑−
    となるというが、すでになくなっている「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆで」の方がもっと苦しむでしょう。
    絞首刑は、近代文明前から、縛り首の刑罰として自然発生的に生まれてきた。しかし、
    (1)受刑者に過大な衝撃を与える(2)絶命までに長時間を要する(3)方法が陰惨である−
    などから、斬首よりも残虐な刑罰とされてきた。
     第一に、絞首刑は受刑者に不必要な肉体的、精神的苦痛を与えることにならないかという点だ。
    かつては、絞縄を回した頸部に体重が作用した瞬間、受刑者は人事不省に陥って意識を喪失し、
    苦痛を感じないと説かれていたが、近時の法医学は、それは誤りであると証明している。
    絞縄を「適切」な位置に置いても、落下時の衝撃で「不適切」な位置に移動することがあって、
    「死ぬに死ねないで苦しむ」という状態が生じ得る。
     第二に、不必要に受刑者の身体を損傷しはしないか、である。踏み板が開いて落下するとき、
    頭部が離断したりする。絞縄が伸びきるまでに落下したときの衝撃は、絞縄がかかる首に集中する。
    外観は損傷がなくても、頸部の内部臓器が破壊されている例が少なくない。
    受刑者ごとに、頸部離断という事態の発生の有無を事前に予見することは不可能なのである。
     第三に、一般人に惨(むご)たらしいとの心情を抱かせはしないか、だ。受刑者に肉体的苦痛を
    与えないようにするだけなら、ギロチンのような、瞬時に首が切断される方法の方がましだろう。
    しかし、道義的、文化的な視点からも配慮しなければならない。
    現行の絞首刑方式は、死者の名誉を含め人間の尊厳を害する要素が少なくない。
     総合すると、絞首刑は限りなく「残虐」に近いものだと言わざるを得ない。
    憲法36条は残虐な刑罰を「絶対」に禁じている。例外のない、程度の差を問わない趣旨として
    理解しなければならない。残虐な手段で被害者を殺害した犯人を、残虐な方法で刑に処すことは
    刑罰の応報性、罪刑均衡の原則からしても、許されるべきであるという主張は、多くの人の共感を呼ぶ。
     土本氏も述べられているが、憲法31条の反対解釈によって、
    「法律の定める手続き」に従う限り死刑は許されており、内閣府の世論調査で、
    国民の85%超が存置を支持しているからだ。死刑の是非が国民多数の正義感情、
    法的確信に基づき決されるべきであることは言うまでもないことを主に論じるべきで、
    被害者の肉体的苦痛、家族・親族の精神的苦痛はどうなのだ。
    何の罪もないあなたの妻や子供が街で物取りに刺されて苦しみの末に亡くなられたとしたら、
    「犯人を苦痛の少ない薬殺の死刑にしてください」と言えるのだろうか。
    ほとんどの家族は「殺された同じ方法で死刑にしてください」と願い出るそうだ。
    土本氏は過去に受刑者を死刑にした罪滅ぼしに発言しているとしか思えない。
    こんなことより、「絞首刑での死刑廃止運動」から法律を変えることが先決問題でしょう。

死刑(capital punishment、death penalty) : 犯罪者の生命を絶つ刑罰(生命刑)の一つ。
    現行刑法の規定する主刑の一つで最も重いもの。現在、日本は死刑存置国であり、
    刑事訴訟法によると、死刑執行は法務大臣が「死刑執行命令書」に署名押印してから
    5日以内に行われ(第475条第1項)、死刑執行は死刑判決の確定から
    6カ月以内に絞首して執行すると定められている(第475条第2項)。
    実際は死刑確定後、執行までに数年から10年以上かかることが多く、
    未執行の死刑囚は2010年10月末現在で107人いる。
    死刑選択の判断 → 永山基準(別掲)
    死刑や終身刑をめぐる世論 : 内閣府が2009年11〜12月に実施した世論調査では、
    死刑を「やむを得ない」と容認する人の割合は過去最高の85.6%を占めた。
    「どんな場合でも死刑は廃止すべきだ」は5.7%、「わからない・一概に言えない」は8.6%だった。
    終身刑に関する質問や選択肢は盛り込まれなかった。
    朝日新聞が2008年12月に実施した世論調査では、終身刑導入への賛成が74%で反対は17%。
    終身刑ができた場合も死刑制度を存続させたほうがよいかを問うと、
    「存続させたほうがよい」が62%で、「廃止したほうがよい」は30%だった。
     罪も落ち度もない人を理不尽に殺す死刑囚には、
    私を含め「奪われた命の代償は加害者の命でしか償えない」という考え方が多いのでしょうね。

    参 : 刑事訴訟法(法律)、再審請求
    
    確定から執行、平均7年5カ月
     法務省の小津博司刑事局長は2006年10月26日の参院法務委員会で、
     死刑判決が確定してから執行されるまで平均7年5カ月かかっていることを明らかにした。
     1996年から2005年までに執行された元死刑囚について調べた。
     死刑執行には、法相が命令書に署名することが必要で、刑事訴訟法は再審請求などが
     あった場合を除き、判決確定から6カ月以内に命令しなければならないと規定している。
     小津氏は、執行の遅れについて「人命を奪う刑罰のため、機械的に6カ月以内に執行することが
     妥当を欠く場合もあり、慎重を期している」と説明。再審請求中などの理由で、
     数人の拘置期間が20年を超えていることも明らかにした。
     杉浦正健前法相は「心の問題、哲学の問題」と理由を説明し、死刑執行命令書への署名を拒み、
     在任中に死刑を執行せず退任したことのアンケートでは、82%の人が理解できないと回答しているし、
     長期に渡り審理を行い最高裁で死刑が確定しているのに、こんな法相がいるから
     死刑執行まで7年も余分にかかることになるのだ。杉浦正健前法相の後任になった安倍内閣の
     長勢甚遠法相は26日夜、初閣議後の記者会見で「死刑執行は大変重い問題だが、
     法治国家では確定した裁判の執行は厳正に行われるべきだ。
     法の規定に沿って判断していきたい」と述べた。この判断こそ法務大臣の使命に沿ったものである。
      鳩山法相の死刑自動化発言について朝日新聞は2007年10月7日の社説で、
     「そんな軽い問題ではない」と題目にあげているが、すでに長期にわたった裁判で死刑が
     確定されているものを6カ月以内に執行するのであるから、確定順の死刑自動化は何ら問題はない。
     死刑判決の確定後、法務省は裁判記録をもう一度調べ、判決に疑問はないか、
     念には念を入れているし、躊躇する法相でも6カ月もあれば判子を押すことは難しいことではない。
     1993(平成5)年、3年余り執行されなかった死刑を再開した後藤田正晴元法相は、
     「私に与えられた使命を、一方で非常な悩みを持ちながらも、
     法務大臣の権限でおれはやらぬというわけには、私はできない」と延べ、
     また「裁判官に死刑判決という重い役割を担わせ、それを法務大臣が執行しないというのでは、
     国の秩序がもつんだろうか」と国会で述べているが、死刑制度の秩序を保つためにもこうあって欲しい。

    死刑執行絞首刑
     欲望や感情が理性を超えて殺人を犯すと、次のような死刑が待っているので、
     手段に訴える前に先のことをよく考えましょう。
     昔の刑場は13階段を上っていたが、今は平らな場所で床が地下に落下する方式を採っている。
     階段を上る途中で失神する者が多かったからだ。
     目隠しをし、両手両足を縛り、床の上に立つと、5人の執行官が同時に5つのボタンを押す。
     こんな大掛かりなことをしないで、望めば被害者の家族がボタンを押してもよいと思う。
     誰が押したボタンで床が落下したかわからないような配慮はいらない。

     落下と同時に医務官がストップウオッチを押す。心音停止まで平均14分。
     立ち会った拘置所幹部や検察官が死亡を確認して「儀式」は終わる。 参 : 死に神A16
    
    幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚(43)が2006年2月の死刑確定後、
    月刊誌「創」の篠田博之編集長あてに「絞首刑は恐怖で残虐。薬を使った執行でなければいけない」と
    記した手紙を母親経由で出していたことが2006年6月6日に分かった。
    死刑について宮崎死刑囚は「踏み板が外されて落下する最中は恐怖のどん底に陥れられる。
    人権の軽視になる」残酷に殺した幼女の人権は無視し、人権の軽視などとよく言えたもんだ。
    「職員から『今日執行されます』と告げられてから恐怖を抱くという残虐な目に遭う」
    『今日、薬で刑の執行を行います』と告げられても恐怖心は変わらない。
    「法律は残虐な刑罰を禁じている。薬で意識を失わせ、心臓を停止させる方法にしなければいけない」と
    書いている。日本の法律で死刑は絞首刑としていることから、法律では残虐な行為とみていない。
    死刑制度容認85・6%、「廃止」大幅に上回る<内閣府調査>(YAHOO!ニュースより)
     死刑について、「場合によってはやむを得ない」と容認する声が85%を超え、
    否定的な意見を大幅に上回っていることが2010年2月6日、
    内閣府の発表した「基本的法制度に関する世論調査」で分かった。また、政府の法制審議会で
    「廃止」が検討されている殺人などの公訴時効についても初めて調査され、54・9%が「短い」と回答。
    結果について、法務省は「死刑は肯定的に受け止められ、
    時効制度見直しも求められている」と説明している。
     調査は2009年11月〜12月、全国の成人3千人に面接で実施。64・8%(1944人)から回答を得た。
     死刑制度について、「場合によってはやむを得ない」と肯定する回答が85・6%で、
    「どんな場合でも廃止すべきだ」の5・7%を大幅に上回った。平成16年の前回調査で肯定したのは
    81・4%で、約4ポイント増。死刑についての世論調査は昭和31年から9回目で、
    質問はやや異なるものの、死刑容認派は今回が過去最多だった。
     死刑容認の理由(複数回答)では、「被害者や家族の気持ちが収まらない」
    「凶悪犯罪は命をもって償うべきだ」「廃止すれば犯罪が増える」が多かった。廃止の理由(同)では
    「生かして償いをさせた方がよい」「裁判に誤りがあったとき、取り返しがつかない」との回答が目立った。
     死刑を容認するうちの約6割が「将来も廃止しない方がよい」とした。
     一方、殺人など死刑の可能性がある重大犯罪が25年で時効となることについて、
    「短い」と考える人は54・9%で、「長い」とした10・0%を上回った。
    「短い」と答えた人に見直し策を聞いたところ、49・3%が「時効廃止」と答えた。
     「短い」と答えた理由(複数回答)では、
    「時間の経過で犯人が処罰されなくなるのはおかしい」(79・8%)が最多。
    「長い」と答えた理由(同)には、「正しい裁判を行うための証拠が集めにくくなる」などが挙げられた。

    「密行主義」は抑止力高めぬ
    (朝日新聞2007.10.22「声」より、京都市伏見区の大学生・吉田 一紀さん(23歳)の投稿文紹介)
     生存死刑囚は現在、103人だそうです。法務省は何とかして2けた台に戻したいと思っているらしく、
    長勢甚遠前法相は任期中、10人の死刑執行にサインをしました。
    日本は死刑制度を認めているのだから、署名は当然だと思います。
    ただ、現行の死刑制度には、改善してもらいたい点があります。
     わずかな情報しか公開されずに、こっそりと執行されたのでは、死刑という刑罰の持つ意味や
    恐ろしさが世の中に伝わりにくいと思うのです。悪いことをしたら死刑になると言われても、
    それがどんなことなのか理解しにくいのではないでしょうか。
     法務省は現在の「密行主義」を改め、
    いつ、どこで、誰が、どのように執行されるかを明らかにすべきです。
    場合によっては遺族らの立ち会いや、ジャーナリストの取材等を一部認めてもよいと思います。
    そうすれば死刑の持つ犯罪抑止力も高まるのではないでしょうか。
     その上で改めて死刑制度の是非を論じた方が、国民の理解も得やすくなると思うのです。
    被害者のつらさ、まず考えるべき
    (読売新聞2010.9.19「気流」より、東村山市の主婦・桜井 陽子さん(64歳)の投稿文紹介)
     新聞に掲載された刑場の写真を見て、「死刑囚はどんな思いでこの場に立つのだろう」と考えた。
    当然、恐怖心もあるだろう。しかし、被害者や遺族は、もっと苦しくつらい思いを耐えている。
    そのことに思いをいたすべきで、自分の犯した重大な罪を償うしかない。
     坂本堤弁護士一家殺害事件など、罪もない人たちを殺害した犯人を許すことはできない。
    遺族が心ない言葉を浴びる二次被害も起きている。自分の家族や知人が
    犯罪に巻き込まれることを思い浮かべれば、死刑制度は必要という考えになるのではないでしょうか。
    命で償う考え方、犯罪抑制に効果(読売新聞2010.9.19「気流」より、
    和歌山県紀美野町の主婦・助野 貴美子さん(56歳)の投稿文紹介)
     私は死刑制度の廃止に反対だ。人生の半ばで突然、理不尽に命を奪われた
    被害者やその家族の心中を思う時、犯罪者の命が大切だからといって、
    死刑を廃止するという議論はどこかおかしいのではないか。
     奪われた命の代償は加害者の命でしか償えないという考え方もできるし、
    犯罪を抑制する効果もあると思う。死刑制度の廃止で「他人を殺しても、自分は死ぬことはないだろう」
    という考えが広がれば、大変なことになるような気がする。
    法相は死刑執行をためらうな
    (朝日新聞2011.12.2「声」より、山口県下関市の上野 博さん(75歳)の投稿文紹介)
     オウム真理教が起こした一連の刑事裁判が終結した。
    元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚が逮捕されてから、今回の遠藤誠一被告への
    死刑判決の宣告まで実に16年半の歳月がかかり、計13人の死刑が確定した。
     しかし、確定した死刑の執行は法相の権限に委ねられている。
    死刑廃止論者の千葉景子元法相の時も問題になったが、平岡秀夫法相も死刑執行には消極的であり、
    もしかしたら今年は死刑執行のない年になるかも知れないと言われている。
     わが国の憲法には、司法・立法・行政の三権分立が明記されている。
    法治国家であるわが国の最高裁判所が下した判決は「重くかつ権威のあるもの」と、私は思っている。
     6千人以上が死傷した地下鉄サリン事件について、
    最高裁判所は「教団の組織防衛を目的に法治国家への挑戦として組織的・計画的に行われた。
    反社会的で、残虐・非人道的な態様と結果の重大性は比類がない」と厳しく非難している。
    一法相の意にそぐわないとして、確定した死刑の執行を先延ばしにするようなことがあれば、
    法相自身が法律を犯していることになる。そのような法相は、自らその職を辞するべきである。
     死刑執行に消極的な議員を、なぜ法務大臣に指名するのだろうか。
    死刑が確定してから6カ月以内に執行することになっている法を守らない法相は、法相の資格はない。

    死刑執行19年ぶりゼロへ<法相、年内命じぬ見込み>(2011.12.28、朝日新聞より抜粋)
     2011年は、年間を通じて1件も死刑が執行されない年となることが、法務省への取材でわかった。
    2010年7月に千葉景子法相(当時)が民主党政権下で初めて執行した後は途絶えており、
    1992年以来、19年ぶりに「執行ゼロ」の年となる。
     刑事訴訟法の規定では執行には法相の命令が必要で、命令があってから5日以内に行われる。
    複数の同省関係者によると、平岡秀夫法相が年内に執行を命じる動きはないという。
     平岡法相は27日の閣議後の記者会見で、年内の執行について「検討しているかは答えを差し控える」と
    したうえで、「人の生命を絶つ極めて重大な刑罰で、慎重な態度で臨む必要がある」と述べた。
    19年ぶりに執行のない年になる可能性を問われ、
    「それ自体に大きな意味があるとは受け止めてはいない」と語った。
     慎重かつ綿密な捜査・裁判などを経て、長期にわたって最高裁判所が下した判決は
    「重くかつ権威のあるもの」で、確定した裁判の執行は厳正に行われるべきだ。
    死刑執行は、国の法律で死刑判決の確定から6カ月以内に絞首して執行すると定められているのに、
    法を守るべき平岡秀夫法相は「人の生命を絶つ極めて重大な刑罰で、慎重な態度で臨む必要がある」と
    いうだけで、国の法律に逆らっているのだ。1件も死刑執行をしなかった死刑廃止派の
    江田五月前法相といい、法相の心情によって死刑が左右されることがあってはならない。
    民主党の首相はなぜこんな法律破りの法務大臣を次から次へと任命するのだろうか?

死刑囚(しけいしゅう) : 裁判で死刑の確定判決を受けた囚人に対する称で、
    死刑が執行されるまで行刑施設(拘置所など)内で身柄を拘束され、刑の執行を待ち続ける人のこと。
    死刑執行日は当日まで伝えられないため、文献によると、獄中に居る間は、毎日恐怖の連続だという。
    また死刑は自らの生命と引換に罪を償う生命刑とされることから、
    死刑執行されるとその称は「元死刑囚」となる。
    なお、死刑囚は古今東西の国家で普遍的に見られたが、21世紀初頭現在、
    国際社会の過半数の国家が、国際連合の定めた死刑廃止条約に批准したため、
    死刑が廃止されている国家も多いため、当然のことであるが、
    死刑囚が現在も存在するのは死刑制度存置国家に限られている。
     法務省によると、2010年9月13日現在、収容されている確定死刑囚は107人。
    戦後、執行された死刑囚は668人。
    2000〜2009年に執行された46人の確定後の平均収容期間は約5年11カ月。

    死刑囚、消えた最後の晩餐(2011.9.27、msn産経ニュースより)
     米テキサス州は、死刑執行直前の死刑囚に、最後の食事だけ好きな注文を認めるという、
    長く続いた制度を廃止した。 米メディアなどによると、最近執行された死刑囚がチキンステーキや
    チーズバーガー、バーベキュー、ピザ、アイスクリームなどを山ほど頼んでいたことがきっかけ。
     廃止を求めた州上院の有力議員は「死刑囚にそんな恩恵を与えるのは不適切。
    彼らは被害者に恩恵を与えなかったじゃないか」と訴えた。
死刑廃止論(the abolition of the death penalty)しけいはいしろん : 死刑制度廃止論。
    日本の現行法において、犯罪者を絞首により生命を絶つ刑罰である死刑制度は止めようとする
    議論のこと。日本の死刑廃止論者の多くが「誤りがあったとき取り返しがつかない」ことから、
    「誤判の危険だけでも死刑は廃止すべき」だとの理由が決定的な論点として挙げられている。
    死刑擁護論者が掲げる論点
    @人を殺したものは、みずからもまた殺されなければならない。
    A死刑には威嚇作用があり、凶悪犯罪の防止に十分役立っている。
     現在でも刑務所を出たものの、生活ができないから人を殺すという再犯があるのに、
     死刑がないと殺人犯は何十万にもなる可能性があり、彼らが死ぬまで税金で賄うことになる。
    B極悪な犯罪者に対しては、死刑によって社会から完全抹殺をはかるしか公共の安全は保たれない。
    C被害者とその遺族の感情を慰め、彼らの私的復讐が避けられ、復讐欲求を満たすためにも、
     国家は被害者になりかわって生命的報復を犯罪者に加える必要がある。
    D世論が死刑を支持している以上、国民の法感情からも死刑は必要である。
    E凶悪犯罪が今なお行われている以上、死刑廃止は時期尚早である。
    F廃止論者は国家が国家の名で殺人を行うというが、犯罪者は罪を犯した人であり、一般人ではない。
     だから、国家は殺人を行うことにはならず、犯罪者の生命を絶つ刑罰である。
    死刑廃止論者が掲げる論点
    @死刑は憲法違反(13条、36条)であり、生命の尊厳という道徳律に反し、それを愚弄するものである。
    A死刑にはいうほどの威嚇作用はなく、凶悪犯罪の防止には充分役立っているとはいえない。
    B死刑は教化・矯正を目的とする近現代の刑事政策や行刑制度とは相容れない問答無用の刑罰である。
    C死刑は何よりも残忍であり非人道的な刑罰である。
    D死刑は客観的に適用されていない、不公平な制度である。
    E死刑は取り返しのつかない刑罰であり、誤判が判明しても救済のすべがない。
    死刑廃止論のおもな論拠(赤字は反対論)
    被害者の恐怖と苦痛、そして残された遺族の悲嘆と無念を考えると、極悪な犯罪を強行した者には
    極刑をもって臨むよりほかにないとする死刑存続論者の一人である私ですが、
    下記はそれらの是非について、主にインターネットから集約したものです。
    (1)人道主義的立場から(可謬性の議論) : 死刑執行の残虐性。死刑は何の解決にもならない。
      人を殺すことは人道に反し野蛮である。国家でも人を殺すことは許されない。
      これはキリスト教の思想から出発したもので、神の名において人が人を殺すことがあってはならない
      という考え方に基いている。その通りで、某大学教授が学会で「死刑廃止には学問的根拠がない。
      あるのは宗教的根拠だけである。私は学問的には死刑存置論者で、宗教的に廃止論者である。
      それでももし冤罪で私が死刑になったなら、それは多くの犯罪者を裁くための礎として、また正しく
      死刑が執行されるためのやむをえない副作用として、従容として刑に服する」と述べられている。
      「戦争ではテロは解決しない」と言われるように、死刑も何の解決にもならない。
      刑罰はあくまで刑罰であり、精神的・経済的満足感や被害者の復活を約束するものではない。
      死刑やその代替刑罰によって物事を解決しようとする考えには、得るところがない。
      「人道」すなわち「人間である以上誰でも守るべき道」の根本は、他人の人権と自分の人権は
      同じであることを認識することだ。従って、それを理解できず守れずに
      他人を殺害するような人間に人道上の保護を論じる問題ではない。
      残虐さは「処刑の仕方」にあり、火あぶり・はりつけ、さらし首、釜ゆで、のこぎり刑、などでの
      処刑は「残虐」に相当するが、現行の絞首による処刑は残虐であるとは言えない。

    (2)教育刑の思想から(被告の人権尊重) : 被害者保護の不十分性。
      死刑が犯罪の抑止力にならない。悪質な犯罪者でも更正の可能性がある。
      死刑を廃止しても悪質な犯罪が増加するとは思わない。
      刑罰は犯罪者を社会復帰させるための教育であるという思想から、死刑はこれに矛盾するという
      考え方で、あわせて死刑に犯罪を防止するための威嚇力がないことも主張されている。
      被告の人権云々を言い出す前に一方的に人権を踏みにじられ、
      取り返しがつかなくなった被害者や家族の人権についても同等以上である。
      「何をやっても死刑にはならない」 という保証を与えるのは教育の放棄である。
      何の落ち度もかかわりもなく殺された人の無念さを思う時、「教育罰の効果の議論」は
      不要であると考える。つまり「死刑は応報罰なのだ」ということでも良いのではないか。

    (3)誤判を理由とする(回復不能性の議論) : 冤罪の可能性。誤りがあったとき取り返しがつかない。
      裁判が人によって行われる限り、誤判の可能性があり、
      死刑が宣告され執行されたあとになって誤判であることが分かった場合には取り返しがつかない。
      最高刑を無期懲役にしておけば、冤罪だと分かった場合、金銭その他の補償が可能だが、
      いったん死刑にしてしまったら、その命を復活させることはできない、という主張。
      「人間の死という、完全な補償が不可能な結果をもたらす決定を、
      国家権力は行うべきではない」という主張だからだ。
      どこの国でも、死にたくもないし、人を殺す戦争には行かないという人も、国家権力で召集される。
      死刑相当と司法が判断する犯罪者には、その判断に基づいて死刑が宣告され、
      刑が執行されるべきだ。誤判はすべての刑罰の場合にあり得ることであり、
      誤判の危険を重視しすぎると、すべての刑罰を否定しなくてはならないことになる。
      長期間の懲役であっても、冤罪により失った時間は取り返しがつかない点で同じである。
      冤罪による死刑があったと云われるのは遠い昔のことで、現在では暴行・拷問による自白強要はなく、
      早期の現場検証や血液鑑定、AB鑑定、DNA鑑定など高度な科学捜査によることや、
      また疑わしきは罰せずの原則もあり、冤罪による死刑など有り得ないのである。

    (4)被害賠償の観点から(死刑に代わる刑罰) : 代替案としての終身刑の導入など、
      生かしておいて罪の償いをさせる。犯罪者を死刑に処するよりは、
      一生働かせて損害を賠償させる方がよっぽど合理的だとする考え方。
      被告が死刑にされると被害者への経済的補償が十分になされない可能性があるというが、
      速やかな死刑執行は無期刑よりもはるかに経済的なのであるから、その差額を補償金にあて、
      その他国が援助すればよい。いたづらに執行を引き伸ばすはうがよほど損失が大きい。
      無期懲役では、10年服役すると仮出獄が可能であるということにある。すなわち、
      凶悪犯罪者でありながら、わずか10年で社会復帰というのは
      刑として軽すぎ社会や被害者の遺族の感情にそぐわず、再犯の恐れがでてくる。
      死刑囚を長期にわたり税金で養う必要はなく、現実に、受刑者や死刑囚の一人当たりの
      1カ月分の経費は21万円かかり、これすべて税金で賄われている。
      死刑廃止により30歳での死刑囚10万人が終身刑として80歳まで生きたとして、
      国家の損失も小さいとはいえない。

    (5)死刑執行人の苦悩 : 5人の刑務官のボタンによる刑の執行が行われており、
      誰が執行したが分からないような配慮までされている。
      死刑執行に限らず、仕事はすべて苦悩がつきものである。
      職務なら遂行するのが当たり前のことで、それができないなら、職を辞せばよい。

    (6)世界の現状(世界的な廃止論の高まり) : 死刑制度は世界のすう勢からもかけ離れた、
      野蛮な行為であり、国家による殺人を認めてはならない。2004年4月6日現在で、
      117カ国が死刑を法律上または事実上廃止していて、残り78カ国が死刑を存置し適用している。
      先進国は死刑を廃止する傾向にあると言うが、死刑廃止は実にキリスト教国の潮流であって、
      死刑廃止運動にしても、ほとんどが宗教的なものである。

    死刑存続論のおもな論拠(赤字は反対論)
    (1)応報観念から : 人を殺した者はその生命を奪われなければならないというのは、
      なお一般の人々が有する法的な確信であるとするもの。
      コミュニティ内での殺人は絶対のタブーであり、殺人者は、所属するコミュニティのルールに従って
      裁かれ、基本的に死刑となる。これは、何千年も前から続いてきた、人類共通のルールである。
      故意だろうと過失だろうと、亡くなった者が還って来ない点では結果は全く同じであるのに、
      なぜ故意による殺人犯には死刑が適用され、交通事故や労働災害のような過失致死には
      死刑が適用されないのか。
については、死にたくない人を殺すつもりで殺したことと、
      死にたくない人を殺すつもりがなくて過失によって殺した違いである。
      したがって、過失致死にも死刑を適用する考えは全くない。
      死刑は実質においては、殺戮である。については、死刑の元となった殺人は殺戮ではないのか。
      同じ不正でも、ある人が無実の者を「意図的」に殺害する不正と、誤判による死刑において、
      国家が無実の者を「事故的(非意図的)」に殺害する不正とは同一視できない。
    (2)威嚇効果から(死刑制度の犯罪抑止力) : 重大な犯罪に対しては死刑をもって威嚇することが
      必要だとするもの。死刑制度があるからこそ治安が良いこともあげられる。
      死刑という刑罰が罪を犯そうとする者に犯罪を思いとどまらせる力、つまり犯罪抑止力をもっている。
      死刑制度が廃止されることで凶悪犯罪が増加し、それにより一般市民の生命が脅かされる。
      死刑は完全には抑止力がないとしても、刑事学上、犯罪の予防は一般予防と特別予防に
      分類され、一般予防効果が証明されているとは言えないことは事実である。
      しかし、死刑の特別予防効果は絶対である。実際に、死刑にしておけば次の犯罪は
      起きなかったと言う事例がいくつもある。この絶対の特別予防効果を無視することはできない。
      死刑を廃止した国においても刑事政策上否定的な結果を生んだという事例は
      報告されていないという事実があり、死刑制度には犯罪抑止効果は存在しない。

    (3)完全淘汰から : 凶悪な犯罪者は、社会から完全に隔離し淘汰すべきだとする考え方。
      お礼参りや再犯があまりにも多い。
    (4)誤判可能性の否定 : 現在の日本の死刑制度においては、誤判の可能性は全く存在しない。
      死刑廃止論者が、わたしは交通事故が起こって死者がでることは非常に残念だと思うが、
      たまにはあっても仕方がないと思う。と言っているが、それは殺人もたまにはあっても
      仕方がないに通じるもので、本来交通事故もたまにもなくすべきで、誤判はたまにもあっては
      いけないのだ。たまにもあってしかたがないのは、隕石の落下や地震などの天災だけなのだ。
    (5)回復不能性に関する反論 : 誤判の回復不能性は、死刑に限るものではなく、
      他の刑罰にもあてはまる。誤判論を認めると、例えば自動車交通などの制度も、
      同じ根拠から廃止しなくてはならないことになる。
    死刑執行の一時停止を求める決議案採択、日米中は反対
     国連総会第3委員会(人権)は2007年11月15日、死刑執行を一時停止するよう
    加盟国に求める決議案を賛成99、反対52、棄権33で採択した。日本、米国、中国などは反対した。
    決議案は12月の総会本会議に上程され、採択される見通しだが、法的拘束力はない。
     決議案は欧州連合(EU)など計87カ国が共同提案した。
    総会では1970年代に死刑制度廃止を望ましいとする決議が2度にわたって採択されているが、
    国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは今回の決議案は死刑廃止に向け、
    踏み込んだ決議案として評価している。
     決議案は、死刑存続に「深刻な懸念」を表明し、死刑制度を維持している加盟国に
    死刑廃止を視野に執行の一時停止を要求。死刑の適用を減らすことも求めた。
    また、国連事務総長に2008年の総会で同決議案の履行状況に関する報告を要請した。
     日本の神余隆博次席大使は、国民の大半が死刑を支持しており
    「制度廃止に踏み出すことは困難」と反対理由を説明した。
    死刑執行の氏名を公表、法務省方針、被害者感情を重視
     法務省は2007年11月29日、死刑を執行した死刑囚の氏名を公表する方針を決めた。
    死刑執行の公表内容を変更するのに法改正などの手続きは必要なく、
    次回行う死刑執行時からスタートさせる。同省はこれまで死刑囚の家族らへの配慮などを理由に、
    死刑執行直後に執行した事実と人数を公表するにとどめ、
    死刑囚の氏名は公式には明らかにしてこなかった。
    犯罪被害者の立場を重視すべきだとの世論などに後押しされた形で、
    死刑執行をめぐる情報公開が大きく前進することになった。
     法務省はかつて、死刑を執行した事実すら公表せず、1900(明治33)年から毎年発行してきた
    「矯正統計年報」で、過去1年間に執行された総数や男女別数、執行した拘置所を掲載するだけだった。
    このため、年報が発行されるまでに執行の事実が判明するのは、
    報道機関などの独自取材や調査によるケースが多かった。
     現在のように執行の事実と人数を公表するようになったのは小渕内閣時代の
    1998(平成10)年11月以降で、死刑制度への国民の理解を得るためには
    可能な限りの情報の公開が必要だとの判断によるものだった。

    国連決議守り死刑の廃止を
    (2008.4.17朝日新聞「声」より、長崎市のカトリック司祭・水浦 征男さん(66歳)の投稿文紹介)
    鳩山邦夫法務大臣が、3回目の死刑執行を命じた。
    昨年8月の就任から、わずか8カ月の間に10人もの死刑囚を殺した。驚くべき大臣である。
     今、世界では国連加盟国のうち、133の国が法律上あるいは事実上死刑を廃止している。
    先進国で死刑があるのは日本とアメリカ合衆国だけである。
    ヨーロッパの先進諸国が集まった欧州連合(EU)では、EUへの加盟条件に「死刑廃止」をうたっている。
    国連も昨年末、死刑廃止の総会議決を行っている。
     死刑には凶悪犯罪を防ぐ効果はないというのが、刑事学の常識と聞いている。
    鳩山法相はもっと目を見開いて、死刑とはどれほど野蛮な行為かということを学んで欲しい。
     死刑は国家による殺人である。命の大切さに例外はない。本当に死刑を執行したいのなら、
    法務大臣は、執行前にその死刑囚と会って、じっくり話を聞いたらどうか。
     日本は死刑制度を存続している法治国家です。
    大罪を犯した者が日本国の法にのっとり、長期の裁判を経て、決定された罰を受けたまでのことで、
    「法相が死刑囚を殺した」や「死刑は国家による殺人」はないでしょう。
    命の大切なのは何の関係もないのに殺された人も同じで、死刑囚が殺さなかったら
    被害者も遺族も出ないわけで、私は悲しみと怒りの遺族に代わって国家が代行してくれたと思っています。
    法相の死刑執行命令は大臣としての責務なので、死刑囚と会うことなど全く必要ありませんが、
    もし、あなたの家族が何の罪もないのに殺されたら、犯人とじっくり話し合えますか?
    野蛮な行為というのなら、罪のない一般人を大量殺戮したカトリック教徒の多いアメリカの
    原爆投下の方がよほど野蛮な行為でしょう。原爆を落としたB29の搭乗員たちは「真珠湾の報復であり、
    絶対謝罪はしない」や「戦争の早期終結により両国の被害を抑えた」などと言っていますが、
    殺人よりひどい大量虐殺でしょう。
     死刑制度廃止の運動なら結構なことですが、死刑制度そのものへの口撃はやめて欲しい。
    死刑を日本国家の殺人と言うくらいなら、軍の施設ではない一般国民をターゲットに、
    運よく生き残ったとしても一生を後遺症に苦しむことになったアメリカの原爆投下や、
    戦争終結後もいわれなき重労働を科し、多くの日本人を殺した旧ソ連の行為の方を
    国家の殺人としてカトリック司祭であるあなたから「声」からでも謝罪要求をしてほしい。
    私が仏教徒だからカトリック教に反論しているのではなく、
    仏教徒の多い中国のチベットへの侵略も野蛮な行為だと思っています。 
参 : A16
    正義の名の下に命を奪えるのか
    (読売新聞2010.9.19「気流」より、熊本県玉名市の高校生・永田 圭典さん(17歳)の投稿文紹介)
     日本では死刑制度に賛成する人が多いが、私は断固反対だ。
    そもそも、死刑制度は本当に、殺人や凶悪犯罪の防止に役立っているのだろうか。
     確かに、犯罪被害者や遺族の心情を酌めば、死刑は意味があるのかもしれない。
    だが、死刑制度は正義のためなら人の命を奪っても構わないという考え方に立つ、
    国家による殺人ではないだろうか。
    いかなる理由であれ、人が人を殺すということは、絶対的な悪で決して許されないことだと思う。
     裁判員制度も始まった今、命の尊さや死刑について、
    広く国民全体で考えてみる必要があるのではないか。
     被害者に罪も落ち度もないのに加害者が人を殺すのは、絶対的な悪ではなく許されるのでしょうか。
    あなたの両親や兄弟がある日突然に殺された場合、加害者の命の尊さを考えますか?
    私は、何の罪もない死にたくない人を1人殺したら、
    奪われた命の代償は加害者の命で償うしかないとする一人です。

中国の死刑制度(ちゅうごくのしけいせいど) : 中国の死刑。
    執行方法は公開銃殺刑が基本であるが薬殺刑も一部で導入されつつある。
    中国では、殺人のほか、汚職、脱税、賄賂授受、中国からの分離・独立などを狙う「国家安全危害罪」、
    麻薬密売・販売や売春及び強姦などの性犯罪など被害者が死亡しない犯罪でも死刑になると
    定められている。外国人についても2009年12月、麻薬密輸罪に問われた英国人の死刑が執行され、
    2010年4月には同じく麻薬密輸罪で4人の日本人の死刑が執行されたが、
    同罪で逮捕や起訴された日本人がまだ8人もいるという。
    また死刑を犯罪撲滅に対する最大の効果があると司法当局が確信しているため、
    死刑の適用が多用されている。例えば2001年に中国国内で犯罪に対する『厳打』キャンペーンが
    行われ、暴力による刑事事件だけでなく「株式相場の混乱」といった経済事件まで死刑判決が下され、
    合せて2960人に死刑判決が下され4月から7月までに1781人に対し死刑が執行された。
    このように中央からのキャンペーンで地方が暴走することもあり、
    例えば四川省の検察当局は「迅速な逮捕、迅速な裁判、迅速な結果」の結果、
    6日間に19000人以上が逮捕され、裁判所も証拠調べを充分に行わずに裁判を行った。
    そのため結果的に誤判が大量に発生したと見られ冤罪による死刑も多く行われたと言われている。
    また、このようなノルマを課した犯罪撲滅キャンペーンの結果、
    現場レベルでは自白を引き出すために暴力的な尋問と拷問が行われ、
    結果として重大な人権侵害が行われているとの指摘もなされている。
    なお、過去にイギリスやポルトガルの植民地であった香港(1993年廃止)と
    マカオには現在でも死刑制度がない。
     二審制で、外国人の場合は高級人民法院(高裁)で死刑が確定する。
    執行には最高人民法院(最高裁)の承認が必要で、承認が出れば7日以内に執行される。
    執行猶予付きの死刑判決もあり、
    一定期間、服役態度に問題がなければ無期懲役に減刑されることもある。
    中国当局、死刑執行数を減らす方針
     中国当局が、年間の死刑執行回数を「非常に少ない数」に減らし、
    死刑からの減刑も増やす方針であることが明らかになった。ただし極刑廃止の計画はないという。
    2009年7月29日付の英字紙チャイナ・デーリーが、最高人民法院の張軍副院長の話として伝えた。
     国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、
    中国では2008年、少なくとも7000人に死刑判決が言い渡され、1718人への死刑が執行された。
     同国では、暴力を伴わない経済犯罪を含む60以上の罪に死刑が適用されており、
    執行率の高さも相まって、死刑制度の運用に人権団体から非難の声が上がっている。
     張副院長は同紙で「現状では極刑の廃止は不可能であるため、
    司法機関が同刑の適用を厳しく管理することは重要な取り組みだ」と指摘。
    その上で「司法機関は可能な限り死刑判決を少なくすべきだ」と述べた。
     記事では現在の死刑執行率や今後の目標数値などには言及していないが、
    張副院長は死刑判決は「非常に少ない数」に絞った重犯罪に対してだけに減らすべきだと語っている。
    中国の英国人死刑執行、27回にのぼる英政府の嘆願を黙殺
     アクマル・シャイフ死刑囚の死刑執行を受け、英国のブラウン首相とミリバンド外相は中
    国政府を激しく非難した。先の国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)でも英政府は、
    数値目標の設定を妨害したとして中国を名指しで批判しており、
    今回の死刑執行は英中の「対立」に拍車をかけた。
     英外務省は2009年12月29日、中国側の発表より早く、
    「現地時間午前10時半(英国時間同2時半)に死刑が執行された」と発表した。
     中国国営・新華社によると、死刑を執行されたのはイギリス国籍のアクマル・シャイフ死刑囚。
    シャイフ死刑囚は2007年にヘロイン約4キロを所持していたとして逮捕され、
    麻薬密輸の罪で死刑判決が確定していた。
     英側は27回にわたり「寛大な措置」を求めてきた。COP15の場でも、
    ブラウン首相は温家宝首相に直訴した。だが、完全に“黙殺”されただけに、中国への怒りは大きい。
     ブラウン首相は「英政府の嘆願が考慮されなかったことに驚きと失望を覚える。
    死刑囚の精神鑑定が行われなかったことを特に憂慮する」と述べた。
    ミリバンド外相も「英国はどんな状況であっても死刑には反対する」と強く抗議した。
     英紙ガーディアン(電子版)によると、中国駐在の英領事が28日、
    シャイフ死刑囚に彼の親類2人を伴い面会。同死刑囚はこのとき初めて、死刑になることを
    知らされたという。領事は「彼は非常に動転していて、理性的には見えなかった」と語っている。
     28日夜にはルイス外務担当閣外相が、駐英中国大使に電話で死刑執行の停止を求めた。
    大使は「中国の司法制度は政府から独立している。
    中国では麻薬所持は50グラムでも死刑だ」と、死刑判決は妥当との見解を繰り返した。
     英側は今回の死刑執行について、中国は「内政干渉」を排斥することで、
    国際社会に中国の「主権」を示す狙いもあったとみている。
     米人権団体デュイ・フア財団によると、中国最高人民法院(最高裁)は2007年1月、
    死刑執行が適切かどうかを判断する制度を導入し、死刑を取り消したケースは全体の15%にのぼると
    説明している。しかし、(1)公訴事実が不明確(2)証拠が不十分(3)量刑が不当
    (4)通訳が適切ではない−など、司法手続きの公正さを疑問視する声は強い。
    中国、日本人に国交回復後初の死刑執行へ=麻薬密輸罪で
     2010年3月30日、麻薬密輸の罪により中国で拘束された日本人死刑囚の死刑が、
    近く執行されることがわかった。1972年の日中国交正常化以来、約40年間で初のケースとなる。
    中国政府が29日、在瀋陽日本総領事館に対して行った通告を、日本メディア各社が伝えた。
    4月上旬にも刑が執行される可能性があると伝えられるのは、2006年に遼寧省大連市から
    日本へ向けて、覚せい剤約2.5kgの密輸を試みて空港で拘束された男性で、2009年4月に
    2審の遼寧省高級人民法院(日本の高裁に相当)で控訴が棄却され、死刑が確定していた。
     この男性のほかに、中国国内の日本人死刑囚は3人(執行猶予なし)。
    いずれも違法薬物の密輸罪で、2007年8〜10月の期間に刑が確定している。
     中国では違法薬物の売買は重罪で、
    刑法では、覚せい剤50g以上の密輸で「懲役15年か無期懲役、または死刑」と規定されている。
     麻薬密輸は中国では重罪と分かっているのに、
    50gどころか2.5kgもの覚せい剤を日本に持ち出そうとしたのだから、死刑になってもしかたがない。
    もしこれが日本に入っていたなら、多くの人が廃人同様になるかもしれないことから、
    日本でも「麻薬密売・販売」には死刑を適用し、中国のようにすべての犯罪に、
    死刑が確定したら7日以内に死刑執行するように法改正したほうがよいと思う。
    日本では死刑確定後6カ月以内に死刑執行すると定められているのに、
    死刑確定後、1年前後から何年も経って死刑執行されることがあり、
    法務大臣によって期間が左右されるのはおかしい。聞くところによると、
    鳩山政権の法務大臣は死刑に疑問を抱いている人だと言うが、司法を司れる大臣とは思えない。
    100人もの死刑確定者がいるというのに、大臣就任後に何人にゴーサインをしたのだろうか。

永山基準(ながやまきじゅん) : 死刑と無期懲役の選択の基準。1968〜69年にかけて東京や京都などで
    4人を殺害した連続ピストル射殺事件の永山則夫(ながやま・のりお)元死刑囚(事件当時19歳、
    1997年8月死刑執行)に対する1983(昭和58)年7月の第1次上告審判決で、
    最高裁が無期懲役の2審判決を破棄した際に示した「死刑適用基準」(死刑選択の判断)のこと。
    @犯罪の性質(犯行の罪質)A動機B事件の態様(特に殺害方法の執拗(しつよう)さや残虐さ)
    C結果の重大性(特に殺害された被害者の数)D遺族の被害感情E社会的影響
    F犯行時の被告(犯人)の年齢G前科H犯行後の情状、を総合的に考慮し、刑事責任が極めて重大で、
    罪と罰の均衡や犯罪予防の観点から「やむを得ない」場合には、死刑の選択も許されるとした。
    そして、少年事件(少年法3条:裁判を受けるとき20歳未満である少年では、
    少年の特性に配慮した事件処理をしなければならない)については、特別の配慮を示していた。
     裁判員6人、裁判官3人の評議では、過去の裁判例と比較しながら、
    これらの項目に沿って検討していく。結論は全員一致が原則だが、
    時間をかけてまとまらなかったときは多数決で決める。
    被害者数が特に重視される傾向にあるが、被害者が一人でも
    犯行が極めて残虐だったりした場合は死刑が宣告されるケースがある。














































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